だるまさんがころんだ
今まで怪異は見た目は恐ろしいものの見てみれば人間と変わらないんだよ、という物語を書いて来ましたが…今回の作品は怪異とは分かり合えない、大きく違っているという不気味さを感じてもらいたいなと思って書き上げました。プロットもなく、中途での完結ですが…この設定を使って、もう一度ストーリーを作り上げるのでどこが違うのか?文章体の違いや主人公の性格の違いなどを比べながら読んでいただけると嬉しいです。また、私が小さい頃に好きだった音楽を参考にしながら作っています。
みーんみーんとセミの鳴き声が煩い。でも、アイスもあるし、エアコンも涼しいし、夏休みがあるから私は夏が好きだった。
お気に入りの麦わら帽子をかぶって、境内の石造りのベンチに腰掛けて虫取り網を振り回す男の子達を眺めていた。今日はくみちゃんがいないし、しかも今日に限って虫取りだった。
黄色や白、アゲハ蝶…色々な蝶々が飛び回っている。翔太と葵と理玖は今度、翔太のおじいちゃんにカブトムシを取りに連れてってもらえると言っていた。
私は虫がとても苦手だ。うようよと地面を這う芋虫もそうだし、どうしてかカブトムシも蝶も苦手で今日はあんまり楽しくなかった。葵ちゃんは女の子なのに二人と一緒に虫を捕まえれて楽しそうだ。
まん丸のメガネをした短い巻毛を揺らして楽しんでいる。
翔太の手には顔よりも大きい茶色の目のような模様のついた蝶がいた。
「すげぇだろ!じいちゃんに自慢できる!」
そう、翔太はにっと笑って言った。私は気持ち悪くなった。葵や理玖も呆気にとられていた。翔太はそれを虫かごに詰め込み、自慢げに笑った。
「虫取りは終わりな。次、違う遊びしようぜ。」
と、言った。
私はこくこくと頷く。
「違う遊びしよ。私も次は一緒に遊ぶ。」
そう言って同意した。
「それじゃあ、だるまさんがころんだしよう。」
あれ、と思う。誰の声だろう…と思って私は顔を向けた。そこには見たことのない子が立っていた。白いTシャツに茶色のズボン。
ここら辺に住んでいる子なら皆んな知っているのに、この子の事は知らない。
「大切なものは預かってるよ。」
男の子は自分たちよりも大人びているように見えた。声がそうなのか、喋り方がそうなのか分からない。
でも一体大切なものってなんなのだろう…私は首を傾げた。そして、やけに静かな3人の方を振り返って固まった。
体が力を失ったように背が丸まり、膝が曲がっている。顔はぽかんと口を開け、空を見ている。全員が同じような格好をしているのだ。
「え?皆んなどうしたの?」
誰も返答はなし。ゆらゆらと体が揺れている。
「それじゃあ僕が鬼ね。」
そう、気味の悪い男の子が言った。だんだんと恐怖が優っていく。この男の子が皆んなをこんなふうにしたんだ…
男の子はスタスタと歩いて、しめ縄の巻いてある太い神木を向いた。
「それじゃあ始めるよ。」
そう言った時には、皆んな私と同じくらいのところまで音もなく近づいてきていて、私はぞっとした。声にならない悲鳴をあげて男の子の後ろ姿を見る。
翔太達とは住んでいる家が近くて、同じ小学校に通っている。小学校二年生で、同じクラスだった。あまり人数が多くないため、同じ学年のクラスは二クラスしかない。一年生の時も翔太達とは一緒でその時から一緒に放課後遊ぶようになった。
汗がじっとりと吹き出してくる。皆んなを助けるには、かたなきゃいけない。そう思っていた。
セミの鳴き声がする。涼しい風が吹いている。だけど、目の前にいる怖い男の子はだるまさんがころんだを実行しようとしていた。
「だるまさんがころんだ」
ちゃんとした発音で、ゆっくりとそう言った。周りの皆んながゆらゆらと動いてその男の子に近づいていく。私はごくっと唾を飲んで、じっとこっちを見てくる気味の悪い男の子を見つめる。
だるまさんがころんだ
私は足をもつれさせて、酷く転んだ。うめき声をあげるまいと唇を噛み締める。
男の子は翔太や葵や理玖、そして私を見る。
だるまさんがころんだ
私は起き上がって、男の子の方にゆっくりと転ばないように近づく。その時だった。ゆらっと葵がふらついた。男の子は振り返って葵を見る。そして、楽しそうに口元を歪める。人間がするような笑顔じゃなかった。まるで、自分の体と合っていないパーツを動かしているように見えた。
「葵ちゃん」
そう男の子が言うと、葵はふらふらと男の子の元へ歩いていく。そして、男の子に触れられると、ぶるっと震えて、地面に人形のように倒れた。体が変な方向に曲がっている。それを男の子は直して、木にもたれかけさせ座らせた。
だるまさんがころんだ
葵の目は白目をむいていた。口は力無く開いている。私はぶるっと震えた。
時間が経つのがとても遅いように感じる。
ぽたっと汗が肌を伝って地面に落ちる。捕まったら、葵みたいになっちゃう。
緊張がさらに募った。
だるまさんがころんだ
私は男の子を見た。男の子は私達を見た。そして、口元を歪ませる。
恐怖からか、緊張からか私の脚はガクガクしていた。
だるまさんがころんだ
ふらっとして私は転んだ。足の力が抜ける。転んだまま私は飛んでいく麦わら帽子を目で追った。
だるまさんがころんだ
私は起き上がって、どうにか距離を縮めようとする。だけど、距離は全然縮まらない。こんなに遠くなかった。それどころかどんどん私達の距離が離れている気がする。
だるまさんがころんだ
翔太が派手に転んだ。どきんと心臓が変に鳴る。
「翔太くん」
翔太はふらふらと男の子に近づいていく。男の子が翔太に手を触れると翔太の体が変に震え、地面にまるでさっきの羽を失った蝶のように落ちた。体が震えた。涙が滲む。
その時、ざわざわとまるで周りの木々が生きているかのように左右に揺れた。コーと空気を吐き出すような変な音があたりでする。
男の子の目の色がグルンと変わる。さっきまで普通の目立ったのに、今は白い部分がない。真っ黒な目になっている。
男の子の足元の影が変な形をしているのが見えた。
だるまさんがころんだ
私は動けない。体が固まってしまった。これ以上、前へ進めない。怖い、とっても怖い。
嫌だ進みたくない。
だるまさんがころんだ
理玖が私の数歩先を行っている。理玖が進む。
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
まるでかごめの歌のように、知らない子供達の声が周り中からし始めた。鼻歌のような歌が不穏に響いている。
だるまさんがころんだ
理玖がよろけた。男の子が振り返る方が早かった。理玖を見て、口を大きく開けて笑う。真っ黒な空洞だった。
「理玖くん」
理玖の体はその場で崩れ落ちた。男の子の変な影が地面に広がり、理玖の影へ繋がったかと思うと、理玖はずるずると頭から引きずられ始めた。
嗚咽が漏れそうになる。
理玖の体は木の枝に引っ掛けられ、風でゆらゆらと揺られていた。
だるまさんがころんだ
もう私の足が動かない。体自体が動かない。擦りむいたところがズキズキと痛む。
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
鼻歌のように聞こえていたものがだんだんと形を持っていく。
はやくしないと連れてっちゃうよ
だるまさんがころんだ
はやくしないと首切っちゃうよ
だるまさんがころんだ
はやくしないと食べきっちゃうよ
だるまさんがころんだ
だるまさんがころんだ
どきんと心臓が鳴る。ぎりっと奥歯を噛み締める。
このままじゃ3人は帰ってこない。鬼ごっこも、ここで遊ぶのもすべてなくなっちゃう。
だるまさんがころんだ
私は動いた。前へすすんだ。どうにかこの距離を縮めたい。
だるまさんがころんだ
翔太は生意気だけど、優しいところがある。一歩前へ進む。どうにか前に進めた。
だるまさんがころんだ
葵は運動神経抜群で抜けているところがあるけど、一緒にいてとても楽しい。もう一歩前へ進んだ。
だるまさんがころんだ
理玖は意地悪だけど、私達と一緒にいなきゃいけない存在だ。もう一歩進めた。
もう擦り傷は痛くなかった。痛みなんて感じなかった。
だるまさんがころんだ
もう怖くない。全速力で私は駆けた。男の子まであともうちょっと。顔がこちら向く瞬間、私は男の子の背に触れた。冷たくて、コンクリートみたいな体だった。
その時だ。
皆意識を取り戻した。ハッとして立ち上がり、一斉に走る。全速力で男の子から離れる。焦りと恐怖がみんなの顔に見える。私達は男の子から逃げるように走る。
「……止まれ」
と、男の子の声がすると私達の体はぴたりとうごかなくなった。動くのは顔だけだった。男の子が近づいてくる。一番近いのは私だった。
私の前でぴたっと制止した。
黒い空洞の三つ開いた顔が私を見つめる。ニコッと笑ったかと思うと、音や風が制止した。
「日が暮れるからもう帰ろう。」
そう男の子が言った。ミーンミーンとセミの煩い鳴き声が戻ってくる。鴉の鳴き声もする。
もう空が赤くなっている。
男の子の顔が元に戻っている。
私は体の力が抜けて、どさっと座った。気づくと男の子は消えていた。
一体…なんだったのだろう。私はぼんやりと地面を見つめていた。
あれから変な目には合っていない。皆、記憶にないみたいで、唯一地元から出て高校に通っていた私は久しぶりに会って話をした時にそれを痛感した。直後は皆、覚えていたのに…
私はそれにまた気味悪さを覚える。確かにあれは本当にあったことなのだ。でも、それを作り話としてまともに受け取ってもらえない。
あれ以来、私はあの神社に近付いていない。近寄る気もない。
私はため息をついて、皆と別れる。親の都合でこの地域を離れたが、それでよかったと思っている。私としてはこうして、たまに祖父母の家に帰ってくるのも嫌なくらいなのだ。
今はちょうど夏休み。祖父母の家には、他の従兄弟がやってきていた。父の弟の子供が3人。3人とも男の子で、一番上は中学生。二番目は小学五年生。三番目は小学二年生。
私はゲームをしている従兄弟、涼太を睨め付けながら、二番目と三番目の颯太と瑛太の面倒を見ることになった。
「結花姉ちゃん。俺、牛丸モールに行きたい。」
牛丸モールとはバスで片道1時間近くかけて行く田舎の遊び場だ。祖母からもらったお小遣いを握りしめて、颯太はキラキラとした目で私を見て言ってきた。一人っ子であり、年下に弱い私はため息をつく。
「……瑛太はどうする?」
「僕はいい。」
そう言って瑛太は本を読んでいた。私は涼太へ目を向ける。
「涼太。瑛太の面倒見ててよ。」
あーい、と生返事が返ってくる。私は涼太の前に行き、ゲームを取り上げて言い聞かせる。ちゃんとした返事が聞こえたので、涼太が瑛太の面倒を見てくれるだろう。
そう信じて、祖父母宅を出る事にした。祖父母は自治会の集まりやら、畑仕事やらでいないので、私が保護者だ。
瑛太を連れて、モールへ行くことにしたのだった。
嬉しそうにバスの隣の席に座っている瑛太はモールで買ってきたものを抱きかかえていた。私は欲しかった本を手に入れた。
文学系に大学は進もうと考えているので、今は明治時代に名を馳せた文豪達の本を片っ端から読んでいるところだった。
しばらくすると隣から寝息が聞こえ始めた。口から涎を垂らし、眠っている颯太を見て目尻を下げる。兄弟がいないからこそ、小さい子は好きだ。どうしてもわがままを聞いてあげたくなってしまう。
それに…と思った。
私は自分の親のことを思う。
一度もまともに家に居なかったうちの両親。高校に入って、私はいよいよ一人暮らしに近い生活を行っていた。休日だって…彼らにはないも同然。生活費は口座に入ってくるものを下ろして使っている。
いつかもし、私が家庭を持つなら、自分の子供にそんな思いはさせたくない。
ふっと顔をあげて、バスの外側を眺める。田舎の長閑な光景。黄昏時。夏というのも相まって、嫌な思い出が浮かんできた。さっきまで、嫌なことを思い出していたからだろうか…
あの空虚な空洞。子供達の不穏な歌声。ざらりとしたアナログのテレビに映し出されるように、私の記憶に流れてくる。
あぁだめだめ。
私は隣に眠る颯太を引き寄せて、閑散としたバスの少ない乗客へ目を向ける。遠出帰りのおしゃれな老婦人。スマホをいじり、周りには興味なさげにしている女子中学生。大きいお腹の女性。バスの運転手は少し疲れているのか、時計を気にしながら運転している。
彼らの行動を眺めながら、私は時を過ごす。所定のバス停が間近に迫ってきて、颯太を揺り起こす。眠い目をこすりながら、私の手を頼りに寝ぼけ眼でバスを降り、帰路につく。
セミの鳴き声を耳にしながら、帰っていると、それ以外にも音が聞こえてきた。誰かを呼ぶ声。それが聞き慣れた声ということに気づくと、ぼんやりとしていた思考がだんだん鮮明になってきた。
涼太の声だ。
「涼太!」
私がきょろきょろとして、叫んでいる涼太に声をかけると、涼太は私を見て体の力が抜けるほど安心したように近づいてきた。
相当焦っていたのだろう。
「瑛太がいなくなった…ほんとにちょっとだったんだ。ほんとに少しの隙に…」
そう言う涼太を見て、私はうめき声をあげる。ちょっと?ちょっとの間で本当にどこかへ行ってしまうものなのだろうか?
苦々しい思いを抱えながら私は涼太に尋ねる。
「お婆ちゃん、お爺ちゃんは?」
「まだ帰ってきてない…」
「電話はしたの?」
そう聞くと、ハッとした顔で私を見つめた。
「まだしてなかった…」
私は呆れ半分、怒り半分で涼太を睨め付ける。だが、今はその時じゃない。眠そうな颯太を涼太へ預けると、私は二人に連絡するように言っておいた。
「いい?くれぐれも、颯太からは目を離さないでね」
そう言うと涼太はこくっと頷いた。
「私も探してみるから…何かあったら連絡して」
私は涼太から離れて顔を引き締める。
嫌な感じはしていた。まるで、あの日の再現のようで。天気、時期、そして年齢。
もしこの嫌な不安が蛇足に終わっても、あの山はこの辺唯一の遊び場みたいなところだ。周りの鬱蒼とした山々に入る子供は少ないし、子供が行くとしたらあの山だろう。
ぐっとスマホを握りしめ、私は歩を進めた。
ずらっと並んだ石段を見上げて、私は一歩、また一歩と上へと登っていく。風によって、周りに植えられている緑がざわっと揺れる。朱色の鳥居を見つめると何故かその鳥居が歪んだように感じられた。
ぱっと目を離し、上へ登ることに注力する。子供の足でも登れる場所だ。そこまで高くはない。ただ、何故かあの日みたいにとても長く感じられた。こんなにかかるはずない。
顔を上げて、鳥居を見て距離を確認してまた登る。だが、次に顔を上げて確認しても距離はまったく縮まっていない。
「もう…なんなの」
と、愚痴を吐く。どうにかして登らなきゃ行けない。一度私を招いたのだから、私も行く権利はあるはずだ。
そう強く思って、一歩進もうとした。
風がざぁと吹き、目を開けられなくなる。周りでは植物が揺れる音が聞こえた。はっとして目を開けるとそこは一番上の段だった。
朱色の鳥居を気づくと私は通っており、目の前にはいつもよりも、私がちっぽけに見えるほど大きな社が建っている。
「どうして…」
唖然として、社を見つめていた。
その時、子供達の声が聞こえた。我に帰り、私はいつも遊んでいたあの場所へと向かう。
まるで、自分が小さな子供になったように感じる。目線が低く、手足は小さい。
私があの場所へ向かうと、そこには大量の黒い子供達の影が手を繋ぎ、ぐるぐると円を描いて回っていた。その中には…瑛太がいる。
「瑛太!」
私は駆け出す。黒い子供達にあたる…そんな事など考えずに一目散に走る。その視界の端で、瑛太の怖がる姿を見て、楽しそうに笑う神木の枝に腰掛ける子供の姿が見えた。
私は胸の前で腕をクロスし、黒い子供達に体当たりをした。感触は奇妙なものだった。体重がないように感じられる。黒い子供達に触れたところは黒い物がつき、途轍もない異臭がした。私は顔を引き攣らせる。ぎょろっと黒い目が私に向けられる。
あまり身長の変わらない瑛太を引き寄せ、私は守るように瑛太を短い腕で抱きしめる。
それは怒号のようだった。風、木々の揺らめき…その音がまるで、唸り声をあげるように感じられ、私は恐怖で目を見開いた。
黒い子供達が得体の知れない言葉を口にしながら、私に手を伸ばそうとしてくる。私はその手を払いのけるようにして、瑛太に触れさせないようにした。
自分の何がそこまでの力を持たせたのかはわからない。でも、瑛太は必ず守ると、そう私は心のどこかで自分を信じていた。
ぐるぐると視界が周り始める。世界が回っているように感じられる。気持ち悪くなってくる。しかし、視界が回り始めると同時に、周りの黒い影が外に飛ばされるように消えていった。
気持ち悪さと、回る視界はまるで嘘のようにおさまった。なのに、さっきまで回っていた感覚が抜けなくて、体と意識が相反している。
「…………今の大切なものなんだね」
と、子供の声が聞こえた。子供の声の癖に、妙に大人びた声。そうだ。これだ。私の悪夢の根源。
すたっと着地する音もなく、神木の方から威圧感のある存在が近づいてくる。そう本能が警告をしてきた。
ぶるりと鳥肌が立ち、脚の力がなくなってぺたりと尻餅をついた。
音もなく、まるで人間の真似をしているかのような奇妙な足取りで、私たちの前へ近づいてきた。
どこにでもいる、印象の薄い子供の姿。それなのに、この威圧感は…
「……一纏贄逃子…唯……」
まるで意味を成さない言葉が私の耳に入ってくる。言葉じゃないようなそんな気がした。
子供は私達と50センチほど離れた位置でピタリと止まった。子供の黒い瞳に黄昏が映し出される。
「日が暮れるからもう帰ろう。」
あの日と全く同じ声、同じ口調、同じ時間帯で同じ言葉を口にした…
それからどうやって帰ったのか曖昧な記憶になっていたが、私は瑛太を背負って家に帰っていた。涼太が連絡したからか、涼太たちの父や祖父母が私達の帰りを待っていた。
涼太たちの母も遠くから帰ってくるようだ。
扇風機の音。網戸から流れてくる生暖かい風。テレビのバラエティ。机の上のつまみと開けてあるビールの缶。赤い顔の酔っ払った涼太たちの父。
笑顔を浮かべながら、私の方を見て言った。
「本当に今日は死ぬ思いをした。ありがとう結花ちゃん。」
何度もさっきから感謝を口にされていた。私は自然な微笑みを浮かべた。
「もうさっきから何度も聞いてます。」
あはははと、父によく似た顔で豪快に笑った。うちでは一度も見たことのない顔。いや、別人だから関係ないか。
祖母が冷えたスイカを持ってきた。
「これお食べ。」
私はスイカに手を伸ばす。そして、咀嚼しているとドドドッと涼太たちがかけてきた。
「こらお前達…」
と、叔父は彼らを叱り付ける。
いつもの如く、瑛太は迷子になった時の記憶があやふやだ。何故、私だけがこんなに覚えているのか。
「…………それにしても、結花ちゃん綺麗になったなぁ」
と、叔父は言った。祖父がそれに便乗して、同意する。
「じいちゃんも鼻が高いよ。お前、結花はユエさんにそっくりじゃないか?」
そう言ってきた。私は目を瞬かせる。
祖母は私の顔をじっと見つめると、ゆっくりと頷いた。
「確かに…もう少ししたら、そっくりになりそうだね。」
そう言って、にこりと笑った。
祖母はここから遠く離れた場所に住んでいたが、祖父との出会いでこちらの方に住むことにした。元々、どこかの旧家のお嬢様だったらしく、その家の古いご先祖様にユエという先祖がいた。
旧家の跡取り娘というわけではなかったが、祖父は祖母の父に系譜や歴史を覚えないと結婚させてくれなかったため、色々と知識があるのであった。
それゆえ、昔から祖父は孫の私達の前で自分の昔話を語るのが好きで、その中にユエという人がいた。何度も話されていた話だからよく覚えている。
昔、祖母の家の先祖の中に花に喩えられるほど美しい姫がいた。求婚者が絶えず、悲恋の末、壮絶な末路を辿ったと。そんな話を聞いた。
そんな人に似てると言われてもあまり嬉しくない。
それに、友達によく言われるのは、愛想が悪くて顔が良いから何倍も性格が悪く見えるとのことだ。そんなこと、人に言われなくてもわかっている。
その日の夜。私は不気味な夢を見た。水面を揺蕩っているような感覚。しかし、私はそこに足をつけて立っていた。
そこは昼間の神社の境内。
「結花ちゃん」
そう私は名を呼ばれた。
その声は葵の声だった…ような気がする。頑張ってそちらを見ようとするが、どこにも葵の姿はない。
「結花ちゃん」
次に聞こえたのは、瑛太の声。だが、瑛太は私をそう呼ばない。その途端、得体も知れない恐怖が襲ってきて、周りを見渡した。
その時、ふふふと忍び笑いが聞こえてきて私は身震いした。
「………希少な子。結花」
今度ははっきりとあの子供の声がした。
私はその子供がどこにもいないことに気づいた。
「また、もう一度ここへ独りでおいで。」
私は顔を引き攣らせた。
「嫌よ。」
そうはっきりと答えた。意識はふっと水の中に絵の具を垂らしたように揺られ、その夢の内容すらはっきりと思い出せなくなっていた。
しばらく祖父母の家で夏を過ごし、仕事の手伝いをしながら、涼太達を見送った。家に帰っても、生活は同じだ。夏休みが終わるぎりぎりまで私はここで過ごすことにしていた。課題はすでに完了している。
