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右の頬をぶたれたら?

 棒倒しのように、綺麗に床に倒れる息子。私の部屋に、バターンというなかなかに重い音が響く。


「――っか、母様!? いきなりなんなんですか!」


 サイネルは昨日と同じように、頬を押さえ目を白黒させている。


「なんなんですか……ですって?」


 コツリ、コツリとサイネルの前まで近づき、床にへたり込んでいるサイネルの前で仁王立ちをする。見上げてくる息子は、私が全身から発している怒気が、尋常じゃないことを察知したのか、じわりと体勢を整えて静かに正座をした。


「サイネル」

「はっ、はい!」


 サイネルの背筋が、反るほどにピンとまっすぐになる。


「学園から帰ってきて、あなたが最初に訪ねるべき相手は私かしら?」


「は?」と彼は意味が分からなそうに、片眉をへこませ、首を傾げた。


「そうですが……いつものことじゃありませんか」


 本気でわからないと眉宇を怪訝を滲ませている。どことなく物言う声も不服そうだ。


「あなたがまず訪ねるべきなのは私じゃなくて、許嫁であるフィフィーちゃんをおいて、他にいないのよっ!」

「はあ!? フィフィー!? な、なぜです」


 ここで『なぜ』という言葉が出て来るあたり、サイネルは彼女のことを自分の許嫁として認識していないのだろう。フィフィーちゃんが、許嫁であることを申し訳なさそうに肯定するわけだ。


「あなたが……許嫁のあなたがそんなだから……っ」


 彼女の苦笑顔が脳裏に浮かんだ。腰に置いた手指に力が入り、ドレスに食い込む。

 客間を整えていた時、彼女は私の部屋を作っていると思って、すかさず手伝おうとした。袖をまくり、メイド達に混ざろうとする姿には、微塵の躊躇いもへつらいもなかった。本来貴族令嬢である彼女は、そのような雑事などする必要がない。ましてや、勘違いだが、自分を散々いじめてきた姑の部屋だというのに。


 それだけで、彼女が……フィフィーちゃんがどれだけ心優しい子かわかった。

 そんな子が、周囲から悪意を冷笑を向けられていると知りつつも、なんでもないと言うように懸命に笑う姿に、心が痛まない者はいない。


 心がおかしくなっている者以外は……。


「あなたは、彼女がメイド達から、雑な扱いを受けているのを知っているかしら?」

「雑な扱い、ですか? ハハッ! 大げさですよ、母様。メイドは僕達のような高度な教育を受けてませんので、行動や仕草に品がなくて雑に見えるだけですよ。フィフィーへの態度は、《《同僚》》に対する彼女達なりの親しげな態度というやつでしょう」


 気付いたら私の右手は、スゥーッと静かに後方へと引かれていた。

 そして――。


「嫁は使用人じゃないッ!!!!」

「へぶッ!」


 私の心の底からの叫びとスパーンッ! という小気味良い音と共に、平手がサイネルの左頬を打ち抜いた。


(あ、しまった。まだフィフィーちゃんは嫁じゃなかったわね)


 気持ちが入りすぎて、つい、嫁と言ってしまった。


 再びの打撃に、ごろんとだるまのように転がったサイネル。しかし、今度はすぐさま起き上がりキッと睨み付けてきた。目には涙が浮いているため締まらないが……。これではまるで子犬だ。


「なっ、なんなんですか二度も、母様ッ!」

「右の頬をぶたれたら左の頬も差し出しなさいって言うでしょ?」

「言いませんよっ!? なんですか、その自傷を勧める教えは!?」

「神の言葉よ。よく覚えておきなさい」

「世も末な神もいたもんですね――っじゃなくて!」


 サイネルは立ち上がると、両手を広げて全身で私に訴えかけた。


「いったいどうしたというのです!? 昨日は急にフィフィーを大切にしろだの、今日は嫁は使用人じゃないと……以前までと言っていることが真逆ですよ!?」


(う゛っ……)


 それを言われると、つらいものがある。

 元も身体の持ち主のロザリアと私は、どうやら正反対の思想の持ち主のようだし、そりゃ言動が全部逆転するわ。


(そして、ロザリア……あなた、フィフィーちゃんのことを使用人だって言ってたのね)


