32 再び予兆
自分のものではない、酷く辛い夢を見た。
――ような気がする。
「…………っ」
耳鳴りのような不思議な気配を感じて目を開く。これには覚えがある。村に建てた高床式の小屋の中。
嫌な汗をかいていた。鼓動が早い。三人を起こさぬようにそっと起きる。
「何だこれ……」
いつかと同じように呟き、小屋から外へと出る。まだ夜明けの時間。遠くに見える山頂にも変化は無い。以前と同じだ。同じなのだが――少し違う。
以前は“悪くない予感”だった。結局魔王が来たが、今はよき仲間として共存できている。悪くなかった。
今度は“悪い予感”だった。
村作りも順調で、やる事は多く楽しみも尽きない。死の土地ばかりは仕方がないが、他は上手くいっている。それなのに、えも言われぬ不安が湧き上がる。
これは悪い予兆だ。
今までに何度もあった。順調と思っても、強い敵が出たり仲間が死んだりする。楽勝と思ったら足元を掬われて窮地に陥ったりする。その時に感じる感覚だ。
難しい顔をしていると、リョウの気配で目覚めたカイが起き出してくる。
「おはようございます。リョウ、どうしましたか?」
「おはよう、カイさん。や、ちょっとね、悪い予感が……」
「えっ」
「カイさんは何か感じる? 魔力、僕よりあるよね」
「いえ、魔力はありますが先見には使えません。あなたのそれは勇者の加護や祝福の類――魔力というより共感性、神や精霊が与える啓示に近いものでしょう」
「そうか……」
話す内、残りの二人も起きてくる。
予兆の事を話すと、二人とも難しい顔をした。
「ふぅむ、悪い予感というのは気になるが、結局起きるまで何なのかは分からぬしなあ……」
「そうなんだよね……」
「ちょっと気を付けとくか。おれも後でまた観測再開しとくよ」
「五人目、という可能性もあるのでしょうか。私の時は四日ほどでしたっけ?」
「んだな。リョウの予感から四日目に光の柱が始まって、五日目に到着した」
「それ、固定の周期か分からないんだよね。世界と世界の距離によって到達時間が変わるかもしれないし」
「あー」
結局色々考えても起きるまでは分からないので『ひとまず気を付けておこう』という事になった。今日もやる事は多い為、顔を洗うとすぐ朝食に取り掛かる。
「あ、すごい。だいぶ蜂蜜溜まってるよ」
一晩置いたので、器に垂れ蜜が沢山溜まっていた。
「良いですね。後で絞って滓をミツロウにしましょう」
「朝飯作ってくれてる間に、おれらは他の準備するわァ」
リョウとカイが朝食の用意をし、ケンとガンは石鹸作りの準備をする。
今朝の朝食は、トマトベースの豚と豆のスープに蒸した芋とバナナ、蜂蜜と塩コショウで味を付けた根菜のサラダ。いつもは野草茶だが、今日は蜂蜜と果汁を入れたホットジュースにする。
「いただきまァす」
「いただきます!」
「いただきます……!」
「はいどうぞ~!」
「あっこれうま……! 蜂蜜だけどねちゃっとしてねえ」
「蜂蜜はお湯に溶けるからね」
ホットジュースに口を付けたガンが嬉しそうに呟く。感想を求められた時より明らかに分かりやすく、密かにリョウとカイがにっこりする。
「今日は石鹸作りと……他なんかあったか? 作り方とか見たら結構配分とか温度管理とか細けえし、全員でやるもんでもなさそうだし、何かあったらやってきていいぜ」
「なら僕は残りの蜂蜜絞りとミツロウ作りだけ一緒にやって、食事の作り置きしておこうかな。もしこの先何かあったら、悠長に作ってられないだろうし」
「そうですね、私は畑の世話以外は空いてますので、ガンナーとリョウのお手伝いをしましょうか」
「それなら俺は果実や薪の余分を採って来るか。備えておいて損はあるまい」
午前の担当が決まって、食事を終えると各自動き始めた。
ケンは早速出かけてゆき、ガンはカイとリョウが蜂蜜を絞っている間に少し抜けて大気の外に“眼”を出してくる。相変わらず出す所は見られたくないらしい。
「今んとこは何も変化は無えな」
「そっか、良かった」
作業に合流して蜂蜜を絞り終えた滓を受け取る。この滓を水と煮てよく混ぜ、濾して冷ますと、不純物と水とミツロウに分かれて使えるようになるのだ。
「結構臭いすんなこれ」
「煮ている間は異臭がしますからね。屋内ではやらない方がよろしい」
「ミツロウにまでなっちゃえばそんなに臭くはないかな」
「へええ」