しかし、あれ以来何かと私は神社へ行くように仕向けられる事が多くなっていた。祖父母の手伝いと称して。近所の人の頼みや、祭りなど。
だが、どれもきっぱりと断っていた。なにか得体も知れないものが偶然を装っているかのような感覚。
私は恐ろしく感じていた。しかし、家に帰った時の孤独と、この恐怖と。どちらを天秤にかけてとるかと考えると答えは見えていた。
ついに最終日。
「おばあちゃん。私、高校を卒業したらこっちで暮らして良い?」
そう尋ねていた。
「そうねぇ…大学なんかはどうするの?」
聞かれて私は唸る。成績優秀で文句のつけどころのない私の日常生活を見れば、推薦で結構良いところはいける。私の行っている高校は地域の名門女子校だから。
最初は親の注意を引くためにとっていた好成績も意味を成さないと知った今も板について続けていた。
「………さぁね。」
そう呟いた。
「………」
何を言いたいのかは分かる。多分、親はお金だけは出してくれるだろう。どこへでも好きなことを好きなようにやりなさい、と。だが、関心を示してはくれない。
それがどれほどの孤独か。
私の選択もそれにかかっているとそう祖母は言いたいのだろう。まぁ間違いではない。
「……昔の方が幸せだった。」
こっちにいた時の方が断然幸せだった。それは何よりも祖父母がいたから。
翌日、私は用意を終え祖父母に手を振る。明日には学校が始まる。深夜ギリギリといったところだろう。
私は家を出て、バス停へ向かった。駅に向かうバスに乗り、しばらく来れない景色を眺めていると違和感に気づいた。バスが向かっているのは駅ではなく、先ほど乗ったバス停なのだ。
私は目を剥いて、バスの行き先を見つめる。バスの行き先は私が先ほど乗ったバスと反対方向になっていた…
急いで降りて、数時間待ってまた次のバスに乗る。だが、しばらく行っても同じところでまた、反対方向のバスに乗っている。
意識が遠くなるのを感じた。
そこでふと思い出した。
「…また、もう一度ここへ独りでおいで」
と、そう言われていた。
私は行きたくないと思いつつも、変わらない結果と、現状を見て、行くことに決めた。
今日はまるで普通の神社のような姿をしている。階段も記憶の通りだったし、参拝客も普通にいる。
鳥居をくぐるとちょうど参拝客がお辞儀をしてこちらへ帰ってくるところだった。これが最後の客なのだろう。神主の姿は見つからない。
まるで、誰もかもを追い出したかのように私が入った途端ぴたりと人が来なくなった。
しばらく待っても誰もいない。私はくるっと元に戻ろうとしたが、笑い声が聞こえて振り返った。
神社の社の賽銭箱の上に腰掛けて足を揺らす少年がそこにいた。今日の私の姿はいつもと同じ姿だ。
「一纏■贄逃子△唯」
そう言った。また脳が理解しようとしない。
「…………何故、帰してくれないの?」
そう私は尋ねる。殺しもしない。ただ、恐怖を味合わせる。一体何がしたいのだろう。一体私をどうしたいのだろう。
「本当に帰りたいの?」
そう子供の無邪気な声が聞こえた。あまりにも自然な声に鳥肌が立つ。
「……えぇ…本当に帰りたいの。」
そう言った時だ。私の昔の記憶が流れてくる。胸が孤独と不安と悲しみと絶望で埋め尽くされた。
本当にあの家に帰りたいのか…?自分の言葉は本当なのか?疑わしい思いがぐるぐると頭の中を巡る。
ふっと顔を上げて、目の前を見る。
そこにいるのは何処にでもいるような普通の子供。ふらふらと私は自分の意識外で、その子供に近づき始めた。
おいでおいでと手招きをされているようだった。
子供の手が伸びる。その手を私は掴むように手を伸ばした。その瞬間、ぐらっと視界が歪んだ。まるで眠りに落ちるように意識が落ちる。
目を開けるとそこは、木でできた床と壁と天井の正方形の部屋だった。窓はない。しかし、私の目には部屋中に夥しい白い繭が張り巡らされており、私の手元に何かがあたったのが分かった。
……子供の靴。
繭はさらりとしていて、触り心地は滑らかだった。
部屋中を見渡す。私はあの子供の手をとってしまった。心の隙につけ込まれてしまったのだ。ここからどうやって逃げるのか…どうしたらここから去れるのか。
どくんどくんとまるで心臓が破れてしまいそうなほど早く強固に心臓が鳴る。
頭ががんがんする。吐き気がする。どうにもできそうにない。視界がぐるぐると周り、多分パニックを起こしている。
その時だ。
壁の繭からすっと雲をくぐるように、何の音もなく真っ白の着物を着た大きな…とても大きな何かが入ってきた。袖から見える肌は死人のように白く、白の着物から流れるように落ちる漆黒の黒髪は絡まっている。そして、何より私を恐怖におとしめたのは、何かの顔だった。布でできているのだろうか。朱色と山吹色でできた絞り飾りの蝶のようで、口元にあたる部分には舌のような部分が見えた。
瞬時に私はそれが見てはいけなかったものだと理解した。体が恐怖のあまり、震えてしまう。そういえば、西洋の神は見ると恩恵を授かれるが、東洋の神は見る事が禁忌とされているのだ。
人から大きくかけ離れたこの姿を見て、人間が正気でいられるなんてありえない。人間の生物としての本能的な部分が、狂えと強く念じてくる。
涙が、汗が…溢れて止まらない。底知れぬ震えと冷えが私の体を襲う。
唇が震え、恐怖が息として溢れてきた。
恐怖のあまり目が閉じられない。
ゆっくりと近づいてくるそれを目を見開いて待っていた。
壊疽したような黒い爪の死人の手が近づいてくる。顔は左右に揺れ、人とは明らかに違う奇怪な動きをし、私の前に来た。
目の前に来た時、改めてそれの巨大さを理解した。手が顔に伸びてくる。躊躇なく、大きな手がまっすぐと。
顔に触れかけた時、手がぴたっと止まった。まるで痙攣かのように体をぶるぶると震わせ、その腕を引っ込める。
「人□贄魎…」
中性的な人とはかけ離れた声。
そう言って震えを止めた。顔をぐっと近づけて来て、私は息が詰まった。
背後から二本の腕が現れ、ぐっとそれの体を引き留めた。
それはすっと自分の手を伸ばし、手の中に現れた白い幼虫を私の首に押し当てて来た。その瞬間、激痛が走った。悲鳴のような音が漏れる。皮膚の中をモゾモゾと何かが動いている。
痛い…気持ち悪い…出して…
喘ぎながら、自分の首を締め付けるように私は手を伸ばす。呼吸がしにくい。
けほっと何かを吐き出し、意識が落ちていく。
目を開けると、そこは何処かの縁側だった。黄昏時。暑さが和らぎ、風が心地よく私の髪を靡かせる。何処かで猫のような鳴き声が聞こえる。
私はその心地よさに微睡ながら、体を起こした。猫の声はどこからするのだろう。私はきょろきょろと辺りを見渡して猫の声の元凶を探そうとした。縁側の下側から聞こえるのか。
そう思って、私は縁側から下を覗きこむとそこには、猫とは似つかない不気味な化け物姿があった。
「ひぃっ」
悲鳴をあげてずりっと後に下がると、ケタケタと耳障りな笑い声が聞こえて来た。化け物がのそっと縁側から出て来て、パキパキっと関節を鳴らしながらみるみる知っている姿になっていく。
「変な顔…」
そう言って私を指さして来たのは、あの私を悪夢に誘い込んだ根源の少年であった。
目の前に出された茶菓子と茶の入った茶飲みを見ながら、私はぴくともせず、膝を抱えて隅にいた。少し離れたところには私のことを興味深くあの黒い目で見つめてくる少年がいた。
「黙ってても良いけど、どうしてここへ連れて来られたのか疑問には思わないの?」
そう少年は口を開いて聞いて来た。
まるで器に合っていない何かが少年の体の中に入っているかのように感じる。言動に伴わない容姿。そして、人とは思えない奇怪な表情。
「………」
私は出来る限り視界に入れないように目線を逸らして畳を見つめていた。
「その虫は痛むかい?」
そう聞かれた途端、私の首を何かが這う感覚がした。悲鳴をあげて、首を掻きむしる。
抑えた笑いが聞こえて、私はぎっと少年を睨んだ。
それを見ると少年はニヤニヤとあの空洞の口を開け、こちらを見て言った。
「ほら…やっぱり違うんだよ。」
少年が立ち上がって私の方に近づいてくる。私は震えながらも、気丈に振る舞うべく、少年を睨みつける。
少年はその手を私の首に伸ばして来て、私の首をひと撫でする。その途端、痛みや不快感はぴたりとやみ、何も感じなくなった。
その冷たい手を離し、ね?と少年は言った。
じっと私は少年を警戒しつつ見て、首に触れる。何もない。
「これは…何?」
距離をとった少年から目を離さないようにし、そう恐る恐る尋ねた。
「…………それは蚕。纏■目が体に入れたんだ。」
今…聞き取れなかった。たまにでるこの聞き取れない用語はなんなんだ…それよりも
「体に入れた?どうやって出せば良いの?これ…」
そう声を荒げて言うと、少年は口角を上げた。
「あまりお勧めしない。蚕は取り出そうと皮膚を切り開けば開くほど、奥へ入っていくから。最終的には心臓に潜り込んで、激痛と共に死んでしまうよ。」
冷水を頭からかけられたように頭が冷えて来た。
どうして…
「どうして私をここに連れて来たの?」
少年はニタリと笑うと手を叩いた。
左右へ瞳孔を動かし、私を見た。
「またもう一度ここへ帰って来てくれたから。」
私は引き攣る顔をどうにかして、押し留め動揺していないふりをした。
「私を捕まえてどうにするつもりだったの?」
少年は口を開いて、空洞を見せた。その途端、子供の細い小さな手が空洞から見えて悲鳴がこだまして私の耳にも届いた。
「今はその風習が無くなってしまったけれど、昔ここは間引きされた子供が生贄として捧げられていたんだ。それを今は自分が率先して行っているだけさ。」
そうニコニコと笑って話している。私は怖くて震えながら少年を見つめていた。
少年はピタッと笑顔を止めると、無表情になった。子供の顔とは考えられないほどの表情。
「……それなのに」
少年の口から無数の子供の声が一斉に吠えた。私の顔に強風が当たり目があけていられなくなった。
私はじっと少年を見つめた。それなら何故私は今生きているのか。他の子供達と同じように本当ならとっくに少年の腹の中に入っているのだろう。
少年はまるで私の心の中の声が分かっているかのように、私の方を見ていた。だが、答えは返ってこなかった。
「結花は二度とここから出られない。これからここで一生…過ごすんだ。」
そう呟いて、少年は部屋を出て行った。
私は震える唇を噛み、息を吐き出した。
ここは和室の一室。先ほどの縁側があった部屋の隣の部屋にある。ちゃぶ台と座布団が用意されていて、その他には何もない。まるで即席で作った部屋のようだ。
一人になった途端、どっと疲れが押し寄せて来て私は横になった。膝を抱えてゆっくりと眠りについた。
何回目覚めて、何回眠っただろうか。排泄も必要なくただ、飢えと渇きを感じていた。かさかさになった唇。油っぽい髪。
私は久しぶりに体を起こして、立ち上がった。
私を動かしているのは人間の中の最も重要な要求の一つ。食欲。あの少年が出て行った方向の扉を開けると廊下に出た。長い廊下の扉の反対側は中庭になっており、ガラス張りの窓がずらっと並んで暗い夜の庭が見えた。部屋から出るとエルの字の形で廊下がつながっており、私は長い廊下の方を選んで歩いて行った。
よろよろと歩きながらふすまを乱暴に開けていく。ほとんどが何もない空室で、たまに開かない襖があった。
私はまっすぐ進み、煌々と電気がついている部屋を見つけた。そこへ足を踏み入れると、そこは和作りのキッチンだった。四人がけのテーブルと、部屋をぐるりと取り囲むようなキッチン台。私は冷蔵庫を見つけ、指をかけて勢いよく開けて中を見る。
まるで猛獣か何かのように中のものを貪り、私は水道の水をごくごくと飲んだ。
「はぁ…」
と息が漏れる。
部屋をぐるりと見渡す。私はしばらく、そこを探索する事にした。
台所の隣は食堂。その横は高級感あふれる応接室。廊下を隔てて化粧室、洗濯場、六、七畳の和室が三部屋並ぶ。その先は玄関だった。
私は玄関の戸に指をかける。開かない…予想はしていた。
元の部屋の方面に中庭の見えるガラス張りの廊下を曲がって戻り、私がいた部屋を通り越して進むと物置の部屋とトイレを見つけた。ガラス張りの廊下の突き当たりに扉がありそこを開けると左右に伸びる廊下を見つけた。扉のない方向へ行くと、左側に湯殿。物置があり、右側に七畳ほどの和室が二つ続いていた。和室から出てまた突き当たりへ行くと、今までの襖とは違い、洋風の扉が現れた。そこも閉まっているようで進めなかった。反対側の廊下へ進もうと思い扉に手をかけたとき、背筋に鳥肌がたった。こっちには行ってはいけない。
そう思ったのだ。
私は急いで引き返し、自分の先ほどまでいた部屋へ戻った。すると、そこにはあの少年が完全に制止した状態で待っていたのだ。
「……探索は楽しかった?」
私は答えず、少年を見つめていた。
「警戒しないでほしいな。これから私がここで結花の面倒を見るんだから。」
そう言って、子供らしい無邪気な笑顔を浮かべた。
今までとは違う…歪んだ顔じゃない。
その事実に背筋が凍ったが私は知らないふりをした。
「…ここで生活するに当たって必要なものは揃えてあげるよ。そこに用意した物以外に必要だったら呼んでくれればいい。」
私は少年が示した方向へ目線を向けた。風呂敷包みがいくつか用意されており、その他に木箱がいくつかと布団が用意されていた。
私は少年へ視線を戻す。
「私は貴方の名前を知らない。」
少年は目をぱちくりとした。
そして、奇妙な表情を浮かべた。
「名前か…」
そう呟くと、少年はニヤッと笑った。
「天と呼んでほしいな。」
意味ありげに呟いた。
「分かった」
返事をして頷くと、天は蜃気楼のように手を振って消えて行った。
私は風呂敷包みのうちの一つを開いた。中には、着物と小物が一式揃っていた。できるならば、今の服がいいのに洋服はないようだ。
肌触りのいい吸収性のいい布。色々揃っているようだ…私は部屋をぐるりを見渡した。押し入れがあり、そこに荷物を揃えて久しぶりに風呂へ入る事にした。風呂の方向へ向かう。シャンプーなどがなく、石鹸が一つ用意されていた。文句は言えないが、石鹸ひとつなのは心細い。頼むものの中にシャンプーやリンスなどを頭に記入する。
心変わりしたわけじゃない。ただ、恐怖が通り越して生存本能の方が勝った。恐怖と直面するよりも、ただ私は生きることにした。
ドライヤーもない。それは当たり前なのだろうが…ドライヤーを追加すると決めた。
タオルで髪を拭きながら、私は着物を纏っていく。祖母がいいところのお嬢さんだったので、着物の着方一式は覚えさせられた。鏡を見ながら藍色の薄物を着た。どこでこんなの揃えたのかはさっぱりだが、祖母の持っているような着物のように肌触りがいい。
香が炊かれていたのか、いい香りがする。
着替えた後、髪をひとつに結い上げ、廊下を歩いていく。台所の方に向かって行き、台所の四脚ある椅子のうちの一つに腰掛けた。時間が分からない。
時計が欲しい。
居間や応接間を見てもどこにも時計はなかった。
腹が空いて来たので、私は冷蔵庫を開ける。調理器具は一式揃っているのと、皿もあるので何か作れそうだ。
どうやって揃えているのか。理解ができないところは、知ろうとしないように努めた。割烹着と襷掛けで炒め物と味噌汁。和物とご飯を作った。ご飯は釜だ…
それからそのまま引き出しを開け、茶を見つけたのでお茶を入れる事にした。食後のお茶を飲み、私は立ち上がる。
出来る限り、私はここで生き延びる。そのために、自分が一番長く生きれるように、自分の好きに生きてやる。
風呂敷を全て開け、中身を確認した後、一通りの生活を終えて、私は縁側に出た。縁側から外の庭に出れるのだが、そこからぐるりと高い取っ手のない木の壁、木の裏門に囲まれており、全く外に出れる気配はなかった。
また縁側へ出てみると空は暗くなっていて、恐ろしいほど澄んだ空が広がっていた。まるで自分が籠の中の鳥になったように感じる。
風呂敷の中には草履があり、私は草履を履いて外に出た。ここから早く出たい。
そう思った時、あの天の言葉が頭に響いて来た。
本当に…?
本当に?私は自分でも疑問に思ってしまっている自分に気づいた。外へ出たとして、誰もいない自宅に帰るのか?あの静かで孤独な家へ。
だったらここにいてもそう変わらないのではないか。
そう思っている自分がいることに気づく。
ハッとして、私は頭を振った。縁側に腰掛け、息を吸って気持ちを落ち着ける。
数日が経った。時たま、唐突に天は顔を出しにくる。
この日も気まぐれにやってきた。
私は天を睨め付ける。天は面白そうにこっちを見ると、隣に座った。
「思った以上にここの生活に馴染んでいるね。」
私はまっすぐ前を見つめたままなんてことなさそうに答えた。
「そうね…意外にいい生活をしてるわ。」
しばらく沈黙があった。多分、天はどうにかして私のボロを出させようとしているのだろう。そうすれば、私を生贄に出来る。
だが、私はボロを出さず当たり前のように恐怖を見せずに生活をしている。
それが気に食わないのだと思う。
「それにしても結花の親は全く結花の事を心配していないんだね。」
と、言った。どくんと心臓が跳ねる。
私は天の方を見た。天はしめたというように私の顔を見て、ニヤリと笑う。
「こんなに時間が経っても、結花を探しに来ないんだよ?娘が心配じゃないのかな。」
どくんどくんと心臓の鼓動が耳に響く。
「お婆ちゃん達の家には行っているのかも…」
天はニタァと笑った。
「知らなかった?私はここの産土、氏子の家ならどこでも見ることができるんだ。結花の親は来ていないよ」
心臓がバクバクする。体が揺れている感じがする。親が来てない。私を心配していない。一ヶ月以上も行方不明なのに、私はお母さんにもお父さんにも気にされていない。そんなに悲しいことってある?私はただ義務の上に生かされていたに過ぎないんだ。きっと…
目の前がぼやけてくる。
「……帰りたいんだろう?」
そう天が囁いてきた。私は天を見る。
天はこそっと声を小さくして囁く。
「抜け道を知っている。そこを通ると帰れるよ。」
そう言われた途端、私の涙はひっこんだ。そして、天を一番怖い顔で睨みつける。
「そう言って私を負けさせる気でしょう?」
天の笑みはストンと抜け落ちた。黒の空洞のような目が私を見つめる。
「……そうよ。知ってるのよ。そういえば、確か『記憶』を消せるんでしょう?普通なら私の祖父母が黙ってないもの。二人が動いてないという事は、私自身の記憶すら消してしまったって事なのよ。きっと。」
フンと鼻を鳴らして、憎々しげに笑みを浮かべた。
きっとそうだ。
それか天は私に禁忌を破らせようと嘘をついたか。だが私は禁忌を破らない。
天の表情が完全に抜け落ちている。私は勝ち誇った笑みを浮かべて、天の隣から立ち去った。
さっさと私が見ていない隙に消えてくれ。
私はそう思いながら台所へ向かった。
台所で糠漬けの糠をかき混ぜ、洗い物をする。ここで生き抜いてやるって決めたんだから。手を綺麗に洗って、洗い立てのタオルで手をふく。もうやけ食いしてやる。
無言になって私は自分の為に作ってあった甘味を冷蔵庫から出そうとした。その時、玄関の方から呼び鈴が鳴った。
意識せず険しい顔になる。また、天の罠だろうか。
私は台所から少し顔を出し玄関を見つめる。その時、私の横から音もなくすっと天が通り過ぎ、玄関の方へ歩いていく。天の表情は見えないが、いつものような装った人間らしさがない。
玄関に降り、天は戸に手をかけた。鍵がかかっていない。まるでそこには何の障害もないように横に扉が開いた。そこにはこことは似つかわない黒いスーツを着た男が立っていた。それを見た途端、天はぴしゃんと扉を閉めた。
そして、扉に手のひらを向けて、あの青い膜を張った。その途端、ドンという爆発音と砂埃をあげて扉が破壊された。その衝撃を受けて天は後へ吹っ飛んだ。
ドクンと心臓が鳴る。何が起こっているのか分からない。ただ、スーツ姿の男が天へ傷を負わせた。
威圧感あるその男が上へと土足で上がり、後の壁に当たった天へ黒い皮手袋をした手のひらを向けていた。私は後に下がり、台所の扉に身を隠すようにしてその成り行きを見守っていた。
天は全く痛みなど感じていないように無表情で垂れて来た赤い鼻血を手の甲で拭った。
「…………化け物が。」
そう吐き捨てるように男は言った。天は変な方向に曲がった腕と足を元に戻し、立ち上がる。
感情など抜け落ちた声で淡々と語りかける。
「どうやって入って来た?」
男は鼻で笑う。
「あの結界の事か?簡単に破れたぞ。」
天は目を見開いた。初めて表情が崩れた。
天の体がどろっと溶け、化け物の姿になった。二人の戦いは私の目には捉えられない。どう動いているのか、どこにいるのかすらちゃんと把握することはできなかった。
だが、勝利の女神は男に微笑んだようだった。男は私を見つけると体を引きずりながら近寄って来た。
「あの化け物に連れてこられたのか…可哀想に」
そういうと、腰がぬけて立てない私に手を伸ばす。
「家まで送っていってやろう。」
本当にここから帰りたいの?
