338 エーデルワイス
期限まで残り一週間。ガブリエラに変化が表れた。
『シルヴァン、外連れテ行ッテあげル』
「え、本当かい……!」
『此処カラ遠い場所、少しナラ良イ』
「……嬉しいよ、ありがとう」
一瞬思い切り喜んでしまったが、確かに拠点を隠したいなら瞬間移動で遠い場所に行けば良いだけだった。発煙筒を使う機会は無さそうだが、陽光が浴びられるのは素直に嬉しい。何だかんだでテンションは上がり、ガブリエラに抱えられると視界がぶれ――次の瞬間にはもう空気の匂いが違った。
「うわ、凄い……」
緩い傾斜の美しい緑の山麓。ちらほら咲く白い野花が可愛らしい。見渡すと青空を背に雪被りの険しい山脈が見える。気温は暑くも寒くもない。本当に全然違う土地に連れて来られたのだろう。久々の自然は目を奪われるほど素晴らしく、暫く見入ってしまった。
『気に入ッタ?』
「……ああ、すごく綺麗だ。元気が出るよ、ありがとう!」
ジスカールが感激して一度強く抱きつくと、すぐに離れて自然を満喫し始める。その様子をガブリエラは何だか驚いたように眺めていた。
「この花はエーデルワイスだな。高山に生える多年草だよ。昔から薬草として利用されていて、後は抗紫外線効果も――ああいや、わたしの記憶や知識を視たなら知っているか」
『視たケド、必要なコト以外ハ習得シてナイ』
「花言葉や逸話は?」
『覚エてナイ』
するとジスカールがガブリエラを招いて草の上に座る。何だろうと思って隣に座ると、楽しそうに話し始めた。
「花言葉は色々あるが、一番有名なものは『大切な思い出』だ」
『花言葉……花に意味がアル、どうシテ?』
「わたしの居た世界ではだけど、文字や言葉の代わりに花へ想いを託して贈る風習が始まりだ。それが徐々に広まっていって――国によって花言葉が違ったり、複数の意味があったりする。神話や逸話が元になっている事も多いよ」
ふむとガブリエラが頷いた。そうした雑学は必要無いから、彼の記憶を視た時も気に掛けなかった。
「この花だと、そうだな……。夫を山で亡くした女性が、どうしても共にありたくて神に祈った。すると神は女性をエーデルワイスの花に変え、以降夫の亡骸の傍で咲き続けたという言い伝えがある」
『……? ソのママ居レバ良かッタ。花にナル必要アル?』
「……えっ、そう言われると……」
ジスカールが瞬き考え込む。
「人のままでは空腹や寒さでずっと一緒に居られないか、すぐ死んでしまうからかな……? どちらも死ねば土に還るし……?」
『……? 死体がふたつデモ、土に還ル』
「ああ、そうか……けど、まあ神様のする事だから……。そう、神様関係だと違う言い伝えもあるんだよ」
ジスカールが混乱し、誤魔化すようにふたつめの逸話が始まった。
「地上に降りて来た天使に登山家の男が恋をした。だがその恋は叶わず、男は神に『この苦しみから解き放ってくれ』と願う。神のはからいで、天使は白い花を残して天へ戻った。叶わぬ恋の代わりに『大切な思い出』になったという事かな」
『ドうシテ天使は戻ッタ?』
「恋が叶わないのに、天使と居るのは苦しいから……だと思う。多分ね」
『ソウ……』
これは納得して、ガブリエラが少し黙った。二週間前では無理だったが、今なら理解も共感も出来る。夫の亡骸と共に居たかった女の気持ちも、恋が叶わぬ男の苦しい気持ちも。自分が今苦しいから、理解出来てしまう。
『難しイ』
もし自分なら、夫の亡骸を取り込むだろう。いや、それでは亡骸が消えてしまう。取り込まず寄り添った方が良いだろうか。恋が叶わず苦しいなら、天使の存在を消してしまった方が楽だろうか。苦しくとも居たままの方が幸せなのではないだろうか。花と思い出だけで楽になれるのだろうか。
「恋は難しいものだよ。けれど単純に考えよう。綺麗な花だ。二人で見られて良い思い出になる。それじゃ駄目かい?」
『ソうスル』
ガブリエラが腕を伸ばし、膝枕をするようジスカールを引き倒した。
「……? どうかした?」
