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魔術の世界の師弟たち

思ってた媚薬となんか違う

作者: 棚本いこま


 我が名はライラ・サンダーソン。

 輝く金の髪と理知的な灰色の瞳を持つ、偉大なる魔術師である。


 どれくらい偉大かというと、『落ちる落雷』の異名を国中に轟かせ、街へ買い物に行けば「はいライラちゃんおまけの飴よ」と無辜の民から貢がれ、「あ、『わたしのかんがえたさいきょうのまじゅつ』のおねいさんだ!」と子どもたちにすら覇業が知れ渡り、鳩も早歩きで私に道を開け、野良猫さえも足元にひれ伏し体をすりつけ、家に帰れば弟子が「師匠。調合薬で汚したローブのまま外に出ないで下さい。特にマタタビの匂いがすごいです。あーもう猫の毛だらけにして」と恭しく出迎える、それくらいに誰も彼もが私を敬っているという状態だ。


 私が偉大であることは自明の理であり、厚く尊ばれるのは当然のことだから、もちろんわざわざ自慢などしないが、まあ、ともあれ鼻が高い。


「出迎えご苦労、我が弟子よ」


 ノックする前から玄関で待機していたらしき殊勝な弟子に、街で貢がれた棒付き飴でもくれてやるかと寛大な心でローブのポケットを探っていたら、「師匠」と責めるような声が降ってきた。


「出掛ける時には一声掛けてください。街へ何しに行ったのですか? 買い物なら僕が行きますし、師匠がご自分で品を見たいのであれば、僕も荷物持ちでついていきますのに」


 拗ねた顔で言う弟子、リャンを見上げる。


 幼い頃は「おおきくなったら、ライラさまとけっこんします!」とか何とか、舌足らずな口調で宣言していた愛らしい子供も、今や私を見下ろすくらいの背丈になった。

 そう、リャンは来週で二十歳を迎えるのだ。もう立派な青年である。


「黒猫のようで大変よろしい」と褒めたら喜んでいた黒い髪も、「闇属性の魔石のようで大変好ましい」と褒めたら喜んでいた紫の瞳も、子供の頃と変わらないが、顔つきは随分と大人びた。それでも私にとっては、相変わらず可愛い弟子のままである。


「なんだ、そう拗ねるな。リャンも街に行きたかったのか? 欲しいお菓子でもあったのか?」


「お菓子欲しさに拗ねる年齢ではありませんよ」


 拗ね顔から一転、今度は呆れ顔で言われた。


 正直、長く魔術師をやっていると年齢の感覚は曖昧になる。不老不死みたいなものだから仕方がない。魔術師歴二百年以上の私からすれば、リャンがお菓子を欲しがって駄々をこねても違和感はないのだが、リャン的には違うらしい。ポケットから出しかけていた棒付き飴を渡していいものか悩むところだ。とりあえず保留しておこう。


「で、何しに外へ出たのですか?」


「うむ。ついに媚薬の製造および量産に成功したからな。さっそく売り捌こうと思ってな。可愛い見た目の方が販促効果も上がると思い、小瓶につけるリボンを買いに出た次第だ」


「ここのところ研究室に籠って何か作ってるなーとは思ってましたが、媚薬なんか量産してたんですか……」


「我ながら良い出来だぞ。媚薬の小瓶は研究室のテーブルに並べてあるから、あとでリボンを巻いておくように。ちょうちょ結びにするのだぞ」


「承知しました。……ところで師匠、なぜ媚薬なんですか? このあいだは『毛生え薬が売れるらしいのだ!』とか息巻いていたので、てっきり毛生え薬を作っていたのかと」


「ふっ。よいかリャン。この世には作れば作っただけ売れる、常に人々から求められる薬がある。一つは毛生え薬、一つは媚薬だ。確かな効能の品を作りさえすれば大儲け確実と言われている」


「はあ」


「そこで、まずは毛生え薬の製造に着手しようと思った。だが、すでにシェア上位を占める超人気ブランドがあって、後発で売るのは難しいのだと魔術師仲間に聞いた。ゆえに毛生え薬で儲けるのは諦め、媚薬を作ることにしたのだ。媚薬は作るのが難しいと聞いていたが、思ったよりも簡単にできたぞ。すごいだろう」


