28 約束
暫くリョウは押し黙り、俯き、動かなかった。
それがややあり立ち上がり、魔王へと向き直る。無言のまま、虚空から神々しき勇者の剣を鞘ごと握り、抜き出す。
魔王は粛々と勇者へ向き直り、襟を正し恭しく頭を垂れる。首を断ちやすいよう配慮するかのようだった。
落とした視界では勇者の動きは分からない。だが、何か大きく構える気配が窺えた。魔王は静かに目を閉じる。
――次の瞬間、ふたつの音がした。
殴打音と落下音。首を断つ音ではない。
怪訝に魔王が目を瞠った時には頬に強い衝撃を受けて吹き飛んでいたし、砂浜に転がっていた。遅れて、砂に放られた勇者の剣が見える。
「……っ、な……」
「ふざけるな……!」
魔王の頬を殴った拳を振り抜いたままの姿勢。肩を震わせ歯噛みしたリョウが絞り出す。
「悪いよ、悪いに決まってるだろう……! けど、なら、そんな顔するなよ……ッ!」
殴られた頬を片手で押さえ、呆気にとられたように魔王がリョウを見上げる。
ぐしゃぐしゃの、今にも大声をあげて泣き出しそうな顔をしていた。
「あなた、自分が話していた時どんな表情をしていたか知らないだろう……! 人間のこと、大好きじゃないか……ッ!」
「違います、それは……!」
「何が堕落していく魔族達を見ていたくないだよ、明らかに人間を護ってるじゃないかッ、嘘が下手だなあ……ッ!」
「……それは、」
「何が勿体ないだよ、何で共存が考えられるんだよッ、あなた魔族だろ、魔王だろ……ッ! 下手くそな魔王だなあ……ッ」
無手で勇者が近付いてくる。荒々しく胸倉を掴んで魔王を立たせる。
「僕は魔族なんか大嫌いだ、魔王はもっと嫌いだッ、勿体ないなんて思った事無い、共存なんて考えた事も無い……ッ」
絞り出す声が、また殴ろうと引いた拳が、戦慄き強く握られる。
もう振るう事すら出来なかった。力無く、魔王の胸に拳が落とされる。
「……僕は、……勇者の僕がッ、人間を諦めたのに……! 滅ぼす所だったのに……ッ、どうして、あなたは……あなたが……ッ」
そのままずるりと、勇者の方が膝を付いた。魔王が慌てて肩を支える。
「リョウ……」
「あなたは悪いよ……ッ、あなたがしたのはエゴに任せた勝手な世界のやり直しだ……ッ! 殺された人間も魔族もあなたを赦すものか……ッ」
「……はい、分かっております」
「けど僕は、……ッ、僕だけはあなたを責められない……!」
「――――……」
「僕は人間を諦めて、魔王になる寸前だった。神に滅ぼされるか、この世界に送られなければ、僕は魔族も人間も“全て”滅ぼしていた……ッ、絶対に……!」
「リョウ……!」
「僕の方が悪いんだよ……! 責められる訳が無いじゃないか……ッ」
「リョウ、聞きなさい!」
強い口調で魔王が諫め、膝を付く。確りと目線を合わせるよう、支えた肩に指が食い込む。
「貴殿は結局滅ぼしていません。踏み止まりました。惑うだけならば、罪を犯した事にはなりません。貴殿が勇者だから、自分で自分を責めているだけです」
曇って怯えたような目が魔王を見る。表情は歪んで、あまりにも勇者らしからぬ無様だ。
「…………赦せる筈が、無いでしょう。僕は勇者なんだから……」
「……ならば私が赦します。私は魔王ですから。己のエゴで世界を殆ど滅ぼしたのですから。傲慢に貴殿を赦せます。――私が、赦します」
「何を、……ッ、どうして……ッ!」
ぐしゃりとリョウの顔が歪む。きつく瞑った目の縁から涙が零れる。
「――……私は、私が人間を諦めなかったのは、貴殿ら、勇者が居たからです」
「…………なん、だよ……それッ」
「何度も人間を諦めようと思いました。共存など無理だ、完全に滅ぼしてしまおうと何度も思いました。ですが、あらゆる苦難を越えて私の前に立つ勇者達は、何より眩しく価値ある者――いえ、愛しく映りました。……それが私を踏み止まらせたのです」
「………………」
「……本当に、下手くそでした。認めます。私は育てる人間達が愛しかった。共存できればと思った、願った。だが許される立場ではなかった。許されないまま、けれど諦めきれないまま――本当に下手くそに、あんな罪を犯して、此処まで来てしまいました」
