530 師匠
「ちょ……ジラフ……!」
交流会館を出てもジラフは足早だった。ポチャリエルも慌てて追って来ているが、追いつくより早く宿泊施設が見えたのでジスカールが『もう大丈夫』と案内を辞退する。そのまま宿泊施設に入るかと思ったが、手前でジラフが進路を変えた。施設隣の森の中へと入って行く。
「ジラフ、大丈夫かい。ジラフ……! ねえ、手が痛いよ……!」
「……!」
ずっと引かれていた手の痛みを訴えると、初めてジラフが足を止めた。慌てて振り向き、力を緩めて手の具合を確かめる。
「ごめんなさい! 赤くなっちゃって、痛かったでしょう……!」
「いいよ、こんなものすぐ治る。それより――」
「……ごめんネ。こんな姿誰にも見られたくなかったの」
申し訳なさそうにするジラフは涙目で、今にも泣きだしそうだった。力無くその場に座り込んだので、ジスカールも膝を付いて抱き締めてやる。
「此処なら誰も居ないし、好きなだけ泣いていいよ。もし誰か来ても、わたしが隠してあげる」
「……ッ、ありがとう」
素直にジラフが縋り、声を殺して泣き始めた。その背をあやすように何度も擦ってやる。
「……ッ、……じめて、初めて、気付いて貰えたの……ッ」
「……うん」
「は、じめて……ッ、目が合ったの……ッ、声を、掛けて貰ったの……ッ」
「……うん、そうだね。あの方は記憶が無いのに全て理解しておいでだった。それに今も君の事を守ってる。ちゃんと愛されているよ、ジラフ」
「う、うぅ……っ」
生まれて大人になるまで――どころじゃない。大人になり、更に半神となって九百九十九の依頼をこなした果てしない時間。ずっとジラフが得られなかったものを、今日初めて与えられたのだ。ほんの僅かの時間だったとしても、レメディウス神の記憶が消えたとしても、ジラフには残っている。
「……アタシ、頑張る……ッ、父さんの記憶を、取り戻して……ッ、立場だって……ッ! アタシで出来る事なら何だって、してやるわ……ッ!」
「……うん、けれどそれは議長が言った言葉だ。君は何より、幸せにならなくてはいけないよ。君がレメディウス神に望まれたのは、幸せになる事なんだから」
ジラフを慰めながら、ジスカールの表情は複雑だった。ジラフが父親に会えたのは良かった。僅かな時間といえど認知して貰えたのも本当に良かった。だが父親が予想以上に大物過ぎる。
議長は恐らくユースティティア派に属するのだろうが、ジスカールには“レメディウス派”に見えた。ジラフを差別せず、真っ当に放たれた言葉は励ましているようでいて、レメディウスの為に焚きつけている。
「……君は、幸せにならないといけないんだよ」
ジラフが“禊”を終えたら、本人が思っている以上に世界は変わるのだろう。“祖父”であるユースティティアがそこまで見越しているか分からないが、少なくとも議長はそうだ。レメディウスを復権させ、ジラフの力で本来以上の高みに押し上げろと言っている。それはつまり、ジラフも神になるという事だろう。
もし父親がそれを望んだら、ジラフはきっと叶えてしまう筈だ。望まなくとも、それが父親の為になると言われれば叶えてしまうだろう。それが彼の幸せだとは思えなかった。違う、思いたくなかった。
「ッ、アナタが、幸せにしてくれるって、言ったものッ、なるわよ……!」
「――……そうだね、そうだ」
そんな風に思ったタイミングで、彼の言葉が聞こえたから。背を擦るのをやめ、ジラフの肩に頭を埋める。きつく抱き締めた。
「君はわたしが幸せにしてみせる。絶対に」
「……今でも相当、幸せだけどネ。……父さんに会わせてくれてありがとう、ジスカールちゃん」
まだ鼻は啜っているが、落ち着いたのか笑うような声が返って来た。それから完全に涙が止まるまで休んで、皆の所へ戻る事にする。
* * *
「――とまあ、こんな所だ。今の君のレベルだとこれ以上詰め込むのはお勧めしないが、他に学びたい事はあるか?」
「いいえ、十分よ。ありがとう。とても為になりました」
ベルの方は交流会館ではなく、オムニス神の私邸で勉強会をして貰っていた。幾つかある内のひとつらしいが、本当にもうザ・神殿という感じである。
