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第21話

 キディアスは黒ローブをまとった吏員の後ろに従い、魔術院の長い廊下を歩いていく。いくつもの扉、いくつもの廊下を通り過ぎていく中で、キディアスは「どこまで行っても同じような場所ばっかりでさ」と愚痴るパディルの顔を思い出し、わずかに緊張を緩めた。

 

 ――だがな、パディル。お前が見ても、この扉は他とは違うことがわかるはず。

 

 黒ローブはその扉の前で立ち止まると、一歩脇に退いてキディアスを促した。その扉はきれいに磨き上げられ、鋳鉄製のドアノッカーがついている以外は、他と変わりはない。だがここには、この扉の中と外とで違う世界が広がっているのではないか、という恐れすら覚える静寂がある。キディアスの唇は、いつの間にか『壁防御』礼式の一節を形作っていた。

 

 呼吸を整えようと床の敷石の数を数えながら、キディアスは一瞬目を閉じた。この扉の前に立つと、その意味の重さが物理的な重圧となって身体にのしかかってくる。随行の役目を終えた黒ローブの姿はいつの間にか消えている。キディアスは扉の前に一人で立ち、手のひらに汗をかいているのを意識した。

 

 キディアスはドアノッカーに手を伸ばすと、慎重に3回、魔術院院長室のドアをノックした。『壁』に踏み込むとき同様、もう後戻りはできない。

 

「入りたまえ」


 柔らかいビロードのような声が響いた。キディアスが取っ手を引くと、扉は何の抵抗もなくなめらかに開く。

 

「サイバルダ・ウル=ルカウビスカ、『壁』の恵みあれ」

「堅苦しい挨拶はなしでかまわないよ、キディアス」


 院長サイバルダは自らの机の前に立ち、穏やかに微笑んで、キディアスに向かって手を差し伸べた。ダンスやパディルをはるかに上回る上背は均整の取れた筋肉に覆われ、赤銅色に焼けた肌はどこか金属のような光沢を放っている。黒曜石のように輝く瞳と短く刈り込まれた金髪は、若々しさと規律ある生命力を感じさせる。

 

「かけてくれ」


 サイバルダは手を振ってキディアスを促すと、自らは深々と着座した。キディアスは一礼して与えられた椅子を引き、浅く腰を掛ける。


「さて、上訴か。この手続きは、長らく取られることがなかった手段だ。しかし我々魔術院の者は、上位の者が下した判断に異議を唱えたいときはいつでも、院長に対して申し立てを行う権利を持っている」


 院長はキディアスの目をまっすぐ見た。

 

「君は権利を行使した。認めよう。さあ、話したまえ」


 キディアスは膝の上に置いた両手を固く握りながら、話し始めた。最初の牧場探索、『肉柱』との交戦。そして二度目の牧場到達、ドルグとの遭遇と対話、そして……。

 

「なるほど、よくわかった。ご苦労だったな」


 街への帰還とドゥパルドへの報告までを語り終えたキディアスが言葉を切ると、サイバルダはよく響く声で彼女をねぎらった。


「それで、君が異議を申し立てたいのはドゥパルドの判断について、だな。ドゥパルド・レン=サイダガリオか」


 サイバルダは眉根を寄せて目を細め、ドゥパルドのことを思い出そうとしているようだ。しばらくして、ふっと目を開いた。

 

「そうだな、思い出した。取るに足りない男だ、君や私のような優秀な者にとってはね。君は台帳を読み返すときに、欄外のインク染みにいちいち気を取られるかね?そうではないだろう?」


 サイバルダは立ち上がって壁際の書棚に近づき、床の敷石ほどもある大きな取っ手付きの保管箱を片手で引き出した。机の上にそっと置くと、何ごとかを呟きながら複雑な組み合わせ錠を3つ開錠し、箱を開く。

 

 キディアスは息をのんだ。中から出てきたのは、鋳鉄の金具で保護された台帳だったからだ。ドゥパルドが必死に書きつけていたものとよく似ているが、ページの上下を問わず貼りつけられた付箋や、あちこちに挟まれたしおり紐が放つ圧倒的な存在感が、あれとはまったく違うものだと告げている。

 

 サイバルダは台帳を持ち上げると、机の脇の書見台に載せた。朱色のしおり紐を選ぶと、すっとページを開く。


「これが真本だよ。彼らが記したものを吏員が集め、私がここに書き写す。それによって、すべてはここに記録されるのだ」


 台帳の出現に目を奪われていたキディアスは、ようやく気づいた。

 

――上訴が認められるかどうかは、私の報告がこの真本に書き込まれるかどうかで決まる。


 思わず一歩前に出ようとしたキディアスの足を、サイバルダは言葉の一打ちで止めた。

 

「安心したまえ、キディアス。この真本に、君の過ちが記録されることはない」


――過ち? 


「君には上訴する権利があり、私にはすべてを記録する義務がある。しかし、実際に何を記録するのかは私が決めるのだ。君のように優秀な者でも、間違った報告を行うことはある。そんなことをわざわざ記録に残すほど、私は頑固ではないからね」


 サイバルダはにっこりと笑うと、台帳のページから付箋を一枚、すっと剥がして捨てた。

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