 まあ、使用人棟に住まわせていた時点で、口にしていなくても、周囲はそういうふうに受け取るだろう。


 ああ、もう。本当、頭が痛くなる。腹立ちで沸騰しそうになる頭を落ち着けるため、乱雑に髪を掻いた。メイドによって綺麗に編み込まれていた髪が、ぐしゃぐしゃになっていくが構うものか。


 サイネルはというと、このような雑な行動をする母親をはじめて見るのか、ポカンと口を開け呆けている。

 私は、頭に登りかけた苛立ちを、細いため息にしてふーと吐き出した。


 ビクッとサイネルの肩が跳ねた。

 大丈夫よ、もう叩きゃしないわよ。


「確かに、過去の私はそう言った……かもしれない。彼女にも色々とつらく当たってきた……と思う。だからこそ、私は今後悔してるのよ」


 私の精一杯の抵抗が、付け加えられた語尾に滲んでいるが、そこは許してほしい。小声だし……。それに、過去にいたら私は絶対に言わなかったし、当たりもしなかった!


(くぅ……っ! どうして転生先が、私の一番嫌いなタイプの人間なのよ……っ。せめて、フィフィーちゃんが来る前だったら……っ)


 すると、どうしたことか、ふっ、とサイネルの顔に陰が落ちた。

 そう思うのは、控えめに伏せられた長いまつげが、彼の頬に影を作っているからだろうか。しかし、先ほどまで開いていた彼の口は、今や閉じるどころか唇を噛んでいる。


「後悔……ですか」


 上げられた彼の視線に、思わず息をのんでしまった。

 今にも泣きだしそうで、でも、涙を堪えるように下瞼を押し上げているような……。先ほどまでの、涙を溜めた子犬のような眼差しとははっきりとは違う、深いところにある感情が溢れた瞳に、ふいと顔を逸らしてしまう。


「――っそうよ。その……病気に罹って……しかも治らないなんて言われて、心がおかしくなっていたの。だからフィフィーちゃんにつらく当たってしまって……今じゃ後悔しているわ」

「もしや、呼び方が変わったのも、その後悔からですか」

「え、ええ、そうよっ」

「そうですか。母様がそのように言われるのであれば、努力はしましょう」


 サイネルは、両肩をすくめはしたが、意外にもすんなりと了承してくれた。

 ほっとした。


「ありがとう、サイネル。じゃあ、あなたもこれからは、フィフィーちゃんを大切にしてね。自分の許嫁なんだから、しっかりとあなたが守って愛していくのよ!」


 そして、フィフィーちゃんを幸せにするのよ!

 女当主である自分と、次期侯爵になる跡取り息子が彼女を大切にしていれば、自ずとメイド達も彼女に対する態度を変えるだろう。


 私は、安堵に胸をなで下ろした。

 しかし、次の息子の言葉で、途端に安堵に暗雲がかかる。


「とは言っても、彼女は『スロヴェスタ家の魔物』ですからねえ……正直、愛せるかどうかは保証できませんけどね」

「スロヴェスタ家の魔物……? それってフィフィーちゃんのこと……?」

「他に誰がいるんですか」


 不意に、頭の片隅に追いやっていた記憶が顔を覗かせた。



 ――『なんで、《《悪役令嬢》》のために、私達が働かなきゃいけないのよって感じ』



 脳内で再生された台詞を、無意識に唇がなぞる。


「悪役……令嬢……」

「ああ、女性達の間では、そんなふうにも呼ばれているようですね。巷で流行りの読み物になぞらえてだとか……ハハッ、魔物に比べたら、随分と可愛いらしい渾名だと思いませんか?」


 何がおかしいのか、サイネルは肩を揺らして渋るように笑っていた。

 しかし、口を手で覆って自ら笑いを抑えた次の瞬間、彼の目にあった温度が、一気に氷点下まで下がる。


「彼女はそんな可愛いもんじゃないのに。だからこそ、我がマクウェリン家が許嫁という名で引き取る羽目になったんですし……いい迷惑だ」


 瞳に宿った冷気はそのまま、彼の口から声となって吐き出され、私の背筋は凍った。




面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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