ここから帰りたくないと思っている私に気づいてぞっとする。
その途端、地震のように建物が地面が揺れ始めた。その時、男の背後に真っ黒の何か全てを覆い尽くしてしまいそうなものが迫って来ているのに気づいた。男はそれに気づいていない。私の顔が青ざめたのを見て、男は背後を確認した。
その時、男の足は絡め取られ、引きずられて行った。
悲鳴と共に、鈍い音が鳴った。それは池の中から現れていた。渦を巻き、この家の建物をゆうに追い越すほどの高さまで渦を巻いたかと思うと、その黒いものはパッと散り散りに消えて行った。どさっと何かの男がして私はその音の方向へ体を引きずって行った。
それは、成人くらいの骸骨。スーツがまるでわざとのように残っている。
顔が引き攣るのがわかった。張り裂けそうな心臓を落ち着けるために両肩に手をクロスしておいて何度も何度も深呼吸をしようとした。喘ぐようにして呼吸をする。その時、私はもう一つ何かがその骸骨の近くに落ちているのに気づいた。
それ…は天の体だった。
小さい体がその骸骨の隣に落ちている。ただいつもと違うのは、あちこちが擦りむけ汚れているというところだった。
私は壁に頭をつけ、天井を仰ぎ見る。
うめき声をあげ、私は割れたガラス窓から中庭に降り、まだ艶々している骸骨を目に入れないように顔を背け天の体を引きずって中へ入れようとした。
だが、顔が岩に引っかかったのを見て、私は苛立ち天の軽い体を抱き上げた。
軽い…まるで本当の子供のようだ。自分でもなにをしているのかわからない。でも、せずにはいられなかった。
次の日、私誰かに起こされた。
私は霞んだ目を擦って声の主を探そうと視線を動かす。そこには怪我ひとつない天の姿があった。
私は呆れて目をぐるりと回し、体を起こした。
「…もう調子は良さそうなの?」
そう皮肉混じりに聞くと天は表情を変えずに頷いた。
「壊れたところは直しておいたよ。必要なものがあったら呼んで。」
そう言って消えて行った。
私は鼻で笑うと体を起こした。ストンと何かが落ちた。私は視線を動かして何が落ちたのか確認した。
………毛布。これは誰かがかけたのだろうか。
私は不可思議に思いながら起き上がった。朝食の用意をして、それから身支度を終えた。本当に何もなかったように直っていて、それは魔法のようだった。いや、これ以上考えておくのはやめておこう。
またいつもの生活に戻っていた。必要なものがあったらと言われたが、必要なものはないので、天を呼ぶことはなかった。
私は悠々自適に快適な生活をおくっていたある日のこと。縁側に腰掛けている子供の笑い声が聞こえた。
その笑い声を聞いた途端、鳥肌が立った。瞬時に脚を引っ込めて視線を動かすと、物陰から覗く真っ黒な子供がいた。私をまっすぐと見ている。縁側の下からは黒い子供が這い出してきてきゃっきゃと笑いながら物陰から覗く子供同様私の方を振りかえりじっと見つめて来た。
私の顔は青くなる。
「何で来た?」
と、声に苛立ちを滲ませた声が聞こえて私は横を見た。二人を見下す天がおり、天は人差し指をくるっと回した。
子供二人に黒い影が寄り、子供達が悲鳴をあげてその黒い影に飲み込まれて行った。
私は信じられないものを見たような顔で天を見上げた。
「信じられない。子供にあんなことするなんて…」
と、非難するように言った。天は無表情のまま首をこてんと傾げた。
「……あれは穢らわしい存在。近くに居られると、死ぬよ。」
私は目を瞬いた。
そういえば、あの黒い子供達はとてつもないほど臭い匂いがしたのだ。これが穢らわしいということ…
「…でも何か他にやりようはあったでしょう?二人とも悲鳴をあげていたわ。」
心底理解できなさそうな顔で天は私を見た。
そして、ニコっと笑みを浮かべると聞いて来た。
「私も子供だよ。」
私はまじまじと天の姿を見た。
「私が幼い頃から姿形が変わっていないじゃない。貴方を子供とは認めないわよ。」
「……」
天の顔から表情が落ちる。
その時、また子供達の声が聞こえてさっきと姿の違う黒い子供が鬼ごっこをして庭を駆けて来た。
私はそれをじっと見つめていた。
ぶわっと隣の天の体から黒い靄が立ったのが見えた。それに気づいた子供がきゃーと悲鳴をあげてわらわらと逃げ始めた。
そんな様子を見て私はふっと吹き出す。
悲鳴というよりも楽しんでいるような悲鳴みたいだ。
天の体から出てくる黒い影が子供の足を魚釣りのように釣っていく。子供達はどちらかといえば楽しんでいるようだ。
それからというものの、私に近づいてくることはないが子供達はよく庭で遊ぶようになった。鼻につく匂いはあるが、子供の笑い声は嫌いじゃない。
たまに私が自分の為の甘味を用意していると、それをじっと見つめている子がいて気づくと甘味が真っ黒く煤こけたようになっていた。
何度かあって私は食べられたのかと気づくようになっていた。
姿形は真っ黒で見えにくいが髪型や着物の形がそれぞれよく見ると違う。全部で十一人。私はある日、全員分の甘味を用意し、縁側にぞろっと並べておいた。そして少し距離を取ると、黒い子達は恐る恐る近づいて来て、甘味に手を伸ばした。子供の美味しそうな顔を見て私はニコニコと笑った。
また作ってあげよう。そう思って、子供達が帰ったところで皿を片付け台所で片付けをした。
その時だ。ドタドタと小さな足音が聞こえてきて私は後ろを振り返った。黒い子供が私の腰に抱きつくように飛びついて来た。その後ろを天が険しい顔をして追って来ていた。
私は子供の顔に視線を移した。子供は無邪気な笑顔を浮かべて言った。
その時私は視界が歪み地面が揺れたように床に倒れた。
目をうっすらとあけるとそこは布団の中だった。すでに薄暗くなっていて、数時間眠っていたことに気づいた。
隣に物音なく天が正座をして佇んでいるのに気づく。
「天…あれ?どうして…」
「気に入られたら死ぬっていったはずだけど。」
私は目を瞬かせた。そういうことか…
そこで、襖の隙間から真っ黒な目がのぞいていることに気づいた。それが、あの子だと一目でわかった。私はうっすらと微笑みかけた。
「まぁ…このまま生贄にされるよりはいい死に方だと思うわ。」
そう囁いた。
私が視線を天に戻すと困惑したような表情になっていた。これで天の本当の表情を見たのは二回目だろう。
嘘は言っていない。
ここでできる限り生きてみると言ったが、このまま誰にも会わずずっと暮らしていくのは正直言って酷だ。孤独は嫌だ。
ここはそう家と変わらない。たまに罠を仕掛けようとする天や天の後を追って来て遊んでいる黒い子達はいるけれど…
「さっき思ったの。痛くもない。苦しくもない…なら、黒い子達と一緒にいてそのまま生き絶えるならいいかって。」
じっと天の目が私を探るように見ている。
それなら、と天は今までに聞いたことないほど優しい声で語りかけて来た。
「痛くもない、苦しくもないように食べてあげるよ。」
私は苦笑した。
そして、ゆっくりと起き上がった。
「それは嫌ね。怖いもの…」
月日は過ぎるように経っていく。私が自分で数えている中で、ここに来て半年が経った。凍てつくような寒さが身に染みる。寒いなぁと思いながら私は羽織を着て庭を歩いていた。一番暖かいのが洋室の暖炉の前なのだ。少し離れたところにある小さな薪小屋に薪を取りに行く。白い息が出て鼻が赤くなっている。
私が薪をもてるだけかかえると、私から少し離れたところから黒い子が二人薪を持ってくれた。私は微笑みかけて二人を見つめる。
「ありがとう。」
二人はにこにこと笑った。
こうしてすこし離れたところから手伝ってくれるようになった。
二人は小さい体で頑張って薪を運んでくれていた。
洋室に入り、薪棚に薪を置いて暖炉に火をつける。私は手をかざした。二人も真似をして手をかざすが、二人とも寒さを全く感じさせない。
私は苦笑して、毛布を羽織り椅子に腰掛け本を開いた。興味深そうに二人は椅子の周りの絨毯の上のクッションにもたれかかって私を見上げてくる。
私は二人に読み聞かせをしていた。
読み終わると二人はキラキラした目で私を見上げていた。
その愛らしさに顔を綻ばせることが多い。少し眠くなり、うとうとと目を瞑るとすっと意識が落ちて行く。
私は玄関の呼び鈴で起きる。ハッとして、暖かい着物のまま玄関へ向かった。
中庭からしんしんと降る雪が見えていた。今夜は一段と冷えそうだ。
玄関に人影のようなものが見え私はきょろきょろとあたりを見渡す。
「天?どこかにいる?」
そう尋ねると蜃気楼のように私の横に天が現れた。天は何も言わずに玄関の扉を開いた。
そこに立っていたのは、白い毛皮のようなものにふさふさと包まれた腰の曲がった老人のような体型の雪男みたいな出立の者だった。
ひとめ見ただけでそれが人間ではないことに気づいた。
天はそれを見て、愛想のかけらもなく口を開いた。
「乙號■瓊越…」
またよくわからない言葉だ。それに応じるようにその雪男は返した。
天はこくっと頷くと私を一度見て言った。
「乙がしばらくここに泊まる事になった。」
そう言って、私の横を天は通り過ぎ、乙は私をひとめ見てそのまま天の後について行った。乙の部屋は私が開けたことのない部屋だった。中庭が見える一室だ。天が手で中を示すと乙はまた何かを言った。それを聞いて天は険しい顔で何かを返した。
それを聞くと理解したように乙は私を見て中へ入って行った。中はまるで空間が歪んでいるかのように広い一室になっていた。一面がガラス張りになっていて雪景色の美しい中庭が広がっていた。詳しいことは考えないようにしようと思って私はそこまで中を見ることなく、廊下に立っていると、天は私の方を見上げて言った。
「乙をできる限りもてなして。」
私はきょとんとしたが頷いた。台所から温かい茶を用意し、部屋に入っていく。
「失礼します。」
笑みを絶やさず、寛いでいる様子の乙の前のテーブルに茶を出した。手作りの茶菓子とともに出し、ペコリとお辞儀をした。
「ありがとう。」
と、言われてぎょっとして私は乙の方を見た。
私の様子を見て、天によく似たあの笑みを浮かべた乙は毛を震わせていた。
「今夜は君の手作りの料理が食べたい。風呂は六時、夕食は七時で頼むよ。」
穏やかな声をしている。私はコクっと頷いて、部屋を出た。
私は台所へ向かって用意しているとどこからともなく天が現れた。
「乙に名前を言ってはいけないよ。それと、今夜は洋室で鍵を閉めて眠ってほしい。」
いつもの子供じみた話し方ではなく、どこか威厳のある話し方に私は緊張して来た。
その後、天に渡された鍵を使って入ったことのない部屋に入ったと思った。ほとんど何もない。そのまま次の扉を開けるとそこはどこかの廊下だった。ここはあそこだ。縁側からつながっている場所。
どこかこの鍵でもう一ついける場所があるのではと、扉をてあたり次第開けて行くと一つに見事な湯殿があった。
そこにちょうど六時にいい頃合いになるように湯をため、私は腕によりをかけた食事を作り上げた。そして、七時ちょうどになるように夕食を部屋へと運んだのだった。
よそ行きの笑みを浮かべて部屋を出ていく。乙の表情はびくともしなかった。
「もしご用があれば、呼んでくださいね。」
そう言って、私は一度洋室へ行く事にした。いつの間にか自分の荷物が洋室に移されていた。私は目を瞬かせていた。黒い子達はいつの間にか消えており、部屋には私一人になった。息を吐いて、椅子に腰掛ける。
今日は…ここに止まらなきゃ行けないのか…
私はぐるっと部屋を見渡した。この居間兼書棚にはよく来るが隣の部屋の執務部屋、寝室、洗面、トイレ、湯殿は使ったことがない。
寝室にはベッドが置いてあり、そこには鏡台が置いてあった。箪笥の中に私の着物が揃っている。押し入れに入っていたものが狂いなく箪笥にしまってある。
呼ばれるまで椅子に身を沈めていて、呼ばれればすぐさま部屋へ向かった。
その日の夜。言われたように通路と繋がる扉に鍵を閉め、さらに部屋に入る前に必要な扉に鍵を閉めた。ここまで必要かと思ってしまうほどだったが、夜ベッドに入ってよこになっている時に外からずりずりと何かが這いずっている音を聞いて杞憂ではなかったことに気づく。その夜はがたがたと震えながら夜を過ごした。
翌朝、早朝に目覚め、支度を整え朝食の準備に向かう。
しばらくそんな生活が続いたある日の事。
私が薪をとって手をふぅと暖めていると、木の壁から黒い子達が一人降りてくるのが見えた。それを追ってくるようにもう一人が壁を跨いで降りて来た。乙が来ている今、ここにくるのはあまりよろしくないような。
私は二人にそう言い聞かせる。危ないから帰りなさい、と。しかし、一人は一人を引き留めようとして来たのか、理解していたがもう一人の子はそうではなかった。帰りたくないようで、私の腕をくいっと引っ張ってきたと思ったら、ふらっと地面が近づいて来る。
何秒くらいだろうか。意識を失っていて私が目を開けると二人があわあわと近寄れずに焦っているのが見えた。二人とも頭に雪が積もっている。私は二人のおかげで雪が積もらずに、大きな葉っぱが頭上にあった。
大丈夫だというつもりで口を開いたが呂律が回らない。とてつもない寒さが体を震わせ、歯ががちがちという。二人を見て、こっそりと手招きをした。二人も暖炉のそばに来て雪を溶かした方がいい。
二人を洋室に上げ、私は温かいココアを三つ用意し、暖炉の前で震えながらそれを飲んでいた。
飲み終わった頃には体の震えは止まっていた。二人はココアを飲みながら少しだけ罰が悪そうに…(とりわけ私の腕をとったおかっぱの女の子の方)していた。片方の丸刈りの男の子はちらちらと私を見ている。
…そういえば、私の腕をとったこの子は以前も私に抱きついていた気がする。
私は大丈夫だよ、と微笑んだ。この雪が止むまで二人はここにいればいい。外は寒いだろうし。
だが、一つ懸念することがあり二人に向き直る。
「乙さんがいるまで、ここから出ちゃダメよ。もし見つかったら酷い事になってしまうから…」
そう私は言い聞かせる。二人は頷いてくれた。窓の外の雪はさらに強くなりつつある。厚いカーテンを閉め、寒さを締め出した。
気持ちだけだが、二人にも小さな膝掛けをそれぞれにかけてやり、穏やかな時間を過ごす。
毎日開かずの部屋に入っていく乙が今日も出て来た。私はそれをみて安堵すると、台所へ向かい夕食の用意をする。軽い夕食をとっていた時だ。強い視線を感じて体が固まる。
乙だ…
そう思った瞬間、嫌な汗がどっと出たが私は平常を装った。
「あら…どうされました?乙さん?」
じっと乙は何も答えずに私を見ていたが何かに気づいて振り返ると、何も言わずに去って行く。逃げ去るように台所から自分の部屋へ走って行き扉を閉めると、二人はゴロゴロしながら洋室で遊んでいる姿があった。私は二人を見てホッと息を撫で下ろす。私はきっと大丈夫。そう言い聞かせて。
その日の夜。
また、何かが徘徊しているような音が聞こえた。あまり嬉しいものではないことは決まっている。ベッドに腰をかけている二人がその音を聞いて身を震わせる。
翌朝寝不足の体を起こし、支度を済まて、朝食を部屋の中で済ませる。洗濯場の方には行きたくない。そこへいくまでに一度あの部屋を通っていかなくてはいけない。乙の不気味な行動に嫌な予感がして、すっかり外へ出られなくなってしまう。
暖炉の火が弱くなって来ている。私は洋室の外へ繋がる扉を開けて外へ出ようとした。
背筋に冷たいものが走る。
ずっと何かが這っていたかのように洋室の周りにくっきりした溝ができていたのだ。
このままだと凍えて死んでしまうと理解し、用心しながら薪小屋へ歩いて行く。私は雪をかき分けながら薪小屋へ入ると薪を腕いっぱいに持ち外に出た。
三往復くらいしないと全部運べない。変な汗が出てくるのを抑えて、私は足を踏み出した。その時だった。毎夜聞いているのと同じ音が聞こえてきたのだ。
あの白い毛皮。そこから覗く真っ黒な黒い目。
私は凍りついた。雪と完全に溶け込んでいて気づかなかった。私は唾を飲み込んで冷静を装った声をあげる。
「乙さん。こちらまではお散歩ですか?」
私は乙を見つめて聞いた。だが、乙は言葉に反応せずにゆっくりとこちらへ近づいてくる。
顔が恐怖に引き攣るのがわかった。
「乙さん…聞こえていませんか?」
ゆっくりと着実に近づいてくる。
「乙さん…」
もう少しで目の前に来る。
「乙さん!」
きんとした私の声が響いたからか、真っ白な雪とは反対の真っ黒な子達が部屋から飛び出して来た。唸り声をあげて、乙の前に立ち塞がる。私は震える自分の体を抱きしめて、地面に立つのが精一杯だった。
乙の意味の分からない悪態のような声音が続く。
「やけに臭いと思ったらこのような汚れた存在を招き入れていたのか。」
乙は全く臆す事なく黒の子達に近づいた。乙の周りに真っ白な色の光が纏う。それを見て、嫌な気配がした。黒の子達は悲鳴のような声をあげた。
どくんと心臓が嫌に鳴る。
もし、私を生贄として喰らいたいならば、この子達を消すような攻撃に私を巻き込まないはずだ。
心臓の音が耳まで響いて来た。
だが、それすら今は思考の外だった。
私はゆっくりと堂々と前へ歩み出た。二人を私の後へ手繰り寄せた。二人は恐怖のあまり私の腰に抱きついた。
ぐらりと脳が揺れる。息が震える。意識を失いかけそうになった。乙は毛皮の下から細長い真っ黒い手を出し黒の子達へ伸ばして来た。
そこで私の肝の深いところがぐっと冷えた。
意識が鮮明に、視界が真っ赤に染まっていく。痛みや震えや全ての感覚を置いて来たようだ。
「この子達に指の一本も触れないでちょうだい。」
二人を抱き寄せて、そう猛々しく私の声が響いた。
体は違っても声だけははっきりとした声が出た。
「……生贄の娘が生意気な。」
乙の体は増幅し、背丈や毛皮の中から無数の黒い手が出て来たのだ。
私は息を震わせて吐き出した。
「もう一度言うわ…」
キッと乙を睨みつけてはっきりと言った。
「この二人から離れなさい。」
その時だ。まるで豪雪が襲って来たように雪が冷たい風が吹いて来て、私は目を閉じざるを得なくなった。
しゃらんしゃらんと何か聞こえて来た。
私はうっすらと目を開ける。雪の中を真っ白な着物を着た何かが歩いて来た。乙よりも小さいがその姿を見て私は顔を引き攣らせた。
私の首に蚕を埋め込んだ者。人ならざる者。敵なのか味方なのか全く分からない。ただ、歩む速度よりも近寄る速度の方が早い。
「……乙號■瓊憤…我■成」
それを聞いて乙ははっきりとたじろいだ。そしてその黒い指を私へ向ける。そして、何かを言う。
「■■天乙…上贄業」
それは私を指差す乙の腕を迷いなく切り落とした。乙の黒い憎しみの色が私へ向けられる。
「……我贄■子…」
声は荒げていないが、風が荒々しくなった。私はしっかりと地面に足をつけて怖がる黒の子達をしっかりと守る。
「我…也纏魑■魅」
悲鳴のような怒りのような吠える声が聞こえ、乙は荒々しい様子でその場を去って行った。
完全に姿が見えなくなるまで私はその場に立っていた。
その時、ようやく私は自分がまともな状態じゃないことに気づく。視界が真っ赤にそまり、裂けるような頭の痛み。尋常じゃない体の震え。何度も体が意識を落とそうとしているのに耐える事による体の損傷。
ぐらっと空を仰ぎ見てその場に倒れた。あれが敵なのか味方なのか…分からないが天の付き従えている黒の子達に酷いことはしないだろう。
それだけが私の心残りだった…
意識を落とすのはこれで何回目なのだろうか。こんなに意識を落としていて脳に異常はないのだろうか。だが、もうまともな生活を送っていないのだから脳に損傷が起きていても起きていなくてもそう関係ないか。
どうでもいいかと思った。
私はうっすらと瞼を上げる。瞼があげにくい。本当に微かにしか開かない。感覚からして布団の中で寝かせられているのだろう。部屋の片隅に不思議な光の行灯が置いてあるのが見えた。鼻腔に不思議な匂いが入ってくる。
これは何かの香だろうか。それにしても今まで嗅いだことのないような不思議な香だ。どこか澄んでいてどこか底知れぬ甘さがある。喉をやけ尽くすような清涼な香。
口に広がる微細な甘さ。これはなんだろう。ハッカだろうか…
そこでふと気づく。
音が聞こえない。部屋の音が全く何も聞こえない。
すーっと冷や汗が出て来た。音が聞こえなければ楽しみは半減する。唇が震えた。ただ、そこで私は自分の耳から頬にかけて二つの手で顔を押さえられていることが分かった。
大きな手。まるで自分と一体化したかのような二つの手。そこにあった事に違和感すらなかった。
脳や体を支配するようなその二つの大きな手。私はゆっくりと頭上を見た。
ちりんと鈴の音がする。
そこには、あぐらをかいたそれがいた。白い着物に身を包み、私の頬を両手で包み込む。首を傾げるごとに鈴の音がちりんちりんと鳴っている。
黒い髪には艶がなく、絞り飾りのような顔はところどころ薄汚れている。
私をただ見下ろし、何をするでもなく私の両頬に触れている。時折左右のどちらかに首を傾け鈴を鳴らしている。
ひゅっと喉が鳴ったと同時に、それはすっと立ち上がると後ろを見ずにそのまま消えて行った。
私は息も絶え絶えになり、身を起こす。着替えさせられている。
ゆっくりと体を起こし、あたりを見渡す。ここはどこの部屋だ?どうやら来たことのない部屋のようだった。
私は部屋を出て、廊下に出た。こんなところ来たことない…
廊下はエルの字になっていて、片方は扉があって突き当たり、片方はさらに右側に廊下があって…
裏口だろうか。外に出られそうな扉がある。ここを出たら人間の住む世界に帰れる。
そう思うとドッドっと心臓の鼓動が早くなっていった。外に出たい。外に出て、祖父母の元に帰ってそのまま暖かい布団で丸くなって寝たい。
私はふらふらと引き寄せられるように戸に指をかけた。気づくと横に引いており、外が見えていた。木の壁がない…
私は何も履かずにそのままそとへ出ていった。全てが夢だったんじゃないか。
あの怖い物も、あの家も、あの男も、あの怪物も、あの子供たちも…全て、全て夢だったのでは
私は気づくと走っていた。雪の中を息を震わせ走っていた。傾斜がある。ここはただの少し高いだけの山なのだ。簡単に帰れる。簡単に下まで降りれる。
私はそう思って走った。
走って…そして、知っている道路に出た。
「帰ったらゲームしようぜ!」
「今年はサンタさんくるかなぁ」
「ごはんごはん!」
「まじテストやだぁ」
「今度牛丸モールいこ。」
「いいよ〜まじドーナツ食べたい」
「……あ、あぁ」
震えた声が出た。
戻って来た。本当の世界に戻って来た。
私は歓喜してその足で祖父母の待つ家へ向かったのだった。二人はまるで雪女でも見たかのような顔をしていた。
「結花か…結花なのか!」
「結花!結花!」
二人は私を抱きしめてくれた。私は二人の暖かさに、抱擁に安堵しどっと倦怠感が襲って来た。その後、私は死んだように眠った。
二人は捜索願を出してくれていたらしい。そこで知ったのだが、父はこっちには来なかったが探偵にお金を出してくれていたみたいだった。
私は二人が関心を示してくれていたことに喜んだ。
本当に良かった。
本当に良かった。
そう皆言ってくれた。
本当に良かった。
本当に良かったね。
本当に…
果たして本当に良かったのか?
