416 おかえりなさい
「やあ、マダム……久しぶりだね」
「ムッシューあなた……」
疲れ切った掠れ声で微笑むジスカールの髪は、抜け落ちたように真っ白に変わっていた。そこまでなら多大なストレスのせいだろうなと思えたが、目の色まで変わっている。優しい翠色をしていた光彩が、今は銀色に変化しており――ただ色が変化しただけではなく、明確に気配までもが変わっていた。
「ンフーッ! ちゃんと『神眼』を手に入れてきましたねェっ! ああ、二人共疲れ切って動けないでしょうっ! 寝ていて良いですよォっ!」
「……!」
ベルが驚き口を開く前に、ファナティックが彼女を押し退けウルズスとジスカールの容態を見た。
「ふむふむゥっ! 紅薔薇の一番弟子っ! 此方をウルズスに飲ませて下さいなァっ! 栄養たっぷり回復ドリンクですゥ!」
先に疲れ切ってへろへろのウルズスを見、ぽんッと手元に生み出した瓶をベルに手渡す。
「え、ええ――けど、神眼って……」
「神眼は神眼ですよォっ! アナタも御存知かつお持ちの『魔眼』の上位版ですゥっ! 直接戦えない分、教授は最強の情報収集能力を手にしたという訳でっ!」
「……!」
魔女の特別な目を上回る神眼と聞いて、やはり驚きは隠せなかった。言われた通りウルズスに少しずつ回復ドリンクを飲ませてやりながら、二人の様子を窺う。
「とはいえ日常生活には不便でショうから、紅薔薇の一番弟子が作った魔具に強化を加えましょうねェっ! 後で術式をお渡ししますので、メンテナンスや破損時の修復はアナタにお任せしますよっ! いいですねっ!」
「え、ええ……」
疲れ切った彼らに今自分の興味を満たすだけの質問をするべきではない――と自重しているが、経過と結果を見るにやはり色んな意味でとんでもない試練だったようだ。ベルが聞きたい事をしまってウルズスの介抱をする間、ファナティックがジスカールの眼鏡と能力抑制ネックレスに触れて更なる術式を付与している。
『ジスカール……』
回復ドリンクの効果は覿面で、飲むとウルズスが動けるようになった。起き上がるとすぐ、ぴったりジスカールに抱きついて顔を埋める。
「ああ、ウルズス……よく頑張ったね。わたしは大丈夫だよ……」
『ごめんね……ありがとう……うーっ……』
身を震わせて泣くウルズスを抱き締めてやりたいが、流石に身体が動かない。自分には回復ドリンク無いのかな、と視線だけ動かすとファナティックが懐から別の小さな瓶を取り出し、スポイトで数滴口内に垂らして来た。薬みたいに見えて苦いかと身構えたが、蜂蜜みたいに甘く濃厚で染み渡った。
「強い薬なので原液は今回のみ。以降はコップ一杯の飲み物――水でも珈琲でも何でも良いですっに三滴垂らして三食毎に摂取してくださいねェっ! 一瓶終わる頃には完全回復しますよォっ! 確り寝て食べて休んで下さァいっ!」
「わあ……ありがとう……」
相変わらず全身は鉄を纏ったように重いが、何とか腕を動かす事が出来て縋りつくウルズスに手を添える事が出来た。わしゃわしゃ撫でる代わりに軽く指先へ力を籠めて、共に戻れたふわふわの優しい命を確かめる。ああ、戻って来られたのだと思うと全ての苦労が消えてしまうようだった。
「ウルズスは頑丈で回復も早いですから、今のドリンクを飲み終えたら後は沢山食べて沢山寝れば回復しますっ! という事でお二人ともお疲れ様でしたァっ! しっかり休んで下さいねェっ!」
「……分かったよ、ヴィクトル。ありがとう、マダムも」
「わたくしは見ているしか出来なかったわ。けれど後のケアは任せてね。休むならジラフの所まで運びましょうか」
『だいじょうぶ、ぼくが運ぶよ』
ジスカールに縋りついていたウルズスが顔を上げ、ベッドから降りると『ぬん』と人型になった。
『ベルは皆を見ててあげて! ぼくらが最初でしょ?』
裸バンダナ……と思ったが、それより先に頼もしいウルズスの笑顔が目を引いた。ほんの一時間弱――彼らにとっては一年弱だが、ウルズスの精神もずっと成長したように頼もしいものだった。戻って来られた事や、ジスカールへしてしまった行為にぐちゃぐちゃにならず、ちゃんと周囲やモニターを見て自分達が最初だと理解する程度には冷静だったし、ベルへの気遣いまで出来ている。
