サイネルゥゥゥゥ!?!?
「何言ってるの、とっても綺麗よ」
フィフィーちゃんの部屋にある鏡台の前で、私は彼女の両肩を握った。目の前の鏡には、しっかりと化粧を施された絶世の黒髪美女が映っている。
何事にも揺るがないサイネル。どうやったら奴の心を少しでも揺さぶれるか考えた結果、見た目でインパクトを与えることにした。
(ふふふ、元よりフィフィーちゃんは美人だけど、いつもと違うお洒落をしてるだけでドキッとするもんでしょう!)
ふと気付いた。
「そういえば、フィフィーちゃんってまったく化粧をしないのね。荷物の中にもなかったし……」
今日だって私のメイク道具を使った。
天然で美人だからすっぴんでもドレスに負けていないのだが、十六歳の令嬢であれば、化粧に興味を持ちそうなものだが。
彼女は、「あ」と声を詰まらせると、気まずそうに視線を伏せていく。
「その……化粧しても似合わないって……妹のほうが可愛いから恥をかくだけだって」
「……誰? うちのメイド?」
どつきまわしたろか。
つい声が低くなってしまったが、彼女は違うと慌てて手を左右に振る。
「その……母が。義理のですが……」
「義理?」と、私は自分を指さす。
「父の後妻です。わたくしの母は、わたくしが十歳の頃に亡くなりまして。妹は母の連れ子なんです」
ああ、と私は彼女が『悪役令嬢』と呼ばれている理由に納得がいった。大方、どうせその義母と義妹がフィフィーちゃんの美しさを妬んで、性格が悪いとかの噂でも流したのだろう。よくあるシンデレラだ。
(……本当に?)
魔物と呼ばれる理由はわかった。彼女が原因というより、過去の歴史からきたものだ。
では、悪役令嬢は? 妹が姉の性格が悪いと言ったくらいで、そこまで広まるものだろうか。
(とは言っても、本人になんでって聞くわけにもいかないし……)
本人も探られるのを望まないだろうし、マクウェリン家の中だけでも、そう呼ばせないように徹底すれば大丈夫だろう。
「さて、そろそろサイネルが帰ってくるわ。出迎えに行きましょう」
そうして、彼が学園から帰ってくる時間。
「お、お帰りなさいませ、サイネル様……っ」
玄関ホールでモジモジと恥ずかしそうにしながらサイネルを迎えたフィフィーちゃんに、彼は「ああ」とまた素っ気ない言葉を返すのだが、今日はそれだけでは許さない。
私は柱の陰から姿を表し、ツカツカとフィフィーちゃんの元へと近寄り、『よく見ろ』とばかりに、彼女をサイネルの前にグッと押し出した。
「おかえりサイネル。さあさあ、フィフィーちゃんを見て何か言うことはないかしら?」
「何か……ですか?」
「ほら! いつもと違うでしょ。気付かない?」
怪訝な顔をして視線を上下させていたサイネルだったが、思い当たったのか「ああ」と指をパチンと鳴らした。
偉いぞ、息子! さあ、照れながら言うのか、それともサラリと言うのか……。
「爪の色を変えましたね、母様」
「…………サイ……ネル……ッ」
玄関ホールに、痛々しい打撃音とサイネルの絶叫が響いた。
◆
「――っはぁ! もうあり得ない! あの子の目は、節穴どころか大穴でも空いてるんじゃない!?」
私室に戻った私は、憤りを発散するように、ソファにドスンと腰を落として座った。
とりあえず、サイネルの膝裏にローキックを一発かましてきたわけだが、それでもまだ怒りが収まらない。
「セバスチャンもそう思うでしょ!?」
「セレストです、奥様」
ひとりでは解決できないと思い、廊下で見つけた彼も一緒に連れてきた。
「普通、目の前の美女じゃなくて、美女の肩を握った私の指先に注意が向く!? どうしたらフィフィーちゃんを意識してくれるのかしら。わざとかってくらい、私ばっかり気にして……ねえ、セバスチャン、何か良い案ない?」
「セレストですが……そうですねえ、環境を変えられてみては? 屋敷の中ですと、やはり私共の目もありますし、サイネル様もいきなり態度を変えられるのは難しいのでは」
「確かに」
年頃だし、周囲の目も気になるのだろう。
そういえば、とハタと気付く。
「セバスチャンは、私が変わったとは思わないの?」
ソファ脇で直立するセバスチャンに、下から窺うように見つめれば、彼はふっと目を細め、頬を柔らかくした。
「どのような奥様でも、私はマクウェリン家に仕えるだけですので」
「あっそ」
つかめない執事だ。
そういうわけで、私は次に学園が休みの日にサイネルとフィフィーちゃんを、一緒に街へ行って買い物でも楽しんできなさいと言って、送り出した。
送り出しはしたのだが……。
(ああ、もうっ……! もうちょっと歩く速さを気にしなさいよ。フィフィーちゃんが早足になってるじゃないの……!)
不安でついてきてしまった。もちろん存在を悟られないように、髪は帽子にしまい込み、だて眼鏡をかけて、ドレスは地味なものに変更という徹底した変装ぶりだ。
少し離れたところから見守っているのだが、ハラハラがずっと止まらない。まるで『はじめてのおつかい』を見ている心地だ。
(あ、やっと店に入ったわ! このままウィンドウショッピングで終わるのかと思って心配しちゃったじゃない)
スススと二人が入った店へと近づき、窓から店内を窺う。どうやら帽子やストールなどを売っている服飾小物店のようだ。
(ちゃんと女性が好きそうな店に入るだなんて、サイネルもやるじゃない)
元々、母親を褒める器量はあるのだから、女性心理に疎いわけではないと思う。
(なのに、どうしてあの子の目は私にしか向かないのかしら?)
などと考えながら、私は店の扉にビタッと耳を当てる。道行く人達から奇異な目で見られるが、将来の息子夫婦の未来がかかっているのだ。他人の目など気にしていられない。
私は耳に全神経を集中させた。