【通力 三:大祭】
明け方、意外なことに霧が晴れ始めた。
「晴れた晴れた!」
「妖めら、お天道様を恐れて散っちまったかな!」
と祭りの準備をしている町衆が夜明けとともに見えてくる景色に喜んでいる。
スワのお水の見渡しは良くなったが、周囲の山に霧がこびりつく様に霧が張り付いている。
日が昇るにつれ山々にこべり着いた霧が濃くなり、もはや雲がすぐ傍にあるような風景になっている。
笛や太鼓の鳴り物や法被、笠などの祭り衣装まで用意する者が境内に集まり始めた。
「眠れと言ったのに・・・」と言っている八重も寝ていない。
この状況で眠れというのも難しいだろう、無理からぬ話であるし、町衆たちの行動は頼もしくもある。
だがこの風景、山々を覆いつくす霧はほぼ穢れと言って良いだろう。
あの中で何が起こっているのか、古伝曰く、神話に曰くの荒ぶる神の様相ではあるまいか。
「一刻ほども眠れましたかね」と吹が起きて来た「おはようございます」と挨拶する。
水弥の化粧が施され、隈取のような模様を描かれている。
立て烏帽子に水干、太刀をはき袴は明るい緑という白拍子の衣装である。
「お香さんは・・・」特に化粧していないお香をみて八重が聞いて来た。
「ダメです、許可できません」と吹はきっぱり答える。
お香さんはいつものように通力を施した鉢巻きに総髪、武者袴、に加え、脛当てに籠手装備という所が普段と違うか。
見るからに臨戦態勢で薙刀のほかにも何か武器がありそうだ。
「ああなるほど」と八重も納得した。
「吹さん、この山々、どう見ますか」と八重
「有り難いですね、ハチメン、早々に顕現しそうじゃないですか」と吹
「有り難い?」八重は驚いて聞き返した。
「有り難いですよ、町衆の皆様夜通しで準備されたのでしょう?八重さんも寝ていない」吹は何故か小悪魔的な笑顔を見せる
「持って今日の昼頃です」と吹
あっと思う八重
「私が敵の大将なら今日の昼過ぎ頃に攻めかかります、ハチメンは悪知恵は働かないみたいですね」と吹の方が悪物のように見えなくもない。
この子、は中々知恵が回るものねと八重は感心し、頼もしく思った。
お水のほとりにスワの町があり、正面左右にかかる霧が不規則に集まり始めた。
五つ、六つ、七つの塊か、真近な入道雲のように大きくなって来た。
「いよいよですね、こちらもそろそろ始めましょう」と吹
「拍子は取りますが、シナノの信は八重さん、社と館にあります。良しなに。」と残して吹は縁側からお香と共にお水の方に歩き始めた。
シナノの信、それは柱である芯に通じ、民衆の拠り所である心、そして神に至る
我々は今日、真を見せねばならない・・・八重も解っている。
「水弥、舞台に上がるよ」と声をかけると町衆の中から水弥が出て来た。
どうやら町衆の主立つ者に化粧を施していたらしい。
ぱたぱたと吹に合流する姿が愛らしく見え、八重は笑みがこぼれた。
「こちらも始めますか」と前を向く八重。
「頼道殿、館にお願いします”ハチメン顕現しつつあり、社は祭りを始める”です」深々とお辞儀する八重。
「承知した」と笑顔を残し館へ向かう頼道、大枠の打ち合わせは済んでおり、頼道の真の役目は館の主、頼守のお目付けだ。
「杉蔵、森吉、耕三、雪山、与助、富、柘榴、若葉。最後にもう一度言います、逃げて良いのですよ」と八重、真面目な表情だ。
「ご冗談を」と雪山が代表する、やはり笑顔だ。