 胸を張る私に、リャンは「へー。さすがししょー。すごいですー」と、熱い賛辞を送った。声に覇気がないし遠い目をしているが、難解な魔術薬をいとも簡単に調合してしまった師へ感動が勝ちすぎて呆然としていることくらい、師匠歴の長い私には分かる。


「では、私は猫と全力で戯れ過ぎて……ん、んん、歩きながら魔術的思索に耽った結果、すっかり汗をかいたので、風呂に入ってくる。湯の用意はできているか?」


「はい、もちろん。お風呂上りには冷やした果実酒をご用意しますので、ゆっくりしてきてくださいね、師匠」


「うむ!」


 意気揚々と浴室に向かった私は、殊勝だと思っていた弟子の手で美味しい果実酒に一服盛られ、色々と洗いざらい吐かされることになるなど、全く予想していなかった。






「どうぞ、師匠。果実酒です」


「うむ! ん……? なんだかいつもと味が違う気がする」


「いつもと違うレシピで作ってみました。お口に合いませんでしたか?」


「いや、美味いぞ。お前の作るものは何でも美味しい」


「ありがとうございます」


 腰に手を当て、グラスの果実酒をぐびぐびと飲み干す私を、テーブルに頬杖をついたリャンが、にこにこと上機嫌に眺めている。


 この家における料理担当はリャンだ。お世辞ではなく、リャンの作るものは何でも美味しい。焼いて塩を振っただけの魚でさえ美味いのだから、こいつは魔術師を辞めても料理人としてやっていけると思う。


「師匠。研究室のテーブルにあった媚薬、ちゃんとリボンを巻いておきましたよ」


「仕事が早いな。偉いぞ」


「予想以上に量産していましたね。テーブルいっぱいに置いてあって驚きました」


「充分な量を準備するのは当然だ。私はこれで大儲けするのだから」


 現在の我が家の経済力では、高価な魔石や魔術書をほいほい買えるほどの余裕はない。リャンがせっせと出稼ぎ(民間の魔獣討伐の依頼など)をして家計を支えてくれているので、ぬくぬくした生活を送る分には問題ないのだが、やはりお金を気にせず思う存分研究がしたい。


 私が媚薬で一山当てれば家計は大助かり、リャンが「読んでみたい」と零していた希少な魔術書(家一軒分くらいの値段)もポンと買ってやれるし、全魔術師の垂涎の品である「無限にパンが出てくる箱」という超貴重な魔具さえ手に入るかもしれない。うむ。媚薬を売り出す前からわくわくしてきた。


「むしろあの程度の量では、すぐに在庫切れになるのではと危惧しているくらいだ。この『落ちる落雷』ライラ・サンダーソン謹製とあれば、飛ぶように売れるだろうからな!」


「……ねえ、師匠。前々から気になっていたのですが、その異名って師匠が自分で決めたのですが?」


「いいや? 『落ちる落雷』は、魔術師協会から授与された異名だ。ふっ、分かるぞリャン。私が考えたと思うくらいにカッコいい二つ名だと、私も思っている」


「……。ちなみに他の異名持ちの方も全部、魔術師協会が決めた名前で?」


「もちろんだとも。異名の授与は偉大なる魔術師の誉れだからな。『静かなる静寂』ナズナ・シズカ、『流れる流砂』サラサ・サラスナ、『炎上する火炎』アリア・デスマーチ、『開けまして開錠』ユイユ・ホドケル……。魔術師協会は小うるさい連中だが、ネーミングセンスは認めてやるにやぶさかではない」


「いつか僕にも、その頭痛が痛いみたいな異名を公式決定される日が来るかもしれないと思うと、気が滅入りますね」


「なんだリャン、修行中の身のくせにもう異名を授与されるつもりでいるのか? ふむ、平凡な師であれば慢心だと叱るところだろうが、むしろ私はその意気を買おう。さすが我が一番弟子である。お前ならばきっと『氷の氷塊』とか、そういう感じのよく冷えた異名が付くと思うぞ」


 私の褒め言葉を受けても、リャンは照れるでもなく、生温かい目で微笑むだけだった。まあ、本当は私に褒められて飛び上がるくらいに喜んでいることくらいはお見通しだが、十九歳というお年頃の繊細なプライドに配慮できる大人である私は、鷹揚に頷くに留めた。


