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第19話

「キディアス・バル=スルミドカス、『壁』の恵みあれ」

「悪いがくだらない挨拶をしている暇はない」


 キディアスはにべもなく言い放つと、つかつかとドゥパルドの机に歩み寄り、台帳に右の拳を打ちつけた。

 

 お互いをたたえる挨拶をはじめ、繊細に組み上げられた魔術院の儀礼を頭から無視したキディアスの振る舞いにも、ドゥパルドは動じない……少なくとも、外見からわかるような動揺は見せなかった。前回と同じように、ダンスのことは目に入ってはいるものの、丁重にその存在を無視している。


「今日は、確か新しいダンジョンの踏査任務の報告だったと思ったが」


「そうだ。新しいダンジョン、元は牧場だった場所の調査を行った」


 キディアスは一気にまくし立てる。


「そこにいたのは『人間』だった。いいか、礼式の保護を受けていない人間がいたのだ」


 そこまで喋って、初めてキディアスはダンスを振り返った。

 

「この保守局員は、その証人だ」


 なるほど、ここに連れてきたのはそのためか。ダンスはひとり頷いた。

 

「『人間』。キディアス、君からそんな言葉を聞くとは思わなかった。『壁』の外にいるのは野獣か、変貌した化け物だけだ。それを報告として受け入れるわけにはいかないな」


 ドゥパルドは、ダンスの顔どころかキディアスの顔すら見ずに、台帳にペンを走らせている。机からはみ出すほど大きな台帳と比べると、小男のドゥパルドは大木にしがみつくセミのようにも見える。

 

「結構。お前がそう答えることは予想していた。ドゥパルド、私は今ここで上訴の権利を行使する」


 ドゥパルドはペンを止めて目を上げた。驚きの表情が顔に貼りつき、いつの間にか小鼻には汗の粒がびっしりと浮かんでいた。

 

「上訴だって? 君にとって、それは有利にはならないと伝えさせてもらうが」


「私に不利があろうが、お前の将来に傷がつこうが、これに比べたら小さなことなんだ。頼むから、吏員を呼んでくれ」

 

 激しかったキディアスの口調は、いつのまにか哀願するように変わっていた。彼女は手を差し伸べて、机の上に置かれた銀色のベルを指した。ドゥパルドがため息をついて、ベルを3度鳴らすと、黒いローブを着た男がスッと部屋に入ってきた。

 

「キディアス・バル=スルミドカスが上訴の権利を行使した。規定通り彼女と同行し、魔術院長のドアをノックせよ」


 ドゥパルドは吏員に命じるとペンを置き、台帳のページに吸い取り紙をあてて余計なインクを吸い取った。キディアスは黒ローブの男と共に部屋を後にする。

 

 その場に取り残されたことにようやく気づいたダンスがドゥパルドに目をやると、同じようにこちらの様子をうかがっていた彼と正面から目が合ってしまう。

 

 気まずい沈黙のあと、ダンスが誰にともなく口を開く。

 

「ええと、思うんだが、この部屋からは出ていったほうがいい気がする。ロビーというか、その扉の外側にいることにするよ」


 明らかにほっとした様子のドゥパルドは、ダンスの顔を見ないように目をそらしながら小さく頷いた。存在を無視している相手に話しかけるわけにはいかない、というのはドゥパルド側の勝手な事情だが、そんな相手と二人きりで取り残されてしまったという事情は同情に値する。


 ご苦労なことだな、と思いながら、ダンスはドゥパルドの部屋を後にした。閉まるドアの隙間から、ドゥパルドが椅子の背もたれに寄りかかって呆然としている姿が見えた。



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