『顔色、イツモより良イ。閉じ込メテないカラ?』
「まあ、それはあると思うよ。健康的にも気持ち的にも」
上から見下ろし、じっとジスカールを観察する。地下に閉じ込めていた時と明らかに顔色が違うし、表情も生き生きとしている。また黙って考え込み――それからぽつりと言った。
『コレかラ毎日連レテ来てアゲル』
「え、本当かい!」
『……本当』
「嬉しいな……!」
見る間に彼の表情が輝く。喜んで良かったという気持ちと、何とも後ろめたい感情が混ざった。本当は“最後の晩餐”のような気持ちで連れて来たのだ。一週間後、自分が失敗すれば恐らく彼は二度と陽の光を見ないから。こんなに喜ぶなら期限が来るまで毎日連れてきてやろうと思った。同時に、それが自分にとって危険な考えだという事も分かっていた。
それでも己の『心』と向き合い考え、自ら申し出た事だ。この日は数時間を自然の中で楽しく過ごし、次の日も、その次の日も、更にまた次の日も。数日“最後の晩餐”を続けた。そして期限の前日が訪れる。
* * *
『シルヴァン』
「何だい」
『明日、期限来ル』
「そうだね」
本当に最後の日。朝から外へと出かけ、美しい自然を眺めながら二人で草の上に寝転んだ。互いの顔は見えないが、代わりに手を繋いでいる。
『シルヴァンの仲間、一人差し出シテ来ると思ウ?』
「……思わない。彼らなら他の手段を見付けるだろう。君は負けるよ」
『ソウ』
「君の考えは変わった? 心や愛は生まれたかい」
『考エ、少し変わッタ。心と愛、生まレタ。ワタシ、シルヴァン愛シてイル』
軽く握った指に力を籠めると、同じ強さで握り返してくれた。
「そうか」
『シルヴァン』
「何だい」
『嘘デ良い。ワタシを愛しテルと言ッテ』
「嘘ではなく、家族として君を愛しているよ」
『違ウ』
熊の化け物と同じように『家族』として愛されているのはもう分かっている。
『ワタシ、シルヴァンに恋をシタ。熊の化け物トハ違う愛ガ欲シイ。嘘デ良い』
「……ガブリエラ」
『お願イ。ソレでワタシ、勇気出セル』
何の為の勇気かは不明だが、彼女の声には悲壮な覚悟を感じた。
「…………」
ジスカールが少し黙り、ややあり身を起こす。手を引かれてガブリエラも身を起こした。
「……ガブリエラ、エーデルワイスには他にも花言葉がある。『勇気』や『忍耐』、後は『初恋の感動』だとかね」
勇気と聞こえてガブリエラが瞬いた。空いた手が近くに咲いていた一輪を摘み、ジスカールが向き直る。とても優しい顔をしていた。
「地方によっては、男性が女性にプロポーズする時に贈る花ともされている」
『…………』
摘んだ一輪がガブリエラの鬣に挿され、何だろうと思った直後に『贈られた』のだと気付いて息を呑む。
『シルヴァン』
「――……愛しているよ、ガブリエラ。愛してる」
空いた手が頬に添えられ、ジスカールが身を乗り出し唇が重なった。繋いだ手が互いに強く握りしめられる。今彼は『嘘ではない』とは言わなかった。だが、これで十分だ。嘘でもいい。嘘だと分かっている。
――――それでもこの瞬間、孤独は全て満たされた。
『……シルヴァン、アりがトウ』
これは『大切な思い出』だ。今なら天使に恋した男の気持ちが本当に分かる。大切な思い出と、この花があれば苦しみは消える。
残った五本の腕が強くジスカールを抱き締め、優しく額を合わせ――彼に苦痛をもたらすと分かっていながら、隠さぬ『全て』を流し込んだ。唐突な接続に彼の身体が跳ね、流し込まれた記憶と感情に耐えきれず意識を失う。そのままぐったりした身体を大切に抱き締めた。
『シルヴァン、ごめンなサイ』
* * *
そして昼になる前。北の凍った大地に射出用サイロの蓋が開き――同時にジラフが渡した発煙筒の煙があがった。観測していたカピモット神はただちにこれを見付け、すぐに村へと知らせを飛ばしたのである。
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