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ジラフが傑物だったとしても、一介の傭兵がたった二十年で国を興し世界中に影響を与えるようになったのは驚くべき事だった。いわば傭兵を産業にしている国だ。その頭ともなれば戦っているだけでは済まされない。
読み書きを学んでいたとはいえ、教養深い訳ではない。政治や国の運営というものだって知らない筈だった。だがジラフは上手くやった。志を同じくする腹心達に頼れたのも大きかったが、生まれ変わった瞬間に眠っていた力が覚醒したというか、気のせいではない全能感がずっとあった。
お陰で何でもすぐに覚えられたし、戦いに於いては鬼神の如きで負けなしだった。どころか、体質まで変わったかのように傷の治りが早い。最初は色んな事に夢中で考えなかったが、ある程度落ち着くと明らかに異常で――まるで自分が人ではなくなったような気がした。それでも調べる方法は無く、また使命を果たすのには好都合だったのでそのまま気に掛けているだけだった。
他にも昔とは変わった事がある。子供の頃から本当に時折見ていた夢があったのだが、それを頻繁に見るようになった。天国のような美しく輝ける場所、宇宙のような空を飛ぶ天使のような姿。宗教画をもっとリアルに美しくしたような感じの夢だった。前は精々数年に一度。生まれ変わってからは数か月、数週間、頻度が上がり二十年が経つ頃には毎日のように見るようになっていた。
これは流石に何かあるのではないかと思って医者に掛かったりしたが、確たる原因は分からない。恐らく覚えていない程の幼少時の強烈な記憶が再生されているのではないか――という予測位だった。とはいえ悪夢でも無いし生活に支障がある訳ではない。こちらも気に掛けたままとなった。
だが疑問はやがて氷解する事になる。傭兵王として盤石の地位を築き、世界を更に平和にする為にはどうしたら良いか模索していた時だった。不意に聞いた事の無い“天上の調べ”と共に空が真っ白に染まり、これまで幻想や宗教でしか語られてこなかった『天使』の大軍が現れた。
世界中に舞い降りた天使達は一斉に人類の粛清を始めた。人類からしたら寝耳に水の大虐殺だった。もはや世界で起きている争いなど関係無く、身分も人種も貧富も全てのあらゆる区別なく天使の大軍は人類を殺していった。
これは後から分かる事だが、神の手によって行われる『世界のリセット』だった。リセットに至る経緯は世界によって様々だ。この世界の場合は神が判断に用いていた『善悪の天秤』が悪側に振りきれたのが原因だった。
ジラフや他の人間が必死に善行を積み上げてはいたが、これまでに累積した絶えぬ争いとその影響の方がずっと重く――少し落ち着いたとはいえ戦争が止まぬ今でも累積は止まっていなかった。そして、世界の殆どの人間が知らない所でとある国が使えば地球が酷く汚染されるような悪意ある兵器を開発した。それで天秤が一気に傾き、地球をこれ以上損ねる前に神はリセットを決断した。
神視点ではきちんと経緯がある話だが、人類にとってはそうではない。唐突に現れた人類の敵に、恐ろしい勢いで人間達は滅ぼされていった。一月もすると、残っているのは天使軍と戦える戦力を持った強国だけで――その人間達ですら確実に数を減らしていた。超常の力を持ち再生力の高い天使達を退けるには、人類の力は足りていなかったのだ。
ジラフの傭兵王国もまた、残った国のひとつだった。各地の救援に向かいたかったが、戦力を分散させては天使軍を押し留められない。結果、出来うる限りの避難民を受け入れて自身の王国で籠城するという形を取るしかなかった。もう一月もすると、他の生き残っている強国からの通信も途絶えた。この時にはもう、ジラフの王国にしか人類は残っていなかった。
その日、天使の大軍が地平を空を埋め尽くしジラフの王国を囲んだ。万事休す、最早戦って散るしかないかと皆が思った時だった。これまでずっと一切のコミュニケーションは取れず、無言で粛清を続けて来た天使軍が使者を遣わした。これまでに無い事に驚いたが、ジラフは単身使者と面会した。
天使は言った。『何故おまえは役目を果たさないのか』と。意味が分からず聞き返すと『おまえにも神からの呼びかけは届いていた筈だ』と。それでも意味が分からず困惑していると、天使が何かに気付いて急にジラフを罵倒し始めた。
