581 嫁(♀)
とんでもない事を聞いてしまった。どんな言葉を掛けてやれば良いか分からず、狼狽える内にスンッ……とクリュソス神が顔を上げる。
「…………という経緯で、プロポーズをされたその日に私は兄と決別し――張り合うようになり、今に至るという訳だ……」
「……いやうん、本当どう言ッていいか分かんねえけど、分かるよ……そりゃ何かこう、仕方ねえよ……」
荒れ狂って修羅場を引き起こさなかっただけ、クリュソス神は善良で思慮深いのだと思う。一人で全てを抱えてしまったのは気の毒だが、自らを高める事で全てを消化しようとしたのも高潔だ。トーチャン側の言い分は分からないが、この時点で大分ガンは『そりゃ仕方ねえよ』と納得してしまった。
「その、うん……本当にどう言っていいか……」
「大丈夫だ。確証は得られないままだが、アンドレイアはもう何万年も私を愛しているという姿を崩さないし――我が子の信頼のお陰で兄を上回る事も出来た。今の私は安らかでいられる。気遣ってくれて礼を言う」
「そ、そうか……」
安らかといっても、これまでの自分と比べてなのではないか。昔に突き刺さった疑念の棘は『確証が得られない』時点で抜けていないのではと思ってしまう。
「……あの、さ。決して別にトーチャンの肩を持つ訳じゃねえんだけど。誰かに相談とか確認とかはしたのか……? 万が一誤解の可能性とか……」
「このような話、誰に相談できようか」
「まあそりゃなァ……!」
物凄く何とかしてやりたい気持ちになったし、何かの誤解であってくれと心底思ったが、部外者で人間のガンに手を出せる話ではない。何ともいえない顔でもごもごしていると、微かにクリュソス神が笑った。
「その気持ちだけで十分だ。初めて人に話した事で、楽になれた気もする。おまえが気に病む事は何も無い。ありがとう」
「……いや、おう……」
「昔ほど気安くとはいかぬが、兄とも多少なり関係が改善できるようには努める」
「そこはおれは気にしねえから、無理せず……!」
多少の気まずさはありつつも、この話題は終わらせた。結構話してそろそろ時間か、と辺りを見渡すと――通路の方に大きな人影が見えた。
「クリュソス! 客人はそろそろ戻られる時間だろう! 土産を持って来たぞ!」
「ああ、アンドレイア。すまない」
「……!?」
ガンが三度見位する間に、アンドレイアと呼ばれた女神――本当に女神かな? と不安になるフォルムの神がのっしのっしと現れた。
一言で言うと蛮族かゴリラだ。もう少し詳しく言うと、ケンをメイ位の大きさにして、性別を女にしたような感じの蛮族かゴリラだ。凛々しく精悍な顔つきに筋骨逞しい戦士のような肉体。腕も丸太のようというか、全体的にデカく胸筋なのか巨乳なのかも判別出来ない。尻も略である。
「おまえががマキナの子か! 小さいし細いな! ちゃんと食べているか!」
「た、食べてらァ……!」
「もっと食べた方が良いぞ! これは土産だ! 皆と食べるがいい!」
「うわ重……ッ、あ、ありがとう……!」
有無を言わさず一抱えはありそうな、重箱らしき包みを渡された。甘い匂いがするから中身は恐らく今テーブルに並んでいる菓子類だと思われる。
「……あ、あんたが……クリュソス神の……」
「――そう、何を隠そうこのおれがッッ! 戦女神アンドレイアこそがッッッ! 麗しきクリュソスに愛し愛されッッ! この世で唯一隣に立つ事を許された天界一の果報者だッッッ! 尚この座を狙う者は例外なく筋肉で排除するッッッ!」
「うわあ」
色んな意味であんぐり口が開いた。今確かに自分で『女神』と言ったなとか、近くで見るとまあ睫毛や髪が長かったり、声も低くてハスキーだがまあ女かな……? みたいな納得要素も多少だとか色々考えたが――何より一番感じた事がある。
「その、疎いおれから見てもあんたは愛されてると思うよ……」
「だろう……私もそう思う……」
「ガハハ! おれのクリュソスへの愛は天界を覆い尽くすぞッッッ!」
