ブチッ!
「なぜメイド服を着てるの!?」
現れたフィフィーちゃんは、黒のロングワンピースと白のエプロン姿という、屋敷で働くメイド達と同じ格好をしていた。部屋の入り口で所在なげに立つ彼女は、小首を傾げて当惑した表情を見せる。
「え、あの……お、お義母様が普段はこれを着るように仰って……」
(ロ……っ、ロザリアァァァァッ!)
思わず頭を抱えてしまった。
(花嫁修業に来てくれてる許嫁に、メイド服を着させるってどういう神経してるの!?)
公爵家のご令嬢で我が家の許嫁だというのに、今の彼女の姿は到底貴族とは思えない。豊かな黒髪は顔の両側で三つ編みに結われ、飾り気ひとつなく、よく見れば、黒いワンピースも、昨日私が目が覚めて駆けつけてくれた時に着ていたものだ。昨日は、随分とシンプルなドレスだなとしか認識していなかったが、まさかメイド服の一部だったとは。
(ロザリアが目の前にいたら、思いっきり張り手をくらわせてるわね……)
今は、私がそのロザリアなんだけどね。
こめかみを揉んでいると、「そ、それでお義母様」と控えめな声が掛かる。
「わたくし、また何かしてしまいましたでしょうか。も、申し訳ありません」
入り口に佇んで、部屋には一歩も入ってこないフィフィーちゃん。昨日と同じように、身体を縮めて視線を床に落としている。私はまだ何も言っていないのに、彼女はすでに自分がミスをしたかのように、自責と謝罪の言葉を口にした。
(どれだけ……っ)
どれだけ彼女を責めてきたら、このようになるのか。
膝の上に置いていた手が拳を握っていた。巻き込まれたドレスが、私の心の軋みを表したように衣擦れでギュッと鳴く。
「いいえ、大丈夫よ。あなたは何もしてないわ」
私は殊更柔らかい声で言った。これ以上、彼女を怯えさせたくはない。
「私が一緒にあなたとお茶をしたくて呼んだの」
パッとフィフィーちゃんの顔が跳ね上がった。
その顔には、戸惑いと驚きが混在している。
(あぁ、本当は喜んでほしいんだけど……仕方ないわ。少しずつよ、少しずつ)
笑顔で柔らかく誘ってもこの反応。道のりの険しさが窺えるが、だからといって諦めるわけにはいかない。私には、彼女を幸せにするという野望があるのだから。
「さあ、そんなところに立ってないで、こっちにいらっしゃい」
「は……はい」
二階にある私の部屋は、この屋敷の中で一番良い部屋なのだろう。
日当たり抜群で、三つ並んだバルコニーへと繋がるアーチ型の窓から、ほどよい暖かさの斜光が美しく射し込んでいる。
私達が座る、窓付近に置かれた丸テーブルにも、午前中特有の柔らかな光り落ちているのだが、向かいに座るフィフィーちゃんの表情は曇ったままだ。黒いロングワンピースを着ていることもあり、尚更暗く見える。ちなみに、白いエプロンは脱いでもらった。メイドの格好のままお茶というのも、落ち着かないだろう。エプロンさえとれば、ぎりぎり質素なワンピース。
彼女自身が淹れた紅茶にも――私が淹れようとしたら思いっきり遠慮された――、まったく手をつけていない。
「あ、あの、フィフィーちゃん。今朝は朝食の席にいなかったみたいだけど、具合でも悪かったかしら? 昨日は顔色も良くなかったし……」
「い、いえ! わ、わたくしは病気などいたしませんので、ご、ご安心ください……!」
フィフィーちゃんは、慌てたように居住まいを正して勢いよく頭を下げた。
病気をしないから《《心配しないで》》ではなく、《《安心して》》とはまた妙な言い様だ。まるで病気することが罪のような言い方だ。
しかし、何はともあれ彼女が健康ならば、それに越したことはない。
「なんともないなら良かったわ」
私は安堵の息を吐いたのだが、対する彼女は怪訝そうに眉をひそめていた。目が『どういう意味』と言っている。
(心配すらも疑問に思われるなんて……トホホ……)
改めて思うが、今までロザリアは彼女にどんな態度をとってきたのか。
(あ~~っ、前世のこと思い出してきた~。そういえば、私も風邪で寝込んだ時、姑に『役に立たないのなら目につかないところに行ってろ』って言われたっけ……はぁ~~~っ、腹立つぅぅぅ!)
しかも、その日の夕食は、私以外の家族皆でお寿司を食べに行ってたんだっけ? しかも、回らないやつ。たっかいやつ。当然、手土産もなし。私だけラマダン期間に入ったのかと思ったわ。
それに、その時の夫ときたら……っ! 今思い出しても業腹だ。
はぁ……、きっとロザリアも似たような態度を彼女にとってきたのだろう。
「もし起きるのが遅くなって朝食をとってなかったら、セバスチャンに頼んで、ここに食事を持ってきてもらおうかと思っただけなの。だからそんなに気にしないで」
彼女の意図を読んで先に答えてやれば、彼女は珍しいものでも見るように何度も瞬きをしていた。確かに、彼女にとったら今の私は珍獣に見えているのかもしれない。
瞬きする瞳の中に、微かな警戒と不安が見てとれる。
つい先日までいびってきてた姑が、いきなり距離を近づけてくればそりゃ誰だって警戒するっての。
(少しずつ……少しずつよ……)
とりあえず紅茶をひと口飲んで、心を落ち着ける。
「お、お気遣いありがとうございます。しかし、朝食はとりましたので」
「え、どこで?」
「えっと、いつもの使用人棟の食堂ですが……」
ブチッ、と聞こえてはならない音が頭の中で聞こえた。
◆
「――布団はもっと明るい色にしてちょうだい! そっちの椅子も質素だから、私の部屋にあった赤いのを持ってきて! ああっ、違う違う、その鏡台はその右奥の壁に!」
「かっ、かしこまりました、奥様ー!」
私の指示で、二階にある使われていなかった客間が急速に整えられていく。家具や寝具を持ったメイド達が、部屋をバタバタと縦横無尽に駆け回り、出たり入ったりの大忙しだ。
「あ、あの、お義母様……」
可憐な声が聞こえて振り向けば、入り口から顔を覗かせるフィフィーちゃんがいた。ばたばたとメイド達が出入りしているから、邪魔にならないようにしているのだろう。なんて良い子なのかしら。
私は彼女に向かって入っておいでと手招きをした。
トランクを手にしたフィフィーちゃんが、怖ず怖ずと部屋に入ってくる。左右をキョロキョロと見回す様は、状況が理解できないといったところだろう。
「ちょうどよかった、フィフィーちゃん。勝手に部屋の色を整えさせてもらったんだけど、ピンク系は苦手じゃなかった? 好き?」
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次回、帰宅した息子を、母の拳が強襲す――
明日より、毎日17時10分更新