『汚らわしい』『まだ生きていたのか』『おまえなど同族ではない』というような事を叫んでいた気がする。混乱していると、急に使者の天使の気配が変わった。何かに乗り移られたよう、次に話した言葉は声音さえ違っていた。この世界の神が、天使の身体を借りて直接ジラフと対面していた。
そこで聞かされた事は、天使達の襲撃と同じ位唐突で寝耳に水だった。ジラフは、神と人間の間に生まれた子なのだという。それで天使達はジラフの事を気配で勝手に同族だと思っていた。それが全然神から与えられた仕事をしないどころか反目してくるものだから、わざわざ使者を寄越して問い詰めたと。経緯としてはそういう事らしかった。
正直『ハア?』としか言えなかった。現実に苦情を言うのはお門違いなのだが、物語だったとしたら主人公始め何て出来の悪い唐突な展開なのだろうと思った。だが生憎これは現実で、ジラフが知らないだけで神の世界では色々あったらしい。
“前任”の世界の神が人間の女と恋をし子供まで設けてしまった。当然神の法では重大な違反だ。即座に前神は更迭され、今ジラフと話している神が着任した。神と人間の子など残してはおけないので、人間の女には刺客が差し向けられた。
『当時はあなたも殺したと偽りの報告を受けました。あの天使は前任びいきでしたから、ただの人間だったあなたを見て慈悲から見逃したのでしょう』と言われて、幼い頃に自分を“何か”から庇って死んだ母親の姿を思い出した。当時のジラフは神の血など一切発露していない、ただの人間にしか見えなかった。それ故見逃された。少しずつ、頭の中でピースが嵌まっていく。
神は言った。『今のあなたは神の血が半覚醒しています。心当たりがあるでしょう?』と。確かに心当たりがあった。彼女の故郷で細胞全てが塗り替わるような、生まれ変わるような経験をした。その後は原因の分からない全能感と共に歩んできた。夢の事だって――あれは神から天使達への呼びかけだった。それをジラフは“属する者”として受信していただけだったのだ。
神は言った。『半分とはいえ、あなたにも尊き前任の血が流れている。完全覚醒すれば、より神に近いものとなるでしょう。今ならば、神側として粛清に加わるのであれば。あなたを此方に迎える用意があります』と。その瞬間、目の前が真っ赤に染まるような怒りに駆られた。
だが、まだ聞くべき事があった。更迭された“父”はどうしているのか。
神は言った。『天の牢獄におります。彼は優秀で更なる上の神にも愛されていますから、“過ち”の記憶さえ消せばすぐにでも復帰できるというのに――あなたと母親の事を忘れたくなくて、罪を抱えたままでいますよ』と。
それを聞いた瞬間にジラフの心は決まった。
父はまだ、母を自分を愛している。記憶を消すのはその愛を過ちと認めてしまう事になる。誰にも知られる事が無い天の果てで、ただ彼は自分を愛してくれていた。母もそうだ。命懸けで自分を守り生かしてくれた。自分は確かに両親に愛されていた。天界が過ちと判断しても、自分は愛と共に望まれ生まれた子なのだと理解した。
初めて家族の愛を得た。怒りで真っ赤に染まった視界はそのまま、勝手に口が動く。また全ての細胞が生まれ変わり塗り替わっていくような感覚を覚える。
「アンタも上の神々とやらも大馬鹿ね。そのまま任せておけばこんな事する必要無かったのに。アタシはきっと世界を救う為に、善くする為に生まれたのよ」
自分はきっと、戦争が止まない世界を救う為に父母が生み出した子だった筈だ。父が更迭されなければ、母が生きていれば、自分は大成し世界を救い――こうして世界の天秤が悪に傾く事も無かった。その確信があった。
だから“大馬鹿”は目の前の神どもで、今足が着いたこの世界は滅ぼされるべきものではなかった。立て直せるものだった。違う。過去形ではない。彼女の故郷の時のようにまだ手遅れではない。人類はまだ僅かだが生きている。
「致命傷に近いけどまだ生きてるわ。アタシがこの世界を諦めたらダメよね」
僅かな人類全ての『生きたい』という願いを背負い、代わりに神と戦うのは『傭兵』であるジラフの仕事だった。そしてジラフは完全に覚醒し、神に反逆する。
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