「……本当に勉強になったけれど、まだまだわたくしの“先”は長そうね」
オムニス神は教え方も上手く、現在のベルに合わせた本当に有益な講義をしてくれた。感謝は大きいのだが、同時に神々との差を痛感して溜息が零れる。
「ははっ、君は未だ若いだろう。その年齢なら十分以上に優秀な部類だ。基礎がきちんと出来ているから覚えと成長も早い。流石紅薔薇の弟子だな」
「そうね、あのクソ女は性格は最悪だけれど師匠としてはちゃんとしていたわ」
「我の師匠も厳しかった。お陰で今があると思えばまあ――という感じだな」
「あら、やはり神様にもお師匠がいらっしゃるの?」
ベルの覚えが良いので案外早く勉強会が終わってしまった。ので、互いに自然と世間話を始める。
「ああ、居るとも。ちゃんと生まれた時は幼いし、学校にも通う。その辺りで一通りの基本を学んで、その後は何処かの門下に入って教えを請いながら世界運営を覚えていく――という感じだな」
「その門下というのが派閥にも影響するのかしら?」
「影響はあるが、全てではない。例えばイグニスは我の弟子ではないが、独り立ちすれば我の傘下に入りたがるだろう」
「成る程ね」
タツと対戦予定の神だ。確かオムニス神を慕う故の自薦だった。
「ちなみにどういうレベルで独り立ちなのかしら?」
「師匠を越える必要は無いが、自身が他の若き神を教えられるレベルだな。人間界の武術等の流派で考えると分かりやすい。門下に残って師範代として生きていくも良し、あるいは独立して自身の流派を立ち上げても良し、という」
「ああ、そういうこと。あなたは独自の流派と派閥を立ち上げたのね」
独自の流派が傘下の別流派を抱えて増やして大きくなり、派閥と呼ばれるようになる。ベルが理解し頷いた。
「そうだ。天界には幾つか派閥があるが、我の派閥は今だと2番目位か。マキナの所は派閥というより中立の研究者の集まりだしな」
「1番目がユースティティア派閥?」
「ああ。我とマキナとクリュソス、後はマギステル――議長もか。今の丸付きは殆どがユースティティア様の弟子だ」
「それは納得の一番ね。クリュソス神と議長は独立していないのかしら」
独立して別派閥を立ち上げたのがオムニス神、独立はしたが派閥というより中立の研究者を纏めているのがマキナ神。残る二神は立ち位置が不明だ。
「師範代の立場でユースティティア派に残ったのが議長だな。クリュソスは丸付きになって日が浅い故、ゆくゆくは独自の派閥を作ると思うが今はまだユースティティア様の傘下といった感じだ」
「……双子なのに随分と差があるのね」
「マキナとクリュソスか……」
ベルの言葉にオムニス神が難しい顔をした。ソファのひじ掛けに片頬杖をつき、深い溜息を吐く。
「どちらも竹馬の友だ。我から見て、あの二神の能力に大きな差など無い。属性の違いはあるがな」
「小さな差と、能力以外の何かはあるのね」
「手厳しいな、ベル」
思わず苦笑いが零れる。
「双子だからだろうな。その小さな差が耐え難かったのだろう。そもそも比べるものではあるまいに」
「それはあなたが持つ者だからそう思うのよ。持たざる者の苦しみは、本人しか分からないわ」
「……成る程、耳が痛い」
ぴしゃりと言うと、オムニス神が目を丸くした。その様子を見てベルが笑う。
「けれど、あわよくばと思って今回のオーダーを組んだのでしょう? 少ぅし鼻もちならないけれど、良いお友達ではなくって?」
「そう言ってくれると助かる」
「うふふ」
つられるようにオムニス神も笑い。やがてベルを送っていく為に立ち上がる。
――帰りの道中、ふと気になって聞いてみた。
「ねえ、カピモット神は誰の弟子なの?」
「うん……? あの二神は一応ユースティティア様系列の門下とは聞いているが、師匠までは知らんな……? 恐らく末端の方の誰かではなかろうか……?」
「嘗てない歯切れの悪さ……っ!」
つまりはその位末端の末端という事なのだろう。それが明日は天界のほぼ頂点といえるオムニス神と争う事になる。呆れて肩を竦めるしかなかった。
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