同時に土鍋で昨日の灰を濾した汁を煮込んで炭酸カリウムを抽出し、石窯で石灰石を焼いて生石灰を作ったりと細々と作業をする。
「後はもうおれだけで良いから他の事やってきていいぜ。おまえら細かく温度とかPHとか成分とか測れねえだろ?」
「あっそれは無理だな。じゃあお任せしちゃっていいかな?」
「ガンナーの解析は本当に便利ですねえ。もしお手伝いする事があればいつでも呼んでくださいね」
「あいよ」
そこからガンは書物とにらめっこしながら石鹸作りに没頭する。カイは一度畑の世話をしにゆき、リョウは料理の作り置きへと入った。あれこれする内にあっという間に時間は経ち、すぐに昼食。ケンも戻ってきて四人で食卓を囲み、それからまたそれぞれの仕事をし、夕方に集合して夕食を食べる。
「石鹸な、型に入れるとこまで出来たから、もう数日したら出して切って、一ヶ月くらい乾燥させたら完成するらしい」
「おおお……! めちゃくちゃ楽しみ……!」
「カイが匂いめちゃくちゃ気にしてたから、ケンの倉庫にあった何かいい匂いのオイルも入れてやった」
「そんなに私気にしていましたか、お恥ずかしい……! けどありがとうございます……!」
「でかしたぞガンさん、完成が楽しみであるな!」
今日の夕食は塩豚にトウモロコシ粉の衣をつけて揚げたカツレツ風、蒸し野菜とバナナ、蟹と野草のスープ等々。今日の成果を報告し合いながら、いつものようにゆったりと食べている。
「僕も結構料理の作り置きは出来たから、何かあっても数日は大丈夫かな」
「つまみ食いすんなよ、ケン」
「うむ……」
「歯切れ悪ィな!」
作り置きはケンの倉庫で保管する為、念押ししておく。あらかた食べ終わり、さて片付けと皆が立ち上がろうとした時だった。
――――――唐突な悪寒。
「ッ……!」
「どうしましたか、リョ……」
強張った顔で肩を跳ねさせるリョウ。声を掛けたカイが言い終える前に同じ反応を示す。
「おい、早くねえか……!?」
「うん? 始まったのか?」
続けてガンが宙を仰ぐ。更に遅れてケンが山頂の更に上を見る。
「……おい、魔法陣って色でなんか違いあんのか」
「宇宙の魔法陣の方もおかしいのか、ガンさん」
「ああ、前は光って感じで白かった。今回は“あれ”と同じ色だよ」
四人が山頂の更にその上、いつもなら光の柱が始まる位置を見上げる。
明らかに違うものが始まっていた。
『闇』と一言で表現してしまうと綺麗過ぎる。酷く雑多で濁っていた。善くないあらゆる感情を絵具にして、それを滅茶苦茶にぶちまけかき混ぜたらこんな風になる、そんなどぎつい色をしていた。
その表面でばちばちと電気のように赤黒いエネルギーが爆ぜている。今までと同じなら、真っ直ぐ綺麗に伸びゆく筈が、酷く歪だ。送る為の柱が一本のトンネルだとすると、何かがそのトンネルの中を暴れまわり、何度も身体を打ち付けひしゃげさせているような。
「いや、早くね……?」
「早いな?」
まず柱が歪だと視認できる時点でおかしかった。普段はもっとゆるゆると伸びて柱を形作っていく。この時点で柱の形と分かる時点で異常な速度だ。
「普段はもっと、一日掛けて伸びるものなのですよね……?」
「その筈だけど、っていうか……いやこれ間に合わないぞ」
見る間に歪な柱が山頂に伸びていく。今から慌てて走っても出迎えが間に合わないほど早い。
「いや、もう間に合うとかじゃねえ――」
「三人とも、来るぞ。備えよ」
ケンが告げ、虚空から恐らく“最強装備”の大剣を引き抜くのと同時だった。
ひときわ激しく赤黒いエネルギーが爆ぜ、顔を顰める程のつんざくような“咆哮”が響き渡る。更に強烈な破砕音。頂上に着く前に歪な柱が“破られ”た。
夕闇の空に踊り出すは巨大な一匹の獣。
身の丈100mはあろうか、血膿を固めたようなおぞましい肉体を瘴気のような“もや”が取り巻いている。力を持て余すように、常にかしこで肉が爆ぜ、赤黒いエネルギーがまき散らされている。
その“現出”だけで周囲のみならず遙か遠くの鳥達までもが一斉に羽ばたき逃れ始める。森は震え、山野の獣も虫も魚も――動ける全てが逃げ出し始めた。
ぎちぎちと生命に対する憎悪を滲ませ、噛み軋むあぎとから腐臭漂う酸液が滴る。縦に裂けたような数百の眼。灯る光はあらゆる厭悪に満ちている。
――――ぎょろり。数百の眸が一斉に四人を向いた。
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