「では皆さん、社の手で町衆の囃しの音頭を執ります。先手は雪山、杉蔵、富、柘榴」後手は待機というより八重の補佐、機を見て先手と後手を入れ替える段取りだ。
「はい」と一同。
「笛太鼓は手筈通り、今回は細かな練習など出来ていませんので間違いしくじりは怒りに換えてハチメンにぶつけておやりなさい!」凛として告げる八重。
「よいさぁ!」と掛け声を合わせ、社の者たちが祭りの配置に着いた。
お水のほとりに舞台があり、吹と水弥はそこに向かっている。
その周りに昨晩から太鼓など大きな鳴り物は設置している社の巫女や神職が笛や鉦などの鳴り物を持ち舞台を囲う。
既に舞台に上がった吹と水弥。
吹は舞台の上で集約しつつあるハチメンを見ていた。
社の人々がまず集まり、笛、太鼓、鉦の試し打ちと自らの配置、寄せて来た町衆の大雑把な配置を行う。
今回の練習は出来ていないが、毎年の祭りや儀式の積み重ねがあるのだろう。
水弥は舞台の中央で祈っている。
他舞台には4人ほどの巫女さんが上がってきて舞台の上をゆっくり回りながら大幣を振るっている。
町衆も相当集まり、試し打ちの音も大きくなって来た頃、山々のハチメンも積雷雲のような霧も晴れ姿を見せ始めた。
山々に7本ほどの柱が立っている、でかい。
遠目にはわかりにくいが、沢山の付喪、死霊、死体が妖化した般若などが集合しているのだろう。
穢れの濃さによるのか、単体の付喪も大きさを増しているように見える。
吹は一度舞台を降り、社の者たちとお香に声をかける。
第一声と、その後の囃しについてだ。
町衆も含め、3,4人と言葉を交わし、再び舞台に上がってきて水弥に耳打ちする。
「一つだけ聞いて」と吹は他の誰にも聞こえなさそうな声で囁く
「何ですか」水弥も返す
「心底逃げ出したいの、助けて」
「!」水弥は何故だろう吹き出すのをこらえるのが必死だった。
笑いを堪える水弥を見て吹も力が抜けたのか鈴を鳴らし拍子の足踏みを行い舞台の上をくるりと回る。
風の通力を整え、自らの声を音声に乗せる。
町衆も社衆も協力的だ、大丈夫。
「あの山々を御覧じろ!」と第一声、吹は自分でも驚くくらい声が通った。
「スワの仇、悪鬼ハチメンが現れた、皆々、奴バラの穢れを祓おうぞ!」吹の声が木霊のようにスワのお水に響く。
「鳴らせ!喚け!」と吹が声を上げると
社衆が鳴り物をならす即座に町衆もつづく、音律はスワの祭囃子だ。
祭囃子に合わせ掛け声もついて来る「よいさぁ!よいさぁ!」「よいさぁ!よいさぁ!」「よいさぁ!よいさぁ!」
昨日のお祓いは穢れを祓い町を守るためにおこなった。
今日の祭りもお祓いだが、今度は敵を弱体化させるために行われている。
一方ハチメンから見るとどうであろう。
この音声、この響は敵対的な囃し。この祓いを、この人共を殺さねば豊穣のスワを我が物とできない。
と映りはしないか。
山ほどの大きさの柱がそれぞれに倒れ、お水に落ちてゆく、それは祭囃子に合わせるかのような調子で起こる出来事だった。
お水は大きく波打ち、波は舞台まで打ち付けた。
落ちたハチメンを見て町衆の祭囃子は少し小さくなった、何が起こったのか様子を見るものが多くいた。
だが吹と水弥は舞い続けた、穢れの妖気が少しも減っていない。
むしろとても大きい。
舞と囃しがないと穢れだけで喰い尽くされそうだ。
吹の舞は清めの風を呼ぶと同時に町衆の声を増幅し場の通力増幅を増幅させるというもの。
水弥の舞は自らの化粧の能力を向上させ、化粧を施された人達の体力向上だ。
