『ふつつかな許嫁ですが……』
「我がスロヴェスタ家は代々水源素の家系です。わたくしも当初使えた魔法は水源素魔法だけでした。しかし、十四の頃に突然、黒幻素が発露してしまい……それからは、友も家族もわたくしから距離をとるように……っ」
なぜ、彼女が『魔物』と呼ばれているのか。
黒幻素魔法は、他人の精神を操ることができるからだ。
かつて昔、黒幻素を発露したひとりの貴族がいた。
その者は、黒幻素魔法を使い人心操作の末、国家転覆を画策し、あわやというところまでいったらしい。それ以降、畏怖を込めて、黒幻素を発露した者を『魔物』と呼ぶようになったのだとか。
確かに、そのように精神操作をされるかもしれないなら、近付きたくないと思っても仕方のないことだろう。
だがそれは、黒幻素魔法を悪用としようとする者の場合においては、だ。
(フィフィーちゃんと過ごしてきた人達なら、彼女がそんな邪な考えなんかしないってわかるはずなのに……)
どうやら、貴族というのは、他人の上っ面しか見ないような者の集まりらしい。
「黒幻素魔法による精神操作の影響を受けないのは、白幻素を持つ者のみですから……私を断ることができなかったんですよね。本当……すみません」
チラッと、フィフィーちゃんは手元に落としていた視線を、私に向けた。
そう。実はロザリアこそ、現在観測されているたったひとりの白幻素の持ち主である。
ロザリアの日記にも、フィフィーちゃんが言ったことと同じようなことが書かれていた。
『白幻素を持つのが私しかいないからって、黒幻素の娘を受け入れろだなんて……王家も自分勝手すぎるわ』――と。
白幻素魔法が使えるとわかった途端、記憶が引き出され、それがどういった魔法なのか理解した。使えるとわかったところで、使える気はまったくしないが……。
黒幻素が精神操作ができるのに対し、白幻素は元通りにすることができる。
元通りの範囲は治癒だけに留まらず、物的に壊れたものすら元通りにすることができるのだ。それ故、黒幻素魔法が唯一効かない人間であり、万が一の時に対抗する監視者の役目を担っている。
(クッソ~ッ、前世でこの力がほしかったわ……! そしたら夫が会社に行ってる間に、集めてたなんか高そうなよくわからん酒を全部たたき割ってやったのに……っ!)
彼が帰ってくる頃には魔法で戻せば、あっちも無問題で、こっちもすっきりだ。
まあ、今更言っても仕方ない。
とまあ、つまりサイネルとフィフィーちゃんの婚約は、フィフィーちゃんが悪さしないように、私の目の届く場所に置いておくためというものだった。
(国王命令だし、ロザリアはどんなに嫌でも、この婚約を飲み込むしかなかったのね。それに、フィフィーちゃんもどんなにいじめられても、実家に戻らないわけね)
心底申し訳なさそうに、フィフィーちゃんは再び俯いてしまった。
「わたくしを妻とすることで、サイネル様にもご迷惑をかけてしまいますし、何よりマクウェリン家が貴族界から、その……」
「のけ者にされたらどうしよう……って?」
こくりと頷いた形の良い頭を、私は撫でた。本来、絹のような輝きをもっていたであろう長い黒髪は、指を通すとざらりとしていた。
「確かに婚約のきっかけは国王命令だったかもしれないけど、今はあなたがサイネルの許嫁で良かったと思ってるわ」
パッと、彼女の顔が上がった。
「だって、こんなに優しくて素直な子なんて、他にはいないわよ。大丈夫。サイネルもあなたの素敵さを知れば、きっとあなたを妻にって自ら言ってくるから」
単純に、サイネルがフィフィーちゃんを大切に扱わないのは、関わりが薄かったからなのかもしれない。この間までフィフィーちゃんは使用人棟に住んで、メイドみたいな生活をしていたわけだし、二人の接点も少なかったはずだ。
(これからは、少しずつ母親よりも嫁優先に、意識を変えていってあげないとだわ)
蘇る、私が目覚めた時の、サイネルのフィフィーちゃんに対する態度。
……骨が折れそうだ。
「だから、これからはなんの遠慮もなく、堂々とうちの許嫁でいてちょうだい!
それと、ちゃんとドレスも受け取ること。マクウェリン家の将来の嫁に相応しい格好をなさいっ」
人差し指を立てて、お説教するように胸を反らせば、フィフィーちゃんは眉を垂らして笑い、「はい、お義母様」と言ってくれた。
「それじゃ、先に部屋に戻っててちょうだい。買った物が運び込まれてるだろうから、一緒に片付けましょう」
「はい――っあ、お義母様もこの小説を読まれるんですね」
部屋を出て行こうとしたフィフィーちゃんは、壁際に設えられた本棚へと、引き寄せられるように足を向けた。
同じ青色の背表紙がずらっと横一列に並んでいるのは、確かに目を惹く。
「わたくしも面白いと聞いて興味はあったのですが……あのっ、読んでみても良いでしょうか」
「ふふ、また今度ね。一度読み出したら止まらなくなっちゃうから。片付けが先でしょ?」
「あ、それもそうですね」
フィフィーちゃんは本へと伸ばしていた手を慌てて引っ込めると、気恥ずかしそうに頬を赤く染め、「そっ、それではまた後ほど」と扉へと踵を返した。
しかし、扉の前まで辿り付いた彼女は、またクルッと踵を返してこちらを向く。
「あのっ、お義母様」
「ん? なぁに」
なぜか先ほどよりさらに顔を赤くしたフィフィーちゃんはいきなり、風を切る音が聞こえてくるほど勢いよく腰を折った。
「ふっ、ふつつかな許嫁ですが……どっ、どうぞ末永くお願いしますっ!」
彼女は言うだけ言うと、こちらが面食らっている間に、「それではっ」と逃げるように部屋から出て行ってしまった。
私は腹を抱えるほど笑っていた。
「――っふう、やっぱり素敵な子だわ。サイネルと幸せになってほしいけど……」
笑いを収め、目尻に滲む涙を拭きながら私は本棚へと向かった。
「それにしても……」
フィフィーちゃんの指に引っ掛かっていたのだろう。少しだけ前に出た青い背表紙の《《小説》》を元の位置に押し込む。この背表紙は、以前、寝室の机の裏に落ちていた本と同じ背表紙だ。
「危なかったわ」
(変なところマメだったのね。でも、おかげで私は助かってるけど)
本棚にずらりと並べられた小説。番号が振ってあるシリーズもの。
しかし、中身は小説ではない。
すべて、ロザリアの日記である。
日記の一ページ目は、彼女がマクウェリン家に嫁ぐと決まった日からはじまっていた。寝室の日記を読んで、中途半端なはじまりに違和感を感じて『前があるのでは』と思って探してみれば、前も前……これほど長い間書き続けていたとは。
本棚には、ロザリアの十二歳から三十二歳までの二十年が並んでいた。
「はぁ、これは寝室に移動させて、同じ小説をセバスチャンに買ってきてもらいましょ」
まだ先頭のほうしか読めてないが、他人が読んで面白ものではないのは確かな内容だ。
「さって、そろそろフィフィーちゃんの部屋に行きましょう。あ~っ、あの紫のドレスをフィフィーちゃんに着せる日が楽しみだわ! あれにはひまわり色のブローチを…………ん?」
部屋を出ようとした時、部屋の外からなんだか険のある声が聞こえてきた。
開けるのを躊躇い、そっと扉に聞き耳を立てる。
「――っくせに、奥様にどうやって取り入ったのよ!」