「ねえ、師匠」


「なんだ?」


「あの媚薬、瓶のラベルには適量と有効時間しか書いてなかったんですけど。どちらの効果があるのですか?」


「? どちらとは?」


「世に出回る媚薬は大別すると二種類。精神に作用するか、身体に作用するかです。端的に言うと『惚れ薬』か『催淫剤』か、という話なのですが」


「……? どちらでもないぞ?」


 私が首を傾げると、リャンは目を丸くした。いつも落ち着いているリャンが、きょとんとしているのは珍しい。


「私が作った媚薬の効果は、『飲んで最初に見た相手に全力で媚びる』だ」


 だって「媚」薬なのだから、媚びさせるのが正解では……と思ったところで、くらりと眩暈がした。ふらついた私を、リャンが慌てて駆け寄って支える。


 リャンを見上げる。胸に湧きあがる衝動。


「ああ、お前はなんて素晴らしい弟子なんだろうな! すごい弟子である。とってもすごい弟子である。世界一の弟子様だ!」


 衝動のままにリャンを賛辞した私は、ハッと我に返って口を押えた。


 なんだ。何が起こっている。

 なんだかものすごく、リャンに媚びへつらいたくて仕方がない。


 尻尾があれば全力で振りたいところだ――いやちょっと待て。なぜ私が弟子に媚びねばならないのだ。いやいやそんなものは決まっている。理由は一つである。


「なっ……な、リャン、貴様、私謹製のスペシャルな媚薬を果実酒に盛りよったな!? 許さんぞ素晴らしく手際の良い弟子だ見抜けなかったぞすごい弟子だ!」


 師に一服盛るとは何事か、と怒りたいというのに、お口と気持ちが賛美の方向に捻じ曲げられてしまう。さすがは私の作った媚薬である。


 美味しい果実酒に媚薬を盛られて気付かなかった悔しさと、思うように罵倒できない悔しさと、とにかく各種悔しさで歯ぎしりしながらリャンを睨むと、「はあ……」と、疲れたような溜め息を返された。


「思ってた媚薬となんか違う……」


「なんだ。私の媚薬に文句があるのか。思ってた媚薬とは何なのだ。おいこら溜め息を吐く姿にすら滲む思慮深さがさすが一番弟子! あああ口が勝手に!」


「惚れ薬でも催淫剤でも、どちらでも都合がいいと思っていたのに。まさか『全力で媚びる』とかアホみたいな効果だったなんて……。ちょっと詳細な効果を聞かせて頂けますか?」


「アホみたいとはなんだ! おいこの馬鹿弟子はい喜んでぇ!」


 媚薬によりもたらされた「最初に目にした相手に全力で媚びる」の効果たるや凄まじく、どんなに目の前の馬鹿弟子を叱りつけたくとも、全身全霊で迎合してしまう。自分の才能が恐ろしい。


「よく聞け我がすごい弟子。さきほど説明した通り、『飲んで最初に見た相手に全力で媚びる』が薬の効果だ。有効時間は一時間。媚び行動は基本的に『肯定、迎合、阿諛追従』。服用者の反発心に比例して強制力が強まる設計だから、頑強な精神であればあるほど抗えない。なお媚びる際の言動は服用者の能力に準ずるため、本来の語彙力以上の褒め言葉は出ない。あと薬自体は苺味でとても美味しい。分かったかこの馬鹿すごい弟子!」


「なるほど。やたら『すごい弟子』を連発するのは、それが師匠の褒め語彙力の限界だからですか」


「なんだと! 私の語彙力に限界などないわ! 一言一句が詩人の調べだ! おい聞いているのか私のすごい一番弟子!」


 リャンは「はい、あなたのすごい弟子ですよー」と棒読みで言って、私の頭を撫でた。馬鹿にしている。憤怒のままに頭突きをかまそうとしたのに、身体が勝手に胸の前で祈るように手を組んで口が勝手に「ありがたき幸せぇ!」と、会話になっているんだかいないんだか、とにかく媚び切った台詞を吐いた。


 あまりの悔しさに鼻の奥がツンとして、ついに涙目になってしまう。それでも必死に睨み上げたら、さきほどまで澄まし顔をしていたリャンが、ふんわりと笑みを浮かべた。これは機嫌のいい時の顔である。


