52 魅惑の紅一点
黒い魔女のとんがり帽子。円錐部分は高く、けれど途中でねじれて、魔女の矜持と意地悪さを表すかのようだった。目深に被れば顔が見えない広いつばに、黒いレースと鴉の羽根飾り。まさしく魔女である。
魔性を感じさせる帽子とは裏腹、後ろ姿は淑女のように美しい。豊かな白金髪の巻き毛が、宝石に飾られ結われて編まれて垂れている。朝日に輝くほつれ毛までもが計算されたかのように輝いていた。
デコルテが出たデザインドレスは中世の貴族のよう。見えている部分、乳色の背中に思わず息を飲む。豊満な気配を漂わせる肉体を、ぎゅっとコルセットが締め上げ妖艶なくびれを作り出していた。パニエで膨らんだドレスの裾も、レースでたっぷりとした袖も全てが高貴で優雅だ。
――――そんな一目で解る“女子”が、ゆっくりと此方を振り返った。
背中と同じ乳色の、豊満な谷間が見える。繊細な鎖骨と溢れんばかりの肉量のコントラスト。素直にエロい――と思ってしまい、リョウがごくりと唾を飲む。
墨で塗られた睫毛、大きな目を更に際立たせるアイライン。きらきらのアイシャドウ。大変目力が強い。血のように赤く塗られた口唇に、色香のあるほくろが添えられていて、微笑まれたカイがヒャッと肩を跳ねさせる。
「じょ…………」
まさかの女子の登場に固まるガンの傍ら、当然のようにケンが前に出た。エスコートを求める淑女のように魔女が片手を伸べたからだ。
互いに当然のように手を取り合い、ケンが三人の前まで魔女をエスコートしてくる。全然意味が分からないが、上流同士の作法だとか通じるものがあったのかもしれない。が、さっぱり分からない。
「女子……ババアの女子だ…………!」
やっとの事で、ガンが言葉を絞り出した――途端、パァンッ! 魔女の容赦ない平手打ちがガンを襲う。
「ふご!」
「ああっガンさん……!」
「ちょっと? 躾がなっていないのではなくて?」
「だってバ――」
パァンッ!
再びの三文字を言おうとした瞬間、容赦のないビンタが再びガンを襲った。
どの位強いパワーだったのだろう。両頬を腫らしたガンが地面で白目を剥いてびくんびくんしている。リョウとカイが戦慄して硬直した。
「すまんな、麗しの花よ。ガンさんは女性の扱いを分かっておらんのだ」
「あらそう、ちゃんと躾ておいて下さらないと困りますわ」
「…………」
「…………え、あの……お知り合いで……?」
当然のようにケンと魔女が会話している。
「む、初対面であるが」
「あ、そうですか……」
リョウとカイの脳内は『何だこれ』で埋め尽くされている。
女子だ。待望の女子といえよう。おまけにリョウの希望通りの巨乳の女子だ。だがガンが言った通りババアの女子だ。
そう――――現れた女子は結構な御高齢、いや、熟女だった。
恐らく年齢にしては奇跡の美しさなのだと思う。若い頃はきっと女神のようだったのだと思う。姿勢も良い、巨乳もたゆんと豊満で、くびれも最高のラインだ。
目元の皺やほうれい線だって、実際の年齢に比べたら奇跡的に少ないのだと思う。首や手の皮膚のたるみも、完全に隠せている訳では無いが、実際の年齢に比べたら略である。
美魔女である。実際の年齢は分からないが見た目だけなら60代――60代といっても奇跡の若さと美しさだ、に見える美魔女であった。
つまりはババアである。ガンは正しいのである。
「前の世界に居られない程強いというから、女子であればどんな逞しき女傑が来るかと思っていたが――なんとまあたおやかで美しいマダムではないか! なあ、二人とも!」
「オホホ、新世界というから不安だったのだけど、あなた様のように道理の分かった殿方が居るなら安心ね……!」
「そ、そうですね……」
「そうですね……」
ケンが滅茶苦茶晴れやかな笑顔で喜んでいる。嬉しいのだろう。恐らく守備範囲なのだろう。それはもう晴れやかな笑顔である。
「ひ、ひとまずいらしたばかりですし、こ、こんな所で立ち話も……ねえ……?」
「そ、そうですよ……ひとまず村の方へ行きませんか……」
ガンの容態も気になるし、とは言えない。まだびくんびくんしている。
「ちょっと! わたくしにこんな山道を歩かせるつもりなの!?」
「ひい! だって山頂だし……!」
「山を降りたらちゃんと石畳で舗装してありますからぁ……!」
「ははっ! 安心せよ、馬がある!」
ケンが普通に最強装備の馬を出して来た。
「オルニット……! 久しぶり……!」
「最強装備なのに……!」
「わはは! では我らは先に行っている故、後は任せたぞ!」
「いいこと、そこの下男たち! ちゃんと忘れずわたくしの荷物も運んで来るのよ!」
