第一章三話「混沌の先にクロい光を」
~前回のあらすじ~
クロと契約したノエルは、無事天使クルノアを退けることに成功したが、強力な力の代償でまたも眠りに陥った。そして、目を開けると、FELの建物の病室の中のベットの上で、FEL第三部隊隊長フェリス・ニーナが運んでくれたという。フェリスと軽い会話を交わして、数日後、学園祭本番を迎えた。
賑やかな雰囲気のまま学園祭メインイベントクラス対抗戦がはじまり、白熱した戦いが見られると思った。が、トリアムという謎の敵組織が突如現れて、学園を壊滅させるというのだった。
※表現がグロすぎるところがあるかもしれません。
学園内の爆破、トリアムという突然出てきた謎の敵組織による急襲で、TWバトルステージ―――否、学園全体が混乱に陥っていた。
逃げようとする観客の波にのまれながらも、FEL第三部隊隊長――フェリス・ニーナは観客の避難誘導、そして、冷静に現在の状況を整理しようとしていた。
胸中には疑問と不安の二つの感情が、複雑に絡み合う。
(―――くッ......どうすれば.....そもそも、トリアムって一体....)
―――と、その時であった。
突如、フェリスの視界が歪み、足元が黒い渦に呑まれ出して、瞬きをしたとき、気づけばそこには―――地面が鉄と血の匂いに染まり、見慣れぬ天井が頭上を覆う。
荒廃した倉庫のような空間。天井のパイプから蒸気が漏れ、明滅する灯が不気味に脈打っている。
「ここは....?」
「―――あフェリスも一緒に...」
「....FELの隊長が三人、同じ場所に同時に転移されたノ......これは....」
すぐ傍らには、第一部隊隊長のエルル・ジャックラー、第二部隊隊長のレオラ・バルセロムが警戒心をあらわにしながら辺りを見渡していた。
すると、部屋の隅、光のない物陰から二つの人影が揺れた。
「だ、誰なノ...?」
声を震わせながらも、レオラは懸命に問いかけた。
―――するとそこから。
「こんにちは。FELの隊長さんたち。僕はトリアム幹部——第四席ガルラス・ウォルク。他者を招き、我を帰す者。君たちをここに招いたのは僕だ。でも、君たちを相手するのは僕じゃない。あとは頼んだよ。オレオ」
常に皮肉のような笑みを浮かべながら喋り尽くした少年は、足元が闇に包まれ、光の粒子となって姿を消した。いや、消えていったの方がしっくりくるかもしれない。それほどそれは、とても人間が成す技術には到底見えなかった。
その様子に声も出せないままでいる三人をよそに、目の前の暗く巨躯な男が小さく口を開く。
「.....トリアム幹部――第一席オレオ・ウィルヘイヴン。他者を驕らせ、我を害する者。任務だから、嬢ちゃんたちにはすまないが、死んでもらう」
闇の中を見つめるように光が死んで、深い血の色をした眼がフェリス達を見据えた。
三人の間に緊張感が走るなか、ふいにオレオの手が動く。
刹那、エルルの眼前にオレオが迫っていて――――――――。
【ドガッッ!!】
「ぐがっ.....!!」
エルルは壁に激突して、埃が舞い上がり、がらがらと灰色の壁が崩れ落ちた。
瞬く間に起きたその出来事を、エルルが壁に寄り掛かり血を吐いたときに、フェリスとレオラはようやく理解した。
―――いつの間にか、先手を打たれていたのだ。
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同時刻、別の戦場では。
「よぅし、ガルラスのやつの転移も終わったようだし、そろそろ暴れるかー」
オルターがぐっーと手を上で組みながら背筋を伸ばす。その間も、観客の避難が進んでいく。
―――それは彼らにとって、都合が悪いのではないだろうか。
にもかかわらず、その男女は悠々とその様子を眺めていた。
が、ついにオルターが動き出した。
「んー。このバリアさあ、すっげえ邪魔だよな。俺の思うように壊しても、文句ねえよな?」
誰に問いかけるわけでもなく、ただオルターは独り言とも言い難いように周りの様子を一望しながら笑いかけた。
ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ前に進むオルター。
次の瞬間―――オルターは、観客とステージの間にある競技による衝撃から観客を守るために設置された頑丈なバリアめがけて、一目散に飛び出した。
目にも止まらぬ速度で、いつのまにかバリアの目前へと達したオルターは、大きく右の拳を振り上げる。
「我界顕現、『七域・拒役』」
そして、鈍く、風を切る音を響かせながら、その拳は振り下ろされて――――。
【パリィィィン!!!】
その結界は、元々脆かったかのように、容易く砕け散った。
ガラスの破片のようなものがいくつも飛び散り、それはすぐに虚空へと消え去った。
「はっ!こんな薄っぺらいモンで衝撃から防げるって思ってるとか、頭弱っちいなーここの学園の連中は」
頑強であったはずのバリアを、いとも簡単に破壊した紫紺色の髪を持つ男は、金色の縁のサングラスをくいと持ち上げた。
「んじゃアフィス。頼むぜ」
「言われなくても分かってる。じゃ真っ暗な世界に逝ってらっしゃい。狂わせ、他失の魔眼『闇夢』」
アフィスが軽く手で空気を撫でた。―――――たったそれだけで。
「あれ、なんも見えない....!!」
「なんだこれ!?音が――!!」
「わ、私いまどこに向かって....?」
その場にいる観客全員が突然、足を震わせ、前へ、後ろへ倒れ込み、壁や椅子にぶつかって、中には、進んだ先には床もないのに走り出す者もいた。
「あははっ!ほんとどいつもこいつも無能でバカばっかり!」
嘲笑う彼女表情は悪意で塗りたくられ、その悪辣さは死体を踏みにじるような態度に表れていた。
「しっかしやりがいのねえ仕事だなーこりゃ。こんな雑魚しかいないならわざわざ俺らが出る必要もなかったんじゃねえのか?まあ、それであの人が喜ぶならいいか」
その横で同じようにその醜態を晒す観衆たちを嘲るオルターの顔に不満の色が滲む。
――そのとき、一人の震えた声がその場に響いた。
「.............なにが........目的なんですか....あなた、たちは....!」
「へぇ、まだマシな無能がいたんだね」
金髪の少女が面白そうに口元を緩ませた。
「じゃあ、あんたはどこまで耐えられるのかな?ひゃはっ」
姿や態度、口調全てが自己主張の激しい少女は、他人の命を弄ぶことになんの躊躇いもないのであろう。無邪気に笑うアフィスの顔はどろどろの感情で埋め尽くされていて、見ているだけで気が悪くなってくる。
存在が人を不快にさせる彼女が、身軽な動きでその少年へと疾走した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
アフィスの宣戦布告が観客を混沌へと陥れて、オルターの驚異的破壊力に皆が慄いて、そしてまた、アフィスの不思議な能力によって観客全員が混沌どころではない、もはや何もないという”無”の地獄へと堕ちていった。
そんな中で、たった一人だけ、正常な状態を保て、まともに動くことができる者がいた。
――――ノエルだ。
彼は周りの人々のように正気を失う―――否、正気を失わせられることなく、ちゃんとした感覚を持っていた。
だからこそ。
彼の両目は、恐怖に濡れていた。
自分だけが正気を保てている。自分”だけ”が。―――この孤独感は大きな責任感となり、ノエルをきつく縛る。
膝も震えていた。逃げ出したい――本気でそう思っていた。
けれど。
(……どうして……僕だけ……)
周囲の人たちは、まるで操り人形のように動かない。
一部は狂ったように騒ぎたて、走り回り、一部はよだれを垂らし、座ったまま完全に意識を失っていた。
だが、自分はまだ―――“自分”でいられる。
それは、右手首に浮かぶ黒の紋章のせいだった。
肌に焼き付けられたような、かすかな熱。
―――クロの魔力が、彼を“正気”にとどめていた。
ノエルは、震える足で立ち上がった。
自分に何ができるかなんて、わからない。
怖くて、死にそうで、心臓が壊れそうだった。
でも―――。
(誰も……いないんだ。僕以外、誰も動けないんだ……!)
