誘惑
「お義母様っ、お庭のほうも探しましたが、そちらにはいませんでした」
「フィフィーちゃん……!」
セバスチャンと玄関ホールにいたら、ランプを手にしたフィフィーちゃんが息を切らせてやって来た。ドレスの裾には葉や草がくっついていた。
セバスチャンの方にもバタバタとメイドが報告にやって来きていた。
「奥様、使用人棟まで探させましたが、やはりサイネル様は屋敷にはいないご様子」
サイネルがいなくなった。
夕食だからと呼びに行ったメイドがサイネルの不在に気付き、そこから全員で探しているのだが、もう夜だというのにまだ見つからない。
「誰かサイネルを見てないの?」
メイド達は顔を見合わせ首を横に振った。
「そう……」と、自然とため息が漏れた。ここまで探していないのなら、彼は自らの足で街に出た可能性が高い。学園に通っているし、いつもなら街に出たからといってそこまで焦る必要はないのだが、問題は彼が貴族で、今が夜だということだ。
「そういえば、あなた達リーマは? 姿を見ないけど」
「あ、えっと、具合が悪いらしく自分の部屋で休んでるみたいでぇ」
ふと、メイド達のヒソヒソ話が耳についた。
「え? 私、使用人棟も隅々まで探したけど、リーマの部屋には誰もいなかったわよ。他の子も見てないよね?」
目をやると、メイド達の視線を受けていたのは、尻を叩いてやった例のメイド達だった。二人は目を泳がせ、しどろもどろになっている。
ピンときた。
「あなた達……私の質問には心して答えなさいよ」
◆
カウンターに座ったサイネルは、騒がしくも陽気な男達の胴間声を背中で聞いていた。
「こんなところで、僕は何してるんだろう……」
酒の入った杯を、グッと一気にあおった。慣れない後味と鼻に抜けるアルコール臭に、思わず顔が歪む。
何も考えず街に出た。日が暮れるに従って街からは人けがなくなり、不安がサイネルの足を、平民達が住む街区へと押し進めた。そうして、店の灯りと人の賑わいに引きつけられるように酒場へと足を踏み入れたのだ。
貴族と平民では、同じ王都内でも棲み分けがされている。壁で区切られているわけではないが、王宮から離れるほど身分も治安も下がっていく。夜闇の中、人けを求めポツンポツンとした寂しい灯りを頼りに歩いてきたため、この酒場が街のどのあたりに位置するのかわからなかった。
治安がよろしいとは言えない。一応、いかにも貴族だとわかるような上着は脱いだのだが、店主にはきっとバレているのだろう。酒を出された時、「危ないからそれ飲んだら帰りな」と言われた。危ない……強盗に遭うと言っているのだろうが、正直もうどうでもよかった。
「随分と酒場に似合わない色男がいるのね」
耳元で聞こえた女の声に、サイネルはゆるりと横に視線を向けた。編み上げの胸元を大きく開いた妖艶な女が、隣に座っていた。女はにこりと笑うと、飲み干した杯を指さす。
「まだ飲むでしょ? マスター、彼にももう一杯ね。あたしと同じのを」
「いや……あんたと同じのって」
「構わない。元々一杯で帰るつもりなんてないんだ。どんな酒でもいいさ」
躊躇う店主の言葉を遮り、サイネルは杯を突き出して強引にもう一杯を求めた。店主が渋々と注いでくれた新しい酒は甘くて随分と飲みやすく、するすると進んだ。
隣では女が平然として飲んでいる。目が合うと、またにこりと笑みを向けられた。
どこか作りものくさい笑みの彼女に見覚えがあるような気がしたが、頭がぼうっと熱くなってうまく考えられなかった。もう誰だっていいさ。
「さすがにここで寝られたら困るよ」
身体を揺すられてはじめて、サイネルは自分が寝ていたことに気付いた。店主に「何があったか知らんが、大人しく家に帰りなよ」と優しく肩を叩かれ、これ以上店にいるのは躊躇われた。
飲みはじめた当初より幾分か人けの少なくなった酒場を突っ切っていく。自分で歩けはするが、足の裏の感覚はない。思った以上に酔いが回っているようだ。酒なら何度か飲んだこともあるが、こんな酔い方ははじめてだった。
「そんなんじゃ、お屋敷に帰れないわよね。ちょっと休んでいきましょうよ」
店の外に出たところで、突然女が腕に絡みついてきた。




