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スタックリドリーの冒険  作者: 奥森 蛍
1章 ぺペットの村
1/16

1 見えないものたち

 晩夏の蒸し暑さのなかでかすかに光が揺れている。

 ぺペットの村に入るまでの広い林道には紫色のルーマの花が至る所に咲いていて、燐光しながら可憐な姿をさらしていた。柔和な輝きは世界を静かな夜へと導いていく。

 林に生きるすべての生命は穏やかに迎え始めた時を享受して、寄り添って眠りにつくものもいれば、夜狩りに飛び立つものもいる。


 すべてが幸せの瞬間であって、当たり前の夜なんてない。


 ふいの気配を感じてエンビ(猛禽類の鳥)が飛び立った。

 少年がほうとフクロウが鳴き始めた山路を一人とぼとぼと村へと帰っている。びっしょりと汗を掻いて、ぐっすりとべそを掻いて。


 こんな人気のない時間に一体誰だろう。


 くるりと巻いた茶髪の、歳のわりに背高い枝のような色白のそばかす少年は、そう。スタックリドリーだ。

 いずれは偉大な精霊学者となるこの少年も、この時ばかりは落ち込んで汚れたズボンを見てはため息をつく。この若葉色のズボンは丈が合わなくなるたびに継ぎ足してきたが、十歳の彼にはもうさすがに短かった。でも、繕ってくれる祖母のどうしようもない愛情があるから履き続けるしかなかったのだ。


 足取りは鉱石を背負ったように重く、この身を連れて帰らねばという鬱屈した思いに駆られていた。

 つぶらな瞳の奥、土埃を浴びた巻き毛の頭中には村の子供らの言葉が渦巻いていた。


「お前は孤児みなしごだ」

「かわいそうなスタックリドリー」


 違う、孤児なんかじゃない。かわいそうでもない。

 心に残像を描いて記憶の中の集団暴君らに立派に反論して見せるが、みんなとっくに村に去っていて応じるものはなかった。

 いつも肝心なときに肝心な言葉が出てこない。


(どうしていえないんだろう)


「君が臆病だからさ」


 誰かの声が聞こえた気がして梢を見上げるとさわさわと木の葉の影が擦れあっていた。急に夕暮れの気配が恐ろしくなる。冷汗がすっと背を伝った。


「誰?」


 心音が高鳴り、空を見上げた。声だけが輪唱し拡散していく。焦燥に駆り立てられて叫んでいた。


「誰だよ、返事しろよ!」


 しんとした林に一人。他に誰がいるというのだろう。

 静けさに背筋が粟立った。誰かが見ている。

 汗で湿り気を帯びたこぶしを握ると村まで一目散に駆け出した。小草が跳ね上がる。


 温い風を切る薄い背中に彼らがそっと声をかけた。


「君は臆病者なんかじゃないよ、リドリー」




 息せき切って村に戻るとあちらこちらから一家団らんの仄明かりがもれていた。共用の井戸のある広場を突き抜けて物見台の足元を曲がると、土階段を十五段上って村はずれの自宅へと帰る。


 木の笠を着た古い平屋の我が家の粗目の木戸はぴしゃりと締まっている。


 遅くなって祖母が機嫌を悪くしたことはない。それでも、こんな時間だからと気兼ねしていた。たぶんズボンが破けてしまったせいもある。昨日、夜なべして直してくれたばかりだったというのに。


 ノックしようとしたこぶしを止めておろした。背を向けて立ち去ろうとすると玄関が開かれる。


「お入り、リドリー」


 明かりの灯った部屋からしわがれた穏やかな声が聞こえた。まるで木漏れ日のように温かい。こじんまりとしたリビングには薬草のまろやかな香りが立ち上っている。食卓には手の込んだ料理が並んでいた。育ち盛りの自身を思ってのもの。ずっと帰宅を待ってくれていたのだろう。


 急に申し訳なさがこみあげて目頭が熱くなる。だって自身はこの暖かさを馬鹿にされても反論できなかったんだ。スタックリドリーはぶっすり黙りこむと家の中に入った。


 食事中、祖母は何も聞かなかったが、事情をよく分かっているようだった。どうしてかだって?

 答えは簡単。祖母にはそういう力があるからだ。


 洞察力とか、観察力とかそういった類のものではない。もっと奇妙な祖母だけが持つある(・・)特殊な力のおかげで、スタックリドリーの悩み事はいつでも筒抜けだった。

 豆のスープをよそってくれる祖母を尻目にサラダを掻き込んで、塩の濃い干し肉を頬張る。喧嘩に負けてしまうのは単にひ弱だからだ。いっぱい食べて力を付けたらあんな連中怖くない。いずれぼっこぼこだ。


 急いて喉を詰まらせていると祖母が微笑んだ。水でぐっと流し込む。


「みんなお前が嫌いなわけじゃないよ」

「暇なんだよ、きっと。心の貧しい奴らはそういう風に他人を蔑んで時間をつぶすしかないのさ」


 この強がりも祖母には分かっているのだろう。


「泣いたね、リドリー」


 スタックリドリーは指摘にドキリとして咀嚼を止めた。齧りかけの丸パンをテーブルに置いて祖母を見る。


「…………それも精霊に聞いたの?」


 祖母はしっとりとした口元でああそうだよ、とうなずいた。


「みんな心配してるよ、リドリーはまた揶揄われたんだって」

「きっと一生懸命になるからいけないんだ」


 泣けば泣くほど、あいつらは面白がる。だからもう、僕は二度と一生懸命にならない。虚ろに生きる。そう誓うと祖母が目を細めてしいっと人差し指を立てた。

 心をすっと予感のようなものが駆けめぐる。


 こういう場合は大抵——


「いるの、精霊が」


 目を丸めて問いかけると、祖母が大きな耳をそばだてていた。

 ええ、そうかい。そうだね。そんな風にゆっくり会話を楽しんだ後、大切な絵本を読み上げるようにこういった。


「リドリー、精霊がみんないってるよ。大事なもののために一生懸命になることの何が悪いのってね」


 精霊ってふざけてるのか真面目なのか良く分からない。それなのに核心をつくようなことを時々いってくるから困りものだ。


 スタックリドリーは食事を終えるとリビングと斜向かいの自室にこもった。

 いぶし銀の燭台を灯すと机の上に年代物の日記帳を開いて、インクをたっぷり吸わせたペン先を走らせる。今日の出来事を劇画調にたんまり書きつけると、頭上に掲げた。


「よし、出来た」


 日記とは名ばかりのほとんどフィクションのような一日を眺めながら、独りごちた。ケンカで勝ったなんてどういう嘘だろう。日記の意味分かってる?


「あっ」


 自嘲気味に腕を下げると日記が弾みでふぁさっと床に雪崩れ落ちた。

 イスから降りて拾おうと手を伸ばすと、日記のページが風にめくれる。


 思考が停止した。今は風なんて吹いていない、薄地のカーテンも揺れていない。もしかするとそう。やっぱりいるのか、いたずら好きの彼らが。

 日記はぱらぱらとめくれて、あるページでぴたりと停止した。


「やめろよ。プライバシーの侵害だぞ」


 姿の見えぬ誰かにそういって、開いたページに視線を落とす。スタックリドリーは言葉を失して目を見開いた。

 父と母が亡くなったあの日のページだった。


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