「期待していた効果とはだいぶ違っていましたが、これもアリなので良しとします」


「一体何なんだ! なぜここで機嫌が良くなるいやはや今日も天気が良いですなあ! ああ、口が勝手に社交の第一歩を……!」


「師匠にも天気の話題で社交の第一歩を踏み出そうという人並みの感性があったんですね」


「うるさい! このっ、我が可愛い一番弟子リャンこの野郎、なにゆえ偉大なる師に媚薬などを盛りあそばせたのだ!」


「ああ、そうでしたね。この効果でも問題なさそうなので、本題に入りますね」


 吠える私と対照に、落ち着いた様子でリャンはそう言って、「まあ座ってください」と椅子を勧めた。座る分にはやぶさかではないので、大人しく座る。リャンもテーブルの向かいに座り直した。


「ねえ、師匠――ライラ様」


 リャンの声が少し低くなり、呼びかけ方が変わった。

 あれ。もう退勤時間(平日の午後五時)を過ぎたのかな?


 魔術師の弟子には、ちゃんと弟子としての労働時間が定められている。

 一昔前、弟子を二十四時間年中無休でずっと自分の傍から離さずにこき使って過労とストレスで倒れさせる鬼畜な魔術師がチラホラいたので、魔術師協会が「弟子にも労基法を順守させること」と、お触れを出したのだ。


 私は清く正しい魔術師なので、きちんと法律を守り、リャンを正式に弟子として迎える際に、「週五の弟子勤務、朝九時に開始、夕方五時に退勤、一時間の休憩あり」の条件を提示し、遵守させている。


「勤務時間外は伸び伸びと過ごすがよい。自由な心は魔術を広げるからな!」と、他の魔術師と比べても格段に健全な労働環境を快く提供した偉い私に、リャンはあまり有り難そうでもない顔で(謙虚な弟子である)、「じゃあ勤務時間外はライラ様と呼びますね」と言ったのだ。


 ついでに、「あと朝のお世話と夜のお世話は僕の自由な趣味として行うので今まで通りにしますね。あと休日も一緒に過ごしますけどこれも僕の自由意志なので構いませんよね」と、なんだか結局は二十四時間年中無休でずっと私の傍にいる感じの発言をして、今なお実行に移している。


 まあ私としても、穏やかに起こされ、身支度を手伝われ、美味しい朝食を用意される朝に慣れていたし、美味しい夕食を用意され、お風呂上りの身繕いを手伝われ、丁寧に整えられた寝床で眠る夜に慣れていたので、リャンが勤務時間外もこの偉大なる魔術師ライラ・サンダーソンに仕えたいという殊勝な気持ちを発露したいのであれば、受け取るにやぶさかではなかった。リャンのご飯めちゃ美味しい。


 少し話が逸れた。ともかく、私と同様に清く正しい魔術師であるリャンは、きちんと労働時間を守っており、勤務中は「師匠」、勤務外では「ライラ様」と呼ぶのだ。


 そうかーもう五時かーと、夕方特有のしみじみした気持ちになると同時に、リャンへの怒りが少し和らぐ。


 師に一服盛るなどという不届きな行為に手を染めつつも、きちんと勤務時間に応じた呼び分けを忘れていないあたり、リャンの慎ましさは失われていないようだ。このような暴挙に出たのにも、何か深い事情があるのかもしれない。うむ。きっとそうだ。リャンは小さい頃から、大変いい子なのだ。


「なんだ、リャン。この頼れる師に何でも聞いてみよ、私の可愛い弟子」


 心を落ち着けると、不思議と言動が強制されるような感覚は薄くなった。そうだった、我が媚薬は「反発心」に比例して強く働くように調合したものだから、自ら相手に寄り添おうとすれば効果が弱まるのだ。うむ。怒りを忘れ、いつものようにリャンに接すれば、いつものように話せるということである。


「……。ライラ様は、どうして僕を拾ったんですか?」


 硬い表情で何を問うのかと思えば、さして重要でもない質問内容に、きょとんとしてしまった。


「? そんなもん、子どもが地面に落ちていたら誰だって拾うだろうが」


 落ちていたのが街なら交番に届けてやっても良いが、当時九歳のリャンが転がっていたのはこの森だった。放っておけば日没とともに魔獣に食われるだろうし、そうでなくても死にかけていたし、私の森に落ちているからには私に拾う権利があるので、あまり深く考えずに拾った。


