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『巴蜀戦記』  作者: 昇龍翁
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第2章

【第二章】

 各地の城を次々と制圧し、綿竹関・剣閣も、難なく制圧した須哩。そして涪陵郡の中心、涪陵城の攻略に移る頃、他州の動きは激しさを増した。

 まず、西涼の馬騰陣営が池陽から関中へ。ついで荊楚の劉備陣営が夷陵から江漢の西へと兵を進める。関中と江漢を接続する山都は、馬騰・劉備の両者の攻略の末、劉備側が支配下に置いて守りを固めた。その頃、江漢の東部・皖口を抑えた孫策陣営は、劉備陣営との共闘を宣言した。北の方では西涼と河北をつなぐ蒲子を、西涼の一勢力が確保。両軍の睨み合いが始まった。

 山東の曹操陣営と巴蜀の劉璋陣営は、未だ資源州への進出はしていない。


 西涼と荊楚・江東がいち早く中原へ兵を進める中、須哩は丁寧に州内の開拓と空き城の管理を進め、その力量は全土でも上位にあった。

「我らは武闘を好むわけではない。民のために着実に巴蜀の発展を第一としよう。この地の利点は守備に優れていること。この特色を確実なものにしてから手を広げよう。」

須哩の方針は揺らがない。

 西涼との接点である陽平関は、西涼が抑えているが、長年の信頼関係もあり西涼から巴蜀への侵攻の気配はない。ただ一方で、中立を約していたはずの荊楚の一陣営が、巴蜀と荊楚を繋ぐ、沙渠への侵攻の気配を見せていた。

「戦を自ら求めるつもりはないが。」

「しかし、攻められたら退けるしかありませんな。」

「うむ。準備を進めましょうか。」

 荊楚が一枚岩となって巴蜀へ攻め込むのであればそれは大いなる脅威であろう。しかし、幸か不幸か、荊楚の足並みは、巴蜀のそれには及ばない。荊楚主力が江漢・関中での戦争に出ている中、残った一勢力が巴蜀に手を伸ばしたとて、どれほどのことがあろうか。

 須哩の軍勢は、そのゆとりをもたらすほど、増強されていた。ちょっとやそっとで、崩される我らではない。

 先程の穏やかな作戦会議も、その自負あればこそ、である。厭戦や無関心ではない。いつでも戦う準備はできている。

「沙渠手前に城を築いて守りを固めましょう。」

「うむ、城と沙渠の間に柵と櫓を建てて強度を上げましょう。」

「城後ろに諸将の幕舎を配置すれば、兵站を途切らせることなく、十分に防衛できましょう。」

 多くの経験から生み出された策が、次から次へと提案される。互いの思いを尊重する雰囲気が軍勢内で浸潤しているので、どの将も闊達に意見を述べることができる。そして、他の者もそれを理解しようと真摯に耳を傾ける。この相互尊重が須哩の強さの根底を支えている。


 他州の動きへの備えを考えながらも、州内の開発にも滞りがない。ついには涪陵郡の郡城・涪陵城も難なく手中に収めた。その力量は全土で高く評価された。この頃より州内制圧の速度が格段に上昇する。全ては諸将の真摯な努力の賜物である。

 巴蜀には、もう一つ活発に活動する軍勢がある。常滑である。須哩に比べると小さな軍勢であるが、真剣に巴蜀開拓に取り組んでいる。自力で一つ小城を制圧した。しかしながら中規模城を制圧するには、兵数が不足していた。そこで須哩へ援軍を要請することになった。

 もちろん惹州公は快諾。諸将からも一切の不平不満はない。全ては巴蜀の民の為。援軍にも精鋭が多く名乗りを挙げた。


【章末】


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