【八面 一:伝言】
「そちらの社ですね、ありがとうございます」
と丁寧な謝辞を現しつつ、蓮の葉をもった肉塊が通り過ぎて行った。
「申し訳ありません、陽射しが苦手なもので」と蓮の葉の言い訳をしながら。
これは穢れではない、妖気だ。
庭に入った妖気に気が付いたのは八重が先だった、留が声もなく驚いた当たりだ。
「水弥支度を、ですがこちらから手出しはなりません。」
水弥も妖気を察した、が眼前の風景に手も思考も滞る。
「あれはぬっぺぽう」と八重「人語を操る妖です・・・邪気と言うか穢れが薄いですね」
「ああどうもお内儀様、水弥様でらっしゃいますか」と社の縁側で肉塊ぬっぺぽうは言葉を紡ぐ。
「何者ですか?」
「水弥は私です」
水弥と八重は同時に応えた。
「申し訳ございません、我が主と客である吹様より水弥様に伝言がございます」
八重、水弥と宗兵衛は顔を見合わせた、困惑はしたが判断にさして滞りは無かった
「伺いましょう」と答えたのは八重だった。
八重は杉蔵に留の保護をさせ、宗兵衛に願いぬっぺぽうを座敷にあげた。
ぬっぺぽうは正座し丁寧に頭を下げた第一声は「誠に恐縮ですが、お水をいただけますか」であった。
水弥が井戸より水を汲んできてぬっぺぽうに与えた。
ぬっぺぽうは一気に飲み干した。
「ああ美味しい、暑いのは苦手でございまして申し訳ありません」
ぬっぺぽうの正面に八重が座り、隣に水弥。
少し離れたところに宗兵衛が座して庭の木陰に杉蔵が控えている。
ちなみに留は杉蔵に諭されて帰り、べー子は社の裏手で草を食んでいる。
「少々お待ち下さいませ、まずは吹様のご伝言を・・・」と言いながら手(多分、手)で口(皴のように見えるが多分口)の周りを粘土のように捏ね始めた。
「あー、おー、唖ー」と声出した後おもむろに。
「ここに喋ればいいの?」と吹の声が出て来た。
内容どころか声質やしゃべり方まで吹だ、八重も吹も目が点になる。
「水弥、聞いて大変なの、このままならなんだっけ、祭り、おばさん祭り」「御柱だ!」「それ、御柱祭りで大変なことになるっていうのよ」
「詳しい事は河童が話すわ」「カッパではない!」「あ、あとお香さんはこっちに居るから安心して!」
と、複数の声がこの妖怪から聞こえて来た
「・・・・」八重も水弥も声を失っている。
吹の無事を喜べばいいのか、攫われていることを嘆けばいいのか。
この元気そうな吹の声と、目前の妖の怪異。
易々として飲込める状況ではない。
ぬっぺぽうはこちらの様子を見て声をかけて来た「続いて我が主の伝言を伝えさせていただきます」
と再び口の周りを捏ね、今度はおなか(いや胸かな)を数度叩いた。
「良いではないか、河童と思っているならそれでも」「しかし!」「ああ、始まっておるな。人よ、聞け。」
「今、この窟屋の主がとても不安定になっておる。」肉塊、ぬっぺぽうが語る”我が主”の声なのだろう。
「何故だかわかるか?お前たちの鎮守が不十分なのじゃ」
「なんと!何が間違って」と八重が返したが
「相済みません、主様の返答は出来かねます」とぬっぺぽうは恐縮している。
「あ、ごめんなさい」八重は中断させたことを謝罪した。
「続けても?」ぬっぽうは聞いて来た。
「お願いします」八重はバツが悪そうに返す。
トントンと胸をたたきぬっぽうは伝言を再開する。
「ひずみが酷くてな、ここ十年調べておったがやっと見つけたひずみの現場がこの窟屋じゃ」
「母様、二十三年です」
「細かいなカヤ、まあその位じゃ。」
「ともかくもこのままじゃと、多分窟屋から良くないモノが出てくる」
「昔の言い伝えであるじゃろ”オロチ”とか”アクル”とかそう言ったっ感じの厄災じゃ。この窟屋の言い伝えの名前では”ハチメン”じゃな」
「妾は面倒は嫌いじゃ、いいか、人がたくさん死ぬのは面倒なんじゃ」
「おぬしら人は災いがあれば筋違いの悪霊退治とかするじゃろ、ああいうのが嫌いなんじゃ」
「わかるな、吹は解かると言っておる、だから伝える、今宵窟屋へ来い」
ぬっぺぽうは胸、胸のあたりえおトントントンと叩き”伝言”は終わったようだ。
「以上です、ご清聴感謝いたします。」ぬっぺぽうは深々とお辞儀している。
人語を操る妖自体珍しいのだが、これは何と呼べばよいのか音声記録?。
そしてこの内容。
八重は考えがまとまる前に喉の渇きを感じた。
「吹さんとお香さんは無事なんですね。」水弥が不意に発言した。
「はい、無事ともうしますか、お元気であらせられます。」とぬっぺぽう
「八重様、私が窟屋に参ります。どうかお許しを。」と水弥、凛とした口調だ
水弥は良い子だ、人の話を素直に聞き、逆らわず、私の話に割って入るような娘ではない。
時々突拍子もないことは言うが・・・。
思う所があるのだろう、師の影を踏まないような子が今前に出て来た。
おかげで八重も考えもまとまってきた。
考えすぎてはいけない、人は出来る事しか出来ないのだから。
八重は何故か嬉しい。
「水弥、あなたは鎮守の不備が分かりますか?」
「・・・いいえ」
「どうやら大きな事が起こりそうなのは解かりますね、この事態に館や社、衆の歩を揃えられますか?」
「いえ」
「今回は私が適任です、お前はスワに戻りなさい」八重は珍しく命令口調だ。
「しかし、何かあった場合八重様の変わりはおりません」と水弥は食い下がる、これも珍しい。
「何かはありません、必ず帰ります」と八重に言い切られると、水弥には言い返せない。
「お話は纏まられましたか?」もはや慣れたが、ぬっぺぽうの挙措は慇懃だ。
「私が窟屋へ行きます。」と八重
「水弥、多分杉蔵さんがべー子連れて来てると思うの。荷物と一緒に連れてきて」といきなり吹の声がした
「相済みません、伝言一つ忘れておりました」とぬっぺぽう。
夏の日差しが容赦なく照り付け、ミンミンゼミがその暑さを謳歌している。
「では夕暮れにまた参ります、ご案内仕ります故」と残し、ぬっぺぽうは暑さにゆらぐ森に消えた。
べー子も草を食み社の影で涼んでいた。
**** 余談 ****
ミンミンゼミ
北海道南部から本州、九州にかけ分布する。
クマゼミ、アブラゼミと共に夏を代表する昆虫である。
生態や分布や地域や環境により左右されることが多く、諸説ある。
ともかくも、夏うるさい。
**** 余談 ****