 一通り手当てをしてやったあとで、迷子であれば迷子ポスターを作ってやるぞと言ったが断わられ、家が分かるのなら送ってやるぞと言ったが帰るところはないと申告されたので、そのまま居候させ、そのまま弟子にしたわけだ。


「本当にそれだけですか?」


「そうだが」


「僕が王族だから、利用できると思って拾ったのではないのですか?」


「え?」


 呆けた顔で「おうぞく?」と聞き返す私を、リャンはしばらく静かな目で見つめていたが、やがて「はああああ……」と深い溜息を吐いた。


「そうですね。ライラ様ですからね。王族の瞳の色が紫だという一般常識を持ち合わせていなくても不思議ではありませんね」


「おい。何だ。何の話だ?」


「では、次の質問です」


「うむ、どんとこい!」


「僕を王宮に売ろうとしていますか?」


「えっ!?」


 なんでバレた!?


 もうすぐ二十歳を迎えるリャンに華々しく高給取りの仕事を斡旋してやろうと思って、宮廷魔術師団に「うちの弟子はすごいのだぞ」と言ってこっそり売り込んでいたことがバレているだと!?


「へえ」


 先程の質問とは違い、明らかに動揺した私の様子に、リャンは冷え冷えと目を細めた。一見すると穏やかに微笑んでいるように見えるが、これはとても怒っている顔である。


「最近こそこそと王宮に通っていると思ったら。そうですか。僕を売るつもりだったんですね。……誰に持ち掛けられたんだか」


「いや、そん、そんなこと、全くしてませんがはい全力で売り込んでましたぁ!」


 どうやらこの媚薬、「隠し事をしたい気持ち」も反発心として判定するらしく、誤魔化すはずの言葉が正直な肯定に変わってしまった。リャンの静かなる怒りの気配が深まる。


 まあ、怒るのも当然だろう。リャンは「宮廷魔術師になりたい」など一言も言ってないのだ。このあいだ進路を訊ねた時だって、「ずっとライラ様と一緒がいいです」と可愛いことを言っていたくらいだ。私だって本当は、「リャンがずっと弟子でいてくれたら寂しくないなあ」とは思っている。


 だが、リャンは魔術の天才である。正直、私の弟子として一生を下働きで過ごすのは非常に勿体ない。弟子の才能を世に送り出すのも師の務めなればこそ、また弟子のさらなる成長を望めばこそ、心を鬼にして安心安全の師の庇護下から、冷たく厳しい世間の荒波に放り出すのも、師匠である私の使命なのだ。


 でもあんまり荒波だとやっぱり心配だから、高い水準の生活が保障されるし市井からもちやほやされる、宮廷魔術師の道を用意したわけである。


「金額はいくらですか?」


 冷えた声で訊ねられ、「おや?」と思った。

 最初に聞いてくるのが金銭の話とは。


 もしやリャン、私が「弟子の将来安泰な独り立ち応援計画」を勝手に進めていたことに怒りつつも、宮廷魔術師の職自体には興味津々なのだろうか?


 うむ。そうに違いない。高度な内容が要求される難しい仕事とはいえ、高給取りで有名な宮廷魔術師なのだ、お給料に興味が湧くのも頷ける。


「担当者に現状のリャンの詳細を伝えたら、このくらいは固いと言われたぞ!」


 私がドヤ顔で提示した具体的な月給に、リャンは眉一つ動かさなかった。というか目から急速に感情が死んでいったと言ってもいい。


 あれ?

