435 村民
ジスカールは暫く黙っていた。いきなりこんな話を聞かされては返事に困るだろうと思って、ジラフも黙っていた。けれどやがて、ジスカールが静かに問う。
「……幾つか聞きたい事がある」
「なあに?」
「村人が神に反旗を翻さなければ、君は手を血で染める必要は無いんだね?」
「そうね。擬態したまま、ただの監視で終わるでしょう」
そうなれば一番良いと思った。ケンとガンナーの約束を神側は観測し把握している。そこまでジスカールに言うつもりは無いが、このままガンナーがやり遂げればケンの望みだって叶うし、自分も余計な事を明かさずに済む。背景を知らないまでも、ジスカールが悩むように小さく唸って続けた。
「ケンが死んだら――彼も不老だし強いから、いつ亡くなるかは分からないけれど、もし死ぬ事があったとして、そうしたら君は天界に帰ってしまうの?」
「そうね……一応“無罪放免”という事になる訳だから、流石に無駄飯食らいの無職のままじゃ居られないわ。何か天界で役割を与えられるんじゃないかしら」
「違う、そうじゃない」
「……?」
ジラフが首を傾げた。
「そもそも君が生まれた事は罪じゃない……! それは君も分かっているだろうけど、ああ、違う脱線した。まあ神の世界で“冤罪”があるのは仕方ないよ、じゃなくて、帰って天界で暮らすのが君の望みなのか……?」
「……記憶が戻った父には会いたいと思っているわよ。一緒に暮らせるとは思っていないけれど、家族になれたら良いとは思ってる」
「…………」
「もう、そんな顔しないで」
二人で寝転がり、ジスカールに抱き締められた姿勢。急にジスカールの顔がしおしお萎むものだから思わず笑ってしまった。
「それが……君の望みなら…………けど、ああ……、嫌だな……」
「本当は此処でずっと暮らすのが望みだって言って欲しいのよね?」
「そうだよ……」
萎れた顔のままジスカールが素直に頷く。自分は彼らを裏切っているようなものなのに、そうして惜しんでくれるのは嬉しかった。
「此処の暮らしは最高よ。ずっと皆と平和に暮らせたらと思っているわ」
「本当に……?」
「本当よ。父を諦められないのもホントだけどね」
ジラフが眉を下げて苦笑すると、ジスカールが悩むような顔をした。嘘は言っていない。どちらの気持ちも本当だ。ただ、仕事を終えた後にこの世界へ留まれる理由がジラフには無かった。
「…………分かった」
「何が?」
「君の事情。誰にも言わないし、わたしも努力する」
「……?」
「君の為の努力だよ。今のままなら、ケンはきっと神に反旗を翻したりはしない。そう思っているけれど絶対は無い、そうだろう?」
「ええ、そうよ」
ジラフが頷く。今の生活を維持出来るなら恐らくこのまま行けるだろう。だが、例えばガンがケンを殺す事に失敗した時。あるいは願いを叶える前に不慮でガンが死んでしまった時。他にも神の思惑で意に染まぬ事が発生した時。ケンがどう動くかは未知数だ。これまでのケンの歴史を見て来た二人には分かる。ケンは『やると決めたらやる』のだ。それが善行であろうと悪行だろうと。
「同じ村の仲間として、ケンがそういう道を選ばないように心掛ける事は出来る。そうなった時に止めるのは――わたしの力では無理だろうけど、止めて欲しいと頼む事は出来るし、それに……」
「それに?」
「わたしはケンも信じているよ。彼は酔狂で冷酷な部分があるけれど、村人に対する愛情は本物だ。彼がもし反旗を翻す事があるなら、その時は絶対に相応の理由がある。君の話を聞くに、神は中々残酷だからね」
ジスカールの言葉に嘘は無い。徹頭徹尾、つまらない話をする前後で向けられる感情は変わらない。それは肌身を通じてジラフに真実を告げていた。
「相応の理由なら、アナタもアタシの敵に回るんじゃない?」
「どうかな、回るかもしれないし――君の味方をするかもしれない。その時になってみないと分からないけれど、君を嫌う事だけは無いよ」
「…………」
「ケンだって、他の皆だってそうだろう。君が敵対したって村人を嫌ったりしないのと同じだよ。意見と立場の相違位で、わたし達の絆は壊れない」
ケン辺りは『意見と立ち位置が異なったか! じゃあ喧嘩だ!』位のものじゃないかなとジスカールが笑った。ジラフが何とも言えない顔をすると、あまり力の入らない腕でジラフの背をぽんぽんする。
「いいかい、ジラフ。君の正体が何だって、君が村の一員である事に変わりはないんだよ。村の掟を思い出して御覧」
「……ひとつ、村民は仲間である。互いを尊重し、互いの幸福に努めよ。種族や過去による差別はせぬこと。差別が無ければ不仲だろうが喧嘩をしようが自由だ」