呼吸が荒い。喉が詰まりそうだ。
――――それでも、足は前に出た。
狂人たちに向けて。
「.............なにが........目的なんですか....あなた、たちは....!」
ようやく絞り出せた声は、震えていた。強くなんかない。ただ、問いただすしかできなかった。
そして、嫌な笑みを浮かべながら少女は言った。
「へぇ、まだマシな無能がいたんだね。―――じゃあ、あんたはどこまで耐えられるのかな?ひゃはっ」
ものすごい速度で駆けだしてくる狂気の少女は、今にもノエルを殺そうとしている。
ノエルの、足がすくむ。しかし、勇気を振り絞って、拳を、強く握る。
そして、拳に魔力が溜まっていくのを実感しながら、いつか放ったであろう斬撃を繰り出した。
「うぁあああ!!」
大きく振りかぶった右手から、黒い閃光が瞬いた。―――黒薙だ。
「しょっぼ(笑)あんた、宝の持ち腐れじゃん」
しかし、それが命中することはなく、華麗に身を翻してその黒閃を避けて、ノエルの懐に飛び込んだ。
「じゃあまずは、壊すところから始めよっか」
「あがッ...!」
少女の華奢な脚がノエルの腹に突き刺さる。その衝撃でノエルは後方に大きく吹っ飛んだ。
「―――なんなのよ、その魔力。気持ち悪い。あんた、イカれてんじゃないの...!?」
しかし突然、アフィスは苦しそうな表情をしながら、ノエルを睨みつけた。
ノエルの右手首が、今までよりも、強く、黒く、その存在を知らしめるかのように大きく紋様が渦巻く。
―――――次の瞬間、ノエルの意識が闇に堕ちる。それと共に、ある声が鼓膜を支配した。
『あとは、任せて』
冷酷でいて、感情は乗せられていなくて、それでも、どこか優しくて柔らかい声。
ノエルは心地よさを感じながら、ゆっくりと意識を闇に、身体を楽園に誘う眠気に身を任せた。
次の瞬間――
ノエルの身体が淡い紫光に包まれ、変化を始めた。
短かった髪が一気に伸び、背も少し縮む。男の身体に宿っていた線は徐々に柔らかさを帯び、輪郭も滑らかに整っていく。衣服はそのままなのに、佇まいだけがまるで別人のように変貌した。
目を開けたその者――クロは、まったく別の存在感を放っていた。
視線は鋭く、それでいてどこか余裕がある。
整った顔立ちと、紫がかった白髪が光に揺れ、クロは、堂々と敵の前に立ちはだかった。
「ほぅ?お前女にもなれんのか?ちったぁマシになったな」
その様子を、少し遠くから見ていたオルターがクロの姿に驚きをあらわにした。
「その魔力に、その謎の体質。あんたほんとに人間なの?」
アフィスはさきほどの余裕がどこかに消え、今は嫌悪と畏怖に顔色を染めていた。
「失礼ね。この体の持ち主は紛れもなく人間よ。私は違うけどね」
すべてを見据えたような目つきで二人の敵を睨む。
「君たちは、すこし暴れすぎよ。ノエルの体に、無理はさせたくないけど....」
彼女は一歩前に進む。
周囲の気配が一瞬で変わった。敵すらも動きを止めるほどの威圧感が、彼女の一挙一動に宿っている。
「未来が懸かってるから、さっさと終わらせましょ。私、あんまり長く表に出ていられないから」
そう言いながら、クロは冷ややかに微笑んだ。
彼女の瞳に宿るのは、戦いへの迷いなど一切ない――ただ、圧倒的な実力者の余裕だけだった。
「ははっ面白ぇ。いいぜ。経験と実力の差ってやつを分からせて、さっさとお前の人生にケリつけようか」
「能書き垂れる暇あったら、手を動かしなさい。ここは、戦場よ?」
瞬きの間、たったその一瞬でクロは、10mは離れていたはずのクロとオルターの距離を縮めていて、オルターがとっさに腕を前に出して身構えるも、その上から強引にクロの蹴りが炸裂した。
「―――ぐッ...!」
その勢いのままオルターは壁に突撃した。
その距離、約30m。
壁がなければ、どこまでも飛ばされていたのではないのかと思うほどの恐ろしい威力が白髪の女、クロから見舞われた。
「ぺっクソッ。なんだあのバケモン。俺らじゃちぃと相性が悪ぃな。ここは一旦....」
弱音を吐くオルターを横目に、アフィスがクロに飛びかかる。
「戦う前から諦めるのは、わたし、無能とおなじくらい嫌いなの!」