 新人魔術師の初任給としては破格なのだが、期待外れだったのだろうか。


「……そんな……はした金で……売り飛ばすくらいに……僕はあなたにとって、価値がなかった……」


 あの極寒の怒り(魔力が漏れて床が氷結するくらい)はどこへやら、とんでもなく意気消沈した様子のリャンに、俄かに心配が募る。


 そんなに安かっただろうか、初任給。


 家計簿の管理はリャンに任せてあるので金銭感覚はまともなはずだが、この様子だと、まるで「己の命を二束三文で売り飛ばされた」くらいの絶望っぷりだった。


「え、う、リャン、これはすごい額なのだぞ? かなり裕福な暮らしができるし、財布の重みを気にすることなくお菓子も買えるのだぞ?」


 感情の振れ幅でうっかり氷結の魔力をダダ漏れにするほどの落ち込みように、しどろもどろになって金額のすごさを訴えてみたが、リャンは乾いた声で笑っただけだった。もちろん目は笑っていないのでとても怖い。


「リャ……」


「ライラ様」


 とても仄暗い瞳を向けられ、背筋にぞくりと寒気が走った。


 否、さっきから室温が加速度的に低下し続けているので、寒気というか普通に寒かった。お風呂上がりでぬくぬくしていた身体が冷やされて、うっかり整いそうである。


「あなたにとって僕はゴミ屑程度の価値しかない存在だとしても、僕にとってあなたは、かけがえのない存在ですよ」


 しんしんと雪が降り出した室内で、リャンが椅子から立ち上がった。


「お、おちちゅ、落ち着くのだリャン」


 私的にはいい給料だと思ったのだが、「ゴミ屑」発言を聞く限り、リャン的には最低賃金以下だったらしい。激安労働力として送り出されると思ったのなら、敬愛する師に己の価値を低く見積もられたと衝撃を受けるのも当然だろう。


 宥めるべく私も立ち上がろうとして、いつの間にか手足が魔術で拘束されていることに気が付いた。


「あれ、あの、リャン、なぜ私は縛られているのだろうか」


「ライラ様は逃げ足が速いので」


 普段ならこの程度の拘束など簡単に解除できるが、どうやらこの媚薬は魔術への抵抗さえも反発心として判定するらしく、上手く魔力を操作できない。魔力の流れすら阻害するとか、誰だこんなヤバい薬を作った奴は。


 悲しい金銭感覚のすれ違いから弟子がめっちゃ怒っている件および、魔術師として最高に無能な状態に置かれている状況。


 困難と困難が仲良く手を取り合った現状に戦慄している間に、ひょいと抱き上げられた。手足は拘束され、魔術での対抗もできない私は、荷物のごとく運ばれるがままである。


「あの、な、落ち着くのだ、リャン、そうだな、うん、確かにあの額は安かったかもしれ、んうっ」


 リャンが立ち止まり、必死に言い募る私に唇を重ねた。私を抱えていて両手が使えないのは分かるが、人を黙らせるのに口を使うのはどうかと思う。これは然るべき状況では接吻と言って大変親密な行為になり得るのだということを、無知な弟子にあとで教えてやらねばなるまい。


「ライラ様」


 唇が離れる。このように少し世間知らずに育ってしまったのは、ひとえにリャンの幼少期から今日に至るまで、魔術の研鑽と弟子業にのみ邁進させ続けた私の責任かもしれない……と、困った顔で見上げたら、リャンの方はなんだか陶然とした笑みを浮かべていた。


「愛しています。愛しているんです。あなたは僕なんかいらないでしょうけれど、僕はあなた以外、いらない」


 怒ったり絶望したり、かと思えば師への敬愛を口にする情緒の不安定っぷり。もしやこれが思春期というやつだろうか……とさらに困惑していたら、宥めるように頬を寄せられた。


「ライラ様が悪いんですよ。ずっと一緒にいてくれるって約束したくせに」


 そして歩みが再開される。はてどこに向かっているのだろうかと思えば、リャンの部屋である。


 そういえば先週、「すごいのだぞリャン! 拷問道具の福袋があってな! 実質半額だというから買ってしまったぞ!」と、言い知れぬお得感に突き動かされて買ったものの使いどころがない拷問道具一式を、ひとまず物置小屋の整理ができるまで、リャンの部屋(我が家で最も片付いている箇所)に置かせてもらったような……。


 あっこれ拷問部屋に移送されてる!


「あのっ、その、リャン、なぜ拷問部……お、お前の部屋に移動する必要があるのだ? なあ、話し合いなら居間に戻らないか? 床および家具が多少氷漬け状態でも私は全く気にしないから、な?」


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。ひどいことはしませんから。ライラ様が思い直してくれるまで、僕がどんなにあなたを愛しているか分かってくれるまで、説得するだけです」


 説得(拷問)宣言!