「そうだよ」
「……ふたつ、村民は家族である。平時でも有事でも、不幸な時も幸福な時も助け合い、皆で相談し分かち合い乗り越えること」
復唱して、ジラフが目を閉じた。家族、ああ、家族だ。家族は作れる。既に知っていた筈の村の掟を初めて理解したような気がして、胸が苦しくなった。
「だから秘密があっても、君は全力で村の生活を楽しんでいい。君はきっと無事に依頼を終えるし、その後は――……天界に帰っても、此処に残ってもいい」
「残れるかしらねェ……」
「もし残れなかったら、わたしが天界の方に行ってあげるよ」
「……?」
顔を上げると、ジスカールが悪戯げに微笑んだ。
「ヴィクトルに弟子入りしないかと誘われている。修行すればわたしも高次の世界へ行けるようになる筈だからね」
「!?」
「だから――少し待たせるかもしれないが、どの道決して君を一人にはしないよ」
脊髄反射で『アイツそれが目的でアタシに正体を明かせと――!』と喉元まで出かかったが、続いたジスカールの言葉と笑顔に撃ち抜かれてしまった。感情が染み出して、ずっとジラフに伝えている。『嘘』ではないと。
「プロポーズみたいに聞こえちゃった。あまり思わせぶりをしないで。本気で恋しちゃうわよ」
「誰かに恋をするのは悪い事じゃない。それに約束した筈だよ。君が恋をしたら、わたしは忖度も負い目も無く、自分が思った通り真摯に対応する」
「…………」
彼があまりに無防備――というか、安請け合いをしているような気がして。少し脅すようなつもりで、抱かれた腕を解いて床ドンならぬ寝台ドンの体勢を取る。動けない身体で、真上から男を性対象にする筋肉が圧し掛かれば怖いだろう。
「思い余って襲っちゃうかも。お尻で分からされちゃってもいいの?」
「……出来るか出来ないかで言えば、わたしは君とセックス出来ると思うよ。分からされるのは勘弁して欲しいけれど……!」
「!?」
「君との事、考えていないと思ったのかい?」
驚いた事に、怯えの感情は伝わって来ない。逆にジラフの方が言葉に詰まってしまった。ジスカールが困ったように眉を下げ、ちょっと笑う。
「ちゃんと考えていたよ。これを恋と呼んで良いかは分からないけど、愛だとは言える。君と居ると落ち着くし安らぐ。一緒に居ると楽しい。強くて頼もしい所も、気配り上手で優しい所も、全部好きだよ」
「そッ……な……ッ」
「だから、本当に考えていたんだよ。色々想像して。例えばキスを――ああ、マウストゥマウス。キスは大丈夫だな、とかそういう風に――」
ジラフの顔が見る間に赤くなる。それを見上げてジスカールが穏やかに笑った。
「だから、君がしたいならわたしに恋をしてくれて大丈夫だよ。ウルズスと同じように、わたしは君ともずっと一緒に居たいんだ。リエラと四人で家族みたいに過ごす時が一番幸せだ。君の正体を知った所で、何も変わらないよ」
「…………もう、そういう事言うと本当に分からせちゃうわよ……ッ!」
その笑顔を見ていられなくて、姿勢を崩して隣に寝転んだ。顔は真っ赤でそっぽを向いているが、手だけは握る事にした。
「ほんッとにアナタって迂闊で無防備! アタシは優しくて慎ましいんだからッ」
「ああ、そうだね」
「セックスしなくったって恋は出来るの。今日はこれで勘弁してあげるッ」
「うん、ありがとう」
例えば今みたいに。手を繋いで一緒に寝ているだけで、とんでもなく胸がドキドキした。言い辛い自分の正体を明かした後とはとても思えない。空いた手が胸を押さえて、自分の鼓動を確かめる。
「…………体調が回復したら、唇は奪うかもしれません。覚悟して頂戴ネッ」
「あ、はい。キスは好きだし別に良いかな……」
「…………」
「ほら、君は随分大きいじゃないか。だから最後までは無理だと思うし本当に怖いんだよ。腰も心配で……。多分ペッティングまでなら平気だと思――」
「これで誘ってないっていうんだから本当に酷い始末が悪いッ! もう黙ってッッッ寝なさいッッッッッ!」
真面目な顔であけすけな自己分析を始める様子に、顔まで掛け布団を引き上げてやった。暫くするとすうすうと寝息が聞こえ、脱力したように深く息を吐く。全てを知られた上で、こんな只の人間みたいな気持ちにさせられるとは思わなかった。
「……アタシも全力でこの生活を楽しんで良いのなら、本気の恋くらいしても良い――のよネ?」
小さく呟き、もう一度息を吐いてジラフも目を閉じる。きっと明日からは、これまでよりもこの世界の生活を楽しめる気がした。
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