クロの隙を縫って、アフィスの小さな右手がクロの綺麗な右腕を掴む。
「あんたの、全部を奪ってやる...!」
アフィスはそのまま能力を発動しようとする。が―――
「君に、私の魔力を上書きできるのかしら?」
「ぁ.....なに、これ.........」
視界が、なにも見えなくなり、音が聞こえなくなって、匂いも感じなくなって、生きている感覚すら――――なくなっていく......。
「君には、そっくりそのままお返しするわ」
アフィスの手を軽い力で振りほどき、その細い腹に、オルターと同じように蹴りを入れる。
――――少女だからといって、容赦などクロはしなかった。
「――――――――――――――んあッ!」
アフィスは強烈な蹴りに声も上げず、音速をも超えるかと思える速度で飛んでいき、オルターの近くで壁にぶち当たった。そこでようやく、アフィスは声を出した。
「おいアフィス。あいつはヤベェ。惜しいが、撤退するぞ」
「ぁ、うん......」
片手で、アフィスの華奢な体をひょいと持ち上げ、オルターはもう片方の手で頭をおさえながら、クロに向かって軽薄に言った。
「俺らは人外と相手するほど力に過信していないんでね。ここらで帰らせてもらうぜ。じゃもう会いたくないが、またなオカマ」
「だれがオカマよ」
食いつくクロをおいて、オルターは黒い渦に覆われ、光の粒子となってどこかへ消えていった。
「.....なんとか、大事にならずに済んだようね.....じゃあ、ノエル。次から自分であいつらと戦えるぐらいにまで成長しとくんだよ」
クロがそう言うと、その体はまたも淡い紫光に包まれて、次の時には、丸みを帯びた体はいつの間にか男らしい体つきへと変化した。
そうして、その体の持ち主——ノエルは意識を取り戻した....かと思ったが、そのまま前に倒れ込みステージの端の方で静かに目を閉じた。
――――――――――――少し遡り、フェリス達の戦場では。
フェリスとレオラは、ただ呆然とエルルが壁に叩きつけられたのを眺める二人ではなかった。
「エルル!!お前.....絶対許さないノ.....!」
レオラの怒気を孕んだ声が震えて、その巨漢に飛びつこうとする。そこで――
「レオラ、待って!!焦っちゃダメ。冷静に相手を見て、連携してやつを叩くわよ。仲間が殴られて、黙ってる訳にはいかないから」
「ご、ごめんノ.....つい頭にきて先走るとこだったノ。わかった、一緒にあのでか男を叩きのめすノ....!!」
「よし.....じゃあまずは私が、あの男に隙を作る。そこで、レオラの能力をあの男に――」
「嬢ちゃんたち。作戦会議はいいけど、来ないならこちらから行かせてもらうよ」
感情のこもってない声で、オレオが前置きをしてから、前屈みになる。
ズズズ...と筋肉を圧縮する音が聞こえてきそうなほどに脚に力が入り、地面に亀裂を入れながら、爆発的に前へと突進する。
しかし、フェリス達もやられっぱなしのままでは性に合わないらしく――――
「『瞬間不変』....!」
まさに猪突猛進で突き進んでくるオレオに手をかざし、フェリスが言霊を唱えた。
すると、さっきまで止まることを知らぬほどに驀進していた巨人は糸が切れたかのように急停止した。
「全力でぶちのめすノ!....感覚共有、『双繋鎖』....!!」
死んだようにフリーズしたオレオの顔面にレオラの拳が直撃する。
その勢いで、オレオは再び時が動き出したかのように地面と平行で後ろへ大きく吹き飛ばされた。
「ア?なにが起きた?よくわかんないが、めっちゃ痛いな。けど同時に、滾るぜ」
薄暗い灯の下に、悪魔の笑みがおおきく浮き上がる。
――――彼のなにかが、変わったような気がした。
「お返しに、俺の拳をくれてやる。感謝しておきな。猫耳嬢ちゃん」
すると、先ほどよりも明らかに数段速度が上がり、目に留まらぬどころではない、そこにオレオがいたことさえ忘れさせるほどの瞬発力で、気づけばレオラの目前、巨大な拳骨が差し迫っていた。
「脳筋は道連れなノ―――!!」
―――そして、レオラの色白な頬に突き刺さって、レオラは吹っ飛ばされて......。
