601 周年祭⑦
「プハァ!」
「二杯目要るか?」
「下されェ!」
レモネードを一気飲みした所、カグヤのしおしお顔に気を使ったらしい申し出に遠慮なく乗った。ガンが二杯目を入れて来る間に深い溜息を吐き、両手で頬を圧し潰すように押し上げる。
「どうやらしてはいけない質問をしてしまったようだな……」
「していけないというよりは“深淵”でござる……」
「成る程、迂闊に踏み入ッた……」
「覚悟召されよ……藪を突いた以上……」
「以上……?」
二杯目を受け取り、再びゴッゴッと半分ほど飲み干す。
「拙者も悟ったばかり故、壁打ちして整頓する必要がありまする……ガンナー氏には壁になって頂くでござる……」
「お、おう……」
「とり留めなく、恐らく理解し難く……ガンナー氏には苦行となりましょうぞ……! お覚悟……!」
「分かッたよ……!」
明らかに面倒臭そうだが、藪を突いてしまった以上受け入れるしかない。隣に座り直して頷くガンにカグヤも頷き、両手で包んだグラスの水面を見た。
「拙者も人の子。人並みに幼き頃は恋をした事もござったし、恋や結婚に憧れる気持ち自体も多少は存在しまする……」
「おう……多少なんだな……」
「他の方と比べると少なめかなとは。拙者はそれよりオタクごとや妄想の方が楽しく、趣味を上回る位の楽しさでなくば要らないと思ってしまう性質でして……」
「おまえらしいな……」
自分は壁らしいので、ガンが邪魔にならない程度の相槌を打っている。
「その気持ちは今でも変わりませぬ。ただ最初の世界では、そうした生き方は肩身が狭く。拙者も将来や老後を考えると伴侶を探した方が良いのだろうかと悩んだ時期もござりました」
「ああ」
「転生世界ではそれどころではなく、傾国の悪女の真逆を行くため敢えて色恋から遠ざかっておりましたし。壁になりたかったのも本当でござるけど」
「おう……」
世界を救った後のカグヤは確か、各国の王に求愛されて『自分は王同士のイチャイチャを見守る壁でありたいのに!』とこの世界に逃げてきた筈だ。今聞かされた話も似通っているが、少しばかりニュアンスが違う気がした。
「……今や全てから解き放たれ、何の枷も無く。自らを偽る必要も無く。今度こそ自由に自分の好きなように生きられるでござる。伴侶は不要、妄想だけ出来ていれば拙者は幸せでいられると思っておりました。否、思っておりまする」
「ああ……」
また不思議なニュアンスだ。ガンが瞬いたが、口は挟まず相槌に留める。グラスを見ていたカグヤが視線を会場へ戻した。
「ただ、こうして幸せに輝く方達を見ていると――ほんの少しだけ、羨ましいような、切ない気持ちにもなりまする。とはいえ同じになりたくて、全力で恋を求める程の衝動でもなく……」
「複雑なんだな……」
「ただの怠惰で我儘でござる。それにもう手遅れで」
「……?」
理解出来ずにガンが首を傾げた。それを横目で見て小さく笑う。少しばかり自嘲の乗った色だった。
「最初の世界では、拙者は夢見ておりました。いつかありのままの自分を愛してくれる素敵な伴侶が出来ればいいなと。世の殿方に好まれるよう、出会えるよう、努力や行動もしていないのに。地味で大した器量でもなし、おまけに趣味をひた隠し、薄い上辺で世界と交わっていた拙者にそんな奇跡が起きる筈はないのに」
「……そりゃ確かに怠惰の我儘だな」
言葉通り“深淵”だと思った。こんな話は恐らく他の誰にもした事がないだろう。今話せているのは自分が壁だからで、迂闊に踏み入ってしまったからでしかない。
「転生世界では、拙者という中身関係なく愛されてしまう程の美しい肉体を手に入れてしまい申した。壁になりたかった気持ちは本当でござる。けれど拙者は、王達から求愛されて――嬉しく感じた気持ちも確かにあったので」
「――……」
「けれど同時に、例えまったく同じ救世をしたとしても。外見が前世の拙者であれば、この求愛は無かっただろうという事も理解しておりまして」