この場の通力と祓いの力はかなり大きい、がお水に落ちたハチメンの穢れももの凄い。
祓いと穢れの力比べでは、今穢れの方が優勢だ。
「よいさぁ!よいさぁ!」「よいさぁ!よいさぁ!」「よいさぁ!よいさぁ!」
囃しと呼応するように周囲に風が舞い込んできた、社の路を過ぎる風はスワの樹々、山々から生まれているようだ。
強い風がお水を煽り、お水は抗うように波立ち、うねる。
太鼓の音も笛の音も、お囃しは元に戻りつつある。
スワのお水の波うちが尋常ではなく、舞台もだいぶ波をかぶっている。
「水弥、この水の穢れ何とかなる?」強風と高波で周囲は轟音と言って良い、そんな中、舞いながら吹は叫ぶ。
「無理です、強すぎです!」水弥の答えも絶叫だ。
「無理か~」と吹が別の思案を始めた刹那、スワのお水が更に大きく盛り上がった。
滝のような水量の波が舞台と周りの町衆を襲う。
この水量、もう祭りも舞も有ったものではない、流されぬよう堪えるのに必死だ。
吹は水音と悲鳴の中、流されている者がいないか周囲を見渡した。
その時お水の中からハチメンが姿を現した。
スワの町も含め、各郷の付喪を寄り集め、穢れが寄せた死霊は見えないが、様々な生き物の死体に穢れが憑いた般若や妖
ごちゃまぜのつぎはぎで人の形を成している。
「さ、三十間くらいは有りそうね」と息をのむ吹
スワのお水は広大だがさほど深くはない、これほどの大きさなら人間でいう膝から上くらいは水面に出てくる。
見あげる高さの妖怪が日差しを遮り、水辺に集まる町衆を威圧する。
吹も声を飲み、その異形を前になす術を忘れていた、だが水弥がその時「ひっ」と声を漏らす。
茫然自失、それは舞台周辺の人々みな同じだったろう、水弥もまた然り。
だがそのおかげで吹は正気に戻った、このまま飲み込まれるわけにはいかない。
「下がれ下がれぇ!皆!引けぇ!」と吹が怒号にちかい音声を上げた。
「一旦下がれぇ!」周囲の社の者たちも吹に続いて正気をとりもどした。
命あっての物種、社はおろか館集も町衆も目前の脅威に対し逃げの一手は当然だろう。
だが舞台下にいたお香が群衆に逆らって舞台に上がろうとした刹那
大きな、という表現では足りない、巨大な地響きと共にハチメンが水面に倒れた。
相応の水音と共に水柱、柱と言って良いのか、山のような水柱が起こった
轟音と衝撃が吹と水弥を襲う。
反射的に身をかがめ、どころか衝撃で舞台の上に居るのがやっとで立ってはいられない。
舞台にしがみつくよう耐えた。
水柱と共に周囲の山々から強い風が吹きおろし、ハチメンの所で上昇気流として渦まき、吹と水弥を巻き上げている。
水柱と渦巻の急上昇で内臓がひっくり返りそうな衝撃に襲われた。
衝撃で痛いのか苦しいのかもわからなかったが目を開いた吹が見たのは空、吹と水弥は舞台ごと宙を舞っていた。
**** 余談 ****
鯰
日本在来の淡水魚は雑食のものが多いため、在来魚としては数少ない大型の肉食魚である。
大きな体をくねらせてゆったりと泳ぎ、扁平な頭部と長い口ヒゲ、貪欲な食性を特徴とする。
日本におけるナマズは、古代から食用魚として漁獲されたほか、さまざまな文化に取り入れられた歴史をもつ。
神経質でデリケートな性格から暴れたり飛び跳ねることも多く、日本では中世以降地震と関連付けられ、浮世絵をはじめとする絵画の題材にされるなどして、人間との関わりを深めてきた。
**** 余談 ****