あの夢のような場所、あの夢のような記憶が掠れつつある。子供の頃のだるまさんが転んだの記憶すらだ。
もう跡形もなく消えてしまいそうだった。
でも、私はそれでも良かった。帰って来れて、一通りの娯楽があって、学校があって。
本当に良かったのか?
学校で誘拐にあった子として、帰って来た途端色々と言われたが、まぁ何文進学校の三年生という年代で、私をそれ以上かまってくる子もいなかった。
それは本当に嬉しかった。
もう二度と思い出したくない思い出だったし、もう二度と近寄りたくない場所だ。
本当に良かったのか?
家に帰って、自分でご飯を作って、寝て起きて、食べて、学校へ行って受験の準備をする。大学に行く資金はふんだんにある。
行っていなかった半年分のブランクはあれど、そこまで問題じゃなかった。
今までの積み重ねの結果、最初悪かった模試は二回目で、ぐっとあがり、とある名門大学にA判定がでた。良かった。これで両親は私を見てくれる。
本当に良かったのか?
私は自分の勉強机に座り、大学の候補を見ていた。私ならよりどりみどり。どこへでも行ける。ただ…私が興味ある分野が大きく移り変わっていた。
私がしたいのは、民俗学だ。
文学や語学ではなく、民俗学や宗教学。文化人類学…宗教人類学。
一つの大学に目が留まった。それは祖父母の家からそこまで離れていない田舎の民俗学の学科のある大学だった。設備は古いし、寮もない。
私はこの息の詰まる家からでる為に部屋を借りることにした。お金だけはふんだんに出してくれる親だ。
こう言う分野で活用しなければ。
これで本当に良かったのか?
私は入試を受け、抜群の成績で大学の合格をもらった。自分で荷造りを終え、その日は自分が手配した引越し会社の方にお願いして、以前自分が下見を済ませて契約したアパートに引っ越すことにした。
これで本当の孤独は感じない。これで私は楽になれる。
自分の好きなように自分の好きで作れる私だけの城。
春がやって来て、大学に通い始める。大学初日の日だ。
小鳥の鳴き声がする。春の陽気が感じられて、淡い色のブラウスと濃いめの体のラインが出たスカートを着て、ヒールのないバレエシューズで足取り軽く大学へ向かった。
入学式以来の大学だ。課題は全てやったし、文句のつけようはないはず。きっちりと必要なパソコンなどの電子機器も用意して、髪も綺麗に巻いてある。
大学の門をくぐるとこっちを見て皆がひそひそと話していた。私はきょろきょろとあたりを見渡し、そこまで服装に気を使っている人がいないということに気づく。
まぁ人は人だし、自分は自分だ。
そういう心づもりで好きな服を着ようと思い、私は教室へ赴いた。
教室の中にはちらほらと数人がいて、この大講堂にはあまり適していないような気がした。
それからしばらくして、ぎりぎりの時間帯で結構な人数がやって来た。それに私は目を丸くし、担当教員数名が入ってくるのを見る。
番号順に並べられているので、私の席順は間違っていないはず。
そこで私は肩を軽く叩かれた。
「ねぇ…」
私は振り返って後に座る子を見る。
そこに座っていたのは、ショートの黒髪がよく似合う大きな切長の目を持った子だった。色白の肌に青いVネックの薄めのセーターがよく似合っている。私は目を見張り、微笑みかける。
「はじめまして、私は稲橋華。よろしくね…この教室にいるということは、貴方も民俗学科の生徒なの?」
私は頷いた。
「私は井狩結花。同じく民俗学よ。よろしく。」
できる限り愛想良く答えた。稲橋は満足そうに微笑むと前屈みになって言った。
「一緒に授業回らない?最初は必修がほとんどでしょう?」
私は笑った。
「そうね。」
こうして、初めての大学で一緒に回る美人な友達ができたのだった。
稲橋は運動神経が良く、運動系のサークルに入っていた。なんのサークルだか忘れてしまったが、私は少しだけそれが羨ましく思った。
彼女もここらへんで一人暮らしをしているらしく、今度彼女の家に行ってみることになった。そう思ったのも理由があり、彼女が持って来たお弁当を見て私はぎょっとしたのだ。
こげこげの食材がそのまま入っていて、唯一美味しそうなのはふりかけの振ってある白米だけだなんて。
どんなふうにしたらそうなるのか。不思議に思って私は彼女の家に行く事に決めたのだった。
私は民俗学サークルに入って、色々な民俗を調べてみることにした。学科があるので、とても立派な民俗学についての本がたくさんあり、私は嬉々として図書館へ通うことになった。
数ヶ月経って、私の図書カードは結構擦り切れてしまった。しおりがわりにもしているので、消耗が早い。私が苦笑していると、華が私の誕生日プレゼントにブックカバーと綺麗なすりガラスの薄い美しい栞をプレゼントしてくれた。十二月の華の誕生日は楽しみにしていてほしい。
彼女のセンスや不思議なところでの手先の器用さに私は尊敬していた。
そんな私にも久しぶりの男友達ができた。男友達は私と同じサークルの子で眼鏡をかけた短髪の瞳の大きい子で、名前を福田優といい民俗学の知識では誰にも劣る事はなかった。
「……目が大きいのに、眼鏡しちゃうなんて勿体なくて仕方ないわ。そういうの見るの腹が立つのよね。」
と華が言い放った。びくっと優は肩を震わせる。
私はけらけらと笑った。
「華は美的センスが抜群だものね。優を今度連れ回して磨き上げてあげれば?」
そう言うと、華は腕を組んでううんと唸った。
「一緒にいる限りは綺麗にしてもらいたいのよね。分かった。…今度3人で遠出しましょう。」
私はわぁいとつぶやいた。
その日の3人での遠出はとても楽しかった。
眼鏡をコンタクトに変えさせられ、チェック柄のよれよれしたシャツと切りっぱなしの髪を揃えられた優は目を見張った。
なよなよした顔つきだが私は嬉しくなった。華の美的センスに任せれば、大体の人が大きく変身する。
優は鏡を見てわぁ…とつぶやいた。
「…いいでしょ。」
ふんと鼻を鳴らした華が上から目線で言った。
「すごい…僕が僕じゃないみたいだ…」
胸を張っている華と鏡から離れない優を見て私はゲラゲラと笑う。こんなに楽しいのは久しぶりだな。
そう思いながら二人を眺めていた。
そんなある日のこと。
私は民俗学の中でとても興味あるものを見つけた。
お蚕様…
背筋がぞっと震えた。体が思い出すのを拒絶して、震えを起こす。
「結花!」
そう優が駆け寄って来た。私は優の顔を見つめて、呼吸を元に戻す。
「なにか困ってる?」
私は横に首を振った。説明しても信じてもらえない。
それに私もうろ覚えなのだ。どうしてあそこにいたのか。どうして蚕が怖いのか。
私は右手で首筋を撫でて安堵する。
そしてもう一度資料に視線を戻した。
お蚕様。ここの近くの穴火町には昔よりお蚕様を祀る風習があった。蚕産業が生業となっており、それのおかげで町は潤っていた。
お蚕様の諸説は色々あるが和久産巣日命と同一視されたり、また完全に別の存在とされることもある。
人々の生活と古くから密接に関わっていて、一年の中で五月と八月に古くから祭りがあったと伝承されている。しかし実態は伝わっていない。
子供の守り神とされる説もある。
背筋に虫が走ったように感じた。
何か何かおかしい。何かが不思議なのだ。
じっと優が私の開いている資料を見下ろして見ていた。
「お蚕様を調べてるの?…………結構残酷な神様を見ているね。」
えっと私は顔を上げて優を見つめた。優はちょっぴりお茶目に笑う。
「実は、以前中学生の時にお蚕様にはまってね。片っ端から伝記を調べてたんだ。」
私は優をじっと見つめた。それが本当なら…
……本当なら?
「…ぜひとも知りたいわ。お願い優。」
私は優を見つめてそう言った。
優は面白そうに笑って言った。
「そうお願いされなくても教えてあげるよ。今度うちへおいで。面白い資料がたくさんあるからさ。」
私は満面の笑みで頷いた。
「ありがとう。」
そして、約束の日になった。華が怪訝な顔で優を見ていたが私はそれに全く気付かずに、一人暮らしの優の家に向かった。
まるで研究生活のように、部屋のあちこちに古い文献が積み重なっている。足の踏み場もないようで、優の通った道筋を通って私達はお蚕様にまつわる文献を見つけた。
「お蚕様は元々一人の若者だったとも一人の老人だったとも言われている。人柱のように生き仏として大量の蚕の元へ入れられたんだって。」
ぞわっと背筋が凍った。
生き仏とは生きたまま仏にされる、私が知る限りで最も恐ろしい仏の作り方だ。
「……その人物は子供を愛し、子供を見守るのが好きな心優しい人物だったらしいよ。子供からも愛されていた。でもある時…」
ある時、飢饉が起きた。畑は不作。雪は豪雪。何も売るものも、食べるものもなくなり、大量の死者が出た。その中の大半は幼い子供達だった。
そんな状況から改善する為に、一人の人柱を選んだ。嫌がっていたのか、自分から立候補したのかは分からないが、人柄を見るに聖人のような人物だったらしい。
蠱毒のような、生き仏のような形で、蚕に跡形もなく喰われたその男は、それよりお蚕様として祀られるようになった。
「日本人は古来より、信仰の強さによって物が人格を生み出すって考えている節があるよね。付喪神や八百万の神なんかもそういう思想を元にしてあるのだと思う。」
そして、お蚕様の祠をたて大層大事に祀っていたいたが、村には間引きをされる子供達が以前より沢山いた。今のように避妊具もなく、また子供はたくさんいた方がいいとされる村にはそうされざるを得なかった子供達がいた。
お蚕様は元々、子供を愛する神子供の守り神、母親が安産のために祈願するような神だったため亡くなってしまった子供達はお蚕様の元へ皆供養されていた。
そんなある時、一人のお坊さんがやって来て、村の人たちにこう諭した。
お蚕様と呼んでいるが、それはただの化け物でしかない。村を豊かにする存在ではなく、村を貧しくする存在なのだ、と。
それを信じてしまった村人はお蚕様の祠を取り壊してしまった。
それ以来、急激に村の不作が始まり数年のうちにさらに困窮した村になってしまった。
焦りに焦った村人は祠を作り直し、毎日毎日と供物をささげどうにか怒りを鎮めてもらおうとしていた。
だが、状況は悪くなるばかり。
彼らは村にある中で一番効果のある供物は何かと考えた。
そこで彼らが思いついたのは、お蚕様が一番好きな『子供』
間引きされなくてはならない子供達を生きたまま吊るし上げて、燃やして捧げた。生きている子供を纏りあげたのだ。
「本来、子供の成長を見守っていた心優しいお蚕様に生きている子供の臓物や脳、肉体が捧げられたんだよ?本当に酷い事だよね…」
そう優がつぶやいて言った。
供物として捧げられれば、否応がなしにそれは供物になってしまう。荒神であったお蚕様はついに化け物へと成り果てた。
しかし、その供物。何の冗談か畑の豊作や蚕業などで、一気に村が豊かになってしまったので、それは近年まで続けられていたと言う。
「ただ、いつの時かの村長さんが…」
「その行事をやめて、緘口令をして…廃れていった…」
そう呟くと、優は目をぱちくりさせた。
「そうだよ…もしかして知ってた?」
私は首を横に振った。
「いいえ…ただ、人から聞いたことがあって…」
優は目を輝かせる。
「本当に?こんな伝記を知っている人はいないからさぁ…僕だってこれいろんな文献を読んで自分なりに解釈した結果だからね?それを知っている人から直接聞いてみたいな…」
紹介して欲しい、そう優に言われて私は目を伏せた。
これを知っているのは…
私は首を横に振った。
「もういないのよ。この世に。」
優はあ、と言って固まった。
「ごめん。確かにこんな昔の伝記を口伝で知ってるくらいだから…相当お歳をめしたかただったよね。気が回らなかった。」
そう優は言って来た。私は苦笑して首を振った。
「いいのよ。」
どうやら夜な夜な語り尽くしていたらしい。空が明るくなっている。
「……あちゃぁ」
と、優が隣で頭を掻きながら言った。
「久しぶりにこんなに話ができて楽しかった。全く嫌な顔をせずに真剣に聞いてくれるんだもん。感激だよ。」
私は笑った。
確かに人事じゃないように聞いていた。実際人事じゃない…果たして正しい伝記なのかどうなのかは分からないが、今ので分かった。
私は全ての記憶をはっきりと鮮明に思い出していた。
翌日、大きなあくびをしてそのまま大学へ行く事にした。華がこっちを見て近づいて来た。
「結花…昨夜…」
優も同じく濃いクマがついているのを見て、目をぐるっと回した。
「あのねぇ…」
とため息を吐いて、同じ授業の時言われた。
「男の家に行くんだからてっきりそういうことかと思うじゃない?」
と言われてしばらく思考がショートした。しばらく経ってハッとして華を見る。
「いやそれは違くて」
「でしょうね。甘々した気持ち悪い感じでくるのかと思ったら、卒論の四年生も顔負けの論議をしてたってところでしょう?」
私は目をぱちぱちして、両手でぐっとポーズをつくって、ウインクをした。
「正解!じゃないわよ…全く…昨日の私の不安が全くの無駄だったじゃない」
きょとんとして華を見ると華は少し照れくさそうに言った。
「もし、優と結花が付き合う事になったら私、気まずいもの。」
私はぐっと変なところに詰まってげほげほと咳き込んだ。教授の怪訝そうな顔が私に突き刺さる。華が私の背中をさすって、困惑していた。
「…ないないない。」
掠れた声で笑って、そう言った。
優とは全くない。タイプと全く違う。そう一人頷いていると華に睨まれた。
恋愛に興味がないわけじゃない。いずれは幸せな家族を持ちたい。私を愛し、必要としてくれるような人と。
そこから月日が移ろい、雪が降るような季節となった。
私は舞い散る雪を眺めながら私は淡々と課題を進める。
この日、私の元に祖父母からの連絡が来た。
「今年の冬はこっちで一緒に年越しをしないか?」
そう言われて私は行く、と即答をした。
私は疑問があった。あの日、確かに私は勝負に負けた。生贄としての条件を満たしたのだ。多分、一つ目の禁忌はお蚕様の姿を見た事だ。それによって、一度私は生贄としての条件を満たした。だが、私を生贄と出来なかった理由があった。それに気づいたから、勝負をしかけ負けた時に蚕が私の体を蝕み、生贄としての条件を満たす条件が揃ったはずだった。
しかし、勝負に負けあそこを飛び出して、祖父母の元へ帰った。もし、引き留めるならあそこで私を捕えるか山を下らせられないようにできたはずなのだ。
何故私を生かしたのか。私の推測では、あの時点で私は負けていた。
帰省の準備を終え、私は祖父母の家へ向かった。自分の家からそう遠く離れていない。バスで3時間のところにある。ガタガタと揺れる山道を見つめながら私は祖父母の家に到着した。
「……ただいま。」
そう山を見つめて私は呟いた。
二人は心底嬉しそうに私を迎え、一緒に年越しの準備をし始めた。どうやら1日に涼太達が来るらしい。私と祖母で一緒に腕によりを奮って、正月の食事の用意をしなくてはならない。
「おせちは取るの?」
「いいや…できるだけ自分達で作りたいの。」
そう祖母は言った。
そうして家の大掃除と年始の準備を進めている時、祖母が桐箪笥から一着の振袖を出して来た。この時期にぴったりの柄の振袖である。
私はじっとそれを見て祖母の目を見つめた。
「これを結花の為に仕立て直していたのよ…今年の年始はこれで一緒にお参りしましょう。」
私は目を瞬かせた。顔を綻ばせて喜んでいる様子の祖母にそれ以上言うことはなくコクっと頷いた。
「………帯はこれでね…これとこれを合わせても可愛いと思うの。」
私は一つの帯締めを取った。
「これも可愛くない?」
祖母は目をきら輝かせた。
「いいわねぇ」
髪飾りと髪の結い方まで決め、当日になるまでゆったりと過ごしていた。そして、年越しの日。年越しそばと共に除夜の鐘の音を聞いた。近くのお寺の鐘が鳴っている。
私達は眠りについた。初めての夢は特に何も見ることはなかった。
朝起きて年始の準備を始め、自分の身支度も済ませていく。涼太達がくる頃には私は身支度を済ませていた。
「あけましておめでとう!」
そう私は微笑んで涼太達に言った。涼太は高校生だ。涼太の父や母も来ていて私の着物を褒めてくれた。
私はありがとうと感謝を込めてそう返した。
全員揃ったと言って、祖父はしっかりと着込んで言った。
「さぁ…初詣に行こうじゃないか。」
ぐっと背筋が伸びる。これからあそこへ行く。あの場所へ。
石段を登って行き、朱色の鳥居をくぐる。その時ポーンと何かに頬を弾かれた感じがした。これ以上中へ行ってはいけないと本能が叫んでいる。
でも私は中へ入って確かめないといけない。
ぐっと体を押し込むようにして朱色の鳥居を潜り抜けた。抵抗は呆気なくとけ、私は上へ上へと上がっていく。
初詣の列は結構長く、家族連れ、友人同士、恋人同士…おみくじやお守りをもらう人、町内会の集まり、神主さんなど…皆それぞれが明々に初詣を祝っていた。
私は頬を綻ばせる。
最後の鳥居をくぐり抜けるとどこか遠くの方でちりんと鈴の音が鳴った音がした。列にちゃんと並んで自分の番が回ってくるのを待っていると、どこか風の遠くの方で子供達の笑い声がした。
私はぐっと覚悟を決めて、列を進んだ。しばらく進んだ時、雪が舞うような冷たい突風が吹き荒れ、神主が開けないと開くことのない社の扉が観音開きした。風は舞い上がり、道を作った。
私の体は中へ風に引き寄せられるようにして引き込まれていく。
その時、社いっぱいいっぱいの大きさのお蚕様のあの顔がにゅっと覗いた。かと思ったら口が大きく開き白い大きな長い腕が無数に伸びて来て私を捕らえた。
その時瑛太が悲鳴をあげた。
瑛太には見えているのか。私は一瞬だけ瑛太の方を見た。
「結花お姉ちゃん!」
必死になって叫ぶ声が聞こえる。ただ、他には誰にも見えていない。私の体は乱暴に引きずり込まれ社の中へ入っていった。
白い死人のような腕が無数に体に絡まり、中性的なあの声で言った。
「戻って来ては行けなかったのに…」
締め付けるように白い腕が私の顔に首に胴体に脚に絡まるように、そして私の振袖とお蚕様の着物が絡まる。
喰われる…
私の首から鎖骨にかけて蚕が這い、痛みが走る。お蚕様の方を向こうと体を捻り、その恐怖の姿を見つめた。
これからあの暗闇に私は飲み込まれていく。そうゆっくりゆっくりと…
布と布が重ね合わさり、腕と腕が絡まり合う。私の指は空を切り、そのまま私の腕はどこかへ飛んでいく。白い指がようやく触れた。
黒髪に指を通し、微笑みを浮かべた。艶のない髪の毛。伝記なんて知らない。ただ、私を逃してくれたあの一度で私の心が永遠に変わってしまった。
黒い髪が私の指に絡みつき、白い腕が体を這う。
しゃらんしゃらんと鈴の音が鳴る。
みるみるお蚕様の体の大きさが小さくなっていく。とんでもない大きさからどんどん縮んで行き、ついには一番最初に会った時と同じ大きさまで縮んでしまった。
その部屋は初めて会った部屋の一室。繭があちこちに張り巡らされている部屋の中だ。私は今やお蚕様の腕の中にいて、死人のように体温のない感覚に包まれていた。
「私を食べないんですか?」
返答はなく、ぴくりとも動かなかった。置物のようで、私はゆっくりとお蚕様の脚の上から降りた。
その時、カタカタと言う音がしてお蚕様の首が動いた。ちりんと鈴が鳴る。さっと私の横に天が立っていた。
私をなんとも言えないような顔で見下ろして言った。
「何で帰って来たの?」
「帰って来ちゃ悪かったかしら?」
天がじっとお蚕様を見つめて動かなくなった。そして、天の体がパタンと倒れた。
私は目を瞬いてお蚕様を見つめる。
あの中性的な声が人のような響きで人の言葉を話し始めた。
「戻って来たら二度はないと知っていただろう?」
私は天とお蚕様を見比べる。どういうことだろう…そう考えて私はある考察に至った。ここは天蚕元神社。もしかしたら、お蚕様というのは今まで天の体を操り人形のように操って会話をしていたのでは…?