だから『手遅れ』なのだと納得する。もう肉体を着替える事は出来ない。最初の世界ではありのままを愛されず、転生世界では求愛されながらも“肉体ありき”だと理解してしまっていた。
「……転生しても、おまえはおまえのままなんだなァ」
「そうでござるよ。自在に動く肉体であれど――愛着もあり、普段は気にならぬものの。恋愛沙汰となるとどうしても借り物という意識が出てしまうので」
「そうか」
カグヤにとってベルやメイの幸福は、友人として心から祝福しつつも隣の芝生のように青く見える。けれどその羨ましさは、性分故に飲み込める範囲だ。羨みはすれど妬みは無い。それが寧ろ始末に悪いのかもしれないが、仕方ない。
「――とまあ、こうして語ると結構気にしているようにお聞こえでしょうが。時折不意に傷む古傷……でもないか、刺さった小さな棘のようなものでして。棘ひとつで死ぬ事も、人生が左右される事も無いでござるよ」
「成る程な……」
「それに棘の存在を自覚したのも、つい先ほど故。あくまで切っ掛け、決してガンナー氏のせいではござらん」
「あァ……」
納得したのかしていないのか、ガンが少し考えるように眉間に皺を寄せた。
「――……おまえとは違うが」
「……?」
「おれも、自分の身体がもう全部ナノマシンに入れ替わッてるんじゃないかと、不安になる事がある。髪も貴重な生身と思って伸ばしてるが、怪しいもんだ」
「…………」
今度はカグヤが目を丸くした。
「……深淵返しでござるか?」
「あんまする話じゃねえけど深淵ッて程でもねえし、前にも誰かに話した気がする。等価じゃねえが、人には言いたくない話をさせちまったからな」
「ふは、律儀な……!」
ガンなりの詫びと気遣いなのだと気付いて、思わず笑みが零れた。彼のせいではないと言ったばかりなのに。
「後はほんと、慰めにはならねえけど」
「慰めまで下さるので……!?」
「慰めにはならねえよ」
言葉を纏めるようにガンが頭を掻いてから、カグヤの方を見た。
「――今後中身しか見ねえ奴と出会えるかもしんねえだろ。そう思えば、手遅れとまでは思わなくて良いんじゃねえか」
「…………お、おん……」
「いやこれは気休めじゃねえんだよ! その顔やめろ……!」
あからさまにカグヤが『慰めてくれようとする気持ちは嬉しいんでござるけど流石にそんな気休めは……』みたいな顔をするので慌てて重ねる。
「おん……」
「その相槌腹立つな……! 少なくともおれが『そういう奴は存在する』ッて証明にはなるだろ。おれじゃ頭数にもならねえけど」
「ガンナー氏はケン氏と添い遂げて欲しい……! じゃなくって、ガンナー氏本当にそうなので? さっきベル氏特別綺麗とか言ってござったよな!?」
「煩えケンをいちいち出すな流石のおれにだッて綺麗なもんを綺麗と思う感性位あんだよ……!」
何となく言い合うような形になり、仕切り直すようにガンが首を横に振った。レモネードを一口、息を吐く。
「腐った池と澄んだ池なら澄んでる方が綺麗だろ?」
「え、ああ、まあ、はい」
「荒れ地と花畑なら、花畑の方が綺麗だ。そういう風に『綺麗』と感じる感情はおれにも存在する。ただそれはあんま人間には適用されねえ」
「超ブスと超美人が並んでいても、超美人を綺麗とは思わないので?」
自然と生物は違うという事なのだろうか。よく分からずカグヤが首を傾げると、ガンが難しい顔をした。
「……正直どうでもいいと思ってる。目がふたつに鼻と口がひとつ、性能的には同じだろうに、ちょっと配置と形が違う位で優劣の変わる意味が分からねえ……」
「お、おん……」
「その相槌やめろ……! ちゃんと説明するから……!」
ちゃんと説明するそうなので、ひとまず聞いてみる事にした。
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