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第22話

「そう、過ちだ」


 院長サイバルダは言葉を継ぐ。彼は付箋を剥がした跡を羽箒で丁寧にならし、痕跡をきれいに消した。

 

「しかし院長、私は実際に見たのです」


 キディアスは言い募る。ここで退くわけにはいかない。


「『壁』の外で生きる人間を、かね?」


「そうです! 『壁』の外に人間がいること、我々魔術師メイジは本当は『壁』の維持管理などできないこと、つまり」


 またもサイバルダは先手を打った。

 

「つまり『壁』は我々を守ってなどいない、と? いくらか論理の飛躍があるようだが」


「それでも、この疑念は合理的です。過ちなどではない!」


 冷静沈着な普段の表情をかなぐり捨て、キディアスは立ち上がって叫んだ。サイバルダの表情はまったく変わらない。穏やかなほほえみを浮かべたまま、台帳のページに見つけたわずかなけば立ちを指で均している。

 

「よかろう。仮に、君が言っていることが真実だとしよう。だとしたら、君はどうするのかね?」


 サイバルダが発した予想外の言葉に、キディアスはあっけにとられた。院長には上訴を聞き届ける義務があるとはいえ、彼女は最低でも叱責を受けるか、悪くすれば手ひどく面罵されることも覚悟していたからだ。だから、サイバルダが頭ごなしに否定にかかってきたとしたらどう反駁するか、シミュレートは済ませていた。だが、「どうする」とは。


 言葉に詰まったキディアスを前に、サイバルダは小首をかしげている。

 

「ふむ。代わりに答えてあげよう。まず、『壁』は街を守ってなんかいない、魔術師メイジは嘘つきだと触れ回るかね? それとも『壁』の外にも世界がある、我々は閉じ込められているんだ、と叫ぶかね?」


 サイバルダのその次の言葉は、キディアスの想像を完全に超えていた。

 

「同じだな。私の若いころとそっくりだ。私もかつて、『壁』に疑問を持ったものだよ。魔術院の体制ともぶつかった。問題意識を持つのは、知的訓練が実を結んでいる証拠だ。君や私のように優秀な存在は、そうあるべきだな」


 分厚い台帳を閉じると、もう一度保管箱に丁寧に鍵をかける。そして保管箱を書棚に戻す。傲慢なまでの丁重さで一連の動作を終えると、サイバルダはキディアスを振り返った。

 

「で、君はどうするね? 自分が真実だと思い込んだことのために、すべてを壊す覚悟があるかね?」


 サイバルダはもう一度深々と椅子に腰を掛けると、言葉をつづけた。


「魔術院は街の行政、司法、治安、そして生活にかかわるすべてを司っている。私たち魔術師メイジがそれを担っているのは知っての通りだ。いわば、『壁』の内側は私たち魔術師メイジの双肩にかかっている。崇高な仕事だよ」


 サイバルダはゆったりと足を組み、膝の上で両手を握り合わせた。

 

「それを君は、君の信じる『真実』とやらのために、すべてひっくり返そうという。秩序や権威が崩れるとき、何が起こるか? どれだけの人が苦しみ、あるいは命を落とすか。そう、君の『真実』のために」


「それでも、調査は続けなければ。『壁』が本当は何なのかを明かさねば」


 キディアスはわずかに抗う。サイバルダは問う。

 

「君の『真実』には、赤ん坊の命いくつ分の価値があると思う? 家庭の幸せをいくつ踏みにじれば、君の『真実』が明かされると思う? 私が『どうする?』と聞いたのは、そういう意味なんだ」


 サイバルダは、「キディアスは自分と同じだ」と言った。その言葉が本当なら、サイバルダはすべてを知った上で、今ここに立ちはだかっている。『壁』よりも分厚く、『壁』よりも巨大な壁。キディアスは完膚なきまでに打ちのめされた。

 

 院長室を辞そうとしたキディアスに、サイバルダは最後に声をかけた。

 

「そうそう、次の異動で君は内勤に入ってもらう。台帳が常に正しくあるために働く、これも崇高な仕事だよ」


 閉じかけた扉の向こうで、サイバルダはさわやかな香りの香草茶をゆっくりと傾けていた。



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