 さあっと青ざめた私は、必死にもがいた。


「リャン! 待て! 私が悪かった! 本当に悪かった! 勝手に就職先を決めてすみませんでしたあああっ!!」







「……というわけで、異名持ちの威光とか昔の伝手とか色々使って宮廷魔術師団に連絡を取って、お前に内緒で内々定まで取ってきたのだ。弟子に活躍できる環境を用意してやるのも、師の務めゆえ……。あとお前はあんまり外に関心がないから、無理やり叩き出さなきゃ家から出ないなと思って……」


 我が渾身の本気謝罪が功を奏し、落ち着きを取り戻したリャンは居間に戻ってくれた。


 で、私が洗いざらい話すのを神妙な顔で聞いている。


「目の前に宮廷魔術師の道が用意されていれば、お前も重たい腰を上げるかなと思って……。憧れの職だし、お給料いいし、都会に住めるし、制服カッコいいし、街に出れば女子にきゃあきゃあ言われること間違いないし……。だが、リャンは師を拷問にかけようと思い詰めるほどに、宮廷魔術師になるのが嫌だったのだな……」


 ちなみに媚薬の効果は切れており、今ならリャンを罵倒し放題なのだが、全くそんな気持ちにはなれなかった。

 むしろ、普段は温厚と優しさの塊のような弟子を、敬愛する師の手足を縛って『説得』を考えるほどに追い込んだ、そのことへの反省でいっぱいである。


「すまなかった……」


 しょげかえった私に、リャンが普段の穏やかな声で「いいえ、師匠」と言った。


 あれ、師匠呼びに戻ってる? と思って時計を確認すれば、まだ五時ではなかった。リャンは退勤時間を勘違いしていたのだろうか、いやまあ、そんな些細なこと今はどうでもいい。


「師匠は悪くありません。師匠は僕のことを考えて行動してくださったんですよね。その気持ちはとても嬉しく思います」


「リャン……」


「ただ、僕はまだまだ未熟者ですので、独り立ちするにはまだ早いと思っております。偉大なる魔術師ライラ・サンダーソンの一番弟子が、どうしてこの程度で一人前の顔ができましょう?」


「リャン……!」


 おお、なんと殊勝なことを言う弟子だろうか。私的にはリャンはすでに並みの魔術師以上の実力は備えていると思うが(団体向けの討伐依頼を一人で受けて平気でこなしてくる)、本人がこう言うからには、もっと鍛えてやるにやぶさかではない。


「そうだな。この私としたことが、並みの水準で考えてしまっていた。我が一番弟子なのだから、最強の弟子として世に送り出さねばな!」


 うむうむと頷く私に、リャンは「はい、師匠」と素直に頷いて、それから申し訳なさそうにこちらを見た。


「僕の方こそ申し訳ありませんでした。師匠が僕に内緒で王宮に出入りしていたことから色々と邪推した挙句にとんでもない誤解をして、つい取り乱してしまいました。師に一服盛るなど刎頸ものの悪行。どうぞ望むままに罰してください。師匠が行けと言うのなら邪竜の巣にも喜んで入りましょう」


 しょんと下がった眉に潤んだ瞳は、まさに雨のなか無情にも打ち捨てられた子犬の如き哀れさだ。こんなにも心から反省している弟子を、どうしてこれ以上責められようか。


「よいのだよいのだ。こそこそと弟子の就活をしていた私が悪かったのだ。よって今回の件は不問に処す」


「師匠……!」


 私の寛大な処置にリャンは感動したようで、ぎゅっと抱きついてきた。よしよしと頭を撫でてやる。怒られたら素直に反省して、許されたらこうして甘えてくる、それは小さい頃から変わらない。


 うむ。本人が言った通り、やっぱりリャンはまだまだ未熟な弟子で、甘えたい盛りで、私が見守ってやらねばならない存在なのだな!