お蚕様は私を見つめて顔を動かさず淡々と答えた。
「その通りだ。」
思考が停止して、目の前のお蚕様と目を見開いたまま倒れた天を見比べる。天の方が遥かに可愛かった。
お蚕様の首が動いた。
やはり私の心の声が聞こえているのか…
頷くように首を傾げた。
それじゃあ今更お蚕様と呼ぶのも、敬語を使うのも馬鹿馬鹿しいということだろうか。私はじっとお蚕様を見つめながら考えた。
「何故…私を生かしたの?」
お蚕様は首を揺り動かし、白い大きな手を自分の頭の方へ持っていった。
「……奇妙だからだ。」
そうお蚕様は答えた。
奇妙…?私のどこが奇妙だというのだろう。
その時、白い腕が躊躇なく私の頬へ伸びてくる。そして、天目線の視線とお蚕様目線の記憶が流れ込んできた。
人間の感覚と違う。感情の浮かび方がこんなにも違うなんて知らなかった。
地面に這いずっている時の記憶が入ってくる。
私に抱き抱えられた時の暖かくて柔らかい感触。
次に流れて来たのは凛とした透き通った声の記憶。
「もう一度言うわ…」
「この子達から離れなさい。」
穢れ…子供の姿の穢れを身を挺して守ろうとする姿。穢れよりも遥かに弱い存在。
奇妙な感情の感覚が流れ込んできた。
最後に冷たくなった私を布団に寝かせ、治癒をほどこし見下ろしている光景だった。冷たくて動かない。
私の何かがこの神様の心を動かした。そういう訳なのかもしれない。私は現実の光景に戻り、お蚕様を見つめた。首の蚕が元の位置に戻っている気がする。
お蚕様は私から手を離した。そして、天へと視線を向けた。その後、私に視線を向けた。すると、突如私の居場所はあの繭だらけの部屋ではなく、あの慣れ親しんだ家の玄関に立っていた。
どうやらまたこうして戻って来たらしい。私はぐぐっと伸びをして、ふと自分の身なりに目を降ろした。随分と着物が乱れている。
私は自分が使っていた部屋に行った。流石にあの和室には自分の荷物は残っていなかった。ふとそこで、あの洋室の事を思い出す。
あっちに私の荷物があるのではないか?
私は洋室の扉に手をかけると鍵は閉まっておらず簡単に開いた。中に入ると私がいた時のような姿のままになっていた。
私の冬の着物もそのままだ。
私は振袖を着替え、普通の厚手の着物に着替えた。
暖炉に火をつけ、あの椅子に腰掛ける。
しばらくそこで居眠りをしていて、視線を受けて目を覚ました。そこには、あの日別れたあの子供達がいたのだ。表情を浮かべずただずっと私の方を見つめている。私は微笑みを浮かべて腕を広げた。
すると、黒の子達は私の腕の中に飛びついて来た。
グランと視界が揺れたが黒の子達はさっと私から飛び退いたので、一瞬の気の遠くなるような眩暈だけですんだのだった。私が勝手に消えて怒っているのだろう。
いつもより少し怖い。
だが、愛らしい子供の顔は変わっておらず、だんだんと元の表情に戻っていったのだった。
片方の丸刈りの子供の方がハッと入り口の方を見て私の方を向いた。手招きをしている。
何か呼んでいるのだろうか。
私は入り口の方に歩いて行きガラス張りの回廊の扉を開けるとそこには天の姿があった。一瞬目を剥いて私は息を止めて平常心を装う。
「結花。こっちに来て。」
そう言って手を招いてそのまままっすぐ進んでいく。こっちはお蚕様の部屋。天の部屋なのだ。
何故私を呼ぶのだろうと思ってついていくと、奥座敷の中にお蚕様の姿が見えた。
「これから良いというまで奉告する事。」
そう淡々と天は言って来た。私は天をまじまじと見てため息をつきたくなるのを我慢した。天に何をするのかを色々と指示をされ、私はその通りに動く事になった。確かに神に奉公するのは悪いことではないような気がする。
指示を終えると天は消え、部屋の中には私とお蚕様だけになった。私はお蚕様の後に座り櫛を取った。
髪をとかしてあげたいとは何度か思っていた。漆黒の髪に櫛を通す。ぴくともしないお蚕様の背中を流れる長い黒髪はお手入れのしがいがありそうだ。
奉公の内容はざっと身支度の手伝いをする事と蚕の間を綺麗に掃除する事にあった。蚕の間はお蚕様の部屋の中で最もプライベートな部屋らしく、繭があちこちに散らばっていた。私はそれらを一つも残さないように掃除する事を求められた。
毎日毎日、そこに繭を出すらしくそれを片付けさせられる。
ただ、私が思うに繭をただ捨てるのは勿体なくて私はその繭を自分の部屋と化した洋室で生糸を作り布を作ろうと画策していた。
ただ…捨てるようにと指示されたので、そうしてもいいのかは分からない。
朝起床し、私は身支度を整えるとお蚕様の部屋へと赴く。お蚕様は蚕の間にて就寝していて、私はそっと行灯に光を灯し、自然に起きるのを待った。起きると鈴をちりんと鳴らしてくれるので、私はお蚕様を書院へ移し身支度を整えさせて貰う。髪を梳かし、硬く絞った布で絞り飾りの顔を拭う。
食事はしないので、そうして身支度を整えると私は蚕の間の掃除に取り掛かる。あちこちに糸が張っていてとても取りにくい。ただ少しでも残していると恐ろしい目にあいそうなので、私は綺麗に取っていた。
そして、自分の生活に戻る。
もし、何か用があれば耳元で鈴が鳴る。その時は奥座敷の方へ向かいお蚕様の要件を聞きにいく。
基本喋る事は好きではないらしく、達筆な字で何をして欲しいか記して見せて来た。茶を入れたり、清掃を頼んだり…と。綺麗好きのお蚕様は自分が汚したところを全て私に片付けさせた。
繭だけならば文句はない。ただたまに体を揺らした時に落ちてくる白い粉や、体から落ちてくる灰のようなもの。また、真っ白の着物を真っ赤に汚してまで行う何かの食事。
命あるものをそのまま食していることは分かっている。ただ敢えて触れようとはしない。
そして、夕方になると私は四季の彩りを感じることのできる見事な湯殿に湯を張る。大きな湯殿でお蚕様のような巨大な体でも手足を伸ばすことのできる広さであった。
お蚕様が湯浴みをしている最中は私はお蚕様の脱いだものを洗濯場へと持っていく。何分綺麗好きなので、少しの汚れ染みがあれば結構お怒りになる。
そうすると新たな着物を天の姿で用意しいつの間にか着ていた。
天からの嫌味を受けて私は天の手を煩わせないようにどのように物を頼めばいいのかと尋ねた。すると天は玄関の外にある置物まで私を連れて行き指さして言った。
「これに話しかければ大体の物は用意してくれる。」
置物は蝶のような姿をしていて、それでいて脚が異常に長い感じがした。私はそれ以上考えないように、必要な寝具、必要な物をその蝶を見つめて頼んでみた。
すると、その蝶は羽を羽ばたかせ中性的な声で答えた。
「承知した。」
まるで蛾のように一体化しているのだ。
しばらくして頼んだ物は洗濯場の隣にある広々とした物置へ運びこまれている。食料や布など様々なものが用意されていた。
私はそれを受け取り、お蚕様の寝具の準備、着物の用意を努めてきっちりとやった。
黒の子達はあまり私が構ってくれないので、ご機嫌が斜めのようだ。ここ最近、何も言わずに隙間からこっちをのぞいているのに気づいている。
しかし、私は完全に黒の子達を放っておいているわけではない。自分の時間の中の結構な時間を黒の子達に割いているつもりだ。
私は黒の子達に甘味を用意し、読み聞かせをし、たまに一緒に遊んだりする。
おかっぱの女の子は私の膝に座りたがっていたが、丸坊主の男の子が腕を引っ張ってそれを止める。
新しい本を開き読み聞かせを始める。楽しそうに聞き入る二人を見て私は顔を綻ばせた。これからというときに耳元でちりんと音が鳴る。
私は二人を見て苦笑を浮かべた。何故、やめたのか二人には分かったようだ。
「ごめんなさい。行ってくるわね。」
そう言って私はお蚕様の部屋へと向かった。真っ白の着物を着たお蚕様の手元には髪をと書いてあった。
ここ最近一日に何度も髪を梳かしてもらいたがる。
私は背を向けたお蚕様の髪に触れ櫛を毛先から優しく通した。随分と艶やかになったものだ。最初の汚れた絞り飾りの顔も随分マシになってきたのではないだろうか。
髪を梳かしていると、するっと私の髪に何かが触れた。それはお蚕様の背中の方に生えた向きを自在に変えられ、生えたり無くしたりできる腕だった。私の髪にその手で触れてくる。
「……お蚕様。それだとやり難いわ。」
そう囁くと、お蚕様の顔が百八十度回転してこちらを向いた。
中性的な声が私の名を呼ぶ。
「結花。お前のおかげで髪に艶が入った。お返しをしたい。」
そう言って、お蚕様の手が私の返答を待たずに私の髪を纏める簪をすっと抜き取った。さらりと髪が落ちた。視線を伏せて、そしてゆっくりと瞳をあげお蚕様の方を見つめる。
私の後にお蚕様は周り、私の髪にその手で触れ、櫛でゆっくりと梳かし始めた。私は少しだけ驚いたがお蚕様のやりたいようにさせる事に決めて大人しくすることにした。
その手は優しく私の髪に触れる。まるで簡単に壊れてしまうようなものを扱うように。片方の手は髪を梳かし、片方の手は肩にかかる髪に触れていた。
しばらく時間が経ったが一向に終わる気配はなかった。先ほど私が梳かしていた時間よりも遥かに長い。だが、私は沈黙を守っていた。
それなのにお蚕様が唐突に沈黙を破った。
「美しい髪だ。これが欲しい。」
びくっと震えて私は背後を振り向けなくなった。粘膜質な生暖かい風がふきその途端、頭にかかっている重さが急激に軽くなった。髪を喰われた。そう思った途端、どさりと後ろから覆い被さられるように重さが乗っかって来た。
まるで絡み合うかのように腕が着物が重なり、私はそこから這いずりだそうとした。しかし、それを阻止するかのように白い大きな腕が私を掴んで離さず、息のようなものが私の首筋に生々しいほどかかっていた。
そこから抜け出そうとすればするほど着物が乱れ、手が中へと潜り込んでいく。羽交い締めにされるようにされ、私の体は完全に動かなくなった。
ずるずると着物を手繰り寄せられ、私の脚が露わになる。冷たい石のような感触が私の脚に絡まり、何度も触れたことのあるお蚕様の着物が私の肌に触れる。
灯篭の炎が消え、部屋は真っ暗になった。光は差し込まず、暗い部屋の中、蟻地獄に落ちたように薄着になっていく私と羽交い締めにしているお蚕様がいた。
首筋にざらりとした絞り飾りの感触と暖かい息が当たり、何も纏っていない腹の部分に冷たい両腕が回された。
何がしたいのか、どうしたいのか分からない。私を食べたいのか私を殺したいのか。
ただ必死に悲鳴を押し殺して、お蚕様の望み通りになるように祈っている。
襦袢まで脱がされ、冷たい部屋で凍えてしまいそうになって私は体を震わした。押しつぶされるように加減なくお蚕様の体重が私にのしかかってくる。
生暖かい息が首筋にいつもより荒々しくかかる。まるで飲み込まれてしまいそうな動きに私は抵抗するのを観念した。
黒髪に指を這わせ、私はさらに近寄って顔を寄せる。およそ口があるらしい位置に唇を押し当てる。激しい交わり。
頭の中を支配するような感覚。頬に白い手が回され、静寂な香が私の脳に充満した。
蜜を溶かしたような甘くて離れ難い夜であった。
私の髪を食した時に何か私の体にまつわる特別な事に気づいて、それで処女の体を活用するために私を抱いた。
きっとそういうことなのだ。
私は理解する。
翌日の明け方には身支度を整え、朝食をとり、一度帰宅したいと天に伝えた。
何か物申したい表情ではあったが、それに気づかないふりをして私は玄関を出て正門を出る。
下へ降りてまずした事は祖父母の家を訪ねる事。二人には安否を知ってもらいたかった。真実を求めて年始に行った以来姿を見せなかったのだから、また行方不明になったのではと焦っていたらしい。
「……心配させてごめんなさい。私は今訳あって知り合いの場所に泊まらせてもらっているの。大学には行くつもりよ。」
その後、美容室へ行き髪を始めてショートカットにした。意外に似合う。着物も相まって結構可愛らしい感じになったのではないだろうか。
その後、甘味を求めて歩き回り、久しぶりに自宅に帰宅した。
明日から学校に行くつもりだ。音信不通なのを知って二人はどれだけ心配しただろうか。
二人は一目私を見て衝撃を受けた。
「その髪どうしたの…」
私は気分転換に切ってみたと言うと華は顔を真っ青にした。その後、放課後に私は華に連れ出され何があったのかを根掘り葉掘り聞かれることになった。
華曰く、バッサリ切るのは失恋をした事になるらしい。
唖然として華の言い分を聞いていたのだが私は首を振って、はっきりと否定した。
「好きな訳じゃないの。」
と言うと、華は慌てた調子で言った。
「ならやっぱり相手はいるんじゃない…」
いやそういうわけでもない。そう否定しようとしたのに、華は一人で盛り上がってしまって否定する隙もなくなった。
しばらくは安定した日常が続いていた。
安定した日々というのは変な物と出会うことのない命を脅かされる危機のない生活のことだ。
課題や期末テストなど大学生が追われるような事柄だけに焦りを覚えていればいいそんな日々。
私はそんな日々に満足していた。
自分のこの充実した日常だけを味わっていればいい。そんな普通な平凡な生活が私にできるとは思っていなかった。
だが、そんな日常が続いていたある日の事。私は不可解な悪夢を見てうなされながら起きる事になる。
起きると何の夢だかわからないそんな夢。ただ、目を覚ました私の視界の中には月明かりを浴びて神々しいほど美しく可愛らしい青い目の猫に羽が生えたような生物が宙に浮かんで見えるようになっていた。
突然のことで困惑し、まだ夢の中にいるのかと思ったが頬をつねってみても一向に夢が覚めない。そこでこれが現実であるということに気づいた。
「貴方はだれ…?」
そう問うてみても答えない。ただその美しい光を蓄えた青い瞳で私を慈愛の眼差しで見つめる。
悪い気分はしなかった。
腕を伸ばしてみるとそれは私の腕の中におさまった。とても愛らしい。
鼻に香る匂いにはどこか覚えがある。
これは…天の匂い。正確にいえば、お蚕様の香りに似ている。
この以上事態がどういう理由で起きているのかそれを解明するためには天の元へ行くしかない。
浮かないこの気持ちをどうにか変えないと。
私は最後の天の姿を思い出してうめき声を上げたのだった。
道路や建物。全てにおいて黒い反吐露のようなもので汚染されている。見えるようになってから、普通の生活が送りにくいほど嫌悪感が体に出ていた。
気持ち悪い。
やはりこの状況を如何にか打開しなくてはならないようだ。
観念し向かった先は天蚕元神社だった。山に近づく事に、不浄なものが極端に減っていく。石段に到着し、私は一段一段上へ上がっていく。何もいない。気持ち悪いものがどこにもいない。
狂った心臓の鼓動がだんだんと安定していく。
しばらく上がったところで獣道を見つけ、そこへ入っていく。この先にあの家がある。だんだんと足が速くなっていき、息を切らしながら近づいていく。
その時だ。誰かの話し声が聞こえて来た。私は瞬時に耳を澄ませる。
色の濃いサングラスの中で目線を動かし声の主の方を見た。そこにいたのは、真っ白な着物を着た私の腰までの身長の青い目をした蚕と人間が混じったような姿の者だった。
「帰って来た…帰って来た…これで一安心だ。」
「天様の機嫌が悪くていつ消されるかひやひやしたもんだな。」
そう蚕と人間の混じった生き物が二人並んで堂々と話をしていた。ぎょっとして私は足を止めた。すると、二人は驚いたようにきょろきょろした。
「急に止まったぞ…まさか屋敷に入らず帰るとか言うのではないだろうか…」
「そんな事はさせない…道を隠してしまうか。」
道を隠す…今までのそれはこういう者達の仕業だったのかと知って衝撃を受ける。
「………あ、また歩き始めた。」
ふぅというため息が聞こえた。
家に近づいていき、木の正門の前までやってきた。そこには私の腕ほどもある白い編まれた糸が門の前に張られており、出ることも入ることも大変な様子になっていた。