しかし不思議なことが起きる。殴った本人であるオレオもなぜかレオラと同じように殴られたかのように宙に浮いたのだ。
フェリスの右と左で、壁に激突する音が反響する。
フェリスは、左の猫耳少女に駆け寄って。
「大丈夫!?あんまり無理しないでよね.....その能力は痛みを軽減する能力ではないんだから」
「平気なノ。レオラは獣人だからね」
殴られて頬をさすりながら、ゆっくりと腰を上げるレオラ。
―――一体、どんなカラクリを使ったのだろうか。
そこで、不意打ちをかけられた、藍色の髪を肩まで伸ばしたエルルが合流した。
「虚を突かれたけど、なんとか吸収できたよ....あの男の力、人間が出せる威力じゃない.......」
多少息が荒くなり、ちいさなかすり傷がいくつか見える。―――しかし、あれほど派手に殴られて、これだけの傷で済ませるとは.......。
「よかった.....じゃあ、本格的にあの謎の男を排撃するわよ。あの男はあんなのじゃ死んでない。エルル、レオラ。準備はいい?反撃の時間よ」
「わかった.....!」
「オッケーなノ!」
三人は互いに目を合わせ、団結を固くした。
―――さあ、見事に謎の巨漢を反撃することはできるのか。
「あァ痛いなぁ痛いなぁァ。けど、力が漲るなア」
初めて対面したときより、雰囲気が豹変し、どこか暗い印象を受けた黒髪はかすかな光を帯び、血のように赤い目はどす黒い暗赤色に変化していた。
そして、その顔には狂気が垣間見えて、吐く息から殺意が零れ落ちる。
――――狂人、いや恐人だ.........。
「一斉に行くわよ...!せっーの―――」
三人の女たちは同時に悪漢へ駆け出す。
「創生、『不治の陽刀』.....!」
「全エネルギー放出....『反魔吸弾』」
「肉を裂き、骨を砕け....!『鋭獣爪』!!」
恐人はその場で立ち尽くし、闇を睨み続ける。
―――避ける気配は、まったく感じない。
「うがぁああ!!」
強烈な三連撃がオレオを容赦なく襲った。
その男の容貌は、悲惨なものへと変異した。
――――右腕は皮一枚で垂れ下がり、横腹は雑に抉れて、赤黒いものが流れ出ていて、首は立つことを忘れあらぬ方向へ曲がっている。男の目は白目を剥きだし、口から涎が垂れている。
「さ、さすがにやりすぎた......かしら.....」
フェリスはその醜怪な外見に顔をしかめ、不快なものを見たような所作で顔をすこしそらした。
「で、でも、こんなあっさり......」
「――待って、あの男、死んでないノ.....!!」
レオラが咄嗟に声を上げて、震える手で闇の中を指さした。――――そこには、抉れた腹は皮膚がじゅくじゅくと傷を塞いで、折れていたであろう首はゴキッゴキッと音を立てながら捻じられて、フェリス達と目が合った。いや、合っているかは疑わしい。
ただ、右腕の傷は治らなかった。
「ア?なんだこれ?まあいいか。右肩ごとちぎれば治るダろ」
オレオは、フェリスが負わせた傷が治らないのを見て、狂気的な行動に出た。
まるで自分の体を傷つけることに手段を厭わないかのように、豪快に自らの右肩をそぎ落とした。
すると、なくなった右肩の先から、ぬるぬると筋肉の繊維が互いに結合して、みるみるうちに右腕が形作られていって、ついには完全に元の腕が出来上がった。―――なんと脅威的な再生力であるか。
――――その目は、白目の部分が黒くなって、ところどころ充血して赤いラインが浮き出し、血のように赤かった瞳孔は焦点が合っていない。
「あァあぁ。痛い。気持ちいい。痛い。心地良い。痛い。快い。痛い。嬉しい。痛い。楽しい。痛い。幸せ。痛い。奮う。痛みが、力が、血が、汗が、魔力が、身体から、アふれデる...!あァア。滾る。滾る。漲る。漲る。........ァ。お前ラ、傷つけたよナ?オレの事」
三人の背中に悪寒が走る。
体が本能的に、察している。――――――アイツはヤバい。ニゲロ......。
―――刹那、オレオの姿は消えて、次に見えたのは―――エルルの腹を、貫く拳。
赤く、黒く、身を震わすその色は、ひとつの巨大な拳から滴っていた。
「ぐは....ごえッ....!」
