今までの私とはちがいますからね!
私は、灯りなどぽつぽつとしか見えない夜闇に覆われた街を、自室の窓から眺めていた。現代では考えられないほどの灯りの少なさだ。次に焦点を窓の外から手前へと移せば、窓ガラスに映る自分の顔が目に入る。
細い指で自分の頬をつついてみた。痛い。
「私ったら、本当に別人として生まれ変わったのね」
あの後、屋敷にやって来た医者には、死を待つほかなかった状態から奇跡の回復だと驚かれた。さすがに魂が入れ替わったおかげで全快しましたとは言えず、適当にそれらしく「神のおかげです」などと言えば、予想外に医者はなるほどと納得していた。
サイネルは私の回復を喜び、片時も離れたがらなかったが、目覚めたばかりでまだ本調子ではないという理由で、私は翌日までひとりにしてほしいと頼んだ。
ロザリアの中身が別人だと疑われないためにも、記憶を辿る必要があったのだ。
さすがに直前まで死線を彷徨っていたこともあり、サイネルは素直に頷いてくれた。
おかげで、色々と思い出すことができた。
私のこの身体は、元は『ロザリア・マクウェリン』という女性のものだった。年は三十二才と、大きな息子がいることを考えると、とても若い。
その息子だが、名前を『サイネル・マクウェリン』といい、十七才のひとり息子だ。
夫はとても年が離れていたようで、すでに他界しており、今はサイネルが成人するまでの繋ぎで、私がマクウェリン侯爵家の女当主として君臨している。
「それにしても、頬に一発もらったのにそれでも傍にいたいって言うなんて……サイネルは、よっぽど母親が好きなのね」
脳裏に『マザコン』という言葉がよぎった。
はは、と引きつった自嘲が漏れる。
別に、母親を大切にしている息子をマザコンと言っているのではない。それはただの優しい息子でしかない。
問題は、サイネルの私と嫁に対する態度の変わりようなのだ。
「はぁぁぁ……頭痛い。覚えたくもない既視感覚えちゃったじゃない」
前世の夫は、あそこまで声を荒げて批難することはなかったが、それは夫とサイネルの年の違いから来るものだろう。本質的には一緒だ。きっと、前世の夫も若ければ、ああやって声を荒げていたに違いない。
「嫁……ね」
サイネルは嫁と言っていたが、正確にはまだ結婚はしていない。結婚は、サイネルの成人――十八才になるのを待ってからということで、今は婚約状態にあるようだ。
サイネルの婚約者は、『フィフィー・スロヴェスタ』といった。
スロヴェスタ公爵家の長女であり、年はサイネルのひとつ下の十六才。
なぜ婚約者の身ですでに婚家にいるのかというと、一年ほど前からマクウェリン家で花嫁修業をしているからだ。
「花嫁修業って、普通自分の家で母親が教えるもんだと思ってたけど……こっちの文化じゃ違うのかしら?」
さすがに直近の記憶を辿れたからといっても、この世界の文化や貴族家についてまでは思い出せなかった。
「まあ、そこら辺は追々思い出していくでしょうね。何かきっかけがあれば、記憶は呼び起こされるみたいだし」
目を覚ました後、マクウェリン家の家令――使用人頭――も部屋にやって来たのだが、彼の顔を見た瞬間、名前や彼と関わった記憶が走馬灯のように脳裏を巡ったのだ。
「…………セバスチャンじゃなかったわ」
ちょっと不満である。
「それにしても……」
私は、窓ガラスに映る『私』を睨み付けた。
「本当、あなたって最悪ね」
断片的にだが、ロザリアがフィフィーちゃんにしてきたことの記憶も思い出していた。
息子が母親を慕っていたように、彼女も息子を溺愛していた。そうなると、婚約者であるフィフィーちゃんの存在など邪魔者でしかなかったようだ。
フィフィーちゃんが花嫁修業でマクウェリン家に入ってすぐに病に伏したロザリアは、彼女につきっきりで看病をさせていた。フィフィーちゃんが寝不足になっても、わざと深夜に呼びつけたり、眠気覚ましと言って水を顔に引っ掛けたりと、やりたい放題だったようだ。
「今、私がその最悪な女になってると思うと、自己嫌悪で奥歯を噛み砕きそうだわ」
衝動的に握った拳も震えている。
「あんなボロボロの姿……よく一年も耐えたわね、フィフィーちゃん」
彼女への同情を禁じ得なかった。
自分を見る怯えた目に、公爵家令嬢で未来のマクウェリン家当主夫人だというのに、使用人達の顔色さえも常に窺うオドオドとした様子。
きっと、ロザリアやサイネルからだけでなく、使用人達からも冷遇されてきたのだろう。上の意向を下も真似るものだ。
サイネルが、フィフィーちゃんと看病を交代したメイドを見なかったと言っていたが、フィフィーちゃんを陥れるため、メイドがわざとやったに違いない。
「……それでも……自分じゃどうすることもできないのよね……」
『嫁』には、ただ耐えることしか許されない。目上の者への反抗も、夫への苦言も許されない。だって、嫁いできたからには婚家の『物』となったのだから。物は口答えなどしないのだ。
フィフィーちゃんを見ると、かつての自分を見ているようで胸が痛くなる。
握った拳は、いつの間にか窓台に爪を立てていた。
「だけど……!」
私は、わざと爪でガリガリと窓台を削りながら、もう一度拳を握った。
白い窓台に、薄らと茶色い爪痕がついている。それは、私の決意の刻印。
「もう絶対にフィフィーちゃんを傷つけさせやしない。彼女には幸せになってもらうわ」
人生を終えるその瞬間に、私のように後悔してほしくないから。
窓ガラスに映った私は、目に強い光を抱いていた。
◆
翌日、朝食をサイネルと一緒にとり、彼が貴族子女が通う学園へと出かけていった後、私はフィフィーちゃんを探して屋敷の中を歩き回っていた。
客間がフィフィーちゃんに与えられた部屋かと思っていたのだが、訪ねてみると部屋を使用した形跡はなかった。いったいどこの部屋を与えられているのだろうか。
「さて、まずはフィフィーちゃんに、私はもう今までのロザリアとは違うってわかってもらわなきゃ」
怯えて過ごすのも、心に負荷が掛かるだろう。女当主が味方だとわかれば、彼女の心持ちも随分と楽になるはずだ。
サイネルの彼女への態度は、見つけ次第即教育である。
ああいう手合いは、前もって説明しても無駄で、その場で都度矯正していかなければ覚えない。
「それにしても、どうしてフィフィーちゃんは朝食の席にいなかったのかしら?」
朝食は食べない派だろうか。
それとも寝坊か。
「なんにせよ、今からお茶を一緒にするんだし、食いっぱぐれただけなら追加で料理でも出してもらいましょ。あ、ちょっと」
私は、廊下の先にいたメイドを呼び止めた。
「なんでしょうか、奥様」
「フィフィーちゃんを見なかったかしら? 私の部屋に来るように伝えてほしいんだけど」
「フィフィー……ちゃん、ですか? か、かしこまりました」
メイドは首を傾げながらも腰を折ると、フィフィーちゃんを呼びに行った。
そうして、私は自室で彼女が来るのを、優雅に紅茶を飲みながら待っていたのだが……。
「ぶふっ! ――っど、どうしたのよ、その格好!?」
部屋に現れたフィフィーちゃんの姿を見て、思わず私は飲んでいた紅茶を吹き出してしまった。
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次回、太い血管が切れたけど、大丈夫――?