その前にはその巨大な門と両羽を広げて同じくらいの大きさの蚕が止まっていた。
「おぉやっと帰って来てくれた…おかえりなさいませ。」
そうやって羽を閉じると私が門に触れる前に白い糸が全て解けて消えた。見えていないふりをするのがやっとで、一つ一つの行動が予測不可能なので動くたびに背筋が震える。
門を開けると、飛び石が続き丁寧に整えられた庭園が現れる。そこにもやはりいて、ひょろっとした長身の蚕人間が立っていた。
青い目でこちらを見て、何もなかったかのように視線を戻してまた仕事に戻る。
玄関の傍にはあの蛾のように像に擬態した蚕がおりそれはやはり動かなかった。玄関の扉に手をかけると全く抵抗なく開いた。中へ入るとそこには天が立って待っていた。
「随分と遅かったね。結花」
子供のような声にそれに伴わない大人びた声音。見た感じ的に少しだけ怒りを感じるが見間違いかもしれない。真っ黒な瞳には何も映っていなかったから。
その天の横にわさわさと奥から走って付いて来たのは見た感じ一番お年寄りらしい蚕人間だった。私の腰のあたりなのは変わらず、ただ青い目が少しだけ濁っていて背筋が曲がり、一番恰幅がいい感じがした。
私は薄ら笑いを浮かべて言う。
「まさか寂しかった…なんて言わないでしょう?」
その言葉に反応したのはまさかのその老人蚕人間だった。
「ひどい言葉を投げかけるものだ…いつ帰ってくるか朝も昼も晩も気になって気になって天様は寝られなかったんだぞ!」
一瞬、天の背後に黒い靄が現れた。脅すようにその蚕の方に向かった。蚕はひっと声を漏らし、後に下がって無言を貫いた。
その時、天が何かに気づいたように私を見て動きを止めた。そして、血の底から震えるような怒りのこもった声でこう言った。
「結花…一体何をされたんだ?」
なぜ急に怒り始めたのか分からず私はじりじりと後に下がった。
「天…一体どうしたの?」
見える事に気づかれたのか。それとも退魔師に会った事に気づかれたのか。
「……声が聞こえない。」
「声…?」
ずかずかと前へ歩いて来て、玄関を降りるや否や宙に浮かび私よりも目線を高くして威圧的に言い放った。
「声が!聞こえない!」
「声って一体何のことよ?全く理解が追いつかないわ…」
天は私を睨みつけたまま説明し始めた。
「人間は皆、心の声が私に筒抜けなんだ。だからこそ、祈りも感謝も憎しみも私の元へ届く。それなのに…今は結花の声は何も聞こえない…空っぽなんだよ。」
最後の方は静かにすっと元いた場所に戻り少し目線を下げた。
「何があったの?結花…」
そう子供らしい声で喪失感を漂わせて天は言った。
心の声が聞こえない。それはプライバシーを守る中でこの上なく私が欲しがっていたものだ。しかし、今のままでは日常生活すら危うい。
やはり伝える方がいいのだろう。
私は天を見つめて呟いた。
「そのために私はこうして戻って来たの。話があるわ…天」
そう言うと天の深淵のような瞳が私を見つめた。
台所でお茶を入れて息を吐くと、あらためて台所を見渡した。私が出て行った時と全然変わらない。天は私の前に座り、そして蚕は天の側に控えていた。
なんだかすごくやりにくい。今までずっと蚕が側にいたのだろうか?とても気まずい…
私はすっと蚕へ目を向けて口を開いた。
「一度、下がっていただけないかしら?すごくやりにくいの。」
ひっと私にまっすぐ見つめられた蚕は体を震わせて狼狽え、こくこくと頷くとさささっと下がって行った。
天は呆然としてこちらを見ている。
ある日唐突に全ての見え方ががらりと変わってしまった事を伝え、日常生活が送りにくいということも伝えた。
天はそれを聞くとひとつ尋ねてくる。
「私の姿に変わりはない?」
私はまじまじと天の姿を見つめた。強いて言えば
「いつもより纏っている闇が暗い気がする。たまに黒い靄を出していることがあったけど、あれは結構な頻度で出すものなのね。」
私がしみじみと言うと、天はこれみよがしにため息をついて見せた。
「やっぱりね。それで普通に歩き回れなくてここに帰って来たってこと?」
「えぇ…そういうことね。」
天は口元に嫌な笑みを浮かべる。
「随分と良いように活用するんだね。」
私はニヤッと笑う。
「貴方も私の事を心配していたんでしょう?寝れなくなったり、他の蚕達が消されると不安になるほど不機嫌になるくらいには」
天の表情が完全に落ちる。私はふふふと肩を震わせて笑った。天について謎に包まれていた部分がだんだんと解明されていくようだ。
「天蚕元神社に助けを求めに来た哀れな小娘くらい匿ってくれるでしょう?」
鼻の上に皺を寄せ、天に思い切り睨まれた。
私はふんと鼻で笑った。
忘れていないわけじゃない。あの日私にした事…した事といえばまぁ色々あるが、決定的な見切りをつけてしまった理由ははっきりしている。
「……勿論だよ。」
そう…そういえばと私は聞きたいことを思い出した。
「そういえば聞きたいことがあったの。」
これからももっと色々聞きたいことがあるがまず最初に聞いておきたいのはこれだ。
「他の蚕達は元々あぁやって私が見えないだけで普通に行動をしていたの?」
それだったら結構、気まずいのだが…
それに対し、天は口ごもりいや、と答えた。私は首を傾げて天を見ると天は子供のようなあどけない表情を浮かべて黒い瞳を逸らす。
「結花の髪を食べたあの日、大きく神力を取り戻して元々いた僕達が眠りから覚めたんだ…」
と、そう答えた。
やはりそうだった。私の髪、私とのあれは神力を取り戻す為に行った事。利用価値を見出して行った事なのだ。
私の利用価値は生娘だったという他にない。断りもなく私を襲った。
鎮火していた怒りがめらめらと腹の底から湧き上がってくる。
私はそれ以上一緒にいたくなくて、椅子を乱暴に引き立ち上がった。台所を出てガラス張りの廊下を歩き、元々私が初めて連れてこられた和室を連なる縁側沿いの部屋に出て腰を下ろした。
湧き上がってくる怒りをどうにか抑えようとする。
一体この怒りはどうして湧き上がってくるのか。一度は認めたお蚕様の事をあの出来事で震えるほどの怒りが湧き起こってくるのだろうか。
私は柱に寄りかかり、重い息を吐き出す。
すんと鼻に微細ながら、清廉された匂いを感じ取った。音もなく私の横に天が座ってくる。
「……何をそんなに怒ってるの?」
私は天の方を見たくなくてそっぽをむいたまま言った。
「もう私の心の中は読めないんじゃないの?」
「見ていれば分かるよ。結花は今怒っているんだよね?」
じっと私の方を見て、不思議そうな表情を浮かべていた。どこか人間離れしたその姿に私はつい言ってしまう。
「何故?長く生きている化け物なら人の気持ちは分からなくて当然なんでしょうね。」
「………」
天からの返答はなかった。それでいいのだ。帰って来て、何かを求めていたわけじゃないが、こう何もなかったと…いや、神力の為に手段の為に抱いたのだと言われたくなかった。
しばらくの無言の中、次第に冷静になっていく。化け物だと、そう私は今口にして言ったのだろうか。
私は横を見ると、天はまっすぐ前を見たまま表情を変えていなかった。ただ黒い靄が感情を表すようにとても複雑に天の周りを動いていた。
「…私には分からないよ。結花がどうして怒っているのか。あの日、どうして結花が怒って行ってしまったんだか私には分からない。」
幼い子供の姿でそう言うので私は次第に気まずくなってきた。一体、この子と何を話しているのだろうかと自分の中でも疑問が生まれてくる。
天とお蚕様を同一視するのは思った以上に難しい。
すぅと息を吐き出すと私は自分の腕をさすって柱に体重をかけた。神力の為だと言われるのだろう。何か利用価値を見出したから、と。でも私が欲しいのはそういう答えじゃないんだ。多分。
「あの日、どうして私の髪を食べて…どうして私にあんな事をしたの?」
それを聞いた天は私の方を見てまじまじと私の顔を見つめた。
「髪を食べたのは…凄く美しくて美味しそうだと思ったから。」
そうぽつりと天は言った。
私は天を眺める。幼い少年の姿の天に一体何を言わしているのかと罪悪感が襲って来た。
「………凄く美味で、綺麗で欲しくなっちゃったんだ。自分の物にしたくなって…それで美味しかった。」
「もういい。ごめんなさい。私が悪かったわ。もうそれ以上は言わなくていい。」
そう私は天に制止をかけた。だが天は止まらない。
「美味しかった…食べた途端、止まらなくて………結花を食べるのはあまりしたくない。」
今まで聞いた事のないような奇怪な声で一つ一つ自分の感情を解明していくように語った。
「…………でも、自分の物にしたくて…自分で全て満たせば私の物になると思って必死だった。」
ぽつりぽつりと私が思っていたような事とは違う答えが返ってくる。
「そう。そうだ。結花を自分の物にしたかった。」
と、ぱっと私を見て答えを見出したかのように伝えて来た。自分の物にしたかった?それであのような行動に移ったってことなのか?
天は私の顔を見つめたまま石のように固まって動かなくなる。そして、ようやく動き出すと口元に表情が広がった。
「人間が愛し合うのと同じだよ。」
今の一瞬の間に、全てが繋がったとでもいうように理解したような口ぶりで言って来た。私は顔から血の気が引いていくのがわかった。
天はニヤニヤと笑いながらどこで学んだのか分からないが急に私の髪に手を伸ばして触れた。
「短い髪も似合ってる。素敵だね。」
一瞬、理解が追いつかなくて動けなくなった。
ハッとして私は天を睨む。
あの一瞬で人間の性欲などと自分の行動を繋げて理解したのはすごい事だと思う。だが、私は物申さなくてはならないことがある。
「天…でも私はあの時ほぼ無理やり襲われたのよ。」
そう言うと、天はきょとんとした顔で私を見つめた。そして首を傾げて、またあの嫌な笑みを浮かべた。
「でも、最中はもっともっとっておねだりしてたじゃないか。乗り気だったでしょう?」
私に囁くように天は屈んで上目遣いをして言う。もっと…もっとって。
唖然として私は開いた口が塞がらなくなった。何を…というか、今の一瞬で一体何を学んだんだ…?
わなわなと体が震え始める。
これは悪影響だ。元々、子供だとも思っていないが子供の姿でこういう事を言われたくない。何と言うか怖気がする。
いや、それどころじゃない。最中の私の心の声が完全に筒抜けだった。
顔を覆ってうめき声を上げる。
「その姿でそんな事言わないで…」
「お気に召さない?私のこの姿の方が可愛いと思っているんだよね?」
私は首を横にぶんぶんと振った。
「確かに…人に近い姿の方が気兼ねなく話せるけど、それとこれとは別。幼い子供とこんな話をするなんて、気分が悪くなりそう…」
へぇ…と相槌を天がうった途端また一瞬動かなくなる。
「………結花はロリコンじゃないってことだね。」
いよいよ気分が悪くなって来た。八歳ぐらいの子供の外見なのだ…背筋が凍りつく。
「もうやめてあげる。」
天から少しだけ怒りが見え隠れしていた。
あ…やっぱり化け物と呼んだ事を気にしてる。
「………」
黒い深淵のような瞳を見つめていると突如、ニコッと天は無邪気な笑顔を浮かべて私の服を見た。
「着物の姿も綺麗だけど、洋服も似合っているんだね。今の服、好きだよ。」
そう言ったかと思うとごろっと私の膝の上に寝転がった。突然のことでびっくりしてしまったが、満足そうに天は私の膝枕で私の方に顔を向けて目を瞑った。
「結花と仲直りできて良かった。実を言うと見限られてしまうんじゃないかって怖かったんだ。もう二度と帰って来てくれないんじゃないかって。」
天は息を吐き出した。
「…でもそんな事なかった…帰って来てくれた」
何とも言えない感情が胸に広がる。
「去ってしまった後色々考えた。人間は畏怖の存在に恐怖する。今まで散々怖がらせてしまったから去られたんじゃないかって。だからできる限り人間に見えるように行動しようって思った。」
天はにっこり笑って眩しそうに目を細めて私を眺める。
「……言葉を紡ごうって思った。私にとって言葉はいらないもの。人間を騙す為の道具でしかなかった。」
風がそよめき、私のワンピースの裾と天の髪が靡いた。
「分からない事がいっぱいある。……でも、可笑しな事にこの胸の中に起こった気持ちは君達の愛情という感情に色が凄く似ているんだ。」
だからと天は囁いて私へ光を全く入れない黒い瞳を向けた。
「……大丈夫だよ。」
もしかしたら私はこう言う言葉を求めていたのかもしれないとそうそこで初めて気づいた。私はどこかおかしいのだろう。幼い頃、あの日この少年に会って命をかけた遊びをしてから私は大きく変わった。
この憎むべき化け物を愛してしまった。
その感情に不純物が入っているのか、私も分からない。あやふやな状況だ。感情など持たない快か不快かで生きているようなこの化け物がはっきりとした答えを持ってこれなくてもおかしくはない。
「……その言葉が欲しかったのかも。」
そう私はつぶやいた。
虫の声が聞こえる。太陽に照らされた庭はきらきらとしている。心地よい風と心地よい温もりを感じながら、私の太ももに頭を預ける化け物の髪に触れた。
するっと私の方に腕を伸ばして、私の頬に天は触れた。暖かい陽気に飲み込まれるところだった。バシッと私は天の頬を叩き身を引いた。天の体はまるで石のように固く微動だにしなかった。
「だから嫌なんだってば!」
私は肩で息を切らしながら天から距離をとった。
天はじっとその黒い瞳で私を見つめる。
「でも…」
私は天を睨む。
「本来の姿は好きじゃないでしょう?」
すぅと息を吐き出して、私は天を見つめた。
「でもこれよりも100%マシよ!」
目をぱちくりとさせた天は思惑ありげに微笑み囁いた。
「それじゃあ今夜こっちに来てよね。」
そう言うや否や天は去って行った。なんだか色々変化があってどっと疲れがやって来た。
まだ私は日常生活をどうやって送ればいいのか、聞いていない。それに、今夜ここで過ごす事に決まった事と蚕達との挨拶をどう行えばいいか考えていた。
蚕達の姿は比較的ましだと思う。
そう意識した時、どこかへ飛んでいたのか私の肩によく止まっている蚕が戻って来た。
それと共にあの老人蚕と外で話をしていた蚕二人、それと庭を綺麗にしている蚕がやって来た。呼んできてくれたのだろうか…
正式な場を設ける為か部屋を移され、座布団などが用意されている部屋に移動した。
「えぇと…改めてご挨拶をします。私の名前は宇土。」
そう老いた蚕の宇土がそう言った。外で話していた二人が鳴と寧。庭師が波といった。
それぞれの特徴をしっかりと見極めようとした。
特に鳴と寧は見分けづらい。声や口調から性別は全員男らしいが、何分種族が全く違うので性別があるのかすらも分からない。
鳴の方が子供っぽく、寧の方が朗らかだ。波は長身で私よりも少し小さいくらいなので見分けはつく。
ちなみにと私は彼らに尋ねる。
私は彼らの中ではどう説明がついているのか、と。宇土が咳払いをして説明を買って出る。
「天様の説明では大切にしている人の子とのことでしたが…」
宇土がまたもう一度咳払いをした。
「庇護者と庇護される子供という認識です…」
と、どこかそれだけではないような口ぶりで宇土は言った。
寧はこくんと頷くと、口を開く。
「私もそう思っていた。天様が大事にされている人の子だと。」
なるほど…私は理解する。どうやら、皆の認識の中で私は天に庇護される人の子供という存在らしい。ただ、その中でも宇土だけは認識が違う。
天に対して生意気な小娘だと思われてなくもないが、それは間違っていない。私は実際に生意気な態度をとっているし、それを天が許してくれているからだ。
だが、主君である天に対してこうも生意気なただが人間の小娘への感情がいいものではないのだろうとは思う。
……彼らの前では天を立てるべきではないだろうか?