「師匠。大好きです」


「うんうん。私もリャンが好きだとも」


「今後、何があっても、絶対に、二度と、僕を追い出そうとしないでくださいね?」


「うんうん。しないとも」


 請け負ってやると、リャンは安心したように笑った。まあ、今はこんな可愛いことを言っているが、いつかは自分から私のもとを去りたがるだろう。男の子は冒険に出たがる生き物なのだと本にも書いてあった。


 勇ましく独り立ちを宣言する弟子の姿を想像すると早くも寂しい気持ちになって来るが、もちろんその時は笑顔で送り出してやるつもりだ。私は良き師だからな。うむ。リャンがその気になったらいつでも送り出せるよう、今から立派な旅立ちセットをこっそりと準備しておこう。どんな色のリュックにしてあげようかな。


「あ。そういえばリャン、王族がどうとか言っていなかったか? あれは何の……」


「そんなことより師匠、僕のせいでお身体を冷やしてしまいましたね。温かいお茶を淹れましょう。ああ、チョコレートのケーキも出しますね。金粉をまぶした豪華なやつです」


「うむ!」


 こうして私たちは仲直りをし、和やかにお茶とケーキを楽しむに至った。万事解決である。


「しかし、我が媚薬の効果は素晴らしいな。ものすごく売れると思う」


「そうですね。ですが師匠、あれは媚薬ではなく『自白剤』として売り込んだ方が効果的だと思います」


「そうか? そういうものなのか?」


「はい。世に出回る媚薬がどのようなものかについては、また今度一緒に市街調査しましょう」


「そうだな。そうしよう。一般の媚薬の出来がいかなるものか、試しに買ってみるか」


「ではその時は、今日のように一服盛らせていただきますね」


 リャンがにっこりと笑って冗談を言う。

 私も笑って、可愛い弟子の頭を撫でてやった。


「師に一服盛るとは不届きな弟子め」




~登場人物紹介~


ライラ・サンダーソン

「落ちる落雷」の異名を持つ魔術師。

 宮廷魔術師団にリャンの就職取り消しの旨を伝えるついでに、手作りの媚薬を売り込んでみたら、「ヤベエ自白剤」として高値で買ってくれたのでほくほくである。

 たまに「二番弟子でも取ろうかな」等の発言をして、無自覚に弟子の地雷を踏み抜くこともあるけれど、基本的には平和なほのぼの師弟ライフを過ごせている。

 なお、異名持ちの魔術師は国に八人しかいない。そして全員が「この中では自分が一番の常識人だな」と思っている。



リャン

 死にかけていたところをライラに拾われ、なんだかんだお人よしの彼女から愛情たっぷりに接された結果、恩義と依存と初恋がミックスされた重い気持ちが醸成され、すくすくと師匠過激派に育った弟子。

 ライラは「説得」では拷問されると思っていたようだが、もちろん大好きな師匠にそんなことはしない。ちょっと洗脳魔術(禁術)の行使を考えていただけである。

 王の血筋にしか受け継がれない特別な魔術を使えるだとか、現王家には無事に抹殺できたと思われているが存在が明るみになると大騒動に発展するだとか、色々盛り沢山な背景を持っているが、そんなことよりもライラとの生活が楽しい。



拷問道具の福袋

 とてもお得。鋼鉄の処女のような大型道具だけでなく、金槌の尖った方で脚気の検査セットといったニッチな製品も入っていて充実の内容。ライラが買って三日目くらいに「もう買ったことを忘れただろう」と判断したリャンにより、速やかに古道具屋に転売され、とある塔に住む魔術師が「半額だと?」と言い知れぬお得感に突き動かされて買ったとか買わなかったとか。



 以上、うっかりぽんこつ師匠&ヤンデレわんこ弟子の師弟ラブコメでした。


 ぽんこつヒロイン&初恋に命かけてるヒーローの組み合わせがお好きな方は、ただいま連載中の「初夜のベッドに花を撒く係、魔族の花嫁になる」もぜひ……!

 こっちはこっちで愛が重いよ!


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あとがきで紹介したメイド&魔族ラブコメはこちら!
初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる
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― 新着の感想 ―
おもしろかったです! 異名!こんなの大好きです! 乱れた乱暴! なまこさんのツイートから来ました!
タイトルでいこま先生かな?と思って開いたらいこま先生でした!やっぱり! 途中に出てきたネーミングが好きすぎます。サラサ・サラスナさん好きです。 愛も重くて最高でした。媚薬と聞いてすわセンシティブ!と指…
「氷の氷塊」「凍える氷像」「冷たき氷塊」とか弟子の厨二ネーム、色々と考えてしまいましたw 拷問用具福袋に石抱責の石は入ってなかったんでしょうか。 漬物石として再利用できそうな気も。
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