「え、ええ……」
「ウルズス……パンツを…………!」
『もー! ちょっと運ぶ間だけだからいいでしょ! それよりはやくリエラとジラフのとこいこ!』
「ううん……仕方ないな……」
『よし、いこう!』
ウルズスがベッドからジスカールを抱え上げ、足早に工房の外へと出て行く。呆気に取られたよう見送るベルへ、ファナティックが笑顔で言った。
「ほらァ、大丈夫だったでしょうっ!? 戻って早々パンツを気にする位には教授はお元気ですよォっ! ウルズスだって泣きっぱなしではありませんっ!」
「……ええ、本当にそうね。なんて強いのかしら」
ベルも否定せず認め、ウルズスの気遣いに甘えて見守りを再開する事にした。
* * *
『ぱぱ……にいに……』
「アラッ、リエラちゃん起きたの?」
ジラフが作業している間ずっと、スリング型の抱っこ紐に包まれて眠っていたリエラが目を覚ました。起きた途端にジラフの肩までよじ登り、耳を引っ張る。
『まま! まま! まぁま!』
「何々どうしたの!? ママですよおッ!」
『にいに! ぱぱ! にいに! ぱぱ!』
「あぁん……! パパとにいには今お出かけしてるのよォ……!」
『ぱーぱ! にーに!』
伝わっているのかいないのか、何度もリエラが『ぱぱとにいに』を主張する。普段大人しく良い子のリエラがこんな風に興奮する事は無いので、やっぱり遠くに離れている事が分かるのかしら――と途方に暮れた時だった。
『――――リエラ!』
『にいに!』
ウルズスの念話が届いて、リエラが嬉しそうにジラフの身体を伝い降りてゆく。そのまま転がるように駆けて行って、裸の足にしがみついた。
『わ、リエラ! 足はあぶないよ!』
『にいに! ぱぱ!』
「ウルズスちゃん……! ジスカールちゃん……!」
「やあ、ジラフ……ただいま……!」
見れば裸バンダナの人間ウルズスがジスカールを抱えて立っている。リエラが必死にウルズスを登って、“ぱぱ”の元に辿り着くと顔に抱きついてスリスリしてから“にいに”の肩によじ登った。
『にいに! ぱぱ!』
「リエラちゃんたら二人が帰って来たよって教えてくれてたのネ……ッ!」
『えへへ、リエラ! ぼくも会いたかったよ……!』
「ウルズスもわたしも無事だよ。ちゃんと二人で頑張って来た」
「…………ッて」
ウルズスがリエラを抱っこしたいので、駆け寄ったジラフにジスカールを受け渡した。途端にジラフが目を丸くする。
「ちょっと! その髪と目どうしたのヨ……ッ!」
「え、いやこれは……ちょっと色々あって……説明すると長いから後で……」
「それに抱えられてきたって事は動けないってコト!?」
「うん、指先ひとつ動かすのもしんどいかな……? けど、薬を飲んで休めば回復するらしいから……」
『ジラフ! ジスカール休ませてあげて!』
こぐまに戻ったウルズスが、リエラを抱っこしトコトコ歩いて個室へ先導する。
「え、ええ……ッ! んもう! 後で細かに聞かせて貰いますからネッ!」
「ああ、後でちゃんと話すよ……それに急いで来たからまだブリオッシュも焼けてないだろう……?」
「そうネ、まだ生地を寝かせている段階よ」
「じゃあ出来るまで寝ていようかな。焼けたら起こしてくれる?」
「イイけど……」
歩き出しつつ本当に大丈夫なのかと顔を見ると、ジスカールが嬉しそうに微笑んでジラフを見ていた。
「……本当に帰って来られたんだなあ。君に抱かれていると守られてる感が凄いや。心底安心するよ……」
「クオォァ……ッ! またそういう事を……ッ! アタシの腕に居る限り何があろうと守ってあげるわヨッ!」
天を仰いで顔をギュウッとしてから戻すと、余程疲れてギリギリだったのだろう。もう既にジスカールが目を閉じて寝息を立てている。
「……本当にもう……無事に帰って来れて良かった。おかえりなさい」
眉を垂らして寝顔を眺めると、そのまま階段を上がって行った。
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