「……私の名前は井狩結花よ。」
まじまじと私の方を見る3人の中で寧が声をあげた。
「結花様と天様はいつ初めて出会ったんだ?」
興味津々で尋ねてきた。どうやら二人も興味があるようで、体をそわそわと動かしている。
初めて会った時…
「私が子供の頃に…ここの境内の中で初めて会ったの。」
それ以上説明できるような事はなかった。彼らの中でも宇土は天への忠誠心を感じ取れたし、通常の神にとってどこまでが当たり前の範囲なのだか分からないが、結構化け物じみた事をやってのけていると思う。
私がそれで口籠ると寧は微笑んだ。
「ほら…天様は人間を喰らってしまうだろう?変哲のない人間の子…それも彼の方の好物である幼い子供を見逃したのかが謎なんだ。」
どうやら天が人を喰らうのは周知の事実らしい。
私は寧、鳴、宇土を順に見つめて行き、最後にため息を吐いた。私だって何故だか分からない。
天に聞いてくれ、と完全に任せてしまうことにした。
そういえば、と私は口を開いた。
「しばらく私はここに滞在しようと思っているんだけれど、私はどこの部屋を使っていいのかしら?」
その質問には宇土が答えた。
「ご案内します。水珠の間をお使いください。」
どうやら洋室ではなく、今度は水珠の間を使う事になったようだ。話ぶりを見ているとどうやらこの屋敷の管理をしているのは宇土らしい。
縁側をまっすぐ歩いていくか、以前乙の泊まっていた部屋の横の通り道を通過し、突き当たりの開かずの扉を開くと二階に繋がる階段があり、そこを上がってすぐ左の部屋が水珠の間だった。
中を開けると、乙の使っていた部屋のように不思議な部屋が広がっていた。中に入るや否や、全体的に白や水色のような色で作られた部屋が広がっていた。洗練されていて、和洋がミックスされたような部屋だ。
精巧な作りの椅子が二脚、ガラスの低いテーブルを中心として対照的に並んでいる。その奥に美しい布と石で作られたパーテーションが奥を隠しており、奥へ進むとパーテーションに使われている薄い水色の磨かれた石でできた美しい鏡台と同じ色調で揃えられたベッドが置いてあった。鏡台の横には衣装箪笥が置いてある。
その奥は一段低くなっていて、一面がガラス張りで、その窓の麓には座り心地の良さそうな大きな長椅子が置いてあった。長椅子にかかっている布とクッションで絶妙なバランスを作っている。その長椅子の横には小さなガラスのテーブルがあり、入り口のところのものと同じで、全てに一貫して使われている水色の石で縁が作られていた。そして、入って向かって左側の角には雪でできたような見たこともない植物が置かれていた。
部屋の温度は寒くもなく暑くもなく、ずっと心地よい場所で調整されている。
「ここは…貴方が用意したの?」
「左様でございます…現代の人に使いやすいように調度品を揃えさせて頂きました。」
「凄い…」
私はベッドのシーツに指を滑らせた。極上の触り心地のシルクだ。はたとして宇土を振り返る。
宇土は口元に手を添えて咳払いをすると胸を張って言った。
「そちらのシルクは此方で出来た物。最高級品ですよ。」
やっぱりだ…私はシルクの触り心地にうっとりして、夢中になって触れた。
そして、それに飽きると窓際へ歩みより、ソファに両膝であがると外を覗いた。そこは入り口の方が見える庭園だった。上から見ても見事に美しい。
そこで私は窓際に手すりのようなものがあるのが気になった。
「これは何?」
窓の外側に横一直線に手すりがついているが、壁自体がガラスなのでこれの必要性が分からない。
宇土は両手を前で組み合わせた格好で窓際に近づいた。すっと指を左側の柱に埋め込まれた雲のように渦を巻いた宝石に触れるとガラスは全て消え、外が見下ろせるようになった。
「わぁ…凄い!」
感嘆の声が漏れる。ここの屋敷は昔からの和風住宅なんだと思っていた。だが、部屋一つ一つを大きく作り変える事ができるのだ。これは素晴らしいことではないだろうか。
「いずれはここにお住みになるでしょうから自分の好きに変えてください。ご要望通りにいたします。」
そう当たり前のように言われ私はえ…と宇土を振り返る。宇土は低い視線から私をまっすぐ見て、もう一度言った。
「ここにお住みになるでしょう?」
「………」
私は驚いて言葉がでなくなった。
特に決めてはいないが、働いたり親から自立し、自分の部屋をどこかで借りようと思っていた。それにずっとここにいるつもりではなかったし…
その為、それが決定事項かのように言われて私は度肝を抜いてしまった。
「私はここに住むの?」
「…………違いましたか?」
宇土は困惑したように顔を顰めて、尋ねてくる。
どうなったら私がここへ住む話になるのか…確かに、ここで軟禁されていて住んでいた事も、奉公の為にここへ滞在していた事もある。
しかし、今や自由の身。ずっとここに住む必要はない。
「天様の口ぶりからそうなのだと思っていました。」
天が言っていたことには、今は子供だから学校へ通う為に遠くへいるが、いずれはここへ一生住む事になるだろう…と。
「……」
気が遠くなる…
「…まだ何も未定なのよ。」
私は自分を落ち着けるようにそうつぶやいた。
それを聞いてか、宇土は慌てたように手を胸の前で振った。
「それはそれは…」
天には私の将来を決める権利はない。気持ちを認める事はしたが、それだと決して叶えられない夢がある。
それは…私はいずれ結婚して子供を持ちたい。
人並みに子供に愛情を注いであげたい。そんな夢だ。
「天には悪いけど、私は自分で将来を決めるわ。天には口出しをさせない…貴方の前でこう言ってしまうのは悪いけどね。」
宇土はそれを聞くとううむと考え込んだ。
「天様は貴方の意見を聞きますか?」
私は思い出を振り返る。まぁ大体、私の意見は通してもらった気がする。ただ、頑固なのかなんなのか頑なに譲ってくれなかった事はあったが。
「まぁ…聞いてくれる方だとは思う。」
これからもっと私は遠慮なく行くつもりだ。お互いに関係が大きく変わりそうだから。
「……分かりました。それでは天様の意見とは別に、結花様の意見を聞いておくことにします。」
「ありがとう」
私は微笑んでそう言った。妥協してくれている方ではあるのだろう。ふかふかとした長椅子に座りながら脚を曲げ伸ばしする。
「………そういえば、貴方達はどこの部屋を使っているの?というか部屋を使っているの?皆の仕事内容とか、部屋の場所は聞いておきたいわ。」
宇土の部屋は奥座敷の近くにあり、天の部屋の廊下を挟んで向かい側にあるとのことだった。ガラス張りの回廊を通ってきて一番奥側だそうだ。
「以前からそこを使っていたの?」
こくっと頷いて宇土は言う。
「…産まれてからこの方、天様にお仕えしてきてずっとです。」
私は宇土を見つめる。
「そういえば…私、ほとんど天について知らないのよね。いいえ…ある程度伝記に書いてあった内容は知っているのよ。でも、ちゃんとした事は知らないの。」
「天様はその話を忌避していますので私からは何とも。ただ、私は彼の方が神として臨在しておられる時から支えております。ここの中では一番の古株でしょう。」
神として臨在していた…やっぱり、そうだよね。
私はこくっと頷いた。
「それならいいわ…簡単に教えてもらえるとも思っていないもの。」
宇土は私の方を推し量るような目つきで見ていた。
「……そして、私の仕事内容はこの屋敷の管理を任されております。何よりも重要なのは、天様に仕えることでしょう。普段は社の方か…奥座敷の方におりますが、こちらへ出てこられた時、呼ばれた時、おそばに控えます。」
なるほど…
身の回りのお世話、お蚕様の姿の時の入浴、掃除、食事について全て手配するらしい。私が奉公と称してやっていた事のほどんどである。
「次に、鳴と寧ですが…」
二人はそれ以外の雑務を行っていて、門の外の空間を調整したり、来客を確認したりしている。二人の部屋は洋室の前のガラス張りの回廊近くの七畳間を二人で使っているらしい。確かに自分よりも遥かに小さい子供のような姿なので、七畳間であったとしても広々と仕えるのだろう。
「最後に波と弐ですが…」
弐とは門に張り付いていた超巨大な蚕のことである。弐の仕事は門から壁の結界を維持し、天を守ることだった。あの門の中に、空間があり、そこで羽を休めているようだ。そんな空間などないように見えたが、この部屋のように魔法が使えてしまうので、それもなくはないのだろう。
波の仕事は庭の手入れ、そして庭番である。庭に入ってきた者を討伐する戦闘員らしい。急に物騒になった…
彼は庭園の中にある離れの使用人部屋で過ごしているらしい。
「本来使用人達は全てそこで過ごします。しかし、天様や紅雨の間の主の使用人はそれぞれの近くの七畳間を使用します。」
紅雨の間…今まで私が使っていた洋室の事だ。あの部屋は色々なところに手が加えられていて誰か使用している人がいたのだろうと思っていたが紅雨の間の主がどうやらいるらしい。
「紅雨の間に人が今いるの?」
「いいえ…しかし近いうちに帰ってくるとのことを申しつけられたのでご用意させて頂きました。」
「私がここに居て駄目な相手とかなのかしら?」
宇土は首を横に振る。
「結花様は天様じきじきに言われた相手なので、文句があれど天様に歯向かう事はないはずです。」
ということは私へその当たりがくるのではないだろうか。憂鬱である。
それでは…というと、色々説明をしてくれた宇土が下がろうとしていた。
私は宇土に微笑む。
「色々説明してくれてありがとう。」
「いえいえ…お好きにお過ごしください。何かありましたら、鳴や寧に申しつけてください。」
そう言って、宇土は下がっていった。
私は息を吐くと暗くなってきた外を眺めながら長椅子に横になる。クッションを頭の下に引いて、頭の後で腕を組む。
一気に情報量が増えた。この屋敷の事…天について…
見えるという事はこういう事なのか…
私はもう一度ため息を吐くと、空を見つめながらその後の時間をゆっくり過ごした。
時刻は七時を過ぎた。私は下へ降りて行き何か食べられるものを作ろうと台所へ行く。台所で食材を見つけそれを使用し、調理を行った。
四脚のイスのうち一つに座ってそれを食べ始めると、ととととっという音が聞こえてきた。
私は目を丸くしてそちらを見ていると、台所の扉から誰かが飛び込んできた。
「……貴方達!」
入ってきたのは黒の子達だ。丸刈りの子とおかっぱの子。
私をきらきらとした顔で見つめていた。
「久しぶりね…あえて嬉しいわ。」
私が頬を綻ばせてそう言った時、そこを鳴が通りかかった。鳴と寧は二人で人セットのような気がしていたけど、どうやら寧はいないようだ。
「うわ…どこから入ってきたんだ?」
そう言って台所に入ってきて私を見つけた。
「あぁ…結花様。結花様に引き寄せられて入ってきたんだな。」
「私に引き寄せられて?」
あぁと頷いて、鳴は私の前の椅子に座った。
「穢れの子達は天様が屋敷に入れるのを凄く嫌がっていたんだけど、ここへ戻ってきて穢れの子達がいてびっくりしたんだ。」
穢れの子…
私は嬉しそうに私の左右に立っている二人を見つめた。
「こいつらは特に結花様に懐いているな。」
「まぁそうね。」
あの日のことを思い出してそう頷いた。
「男の方がちょうで女の方がらんって言うんだな。合わせてらんちょうだ。」
そう笑いながら鳴は言い放った。
「え?…どうして分かるの?」
鳴はこてんと首を傾げて不思議そうな顔をして私を見た。
「だって、二人がそう言ってるから…」
私は目を瞬かせた。二人の言っていることがわかるのか…
「………正確に言うと思念だけどさ。」
ふんふんと鳴は二人を見ながら頷いている。何を言われているのか聞きたいが、我慢だ。
そうか!と言うと鳴は豪快に笑った。
「面白い人間なんだな!結花様は…天様に喰われていない時点で相当面白い人間だが、穢れの子達をこうも気に掛ける人間なんて初めて見たよ。」
肩を震わせて笑う鳴。私は目が遠くなる。
「…こいつらに触れるのは天様くらいなもんだよ。触れれば私でさえ、穢れが侵食して数日死にかけるからな。」
そう言い放った。
「そうなのね…」
「帰ってきてくれて嬉しいそうだ。また本を読み聞かせて欲しいと。」
私は二人に笑いかける。
「いいわよ…今夜私の部屋にいらっしゃい。」
そう言うと二人はこくこくと頷いた。
そういえば、本がない。紅雨の間に入るわけにもいかないし、どうにか工面してもらわなければ…
私は鳴へ視線を戻してそう言った。
「あぁ…分かった。用意する。あの部屋にない本を用意すればいいんだな?」
「えぇ。それでいいわ。」
そこでふと私は紅雨の間の主人について疑問に思った。ここは天の屋敷。左右に分かれるように対等のように作られている。天にとって随分と親密な相手ということなのではないだろうか。
「……紅雨の間の主人ってどういう方なの?」
そう私が尋ねると鳴はきょとんとした顔をする。
「紅雨の間の主人は天様の大事な方だ。説明するのが難しいが昔から世界を放浪し、そしてぶらりとこの屋敷に帰ってくる。」
私は少し考えこむ。
自宅に人間がいるのだ。今までのいろんな異種族の反応を見てきて人間に対し、いい思い…というかなんの思いも持っていないように見える。
神とかからすると人間は皆、変わらず動物のように見えるに違いない。見える人間達、退魔師は結構害悪だと思っていそうだが…
「………人間嫌いだったりする?」
私がそう尋ねると鳴は少し考える。
「どうだろうな。私は人間と一緒にいる彼の方を見たことがないから。好きか嫌いかは分からない…ただ、何かあったとして天様が結花様を庇えば憤慨するような気が…」
嫌な感じがしてきた。その方が来ている間は一度帰った方がいいのではないか…
だが、どうやって日常生活…特に気味の悪いものに対処するかを教えてもらってからだ。
「ねぇ…鳴。」
ん?とちょうの方を見ていた鳴は私の方へ顔を向けた。
「頼み事が色々あるのだけれど、聞いてもらえないかしら?」
じっと鳴は私を見つめた。
「いいよ。ただ内容によるけどさ。」
私はまっすぐ鳴を見つめて聞いた。
「……私は今まで見える人間じゃなかった。急に見えるようになって、色々困惑してるの。ここを出るにしても、普通に生活する事すらできない…」
鳴は目を見開いた。
「私とは普通に話しているように見えるぞ?」
笑いが溢れる。
「そうね。天や…以前ここに来た乙…この子達と話して生活する上で大体慣れたわ。だけど、外の奴らは違う。」
蚕人間とあの魑魅魍魎の姿はどうしても一緒に考えられない。
「なるほどな…それじゃ主人が来るまでにここを出られるようにしたいのか。」
私はこくっと頷いた。
「それが目標。色々面倒な目には会いたくないもの…」
分かったと鳴は頷いてくれた。私は顔を綻ばせる。
「ただ私が教えられるのは、こっち側のやり方だけだ。人間のやり方は知らない。」
分かっていると呟いた。
ただ少しでもそれがヒントになればいい。
退魔師達は…当てにできない。一瞬華の顔が浮かんだ。だが、稲橋家と離れるまでこの力を嫌っている彼女を苦しめることはしたくない。
その後、寝る準備を終え鳴からもらった本を傍に部屋にらんとちょうを呼んで本の読み聞かせを行った。部屋の間接照明を付け月明かりで照らされた部屋で読んでいるとだんだんと睡魔が襲ってきた。
翌朝、気持ちのいい長椅子で眠り心地のよい目覚めだった。部屋の外にある化粧室などで身支度を整える。昨日は洋服だったが洋服の替えはない。
久しぶりに着物に腕を通し、身の引き締まる思いだ。
下へ勢いよく駆け下り私は台所へ向かった。朝食の用意を行っていると鳴が声をかけてきた。
「結花様。おはよ。」
そう言うと鼻を鳴らす。
「いい匂い…何を作ってるんだ?」
「貴方達って何か食べるの?」
私はびっくりして鳴を振り返る。鳴は顔を顰めて声低く言った。
「蚕が何も食べられないって知ってて言ってるのか?」
さぁと血の気が引いていく。
確か蚕は人間が蛾を品種改良し、繭をとるために成虫になった時に卵を残すため交尾をするだけの存在に…口を無くしてしまったのだ。
口をぱくぱくとしている私を見て、ぷっと鳴は吹き出した。
「そんな顔をするなよ。結花様!面白いな…冗談だよ。冗談。私達は普通に食事をする。ちょっとした内輪ジョークだ。」
顔が引き攣っていくのが分かる。私はぱしんと鳴の肩を叩いた。
鳴はげらげらと笑って私の手元を覗き込んだ。
「料理が上手そうだなぁ…私にも何かくれ。」
「食べられないものは?」
ない、と鳴は答えた。私は自分のためにつくっていた分を少しかさ増しをし二食分を作りテーブルに運んだ。
私の前に座った鳴は美味いと言って丁寧な箸使いで食事をとっていく。美味い美味いと言ってくれて私は少し不思議な気分になった。
和やかに朝が始まったと思っていた。その時だ。
「…おい」
と、不機嫌な低い声で台所の戸口のところから声をかけられた。
その声に瞬時に反応したのは鳴だった。ばっと立ち上がって端に寄る。一拍おいて私は顔を上げた。
黒い靄をいつも以上に放出しながら人を殺しそうな顔をして立っていたのは天であった。
端にいる鳴が口パクで私に何をした?、と聞いてきた。
私は思考を爆速で巡らせて考えたが怒らせたきっかけが分からない。そんな中、天は口を開いた。
「昨夜、約束をほおっぽっただけでなく、朝から他の者と楽しそうではないか…」
口調が完全に子供っぽさが抜け、淡々とした怒りを発した声で尋ねてきた。私はそこでようやく合点が行き、あぁと呟いた。
そんな事か…確か昨日は、来いとは言われたものの…
「約束はしていないでしょう?」
天の顔がさらに怖くなる。
「約束をしていない…だと?昨日はっきり言ったはずだ。部屋へ来い、と。」
私は目を細めてずいっと体を前へ倒し頬杖をついた。
「だから…私は行くと約束していないのよ。口に出していないのだから約束は無効も同然でしょう?勝手にそう言って去っていったのは天の方よ。」
そう言って鼻で笑うとぶわっと黒い靄が辺りに広がった。
天の後に控えていた宇土が顔色悪くうめき声をあげ、鳴は天に触れないように戸口から体を滑らせ出ていった。
深淵のような目が私を突き刺す。だが私は怖くない。
「……何を勘違いしているのかは分からないが、私が言ったことは絶対だ!」
声が二重の響きを帯びる。ただ、それに私は動揺せずにこっと笑った。
「絶対?へぇ…そうなのね。」
だんだんと腹の底が冷えていく。
「それが、貴方の愛する人に対する態度なのね…」
サッと黒い靄が晴れ、怒りの表情を浮かべたままの天が私の前の席に座った。
「それに私は知らない事がありすぎるの…昨日無理やり退魔師に見えるようにされてしまってから私に起こった変化は大きいわ。それだけでなく、この屋敷も今までと違う。紅雨の間の主人が近いうちに来るんでしょう?こうも対処しなくてはならない事が多いのに今までのように貴方だけに時間をかけるなんて無理よ。」
そうはっきりと言うと、天の深淵の瞳が怒りを残して通常になった。
「………」
「今まで貴方から教えてもらわなくてはならなかったことが…色々ある。昨日話したように私は貴方と違って相手の心を読めないから、今までずっと情報を隠されてきたみたいよ。」
ふんと鼻を鳴らすと天が息を吐いた。
「分かった。……今までの謝罪をするよ。悪かった。けど、私は昨日楽しみに待っていたのに約束を破られて悲しかったんだ。これからは結花の知らない事を…学ぶ時間に専念できるようにしてあげる。」
そう天は言った。
許可はもぎ取った。この世界についての知らないこと、ギャップを挽回するチャンスだ。
「…ありがとう。」
新たな志を胸にテーブルの下でぐっと拳を握った。
天が落ち着きを見せたので、廊下に立っていた宇土が中へ入ってきた。いつものように腹の前で指を組んでいる。
「それでなんだけれど私は紅雨の間の主人が来る前にここを出ようと思っているの。」
ぴしゃんと雷に撃たれたような顔をする。
「……」
私は特に気にせることなく続けることにした。
「余計な争いはしたくないの。人間がここにいるというのを知って、貴方の仲の良い方との関係を悪くしたくない。それを先に言っておくわね。」
返答がないので私は食器を持ってシンクの中に入れた。先に歯を磨いてこよう。私は台所を出て行った。
あれから暫く経った。
仕事の合間に鳴にいろんな事を教えてもらった。この世界の事、今まで見えていなかったものについてだ。
勉強していくにつれ段々と知っている情報と繋がっていく。
何よりも私が一番聞いていて興味を持ったのは、異能について…人間の使う霊力についてだった。退魔師が使う力の一つでもあり、魑魅魍魎達と戦うのに必要な力だった。ただ、どうしても退魔師に対していい思いを持っていない鳴からの言葉なので、退魔師の説明は結構棘がある。以前から退魔師には事欠かない生活を送ってきたらしかった。
「霊力は人それぞれ…見えるから持っているというわけでもなく、見えなくても持っている人はいる。」
ほぉと呟くと、どこから話を聞きつけてきたのか天が顔を覗かせた。
「因みに結花の霊力は極上ものだからね。」
そう言っただけで去っていった。
私は目を丸くして天の言った言葉を噛み砕いて説明してもらえるように鳴を見た。鳴はやれやれと首を振ると口を開く。
「霊力はその量、質によって…特に人間を喰らう者なんかでは大きく評価が違う。」
じっと青い目で私を見つめた鳴は私の腕をとった。すると、触れたところから静電気が走るようにビリビリとした感覚が体の中に入ってきた。びくっとして鳴を見つめると、鳴は深く頷いた。
「…こりゃすごいな。初めてだ。」
初めて?何の話だろう…
私は鳴にどういうことか尋ねる。すると、鳴は面白がりながら言った。
「天様が言ったように莫大な量だけじゃなく、質が最高級だってことだ。今し方少し力を流してみたが…この凄さを共感してもらいたいな。」
じとりと鳴を見ると鳴はニコッと笑った。
「……冗談だって。あまり良い感覚はしないだろ?」
さっき流された力について言っているのだろう。静電気が走ったようにびりびりした痛み不快感があった。
「こちらからすると人間の霊力ほど親和性の高いものはない。だが、異なる力が入ってくるのは人間からすると不快なものでしかないだろ。」
「えぇ…結構不快感があった。」
霊力や妖力…その他の力の交換、吸収についてのあらゆる説明を受ける。鳴は本当に最初から分からないことを全て教えてくれるのでとても分かりやすい。
「……鳴。何かの先生になったら?」
あ?と鳴は聞き返す。
「つくづく思うのだけど、教え方が上手よ。」
鳴は目を数回パシパシと瞬くと笑った。
「そりゃ…何も知らない赤ん坊に手取り足取り教えているようなものだからな。」
えぇ…私の事を子供扱い。
まぁ、私は数百年以上生きているであろう天や蚕達と一緒にされるとまだ生まれて20年も経っていない赤ん坊のようなものなのだろう。知識量のなさといい生きている年数に加えて赤ん坊のように見られていそうだ。
嫌な考えが一度脳をよぎったが、それ以上考えない事にした。
「………そういえば、貴方達はどうやって生まれたの?生まれて何年になるの?」
鳴はしばらく考え込んだ。
「どうやって生まれた…私達は天様の力から産まれた。人間で言う親が天様のように見えそうだが、それとは違う。完全に主従の存在として産まれてきた。」
さらに考え込み、鳴は唸る。
「何年…何年だろう。」
その時、寧が顔を出した。
「しばらく消滅していた期間を含めると千年近くだ。」
「あぁ…なるほど。そうだな…暦が色々あって分かりにくいが、西暦というのを使うとそれくらいになる計算だ。」
呼吸するのを忘れて二人の顔を見つめていた。
千歳……千歳だって?
「消滅していたのは三百年くらいか…なぁ寧。以前の記憶が完全に戻ったか?」
「いんや…朧げには覚えているんだが…」
二人がそう話をしているのを不思議な気分で眺めていた。齢千歳の者と出会う機会なんて滅多にない。実存している相手がいて不思議な気分なのだ。
「………そういえば、二人はよく一緒にいるな。何をしているんだ?」
私と鳴の顔を順番に見ながら寧は尋ねる。それに答えたのは鳴だった。
「天様の大事な人の子にこの世界の事を教えているんだ。何も分からない赤子同然で結構可愛いぞ。」
「ほう…そうなのか。」
そう二人は話し始めた。
年齢の差はすごく感じるが、赤子赤子と何度も呼ばれるのは嫌だ。実年齢があともう少しで二十歳を越すというのに、ずいぶんではないか…
また、ある時には種族について話してもらう事があった。
「はっきりとした定義はないが…」
意思を持ち神格化したもの。神の眷属として、神の核から産まれてきた者。妖怪といわれる類。穢れや魑魅魍魎の類。そこに該当しないものがいる。
「神の核から生まれてきた眷属は神には逆らえない。意思は全て読まれるし、謀反を企てても神が繋がりを切るとそこで眷属は終わりだ。」
眷属は神の力をエネルギーとして吸収し生きている。食事は人間のように優先順位が高いものではなく、娯楽や趣味としてとっているに過ぎない。
たまたま私が食事をとるので、それに便乗して毎回鳴は仕事を抜け出し私と食事をとっている。
「だが忠誠心はそれぞれだな…弍や宇土は忠誠心の塊みたいな奴らだが…私みたいなのもいる。」
にっと笑って鳴は腕を広げてみせた。
忠誠心…その言葉を聞いてふと思う。私のこの感情は忠誠心に近いものもあるのだろうか?一度、理解した感情がふっと手にとって分からない靄みたいなものになった。
恐怖…依存…忠誠…愛情…
どれが私の感情を形作っているのか…いや、どれが私の感情の大部分を占めているのか。
その後私はこの疑問に悩むことになる。
そしてこんなこともあった。
「そういえば、天はあまり言葉を発さないでしょう?鳴達は言葉を発するし、結構昔に消滅してまた目覚める為にかかった期間は長い…それなのに、随分と現代みを帯びているのね。」
天の言葉の少なさは異常だ。とはいえど、あれから頑張ってくれているようだが…全く足りていない。
それを再認識すると、やっぱり全く違う存在なのだなと再確認する。
「あぁ…それはな。」
鳴はなんてことなさそうにさらりと語る。
自分達はここに来た人間の思念、また天の社の氏子、産土達を全て見ることができるのだ、と。
以前天も似たような事を言っていた。
「こう喋った方が今どきだろ?」
そう鳴は聞いてくる。
「ん〜まぁ…そうね。」
「それに、天様は言葉を話す必要がないからな。言葉とは本来、言霊と言って天様くらいになると必然的に発された事で大きく形になってしまう。あっちの人の形で喋るのはそういう理由があるからだ。」
なんと…かすかに思考を過ったのはあの日のこと。感謝の印だとして、そういう言葉を語ったのが最後だ。
あの時はなぜ、何も口にして言ってくれないのかと思ったが、もし口にされていたら。
…永久にここへいてくれ。自分のモノになってくれ。
私はどうなっていただろう?
