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第23話

 上訴の手続きを行う、と宣言してひとり魔術院の奥へと歩み去り、そして戻ってきたキディアス。そこで何があったのか、相変わらず表情に出さないキディアスの顔からは、ダンスは何も読み取れない。

 

 それでも、とキディアスの横顔を見ながらダンスは考える。やはり様子がおかしい。ドゥパルドを蹴散らすような勢いで院長室に向かったキディアスが、不自然に明るい様子で戻ってきた。それ自体がおかしいじゃないか。


「なあ、キディアス。いったい何があったんだ?」


 保守局の酒場。隅っこのテーブルに着くと、ダンスはとうとう我慢しきれずに口に出した。

 

「……内勤行き、だそうだ」


「内勤?」


 保守局にも内勤はある。魔術院からの任務を局員に割り振ったり、魔術院からのお叱りがあれば局員を呼び出して問い詰めたりする、一日中机の前に座りっぱなしの仕事だ。カルツみたいに任務に出られない身体になったならともかく、そうじゃない身の上の人間がやる仕事としては退屈で仕方がないだろう。

 

「そんな退屈な……いや、それどころじゃないな。キディアス、内勤となると、『壁』にはもう」


「そうだな、『壁』の任務への同行はなくなる。『壁』探索もこれで終わりってことだ。……もし、『壁』の謎には金輪際関わりませんって誓いを立てれば、任務に戻してくれるかも知れないがな」


 キディアスはかすかに発泡している蜂蜜酒ミードが入った陶器のジョッキを両手で抱え、背中を丸めて座っている。

 

「終わりってさ、キディアス。それでいいのかよ」


 遅れて合流したパディルが身を乗り出す。納得いかない気持ちはダンスも同じだ。

 

「いいも悪いもない、私は魔術師メイジだ。魔術院の決定には従わなければならん。それに院長が言っていることは正しい、一片の曇りもない正論だよ。私は何も反論できなかった」


 キディアスは蜂蜜酒ミードのジョッキの底から立ち昇ってくる細かな泡をじっと見つめている。

 

「でもさあ……」


 さらに言い募るパディル。

 

「そう言うがな、パディル。キディアスみたいに『お前の真実とは、赤ん坊の命いくつ分だ?』なんて聞かれてみろよ。そこで突っ張れるのはよっぽどの向こう見ずか、話を聞いてない馬鹿くらいのもんだ」


 ダンスはキディアスに代わってパディルを諭す。


「ダンス、パディル、すまない。私はここまでみたいだ」


 キディアスは蜂蜜酒ミードをぐっと飲み干す。蜂蜜の甘味はまだ残っているとはいえ、よく発酵した蜂蜜酒ミードは酒としてもしっかり強い。キディアスの銀色の肌に、ほんのりと赤味が上ってきていた。

 

「なあ、キディアス。あんたはさ、そもそもなんで『壁』にそんなにこだわるの? 院長の意見に賛成するわけじゃないけど、『壁』が実際には何だろうと、中で暮らしている人たちには関係ないって考え方もあるじゃん」


 パディルが変化球を投げ込んできた。なるほど確かに、なぜ『壁』に……って話はこれまでしてこなかったもんな。ちょっと感心したダンスを横目に、キディアスはジョッキをテーブルに置いて、体勢を立て直した。

 

「最初に私たちが話したことを覚えているか?」


「え、『彼女はいますか』ってやつ?」


とパディル。そういえばそういう話、してたな。


「そうじゃない、その次だ。魔術師メイジは木の股から生まれる、の方だよ。あれは意外とおとぎ話ってことでもないのさ。もうちょっと詳しく話してやろう。まずは私の外見のことだ」


 ダンスは改めてキディアスの姿を見た。白い髪、銀色を帯びた乳白色の肌、そして黄金色の瞳。今でこそ見慣れてはいるものの、明らかに異彩を放っているのは事実だ。

 

「これはな、魔術院が行った実験の結果なんだよ」


「なんだって?」


 ダンスの声が思わず高くなる。しっ、とキディアスは唇に人差し指をあててダンスを制した。

 

「私の母親……いや、誰なのかは知らないが、その母親が妊娠している最中に、当時の魔術院の連中が『壁』の近くに連れて行ったのさ。そこで実際に何が行われたのかは知らないが、この髪と肌、瞳の色はその影響だ、と聞かされたことがある」


 キディアスの手はわずかに震えていた。


「そんなことをやっていたのか、魔術院は」


 ダンスは唸った。それはまるっきり、人体実験じゃないか。

 

「何を目的にした実験なのか、いつからいつまで行われたのか、詳しいことはわからない。ただ、私自身が実験結果であり、普通の魔術師メイジよりも『壁』との縁が深いのは事実だと思っている」


「なるほどなあ……おふくろさんがねえ……」


 そう言ったパディルを見ると、目に涙が浮かんでいる。しまった、こいつ泣き上戸だったのか?


「そんな実験なんてとんでもない、とも思うが、起きたことは変えられない。それにこの肌と目は、私自身が魔術院の手によって生み出されたモノであることの証拠だ。私は魔術院からも、魔術師メイジであることからも逃れられない。今回のことで、思い知らされたよ」


 キディアスはジョッキを傾けたが、中身はもう空っぽだった。酔いは確実に回っているようだ。

 

「でもさあ、キディアス。あんた、忘れてるでしょ」


 パディルはさらに言葉を重ねる。こいつはヤバい、絡み始めたぞ。泣き上戸と絡み上戸、両方だったか。

 

「院長に『お前の真実は赤ん坊の命より重いのか』って言われて、それで答えられなかったって言ってたでしょ。じゃあさ、マイサはどうなの? マイサの命はどうなんだよ」


 マイサ。ダンスは酔いがすっと引いていくのを感じた。9引く8は1、その1はマイサ。牧場でいつもよく冷やした牛乳を飲ませてくれた。ディゴの娘。牧場で戦った、肉の柱。

 ダンスはもう慣れてしまって、そんな悲劇には心が動かなくなってしまっていた。だけど、パディルは忘れていなかったんだ。


 キディアスも酔いから覚めたようだ。丸まっていた背中は伸びて姿勢がよくなり、身体に芯が通ったいつものキディアスに戻ったように見える。

 

「院長はこれから起きるかもしれないこと、まだ決まっていない未来のできごとで私を説得しようとした。だが、実際に起きたことはどうなのだ?」


 キディアスの言葉に触発され、ダンスもまた口を開く。


「『壁』の崩落に巻き込まれて変貌させられたマイサはどうだ? 家族と牧場という、彼にとってのすべてを失ったディゴはどうなるんだ? もちろん、起きたことは変えられない。でも、二度と起こらないように努めることはできるんじゃないのか」


 ダンスとキディアスの視線が交差する。二人はそれ以上言葉を発しなかった。もうその必要はない。

 パディルはテーブルに突っ伏したまま動かない。どうやら、この酒場のエールは彼には強すぎたようだ。

 

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