【景色 六:水妖】
「やった!」太鼓を打ちながら弥平が来た。
吹の視線は崩れた大百足が動かない事を確認するのと、大蜘蛛をみる事に使われているが、声は弥平に対する要求に使った。
「お水」とかすれた声で水を欲した。
音声をあげ妖と戦い、吹の体力は限界であった、もちろんお香にも余裕は無い。
はっと気が付いた弥平の後ろに手桶に水をいれて続いていた女性がいた。
弥平の女房らしい、水は気をきかせて持ってきたのだ。
杓に汲んだ水を飲んだ吹は大きな感動にを得た、こんな美味しい水を飲んだことはない。
単純な話、乾いていたのだ。
水を得て汗が噴き出る、暑かったのだ。
「ありがとう!」と生き返ったような顔をする吹を見て、弥平の女房も笑顔を返す。
この女房、名を蔦という。
「お香さん!」大蜘蛛も動きが無いのを確認し、とお香にも水を飲ませる。
様子を見るに、今対すべきであろう大蜘蛛はどうにも動きが鈍く見える。
郷衆も対応に迷っている様子だ。
立っているのがやっとだった吹も周囲を見る余裕が出て来た。
「何してるのかな?」と呟きが漏れる吹
「あの蜘蛛は昼頃現れてね、あの辺で特に何もせず構えているんだよ」と状況を伝える蔦。
「お水美味しかったです、助かりました」とまずは礼を言う吹。
「こちらこそ来てくれてありがとね」蔦も笑顔で礼を言う。
・・・あいつが指揮しているのかなぁと吹は考えるが纏まらない。
とはいえ、水のおかげであとひと仕事出来そうな気がしてきた。
吹が思考と挨拶を巡らすうちお香の水分補給も行い息も整えた。
「弥平さん、皆様のお囃子、とても助かりました。」と吹
「良かったよ」弥平も嬉しそうだ。
「大蜘蛛にあたります。」と吹、続けて「皆様、くれぐれも無理ないようにおねがいしますね。」
向こうで郷衆に囲まれている大蜘蛛は、吹と香が加われば多分倒せるだろう。
妖に加勢が無ければ、スワの救援は待たなくて良さそうねと吹は思った。
「お香さん、行きます」と鈴の音を上げ、足は律を踏む。
郷衆に囃してもらったのも、舞を舞うのも妖が纏う穢れを祓うためだ。
今大百足が倒れ、穢れもだいぶ祓われた。
「大蜘蛛よ!どこを見ている的はこちらじゃ!」と音声を上げる。
芝居がかった音声は大蜘蛛と言うより郷衆に向かってあげている。
分かっている、郷衆も今日は朝から妖に襲われ今は夜、疲れているだろう。
だが今目の前にいる敵は大蜘蛛のみ
他の付喪の類は囃しの祓いで大分無力化できているようでおとなしい。
あとひと踏ん張り、そう思えば力もわいてくる。
お香が薙刀を右、左、上と旋回音と共に鈴の音に合わせるように大蜘蛛との距離を詰める。
その背後では吹が鈴を鳴らし、舞う。
祓いの風もめぐり始めた、篝火も焚かれ当初の暗さもない、敵も見える。
郷衆も味方、正直良いことずくめだ。
何とかなる、そういう気持ちを持った途端に吹は悪寒に襲われた。
不測の事態、というより予測できた悪い事態が起こる。
敵の加勢。
妖気、大百足や昼間の若般若とは比べ物にならないそれが吹の鈴の音を止めた。
その時大蜘蛛に近ずく影があった。
篝火の手前で影が動くと、郷衆も後ろに下がる。
その気配に郷衆が圧される。
大蜘蛛がかしこみ郷衆が気圧されたのは公家装束を身にまとい地に着くような黒髪の影
折からの宵闇、さらに篝火の影響もあり吹の方から妖の姿は良く見えない
その分纏う妖気が不気味に感じる。
とてもまずい。
そのとてもまずいものがこちらに来た。
吹はお香の前に出る、お香が問答無用で切りかかることを恐れた。
二間ほどの間合いまで近づいて来た所で声をかけて来た
「ようやったな、娘」
女の声、人の言葉を使う妖、吹は血の気が引くのを感じた。
知恵が回り、己の妖気の使い方を知る妖は厄介だ、そもそもこいつの妖力、尋常でないのはすぐわかる。
逃げたい!と思ったその時、女の妖が来てから大蜘蛛が闇の中に消えた、消えたと言っても多分手近な森の中に入ったのだろう。
次に女の妖の気配も消えた、唐突に。
付喪達すでに無力化したと言って良い感じだ。
篝火に寄せて来た虫もどうやら普通の虫のように見える。
宵闇を残し危機は去った・・・多分。
だけどこの後味の悪さは何?
妖気の余韻を探ろうと思った途端、郷衆の方から歓声が上がる。
「うぉう吹さんやったー!」弥平を先頭に郷衆が吹とお香を囲む。
「あ」歓声のおかげで妖気は感じられなくなった。
お香も遠くを見るのみで、吹もいいやどうにでもなれと思った。
もう早く休みたい。
「いや吹さん、これから旨いもん用意するんで!」と弥平が言ったが吹も疲れていたので断ることにした。
「郷の方も大変でしょうし、今日は休ませてください」という感じだ。
それでもやはり妖が去った後を確認したい向きは有ったが、何しろ夜である夜空に月は浮かんでいても暗い。
郷衆も今日は解散と言う事になった。
寝床は用意してくれた、郷役場の寝所である。
べー子の厩と荷物等を確認し、他の細かいことも明日にと言う事で休む。
休むが、今日の汗と汚れは落としたい。
ちゃんとした寝所で寝るなら尚更だ。
お蔦さんに桶を借り、荷物から手ぬぐいと着替えを持ってくる。
寝所で体を拭くというと、お蔦さんは部屋前で見張るというが、それはお気持ちだけにした。
実の所、通力で人の侵入は判るように工夫している。
まず自分の方を処理し、水を替えお香さんの体を拭く。
お香さんはこういう所が割と無頓着なのが吹の悩みの種だ。
とはいえ、体を拭くくらいは自分でやってくれるようになっている。
なので吹は髪の手入れに入る。
お香の頭にある特徴的な鉢巻き、そして後ろに送った長髪の手入れと言う事になる。
まず鉢巻きを取る、当然そこには額が現れるが、そこにはいくつかの突起がある。
角だ。
角を持つのは、鹿や牛でなければ鬼と相場が決まっている。
お香は鬼なのだ。
人としては尋常ではない膂力、体力は鬼としての能力だ。
だが鬼は人々に忌み嫌われている為、その正体は隠している。
万一にも露見するわけにはいかない。
汚れを落とし、汗を拭いた。
髪はすぐ乾くという訳にはいかないので、癖にならぬよう整えてから眠る。
髪を整え鉢巻きを直すのは明日の朝だ。
夜目に慣れれば半月と言うのは眩しいほどに明るく感じるが、今日は障子の中、布団の中で眠れる。
少し浮き浮きする反面、眠りすぎて通力の報せに気付かず、人や妖の侵入を許したらどうしようと思いながら吹は眠りについた。
**** 余談 ****
中世期の洗髪
婦女は毎月一、二度必ず髪を洗ひて、垢を去り臭気を除く、夏月には特に屢々沐して之を除く。
蓋近年匂油を用ひることを好まず。又更に髪に香をたき染ること久しく廃て之を聞かざるなり。
**** 余談 ****