天に理性や本能があるのかは分からないが、言葉を口にしないのが幸いしたのかもしれない。
「…それに、あの人の形だって生き餌として人の子を誘き出すのに役に立つから使っていただけだしな。」
だろうと思った。そこは私も思っていた。
今までどれくらいの子供が犠牲になってきたのだろう…
そう考えていたが、あまり自分は情が深くないことに気づいた。いくら私と無関係の他人が傷つけられても、胸は傷まない。
ただ底なしの恐怖はあるが…
「……ねぇ、鳴。私が聞いた事について、天には伝わらなかったりする?」
鳴は少し唸りながら顎に手を添えて考える。
「あ、そうだ。紙に書いてくれればそれを見て筆談する事ができる。思念といっても、こうしようという自分の明確な行動についての念や油断して垂れ流している時、敢えて流す時しか流れないしな。」
そこで私はペンと紙を用意し前から思っていた事についてさらりと書いた。
……天は未だに人の子を喰べているのか?……
これを見て鳴は一瞬ハッとした顔で私を見て固まる。そして、視線を揺らした後、恐る恐るペンを取り書こうか書くまいか悩んだ末、こう書いた。
……知らない方がいい……
私の口からため息が漏れる。そうか…そうなのか。やっぱり。
「…答えてくれてありがとう。」
そう私は危険を犯して答えてくれた鳴に伝える。
鳴はとても気まずそうな顔を私に向ける。何度か喰われそうになった身だ。そこまでの何かはない。
ただ…今まで清掃していたあの血、肉片。あれが何のだったのかは考えないようにしなきゃ。
そこからまた数日。その日私はいつものように鳴と話をしたり、鳴の仕事について行ってそれを見学したりしていた。
その夜の事。夕食の準備をしている私の元にふらっと天が現れ言った。
「明日…紅がここへやってくる。」
紅…性別の分からない名前。宇土や鳴、寧、弐そして天から何度も感じられたこことの深い繋がり…
私がここにいて、面倒なことになったら困る。
私はそれを聞きながらぼんやりとある時の事を考えていた。それは、母に小学校の遠足でお弁当を作って欲しいと言った時。
私の母はキャリアに命をかけているような母で洒落っ気はなく、つねに必要最低限の化粧と黒縁の細長フレームの眼鏡をしていた。
その時はまだ、私が一人で生きられないからと母が七時になったら帰ってきていた。母にお弁当の事の書かれた紙を私は恐る恐る差し出す。
「おかあさん…これ」
母はそれをちらりと見ると何も言わずに溜息をついて料理を夕食作りに戻った。その日、学校で友人達がお弁当楽しみだって言っていた。
私だってそう言ってみたかった。
そのお弁当の日、当日。母の姿はなくあったのは机の上に置いてあった千円札と簡素な置き手紙。
…これで買ってちょうだい…
それをみた途端、足に力がなくなって崩れ落ちた。どれくらいの間か、私は全く動けなくなってしまっていた。だが今日は友人と楽しみにしていた遠足だから。
私は急いで近くのコンビニへ千円札をぐしゃぐしゃに握って走っていく。コンビニでお弁当を買って私は家に帰って、自分の小さなお弁当箱を出す。
うまく詰めようとして箸で掴んで詰めていくが、目の前が霞んで見えなくなった。ぽとぽとと頬を何かが伝っていく。
目を擦りながらお弁当を用意して、リュックを用意して急いで学校へ行く。学校にはバスがもうやってきていて、若干遅刻だった。
なんてことないように誤魔化して…
その日のお昼の時間。皆が可愛いおしゃれで美味しそうなお弁当箱を見せている。こんなぐしゃぐしゃのお弁当を見せられるわけない。
「結花ちゃんのも見せて〜」
そう一人の子が言ってきた。
「やだ」
私は必死にお弁当を見せないようにする。だが、子供は嫌がられたらどうしてもやりたくなる。努力の甲斐なく、お弁当を奪われる。
それを大人数が覗き込んで固まった。
シーンと静まり返る。
周りが見れなくて俯く。
その途端、くすくすと笑う声が聞こえた。それが大きな合唱のようになったのはすぐのことだった。
「結花ちゃんのお弁当…生ゴミいれたみたい」
「生ゴミ?」
「そういえば変な匂いする」
ゲラゲラと笑う子供達。一番残酷なのは、子供だ。私の胸はズタズタにされた。ぼろぼろと涙をこぼして、先生にまで気遣われる。
その日の夜、母が帰ってきてから私は震えながら母に言った。
「おかあさん…なんでお弁当作ってくれなかったの?」
毎日毎日、健康だけを考えて作られた味のついていない夕食。母はそれを作りながら、心底面倒くさそうに私を見下ろした。
眼鏡の中から迷惑そうな瞳が覗く。
「こうやってあんたを生かす為に夕食を作ってるから十分よ。」
今日の昼食の時間が私の頭によぎる。その途端、母の表情がキッと変わる。
「その目つきは何?」
母は私を思い切り突き飛ばした。頭を机の角でうち涙が溢れてくる。ゴミか何かを見るような目つきで母は私を見下ろした。
「あんたの存在が迷惑なのよ。生かしてやってるだけありがたいと思いなさい。」
体が震える。涙が溢れる。心臓の奥の奥が冷たくなり、何度も裂かれた胸に二度と治らない傷を深く抉りつけた。
私はいらない子だった…私は迷惑な存在?私は生きてちゃいけない存在?
声をあげて泣くと煩いと母に叱られる。だから私は自分の部屋に戻って、声を必死に押し殺して泣き始めた。
私のもう一つの居場所。やっと見つけた場所。
今度こそ失敗はしない。迷惑な存在にはならない。
私は天を見つめて微笑む。
「それじゃあ私はこの後すぐに帰るわね。安心してちょうだい」
夕食を終え私は部屋に戻り少ない荷物をまとめる。そして、屋敷を出ようと玄関を開けたその時、目の前には真っ赤な葉が幻想的に舞う、季節が変わってしまったのかと思うような景色が広がっていた。
ゴーンと鐘が鳴り、何かの楽器が夜空に鳴り響いている。
私の腕がぐっと引かれた。
鳴が私の腕を引いて茂みの方に隠してくれた。目を白黒させていると、鳴は向こうへ目を向ける。
飛び石を滑るように歩いてくるのは美しい黒髪を風に靡かせた美しい人だった。雪のような肌。目を伏せていても華やかだ。豪華な飾り房のついた傘を差し堂々と歩み出てくる。
玄関の前にはいつの間にか天が現れており、親しげな笑みを浮かべる。
「ここにいるんだ…波にタイミングを見計らって逃してもらえるようにな。」
と言って鳴は私を置いて紅の前、天の右側に並んだ。いつの間にか左側に寧が立っている。
すっと二人は頭を下げた。
「紅様。おかえりなさいませ。」
二人の声音がぴったりと揃う。
彼らが玄関の中へ入るまで気が抜けなかった。私は息を押し殺し、茂みに身を隠している。玄関が閉まる音がして、そちらへ顔を覗かせると後から声がかけられる。
「きゃっ」
私は驚いて尻餅をつく。そこには波が立っていた。声を発さず顎でついてこいと示した。私は波の後を急いでついていく。波は私より背が低いはずなのに進みが早く、正面玄関ではなく裏口へ案内してくれた。私は急いでそこから駆け降りるように山を下ったのだった。
次の日。私は急いで逃げ帰るようにして自宅へ帰る。その道すがら会った汚れには臆す事なく、私の周りに半球上のドームが張っているように汚れを全て消していく。
あの蚕は今や私の肩に戻り羽を休めて周りを見張っていた。
私は大学への道を進みながら気持ちのいいものではない汚れをできるだけ視界に入れないようにし、大学に到着した。
今日は華と顔を合わせたくない。華と会う場所を全て避けその日を過ごしていた。
しかし思った通りにはいかないようだ。
「…結花!」
華の怒った声がかけられ私の腕をぐいっと引いた。
私は出来る限り平常心を心がける。
「何?」
振り返って華へ目線を合わせようとした。だが、それは無理だった。
華の周りを覆うような美しい天女のような衣を持った真っ白の魚が柘榴色の瞳を私へ向けていた。
ひゅっと喉の奥が鳴る。
それに華は気づいてしまった。
「結花…」
狼狽えて後に数歩下がったかと思うとひどく怒った顔で洸を罵る言葉を吐き捨てた。
「洸に何をされたの!?」
そう私の腕を掴み直し、強い力で握ってくる。
私は左右に首を振って微笑む。
「何もされてない。」
「嘘でしょう?はっきり見えているんでしょ?…コレが!」
と、自分の上の魚を指し示した。
「…………いいえ」
私は腕を丁寧に解き赤くなった腕をさする。
「もう行かなくちゃ…華。」
そう言って私は背を向ける。
華の家族同士を仲違いさせる気はない。なんだかんだ言って二人は仲が良さそうに見えた。………大切な人の家族を奪いたくない。
私はその日から華と全く会わなくなった。華は何度か会おうと試みてくれたが、私がそれをことごとく避けた。
優にも会うことは好ましくないと思っていたので会わなかった。どちらにせよ、彼にも今や大事な人がいる。
息を吐き出し、私は自宅の洗面台の鏡に映った自分の姿を見つめる。
白い肌。漆黒の髪。長いまつ毛。どこをとっても非のない顔。どこかでみたことのある顔とそっくり…ゾッとするほど不気味な顔。
震える息をもう一度吐き出して、自分を抱きしめる。震えが止まらない。
自分はいらない子じゃない…自分は存在してはいけない子じゃない…
………本当に?
どれくらい経ったか。六月十二日。私の二十歳の誕生日。その日は祖父母が家へ私を呼んで、成人を祝ってくれるという話になった。
今日は出前でとった寿司と祖父が大事にしていたという酒、そして遠くまでいって買ってきたというケーキを貰った。
「ありがとう…」
私は笑って、そのほかにも用意された料理へ目を走らせる。
「……おとうさん、これは結花は飲みませんよ。」
そう祖母が祖父をこづく。祖父がしょぼんとして自分の秘蔵の酒をしまう。
初めての酒だ。
祖母が買ってきてくれた甘い飲みやすいというお酒をコップに注いでもらい乾杯をした。
その日は楽しい誕生日になった。本当にすごく楽しい誕生日だった。
テレビの音。外の小雨の音。
祖父母の話し声。
私ははっきりとここが私の居場所なんだって痛感した。こうして私のことを愛してくれている二人がいる。これ以上何がいるというのだろう…
私は一時、あの屋敷の事をすっかりと忘れて楽しんでいた。
しかし、コツンコツンという物音が聞こえて状況が変わった。
「何の音だ?」
と、祖父か立って音の鳴っている方向へ歩いていく。しばらくしてなんてことなかったように帰ってきた。
「枝が雨にさらされて当たっている音だった。」
私はクスっと笑う。
「誰かがノックしているのかと思ったわ。」
くわっと祖父が目を見開く。
「それは怖すぎるだろう…」
けらけらと私と祖母は肩を震わせながら笑う。だがその後も定期的にコツンコツンという音が聞こえ続けた。
しかし、その物音は私にしか聞こえないようでますます怪異じみてきた。私はお手洗いに行くと言って立ち上がりその音のする方向へと歩いていく。
そして、横開きの庭に面した窓のところに見慣れた顔を見つける。私は少しだけそこを開く。
そこにいたのは鳴だった。
「今日、誕生日だったのか?」
私は酔っ払っていたのか頬を緩ませた。
「えぇ…そうだったの。」
出られたのかと心の中では思いながら、鳴を見つめる。
「誕生日おめでとう。…天様が呼んで来るようにって…」
「……」
祖母がやって来た。私は濡れてしまった床を拭きながら苦笑する。
「ごめん。枝を退かそうとしてちょっと外へ出ちゃったの。」
「あらあら…」
祖母は近づいて来て私の頬へ手を伸ばす。手が届かないので私は顔を近づける。久しぶりにタオルで頭を拭かれた。
「もう大丈夫…おばあちゃん。」
そう私は膨れっ面をしてみせると祖母はちゃめっ気たっぷりに笑った。
「大人になっても貴女は私の可愛い孫なんだから。それを忘れないでね。」
「……うん」
声を震わせないように言うのが精一杯だった。
ピンポーンとチャイムが私と祖母で夕食の準備をしている時に鳴る。誕生日から一週間経った時の夕方の週末。土曜日に私はこっちの方まで来ていた。
誰かしら、と呟いてエプロンで手を拭い、予期していなかった客が誰だかを確認するためにチャイムの画面を覗きに行った。
この家のチャイムの画面はキッチンの中にあり、老人だけの家に変な奴らが来たらと心配して、祖母の為に祖父が取り付けたものだ。
私は祖母の後姿を見送り、料理を再開した。だがしばらく経っても祖母の声が一声も聞こえないので私は不審に思い振り返った。
祖母は真っ青な顔で画面を見て固まっている。
私は急いで祖母の元へ駆け寄って画面を覗き込んだ。
そこにいたのは…私の父。井狩哲郎であった。
衝撃を受けると同時に、父がやって来たことに喜びを覚えた。そして、束の間もしかしたら私の成人の誕生日の為に忙しい合間を縫ってやって来てくれたのではないかと思った。
「お父さん…!」
隣にいる祖母の表情は硬い。
「………哲朗。」
「俺だ。母さん開けてくれ…」
そう言って、父は唐突に私の元へやって来た。
私の父は涼太の父勇次郎に顔が似ている。誰が見ても強面の顔。だが、全く違う部分がある。それは、表情の違いだ。
厳しい表情を常に浮かべ、黒髪をぴっしりと後に撫で付ける。刻まれた皺は人生の濃さを語る。声は低く威厳があり、誰でも恐縮したくなるような人物だ。
最後に会ったのは確か七歳の時。私を何もない正方形の部屋へ連れて来て私の前に立ち、その鷲のような目で私を凝視していた。だが、それ以来一度も会っていない。
記憶の中の父よりも皺が深く、そして幼い頃何度も見た父の写真の面影がある。
父が部屋の中までやってくると、私を一度も見ずに祖母へ聞いたことのない口調で語りかけた。
「…母さん。一度、九蘭家へ帰って来てくれないか?」
私の隣に座る祖母は体をとても硬くしている。呼吸をしていないのではと思うほど顔の色が悪くなっていた。
「いいえ…私は帰りませんよ。」
そう頑なな口調で祖母は言った。
「頼むよ。母さん…」
再度、父は祖母へ頼む。まるで懇願するような響きに私は驚きを隠せない。
祖母はまっすぐと父を見て言った。
「結構だと言ったはずですよ。」
どこか他人行儀な祖母と父の態度がどこかずれていて変に感じる。
父はすっと祖母に頭を下げて言った。
「桃華は母さんの孫だろう?」
桃華…?聞いたことのない名前だ。私は困惑し、祖母と父を変わるがわる見る。祖母の表情がさらに硬くなる。
父はさらに続ける。
「母さんにとっても可愛い孫娘のはずだ。桃華も会いたがってる…もちろん佑月もだ。」
「………」
祖母の目は厳しいものになる。
桃華…?佑月?だれ?二人の共通点で祖母の孫…
父は私の記憶にはない姿で、まるで普通の父親かのように祖母の前で懇願していた。
「二十歳の誕生日には来てくれるっていう話だったろう?」
それを聞いた途端、祖母はぴしゃりと言った。
「私の孫は結花、涼太、颯太、瑛太の四人だけよ。」
その祖母の言葉を聞いて初めて父の目が私へ向けられた。厳しい目。あの日の記憶の姿。しかし、すぐに興味がなくなったかのように祖母へ視線を向ける。
「頼むよ…二人は俺の子だ。」
体に稲妻が走ったようだった。何を聞いたのか分からなくなる。祖母は父を強く睨みつけて、何か厳しい言葉を発している。
だが私の耳には何も聞こえない。
父の…子供?
私は思考が沼に浸かったように遅くなっていくのを感じながらぼんやりと考える。
私の母との間に…他の子。いいや、違う。
……………他の女との間に他の子供がいるんだ。
私とそう年齢の変わらない子。彼女の存在がなによりもそう言っている。
胸にぽっかり穴が空いたようだ。
「…お父さん。私も先週二十歳になりました…」
どういう顔をしてどう言う声で言っていたのか分からない。だが、父のどうでもよさそうな顔が私へ向けられた。
「あぁそうか。」
私は娘じゃなかったのか。母は母じゃなかったのか。
ゆっくりと祖母へ目を向ける。
祖母は二人の存在を知っていた。私をほっときながら、二人の子供を愛する父の姿を知っていた。
喉から変な音が漏れる。どこからか私の蚕が入って来た。蚕は私のことを守るように羽をめいいっぱい広げる。
だが、私の蚕を見た途端、父の表情は嫌悪に変わり、父の体からドス黒いものが漏れ出た。それに圧倒された蚕は震えながら私の前に立ち塞がる。
私はそれを呆然と眺めていたが、蚕が危険だと思い私は蚕を手元に引き寄せた。
祖母や父はそれをはっきりと『見えて』いた。
私は…私の存在は…あの日の神社での出来事は。
いいや…私をあの神社で遊ぶように仕向けたのは…祖母。
『間引き』される子供を喰らう神の元へいらない『間引き』される私を送り出した。
祖母の顔色がさっと悪くなる。
私は立ち上がって部屋を出る。途中で何度転んだろう。よろけた足にもつれて部屋を出て行った。
「………もう何処にも行きたくない。」
本当に帰りたいの?その言葉を反芻する。私の居場所はどこにもない…
私の蚕が顔を擦り付けて私を慰めようとしてくれる。この蚕が一番、私に寄り添ってくれる。蚕を胸に抱えてベッドに横になる。
ふわふわしたその感触、天とはまた違う清涼な香り。この蚕は天と繋がっていない。天の手を離れ、私の首で孵化した半分人の要素を持つ蚕だ。私の体を蝕むはずの蚕が私を今や守ろうとしてくれている。
頬を冷たい涙が伝う。
もう誰とも会いたくない。その強さが私にはない。幸せな姿を見せつけられて、信じていた人に裏切られて、頭がどうにかしてしまいそうだ。
現実が嘘だったのではないかと寝て起きてそう願いそうではない現実に絶望する。
一度感じていた天への感情がこの惨めな私の依存心から来ていた。私が感じていた感情は愛情ではなく、執着。私を手放さないで欲しい。私を求めて欲しい。そういう私のエゴから作り出された偽物の感情。
本当はただ居場所が欲しかった。どこにも感じられなかった安堵を求めたかった。
子供好きの子供を愛して子供を守る神。蚕のように私を繭に包んで守ってくれる神。今は落ちぶれてしまったが、私をそうして守ってるのではないかと、私は特別な存在なのではないかと思って欲をかいた。
多分、本当は天の感情は愛情ではない。
私の感情を読めていたあの時は私は自分の感情を愛だと思っていた。そうだと思っていた。だが、それは私の醜い執着心に過ぎなかった。それを愛だと勘違いしてしまっていた私の感情におおいに影響され、生き残った子供に対する執着心を愛情と勘違いしてしまった。
鳴から聞いた。
古来から霊力の高い女性には様々な価値があるのだと。喰って、まぐいあって、子を孕ませて…価値を見出される部分は千差万別。
私はただ、そこに価値を見出されたというだけ。
本物の愛情とは…本当の感情とは…私という存在とは…
もう何もかもわからなくなってしまった。
ただこれだけは言える。私は天を愛していない。そして、天も私を愛していない。
自分の物という所有物。いつでも霊力を補充できるという所有物としての価値のみ。
祖父母のような保護者…絵本で読んだ当たり前のような家族。優しいお母さんとお父さんとその愛情を当たり前のような顔で受けている子供。
私はいつかそういう無性の愛で成り立った家族を作りたかった。
だが、祖父母は私を愛していたわけじゃない。
あの甘い言葉や触れ合いも全て、私を騙す為の罠だった。
次の作品もお楽しみください。