勘弁してくれ!
深夜。病室に響く一定間隔で刻まれる、「ピッ……ピッ……」という電子音が耳にうるさい。
どうやら私もそろそろ終わりらしい。
「お母さんしっかりして……!」
最後まで看病してくれていた娘が必死に呼びかけてくるが、もう目を開ける気力もない。
「お母さん、まだ生きてよ……っ」
いいえ。もう私は充分生きたわ。老衰で、しかも可愛い娘に看取られて逝くんだから幸せよ。
ああ……もう何も思い残すことなんて……。
………………。
(いや! めちゃくちゃあるわね……!?)
遠のきはじめていた意識が、急激に覚醒する。
「お母さん!?」
思わず、一瞬だが、開く気のなかった瞼まで開いてしまった。
娘も孫も可愛い。それはいい。それは問題ない。
問題があったとするのなら、嫁いだ家が悪かった……。
(ああ……っ! 今思い出しても腹立たしいことこの上ないわ!)
当時は結婚したら同居が当たり前で、嫁は嫁いだ家の『物』として扱われる。朝は誰より早くに起きて、夜は一番遅く布団に入らなければならない。
姑にはよく分からない理由でいびられ、夫も舅も女のことにも子育てにも無関心。
(普通に考えたら夫は嫁の味方をするもんでしょう!? お前が選んだ嫁なんだよ! 何が『君を一生愛する。僕に守らせてほしい』だ。お前が何から守ったよ! 闘牛士のマントみたいにヒラッヒラな防御力しよって! 紫外線から守ってくれる日焼け止めのほうが百万倍有能だわ、このマザコン野郎!)
ああ、思い出しただけではらわたが煮えくり返る。動悸が止まらないわ。
「先生! なんだかわからないですけど、母のバイタルが乱高下してるんですが!?」
「バイタル異常ですね」
「冷静過ぎません!?」
そう、異常だったのよ。あの環境って。
あまりに辛くて、一度夫に相談したけど、「母さんも昔は苦労してきたからわかってあげてよ」って返ってきて……。
(わ! か! る! か! ばかたれぇぇぇぇぇッ!!)
自分がされて嫌なことは他人にはしないって、小学生の時に習わなかった!? 習わなかったとしても、普通人として、道徳として持ち合わせるべき心じゃないの!?
男の子が産めなかったからって、姑は死ぬ間際までグチグチ嫌みを言うし、子供が可愛いこと以外良いことなかったわ。そしてやっぱり夫はまったく守ってくれないし……! 男の子が産めなかったのは、お前のY染色体のせいだろが! 頑張りなさいよ、Y!
「先生、本当に母は死にかけなんですか!? まだ生きる人の波形ですよね!?」
「今夜が山だと思ったんですけどね」
「冷静ッ!」
え、待って。
これでやっと全てから解放されると思ったけど、冷静に考えると、姑や舅、夫が待つあの世に今から行くってことにならない? 勘弁してよ。無理無理無理無理、思い出しただけでもイライラが止まらないんだもの。
神様、どうして死んでまで私は苦しまなきゃいけないんですか? 彼らには二度と会いたくありません。
(私ならあんなマザコン息子には育てないし、そんな嫁いびりをする性悪姑にはならないのに――っ!!!!)
あ……しまった。
残りの気力を一気に使いすぎたようだ。
潮が引くように、急激に意識が遠のいて、身体も岩が乗ったように重くなる。
(ああ……神様、これだけ頑張って耐えてきた私の願いを聞いてくださるのなら、どうか私を姑も夫もいない場所に飛ばしてください。天国なんて贅沢は言いません。地獄でもかまいませんから……)
可愛い娘の「え、お母さんっ!?」と叫ぶ声と、医者の「やっぱり山でしたね」という冷静な声と、「ピー」という電子音を最期に、私は意識を手放した。
◆
「しっかりしてください、母様!」
いや、だからもう私は死んだのよ。
「母様っ」
ふふ、どうしてそんな気取った言い方してるのよ。まるで貴族にでもなったような気分だわ。でもね、もう私は死んだの。無理なものは無理なん……。
(ん? 娘の声と違う気がするんだけど……)
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