第26話
レキサがダンスたちを迎えに来た、少し前。
パディルはようやく二日酔いから覚めた頭を振りながら、広場の外周に沿って歩いていた。『壁』に対してキディアスやダンスほど思い入れがないパディルにとってみれば、この村はそれほど珍しい場所には見えない。
「『壁』の外に人間が住んでる、か。そりゃ考えたことはなかったけど、びっくり仰天というほどでもないよな」
ぶらぶら歩くパディルの耳に、どこかで聞いたことのあるひそひそ声が聞こえてきた。
「おい、この下手くそ! 少しは弓の腕、上がったか?」
むっとして立ち止まると、パディルは周囲を探るように見回す。家の陰、テーブルの下……誰もいない、ように見える。
「こりゃ射手どころか斥候としても三流じゃな。こんなやつを連れ回す壁守やダンスの気が知れんわ」
上か! ようやく気づいたパディルが見上げると、板張りの屋根の上には少年の姿があった。
「ドルグ! お前、勝手なこと言いやがって」
ドルグは身ごなし軽く屋根から飛び降りると、ニヤニヤ顔でパディルの前に立った。
「ん? わし、何か間違ったこと言ったかの? 弓では三流、斥候でも三流。今、証明されたばっかりじゃろ」
「言ってくれるじゃねえか」
とパディル。売り言葉に買い言葉というやつだが、ここまで言われておとなしく引き下がるほど気弱なたちでもない。
「じゃあ、弓で勝負してみるかの? 村には射的場があるからの」
「そうしてやりたいのは山々だが、おれの弓はレキサに渡しちまった」
と唇を噛むパディルを、ドルグがさらに挑発する。
「へへえん、そう言い訳すると思っておったわ。じゃあ、これでどうじゃ」
ドルグが背負っていた荷物をそっと地面に下ろす。布袋の口からは、パディルの組み立て式短弓が顔を出している。
「おっ! ドルグ、お前いつの間にこいつを」
「レキサのやることなんかお見通しよ」とドルグは鼻高々だ。
パディルはさっそく弓を取り出すと、弦を軽く引き、金具の締まり具合をチェックする。問題はなさそうだ。
「よし、じゃあその射的場ってとこに案内してくれよ。勝負しようぜ」
「おっ、やる気じゃの。負けて大泣きするなよ」
ドルグのニヤニヤは止まらない。
「そりゃこっちのセリフだよ」
と言い返すと、パディルはドルグの後について射的場に向かった。
村の隅にある射的場には、手作りの的が3つ設置してあった。太い木の周りに藁を巻きつけ、針金で縛って固定してある。もっとも太い部分で、大人の頭くらいだろうか。
「この場所から撃つ。だいたい、100歩ほどの距離じゃ」
的をチェックするパディルに向かって、ドルグは射手が位置する射場から声をかけた。100歩なら、パディルにとっては実戦で問題なく当てられる距離だ。
「よし、いいだろう」
弓を左手に持ち、矢筒を腰の後ろに固定したパディルは、ドルグのとなりの射場に入る。射的場の脇には、いつの間にか見物の村人が何人も集まってきていた。
「ここから、それぞれ20本ずつ撃つ。的中の本数を競う。藁にひっかかっただけのは当たりとは数えんぞ、ちゃんと的に刺さったのだけじゃ」
「意外と細かいんだな、ドルグって」
そうつぶやくと、パディルは足の位置を定めた。ドルグはリラックスした様子で風向きを測っている。
いよいよ勝負開始、と見た観衆から、声援が飛ぶ。
「いよう、ドルグ! 村で三番手の弓使い!」
ドッと笑いが起きるが、ドルグは平然としている。
「なあに、いずれ本当にそうなる。見ておれ」
二人は弓に矢をつがえ、キリキリと引き絞った。パディルの弓はメカニカルな金属製、ドルグの弓はしなやかな天然木素材。身体の大きさはもちろん大人と子供、そして村育ちとよそ者という、対照的な組み合わせだ。
二人はほぼ同時に矢を放つ。空気を切り裂く鋭い音が響き、それぞれの矢は的の中心に突き刺さる。まずは同点だ。見事な腕前に、観衆からは感心の声が上がった。
二の矢、三の矢……。二人が放つ矢は、見事に的中していく。まったく互角の勝負と思われたが、10本を過ぎたあたりから様子が変わってきた。
パディルは、弓を握る左手に違和感を覚えていた。手のひらには冷たい汗がにじみ、小指がだんだんしびれてくる。きちんと弓を握れているのか、自信が持てない。パディルの頭の中に、『壁』の中で倒れたときのあの感覚、手の骨から筋や肉が剥がれ落ちていくようなぞっとする記憶が蘇る。
13本目。パディルの矢は左に大きく外れた。ドルグは的中。14本目、15本目とパディルの矢は的を捉えられない。17本目を外したところで、パディルは弓を下ろして右手を挙げた。
「おれの負けだ」
おお、と村人たちがどよめく。
「どうじゃ! 言うたであろう、わしの勝ちじゃ!」
とドルグ。途中での試合放棄とはいえ、文句なく勝負はついた。射場に座り込んだパディルを、ドルグが見下ろす。敗者のパディルは、左手首を右手で握り、左手の指を一本一本確かめるように動かしている。
「なんじゃなんじゃ、次は『手が痛かったから』とでも言い訳するつもりか? 情けないのう」
ドルグは勝ち誇る。負け惜しみだけは言いたくはなかったが、パディルは絞り出すように言葉を発した。
「やっぱり『壁』だ。あれの中で転んでから、どうも左手が変なんだ」
それを聞くと、ドルグはあきれたように首を振った。
「ほれ見てみい。だから『壁』は禁忌なんじゃよ。あんなものに関わるからじゃ」
「お前たちには禁忌でも、『壁』は街のおれたちを守ってくれてるはずなんだよ」
パディルは下を向いたままだ。
「そうかのう、おぬし本当にそう思っておるのか?」
そう問いかけたドルグの言葉からは、これまでのような挑発の色は消えていた。
「『壁』なんぞで手をおかしくする前のおぬしと、弓比べをしてみたかったもんじゃわ」
ドルグはつぶやくと、座ったままのパディルの手を引いて助け起こした。




