世界に絶望する作家 その1
街は賑やかだ。だけど、路地の中は相変わらず湿った空気が流れている。
街の明かりも、太陽の光も届かぬこの路地で生活している人たちが存在する。
行き場もなく、ただそこに理由もなく居続ける野宿者がいる。
そこには、一人の男が座り込んでいた。
細身のある体に、ぼろぼろの服を着ている。虚ろな目でずっと、地面を見ていた。
名をホージンという。
この世界が美しいことを知っているのに、ホージンが今見ている世界は汚れていた。
△△
ホージンは作家だ。
世界を歩き、たくさんの景色を見てきた。それを、本にしている。
景色の絵を描き、その場所がどんなところなのかを、自分の感想を入れつつ、説明する本を出している。
その本は『美しい世界の見方』というタイトルで、世界の美しい景色を題材に書いた本だ。中には、一日中夜が続く国の景色だったり、黄金の麦畑が広がる景色だったり、空に浮いている国の景色だったりと、本当にたくさんの景色がその本には載っていた。
これが、どうやら、大人はもちろん、子供の中でも人気な本になった。
まだ、世界の一部しか知らない子供だからこそ、この本に惹かれたのだろう。
子供たちは目を輝かせて、その本を捲る。
ホージンも旅をしてる時は、子供たちと同じような気持ちで旅をしていた。
世界は綺麗で美しい、そんな世界でホージンは今、絶望した。
「はあ……」
深く、重いため息が自然と出た。
「なんで、私は生きているのだろう……今、あの子は何をしてるのかな?」
△△
ホージンは旅をやめて、グルシア王国で一人の女性と結婚した。
出逢いは、たまたまだった。
街の中にある、とある酒場が出会いだった。
その日の酒場は、たくさんの人がいて込み合っていたから、相席をすることになった。
そこにいたのが、ホージンの結婚相手だった。
ホージンが席に座る前に女はすでに酔っていた。机の上でぐったりとしている。
綺麗な長い金髪の髪と緑の瞳が特徴的な女だった。
「大丈夫ですか?」
「う、痛い……頭が……」
「すいません! この女性に水を!」
そうやって、声を上げると酒場の店員はすぐにコップ一杯の水を持ってきた。
店員から水を受け取り、コップの縁を女の口に近づける。
「飲んでください」
「う……」
コップを受け取り、ゆっくりと喉に流していく。コップの水がなくなった頃には、女は話しを聞いて、返せるぐらいにはなっていた。
「どうして、こんなに一人で飲んでたんですか?」
「そ、それは……嫌なことを忘れたくて」
「どんな、嫌なことを?」
「……」
「言いたくないなら、無理に言わなくて大丈夫です」
「……男がらみです」
「なるほど……とても、美しいのにその男は見る目がないですね」
「そうゆうことじゃ、なくて」
女が何に悩んでいるのか、ホージンは全くその時はわからなかった。
ホージンは女の体に痣があることに気づく。
「どうしたんですかこれ」
「そ、それは……その男に……」
女はそれ以上、言わなかった。
その夜の帰り道、ホージンは女を背負って、宿へと送った。
背中で女は、涙を流しながらずっと「自由になりたい」と呟いた。
△△
宿の食堂で、朝食をとっていると長い金髪の髪を縛り女が遅れて、ホージンがいる席に腰をかける。
ホージンは、山菜スープを飲みながら、柔らかいパンを食べた。
「あなたが、昨日ここまで連れてきてくれたの?」
「大変でしたけど、何とか」
「ありがとうございます。なんとお礼したらいいか」
「別に、いいんですよ」
「でも……」
「なら、名前を教えてください。私はこうゆう出会いを大切にしたいんです」
ホージンは、世界を回っているからこそ、人と出会っても短い関係で終わってしまう。だからこそ、名前だけでも憶えて、大切に記憶しておきたいのだ。
「なら、私の名はフィスです」
「僕の名前はホージン。世界を旅してるんだ」
「そうなんですね! 私、その話し聞きたいです!」
「でも、長いですよ?」
「いいです。私、ずっと聞いてられると思います」
「そうですか。わかりました。それでは……」
「ちょっと待ってください。私、良い所知ってるのでそこで話しませんか?」
朝食を終えて、二人は宿を後にする。
雲一つない空は青一色だ。
フィスに連れられて、来た場所は、女神の噴水だった。
「景色が綺麗ですね」
「そうでしょ。ここに来ると、嫌なことも全部忘れられるんです」
金髪の髪を靡かせて、フィスは口角を上げて、景色を見渡した。
ホージンはフィスのその姿が美しいと思えた。
「それでは、この景色を絵にしながら話しましょうか」
「絵も描けるんですね」
「後で、宿に置いてきた世界の絵を見せましょうか?」
「お願いします」
フィスは、また笑顔に笑う。昨日の暗い表情が嘘みたいだった。
絵を描くための厚紙と絵具を取り出し、書き始めると同時にホージンは今までの旅の記憶を話し始めた。
△△
ホージンが見てきた景色は、フィスにとっては、ありえないものもあれば、想像するだけで綺麗と思うものもある。
長い時間、話しているのにフィスはずっとホージンの横で楽しく話しを聞いている。
そんな、フィスの姿にホージンはだんだんと惹かれていった。
話していて、ホージンも楽しいのだ。
日が傾き、空の色が変わり始めた。
「今日は一旦、宿に戻りません?」
「私は、まだ、話しを聞いていられますよ」
「明日もここで、話しをします。まだまだ話は長いのでね」
「なら、一旦戻りましょうか」
二人はゆっくりと歩きながら、話しをして、宿に戻った。
その日から、毎日、女神の噴水でホージンは旅の話しをした。
一日中、夜が続く国の話し、空を浮かぶ国の話し、黄金畑に囲まれた村の話し、それ以外にも、たくさんの人に出会い、別れた、旅の話しを長々とフィスにした。
そして、ホージンの長い話は、一月が経つ頃には終わりを迎えていた。
「――――こんな感じで今に至るのです」
「終わりですか?」
「そうですね」
「寂しくなりますね……」
長い長い旅の話しが終わるということは、そうゆうことなのだ。
フィスの表情が、沈むように暗くなる。
「大丈夫ですよ」
ホージンはフィスの背中にそっと手を置く。
フィスは知らない。なんで、ホージンが一月もずっとこの国にいるのかを。
ホージンは、一つの国に滞在する日は決まって五日間だ。
だけど、今回は一月も同じ国に滞在している。
その理由は、ホージンの足にある。
たくさんの場所を歩いて、旅したホージンの足には痛みがあった。一歩進むだけで足が悲鳴を上げる。
最初は、一日、二日休めばすぐ直った。だけど、だんだんと足の痛みが消える時間が長くなった。回復魔法も試したが治らない。この国の医者に定期的に通っても、治ることはない。
そして、ホージンは決めたのだ。この国で旅を終了することを。
ホージンはフィスに、すべてを伝えた。
「そ、そうなんですか?」
「僕も、もう年だしね」
「いいんですか? 旅をやめてしまって」
「いいさ、旅はいつか終わるものだと思ってたから、それが今なんだなって……」
「そうですか……」
ホージンは立ち上がり、笑顔で言う。
「これから、本でも書こうかな、僕が旅をした冒険譚てきな。あはは」
「いいですねそれ、うふふ」
フィスも、楽しそうに笑うホージンにつられて、笑みがこぼれる。
そして、ホージンはフィスに手を差し出して、一言だけ言う。
「好きです」
「私も同じです」
フィスはホージンの大きな手に手を置いた。