第6話
カウンターのスツールに腰かけ、ダンスはぐったりと放心していた。
牧場の惨劇から一夜明け、ダンスはギルド酒場に戻ってきていた。ひと眠りしたいというパイパー、魔術院に戻るというキティアラと別れ、一度は自宅に帰ったダンスだが、どうも気が休まらない。
ボガードに顔でも見せるか、とやってきたギルド酒場だが、そのボガードは不在。何もかもが中途半端なまま、ダンスはカウンターに肘をついていた。
任務失敗。
ダンスにとって、それは滅多にない経験だった。
もともと今回の任務は、『壁』の定期点検と、必要であれば補修だった。だが、所定のエリアに到達する前に遭遇した牧場での『壁』崩壊。牧場での遭遇戦で九死に一生を得たダンスは、その時点での撤退を決断したのだ。
本来ならば、任務を果たさずに撤退する判断はあり得ない。『壁』の点検どころか、その『壁』が小規模とはいえ崩壊する現場に遭遇したのだ。まずは崩壊の規模を調べ、同行している魔術師に指示を仰ぐのがセオリーだ。
だがダンスは、牧場での肉柱との交戦……いや、もう少しで一方的に殺されるところだったあの出来事のあと、「今日の自分はこれ以上任務を続ける状態にない」と判断したのだ。
「さすがだよ、ダンスのおっさん。撤退の判断はなかなかできないもんな」
パイパーのそんな言葉も、慰めにはならなかった。これまで経験したもっとも大きな失敗にしても、自分の失策が原因ではなかった。
だが今回は、明らかに自分の判断ミス、油断によるもの。街へ戻る道すがら、ダンスは何度も悔やんだ。
「とにかく、誰にもケガもなく、無事に帰れたのは収穫だ」
それに対してキティアラは、ただ一言こうつぶやいただけだった。
――いつの間にか、眠っていたらしい。
「おい、起きろ!」
カウンターに突っ伏していたダンスの肩を、誰かが乱暴に揺さぶる。ボガードの声だ。
「お前に来客だぞ」
強い疲労を感じながら身体を起こしたダンスの視線の先にいたのは、キティアラだった。相変わらず飄々として、表情からは何を考えているのかまったくわからない。そのキティアラは、淡々とダンスに告げた。
「魔術院に報告に行く。同行してくれ」
ダンスは自分の耳を疑った。任務の結果を魔術院に報告するのは魔術師の役目だ。ダンスのこれまでの長いキャリアのなかでも、魔術院へ同行を求められたことなど一度もない。冒険者仲間からも聞いたことはない。
現に、ボガードの表情がそれを物語っている。「お前、何やらかしたんだ?」という顔だ。
軋む身体をなんとか持ち上げたダンスは、キティアラの後ろに続いて歩みを進めた。道中お互いに一言も言葉を発さないまま、街の中央に位置する魔術院へと足を踏み入れた。
石造りのベンチに腰を掛け、1時間近く待たされた。ほとんど休息できていないダンスの我慢が限界に近づいたとき、疲れ切った男の声が聞こえた。
「次、入室してください」
通された部屋には、一人の小男がいた。机の上に分厚い台帳を広げ、羽ペンを握りしめている。金糸の刺繍が入った紫のローブ、この男も魔術師だ。
「キティアラ・バル=スルミドカス、『壁』の恵みあれ」
「ドゥパルド・レン=サイダガリオ、『壁』の誉れあれ」
キティアラと、ドゥパルドという名らしいその男は互いの名を呼んで挨拶を交わし、ドゥパルドは優雅な身振りでキティアラに椅子を勧めた。
「ところでキティアラ……」
と、ドゥパルドは怪訝な表情を作ってダンスの方に目線を投げた。ここにはいないはずの冒険者風の男の存在に、明らかに警戒している。
キティアラは重そうな革袋を袂から取り出すと、ドゥパルドの台帳の上に置いた。重みのある金属音がする。
「75ドゥカット、入っている」
ドゥパルドの視線は革袋とダンスの顔を忙しく往復した。暑がりなのか、寒い季節なのに小鼻に汗をかいている。
「君が望むなら、キティアラ」
金貨が詰まった革袋を大事そうに懐にしまったドゥパルドは、もうダンスには一顧もしなかった。ダンスは思わず首をすくめたが、自己紹介を求められたわけではないことくらいはわかっていた。
「さて、今回の任務についての報告を」
促されたキティアラは、淡々と経過を追って言葉を紡いでいく。前哨地での合流と宿泊、ディゴとの遭遇と壁崩落の発覚、そして牧場へ……。
飾り気も寄り道もないキティアラの言葉は、過不足なく今回の任務について描写する。ドゥパルドは黙々とペンを走らせている。
母屋での肉柱との遭遇と殲滅までを語り終えると、キティアラは口を閉じた。ドゥパルドはペンを置くと、キティアラに質した。
「では、今回は喪失9、回復9でよろしいですね」
「ああ、その勘定で間違いない」
「では」
とドゥパルドは手元の台帳を閉じる。
「次、入室してください」
疲れ切った声で待合室に告げたドゥパルドを部屋に残し、ダンスとキティアラは魔術院を辞した。