「…………本当、だよ……ッ」
リョウが鼻を啜る。湧き上がる嗚咽を飲み込むように一度深く俯き、それから暫く、苦心して顔を上げた。
真っ直ぐに魔王を見る。
“勇者”の顔だった。
「…………魔王さん」
「はい」
「……………………魔王さん」
「はい、リョウ」
「――僕の“望み”を言います。これは、ケンさん達から始まった順番の約束です。ケンさんはガンさんに望みを叶えて貰う代わりに、ガンさんの傍に居ます。ガンさんは僕に望みを叶えて貰う代わりに、傍に居てくれています」
「…………はい」
魔王からすれば、聞いた事が無い約束。いささか怪訝に瞬くも、口は挟まない。
「……魔王さんは、僕を赦してください。僕が前の世界でどんな事をしていようと、他の誰が赦さなくとも、あなただけは僕を赦してください。味方で居てください」
「……ええ」
「僕は、僕があなたを赦します。あなたが前の世界でどんな事をしていようと、他の誰が赦さなくとも、僕だけはあなたを赦します。……僕が味方でいます」
魔王が目を瞠る。
「魔王さん、僕らは友達になろう。友達でいよう。……僕らは此処で、やり直そう。僕だって下手くそだ。…………一緒に、頑張ろうよ」
「…………そんな、リョウ……」
「…………そう、したいと思ったんだ。……どうかな…………?」
散々激情をぶつけたし無様な顔も見せたし、恥ずかしいのだろう。赤くした目で少しばつが悪いようにリョウが眉を下げる。
「嗚呼、リョウ…………」
魔王が噛み締めるように目を閉じる。
「私は、私はその約束だけで――自分が今此処に居る事を、赦せます。その約束だけで、生きていけます」
じわりと熱くなった目の奥を隠さず、目を開く。それから確りと魔王は勇者に微笑み返した。
* * *
「――なあ、ケン」
「どうしたガンさん」
離れた砂浜。指示通りに砂でケンを埋めているガンが、手を休めて怪訝そうにする。
「リョウが勇者の剣出してさ、魔王殴ったんだけど」
「ほう?」
ケンは首から上だけ出して砂に埋められているので、もう一組の方は見えない。ガンの方はぺたぺたと砂で巨体を埋めながら、時折もう一組の様子を遠目に見ていた。
「ああ、いや、剣じゃなくてな。拳で殴ってた」
「ほう、剣は使わなかったのか」
「剣は捨ててたわ」
「ははぁ」
「これ埋めたけどどうすんだ」
「うむ、次は埋めた部分に女体を形作るのだ! そういう作法であるからな!」
「分かった」
指示通り、砂を固めて埋め立てたケンの首から下に女体を形作ってゆく。意味はさっぱり分からないが作法らしいのでその通りにする。
「なあ、ケン」
「どうしたガンさん。ボインだぞ。ボンキュッボンの豊満な女体を作るのだぞ」
「分かったよ。じゃなくて、リョウと魔王が泣きながら抱き合ってんだけど」
「ほう」
指示通り、ボインでボンキュッボンの女体を形作ってゆく。
「それは青春であるなあ……!」
「なんだそりゃ」
「ははは、ガンさんには分からんか!」
「そもそも青春した事ねえし、おれらそんな若くねえだろ」
「知らないのかガンさん? 青春は何歳になっても出来るのだ。まあ、分からぬなら和解できたと思っておけば良かろう」
「した事無えから知らねえよ。――けど、そっか、そんなら良いや」
ケンは至極満足そうにしている。ガンも分からないなりに、なら良しと笑った。
「おいケン」
「なんだガンさん」
「ボインでボンキュッボンの女体が出来たぞ」
「おお! この姿勢ではきちんと見られぬがでかしたぞガンさん!」
「――そんで、これは何が楽しいんだ?」
「わはは! 俺も分からん! だが人を砂に埋めて遊ぶ時はな、大体そういう作法なのだ!」
「へえ~!」
「次は高い場所から海面に飛び降りる遊びでもするか! これは俺が大好きな楽しい遊びだぞ!」
「おお、そっちのが楽しそうだな」
「ようし!」
ゴバァ! とケンが砂から飛び出し、ガンを伴い崖の方へと走ってゆく。離れた砂浜では、リョウと魔王が仲良く塩作りを再開していた。
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