アンドレイア神にケンと同じ匂いを感じてしまった。クリュソス神を見て頷くと、ややはにかむ顔で同意される。まあこれなら『安らか』もあながち嘘ではないか――と納得は出来た。出来たが、ガハハする姿はどう見ても蛮族か山賊の親分である。一人称が『おれ』なせいで余計に女神か混乱するし、蛮族が隣に居るせいでクリュソス神が段々儚い姫みたいに見えてくる。
正直『コレにクリュソス神は学生時代から惚れて……?』だとか『コレとトーチャンが浮気を……?』と思ったが、想像すると脳がフリーズしそうなので考えない事にした。ひとまず、土産を抱えて頭を下げる。
「え、ええと……末永く、お幸せに……。後お邪魔しました……」
「ああ、ありがとう。宿泊所までは天使に送らせる故――」
「ガハハ! また上天界に来る事があれば遊びに来いよ!」
見送られて私邸を後にする。途中振り返って見た夫妻の姿は、やはり蛮族と姫にしか見えなかった。どうしても解せなくて、何度も首を捻りながら帰ってゆく。
* * *
ケンとウルズスとカグヤは、オムニス神のガイドで天界観光ツアーをしている。何処でも自由にという訳には行かないが、既に色んな名所を見せて貰った。
「ふぅむ、天界の建築はやはり良いな! 地上に導入出来ぬものか……!」
「ははは! デザインは兎も角技術は難しいだろうな!」
天馬に跨り島から島へ。今はウルズスの『どうぶつが見たい!』という希望で、少し離れた天界生物が見られる島へ向かっている。
「滝が空に流れていたり、天界は摩訶不思議でござるなあウルズス氏! 動物もスゴイのが居るやもしれませんぞ!」
『うん! 地上のしぜんとちょっとちがったもんね! たのしみ!』
「見えたぞ、あの島だ!」
「ほう、大きいな……!」
見えてきたのは島というより大陸と見紛うような大きな島だった。一面が自然で覆われており、建物の類は見えない。オムニス神の説明によると此処は島ごと自然保護区にされており、原初の自然と生物が生息しているらしい。
「この辺りは気候も穏やかで、比較的大人しい生物が居る区画だ」
「ほう、幾つか区画があるのだな」
「ああ、火山や氷海、砂漠等色んな気候と条件の区画がある」
「ウルズス氏! 到着でござるっ!」
『カグヤありがとー!』
ウルズスは一匹で天馬に乗れないので、カグヤに乗せて貰っていた。島に降り立ち、地面に降ろして貰うと鼻をひくつかせて辺りを見渡す。
『すごい! かいだことない、いろんなにおいがする!』
「人の世では幻獣と言われていたか? ドラゴンやグリフォン、フェンリルやフェニックス等々、君が遭遇した事の無い生物も多いと思うぞ」
「ヒエ~ッ! ラインナップが凄いでござる!」
「その辺りは俺の世界では居たが、カグヤさんとウルズスの世界だと幻獣系は居ないのだったな」
聞いただけでも中々物騒だが、今居る区画は安全らしく景色も牧歌的な森と丘という感じだ。更に奥には険しい山や深い密林も見えるから、奥に行けば行くほど伝説級の生物が居るのだろう。
「そら、あそこに居るのがヘイズルーンの群れだ。特別な雌山羊で、乳の代わりに蜜酒を出す。世界によっては死者に振舞われる酒だな」
「蜜酒を……! 一匹連れ帰れんか……!」
「将来的には分からんが今は流石に許可が出ないだろうな……!」
『ね、ね、くま! くまはいないの!?』
ゆったりとガイド付きで散策し始める中、ウルズスがワクワク顔で聞いた。問われたオムニス神が少し考え込む。
「熊、熊か。森の中なら普通の熊は居るだろうが、君らの世界と変わりないぞ。変わった熊だと獰猛な種が多いから、もっと奥に――いや……」
『……?』
答えながら、オムニス神が何かに気付いたよう丘の方を見遣った。他の神が動物見学にでも来ているのだろうか、丘の上には優美な天馬車が停まっている。
「――うん。この島の熊ではないが、丁度いい熊が来ているようだ。紹介してやろう。おいでウルズス」
『わ、やったー!』
「丁度いい熊って何でござる……?」
「分からんがウルズスに何かあったらジスカールさん達に責められるからな! 俺達も行くぞカグヤさん……!」
オムニス神がウルズスを促し、天馬車の方へ歩き出す。ケン達も慌てて後を追った。
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