「えっ、にも――」
荷物、と言い終える前に二人を乗せたオルニットは空を悠々駆けて行ってしまった。
「げ、下男……」
「に、荷物……」
取り残されたリョウとカイが呆然とする。
「それよりガンさん……!」
慌ててガンに近寄ると、漸く意識を取り戻した所だった。
「……ッッ、……何なんだよ、あのクソバケモンは……! おれ平手で意識飛んだの初なんだけど……! 避けられんかったし……!」
滅茶苦茶苦い顔で、ガンが呻きながら身を起こす。
「あれが待望の女子なのか……! おい……!」
「巨乳部分以外は僕も戦慄してるところだよ……!」
「まあまあ二人とも……! 一度落ち着きましょう……!」
あまりの事につい大声になってしまう二人に、カイが割って入る。
「恐らく彼女は魔女です。それも歴戦、何千年と生きている魔女だと思います……見ただけでもう魔力が尋常じゃなかったです……」
「魔力どころかパワーもゴリラ並だったが……?」
「何千年って事は、ケンさんより年上ってこと……?」
「ええ、つまり私が言いたいのはですね……」
カイが悲しい顔をする。下男呼ばわりされて運べと言われた荷物が何なのか、たった今目視で確認したからだ。
光の柱が失せた場所に、山盛りのトランクケースが置かれていた。山盛りだ。
「相当に強力な魔女です……いきなり敵対するのは拙い……ひとまず様子を見ましょう……」
「成る程……潰すなら敵を知ってからッて事だな……」
「もう敵扱いされちゃっててちょっと面白いんだけど味方とも思えないし明らかに滅茶苦茶強そうだしね……そうだね……」
「ところでケンは?」
「あっ、ケンさんね。ウッキウキで魔女さんとオルニットに乗って先に村に行ったよ……」
「二人の相性めちゃくちゃ良さそうでした」
「あ、そう……」
ガンが心底理解出来ない顔をする。
「ひとまず、我々は下男ではないのですが、決して下男ではないのですが、あの荷物を置いたままだと叱られそうなので――運んで我々も戻りましょう……」
「そうだね……決して下男じゃないんだけどね……」
「あの荷物くそババアのかよ! ふざけ……!」
ぶち切れるガンを必死で宥めながら、三人でトランクケースを担いで山を下る。
「……もうなんか、ゆっくり戻った方が良いんじゃねえの?」
「えっ……流石に大丈夫じゃない……?」
「何の事です……?」
「ああ、そうか……カイは王の中の王の話聞いてねえんだッたな……」
「その話は僕ちょっとトラウマなので……」
「……?」
えっちらおっちら山を下りながら、ガンが遠い目をする。
「ケンは……あいつは、バカほど手が早えんだ。世界中にガキが居る……文字通り世界中だ……征服してはガキを作り征服してはガキを作り何なら征服中でもガキを作り……征服を終えた後も世の中のあらゆる色恋遊びを楽しみまくり……今回久々の女だろ……? 耐えられるか……っていう……?」
「ええ……」
「何が恐ろしいってさ、相手全員不幸にしてない所なんだよね……全員ちゃんと責任取ってるの……奥さんとか愛人同士で争い起きてないの……やばくない……?」
「ええ……英雄色を好む……なのでしょうが……、そちらの政治能力も卓越していらっしゃったと……」
「ちなみにその部分で、下半身の稼働は兎も角、人生全て悲恋で終えてきたリョウが、再起不能のダメージを負っている……」
「ウッ……僕の今後の人生にご期待ください……」
「嗚呼リョウ……なんてこと……」
リョウの下りでカイが滅茶苦茶悲しい顔になった。
「……待って下さい、じゃあ、戻った先でその――二人がそういう事を致している可能性があると……!?」
「流石に、流石に会ったばかりだし大丈夫かなとは思うんだけど……? ケンさん絶対無理強いはしないって言ってたから、せいぜい口説いてる位じゃ……」
「けどくそババアの方も手早そうだッたじゃねえか……」
「オゥ……」
「お互い早いとあり得るかな……!?」
どんどん不安になってきた。
結局、速度を上げる事も落とす事もせず、普通に徒歩で村へと帰っていく。
――――そして、村の入り口が見えた頃にそれは響いた。
「オギャアアアアアアアアアアアア――!!!!!!」
悲鳴にも聞こえる、赤子の泣き声にも聞こえる、絹を引き裂くような謎の声が辺り一帯響き渡る。
「そ、そんな……!? もう子供が生まれて……!?」
「嘘だろ……!?」
何も分からぬまま、慌てて三人は村の方へ駆けだしていった。
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