桜色の唇の端から、深紅の血が流れ落ちる。スタイルが良く細い体を包む白い服は、赤一色に染められた。
男が静かに、腹を突き破った腕を引いた。
すると、赤く染め上げられたその女性は力なくその場に倒れ込んだ。
「エルル!!!!お前......!!死ねなノ!!!!!」
我が怒りに身を任せ、レオラは異様な怪物に面向かって突っ走る。
もはやそれは、結果が決まっていて―――――。
「無造作に自分から来るのハ、アブナイよ。子猫チャン。こうやって、ね――」
オレオが、相手を見切った動きで、ゆっくりと、手を伸ばす。
―――そして。
【ゴギッ!!】
大きな手に掴まれたスリムな脚は、簡単にへし折られた。
――――どう見ても、人間ならば曲がってはいけない方向に曲げられている。
すると、少し前の手品が続くとするならば―――オレオの足も同じように、あらぬ方へ曲がった。
しかし――――、
「悪いナ。今のオレはすぐ治っちまう。子猫の能力は、相手と共有する。と言ったところカ?」
腕の血管がピキピキとうごめき、こめかみにすら血管の筋が見える男は、明らかに力に支配されたような見た目だが、その姿の割に、案外頭はちゃんと働いているようだった。
恐怖で、不安で、嫌悪で、フェリスの体は一ミリも動かなかった。
「あ........ぁあ...............」
その隙を、あの悪魔が見逃すわけもなく。
「今は、ボッーとしているバアイじゃぁないんじゃないカ?」
気づけば、男は目の前にいて―――――――死んだ。とそうフェリスが悟ったとき。
【ピピッ!アフィスとオルターから任務を中断して撤退するとのことだ。オレオ、今すぐ撤退するよ】
振り上げた拳を、フェリスに下ろすことはなくて、オレオは舌打ちをして、黒色の服の内ポケットから小さな発信機を取り出した。
「ッチ。いいとこだったのによォ。まあいいか。悪いがオレは帰らなきゃいけなくなっタ。この戦いの続きは、またいつかしようカ」
そう告げて、オレオは黒い闇に包まれてどこかに消え去っていった。
それを見て、フェリスは緊張から放たれ、冷静さを欠いて表情で、二人の女の子を交互に見た。
「―――はやく助けないと.....レオラいける....?今能力使える?二人まとめて治癒するわ.....」
心配そうにフェリスがレオラの顔を覗くと、肩で呼吸し、苦痛に顔を歪めているレオラは弱弱しく頷いた。
「使えるノ......感覚共有、『双繋鎖』....治療、お願いするノ..........」
レオラは、傍にいたエルルにそっと触れて能力を発動した。
エルルは、自分で最低限の治療をしたのか、お腹からの出血は抑えられていた。が、その前に血を流しすぎたし、なにより、腹を貫かれたのだ。そう簡単に、無事ではいられない。
仲間の生死が懸かっているということもあり、フェリスは急いで、全身全霊で魔力を手に込める。
それを、エルル―――ではなく、レオラに向けて魔力を注入した。
その理由は、レオラの能力にある。
―――レオラの能力は、触れた相手と自分に受ける様々な影響を共有するという能力。
これが、オレオがレオラに攻撃したら、オレオも怪我をした手品の種であり、今回フェリスがわざわざレオラを治療しようとする理由である。
「『回帰不変体』.....!」
レオラの足が淡い光に包まれて、通常曲がる方向と反対方向に折られた見るも無残な脚が元通りになっていく。
すると、それと同調して、エルルの腹の傷は完全に塞がり、なんと不思議なことに、流れた血が塞がっていく腹の傷の溝に引き込まれていく。――――――いや、傷ができる前の体に戻っているのだ。
フェリスの能力―――それは対象を”不変”のままでいさせる能力。
これの応用を利かして、フェリスはオレオを急停止させたり、オレオに治らない傷を与えたり、今こうしてレオラやエルルを傷を負う前の体に戻したりすることができている。
―――――三人は、FELの隊長と皆からもてはやされて、実際それに見合うほどの実力もあった。それなのに、その三人が力を合わせても、突如出てきたトリアムという組織の幹部枠の男たったひとりに、手も足も出なかった。これがどれほどの意味を成すのか。あの男がトリアムで一番強いとは限らない。ならっば、これから来るであろう厄災に、彼女らはどう立ち向かっていくのか。
この世界の運命は、既に破滅の方向へと進んでいるのだった。
――――――――――――特設バトルフィールドでは。
地面に赤色が広がって、空気中に白煙が立ちのぼり、煙の奥からおぼろげに人影が浮かび上がる。トリアム幹部――飢夢衆第三席ミリィ・ヴィーナス。彼女は、地を這う1クラスと2クラスの生徒たちを見下ろし、頬についた返り血を舌なめずりして微笑んだ。
「んー優等生たちって聞いてたからちょっぴり期待してたんだけどなー」
Aランク能力者60人と相手して、たったひとりで蹂躙してもなお、物足りなさを感じているミリィ。
桃色の髪を揺らし、新緑の色をした瞳に映るものには、やはり他と同様狂気が隠れている。
近くの瓦礫に座りながら、前髪をいじっていると、突然内ポケットから機械音が鳴った。
【ピピッ!アフィスとオルターから不慮の事態で撤退とのことだ。いますぐ撤退するよ】
声の主は、ガルラス。オレオに伝言をしたのも彼であった。
「ありゃ、どうしたのかしらアフィーちゃんとオルター。.....まぁ、理由はあとで聞けばいいかな」
じゃ、私は帰るねと言い、気絶した生徒が積み重なってできた小さな山に手を振って、お決まりのように足元が闇渦に呑まれ出して、ミリィは光の粒子となり風に乗って去っていった。
これにて、狂人たちによる学園襲撃は幕を閉じた。
―――――閉ざしたのは、クロであり、このことは誰も知ることはなかった。
のちに、学園内で「奴らを撃退したヒーロー」がいると噂になり、それは”シャドウヒーロー”として名を残すのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー・ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
―――数時間後。
TWバトルステージの端っこで一人静かに目を覚ましたノエルは、右手首のかすかな熱を感じながら、重い腰を持ち上げ、学園を歩き回ろうと考えた。
爆炎と喧騒が去った学園に、ようやく朝日が差し込んでいた。煙と血の匂いがまだ微かに残る校舎の廊下では、負傷者の手当てが続いていた。
ノエルは、焦げ跡の残る校庭の端に立っていた。戦いが終わって数時間しか経っていないというのに、まるで何日も経ったかのような疲労感が身体を包んでいる。
乾いた血痕、崩れた壁、そして……負傷した仲間たち。
飢夢衆――あの異様な力を持った敵が、突然、日常の中へと踏み込んできた。
ノエルの胸の奥には、まだうまく言葉にできない焦りと、ざらついた怒りが残っていた。
「……本当に、終わったんだよな」
その呟きに応じるように、背後から足音が近づいてくる。振り返れば、FELの幹部――コレノフ司令が、重苦しい表情で立っていた。薄茶色の髪が陽を反射して、彼の表情が陰に隠れた。
「ノエルくん。本部から通達だ。状況を踏まえ、FEL入隊試験の前倒し実施が決定した。君も特例推薦枠に入っている」
ノエルは目を瞬いた。そして思わず、聞き返していた。
「え……なんで、僕が……?」
コレノフは、その困惑を見透かしたようにわずかに頷く。
「“戦った”者の中で、生き残ったこと。それが、今の判断基準だ。君は戦場に立ち、力を振るった。……十分な理由だよ、今はな」
「……」
ノエルは無意識に拳を握った。
目に焼きついた、あの時の光景――周り全員が走り狂うTWバトルステージ。嘲笑うかのような笑みを浮かべる、飢夢衆の“怪物”。
(……だけど、まだ僕は……)
一瞬、迷いが胸をよぎった。
だが、それを押し流すように――誰かの顔が浮かんだ。ぼやけていてよく見えない。誰かわからないけど、でも、助けなきゃ、いけない気がした。だから―――。
「わかりました。……出ます。その試験に」
この言葉が、彼の人生を、世界の運命を大きく変えることになるのであった。
くそ長かったと思いますが、ここまで読んでくれて素直に感謝します。ありがとう。
次も気合入れて、頑張りますゆえ、よろしくお願いしマントル()