26 二人きりだね
砂浜に駆け込みながらケンが荷物と衣服を放り出し、歓声をあげて全裸で海に飛び込んでいく。
「あいつほんッと……!」
放り出したシャツを拾ったガンが、広がる景色に足を止めた。驚いたように目を瞠り、辺りを見渡し、それから目を閉じ大きく息を吸い込む。初めて見るものを全身の感覚で受け止めている。
「…………知らねえ匂いがする。風も違う。波の音がする。これが海かァ」
目を開いた時には機嫌よく口元が緩んでいる。
「ガンさん海は初めてだもんね」
「ああ、おれの世界の海はほとんど干上がってるし、毒沼みてえなもんだからな」
「ガンナーの世界は厳しい環境だったのですね」
「――ガンさん! 早く来い! 俺が海の楽しみ方を教えてやる!」
「ああ?」
誰よりも早く海に浸かったケンが声を張り上げ手を振っている。
「塩作るんだろ! 塩! おれらが遊んでちゃ――」
「ガンさんいいよ、遊んできて。初めてなら楽しまなくっちゃ」
「そうです、ガンナー。初めての海を楽しまないなんて勿体ないです」
微笑ましい顔で、リョウと魔王が促してくる。
「ええ……何か悪いじゃん……」
「大丈夫だよ、塩作りは時間が掛かるからね」
「そうですよ。海水を一時間以上煮るのです。基本見ているだけになりますから……」
「そっか……じゃあちょっと行ってくる」
少しはにかんだように頭を掻くと、ガンもケンと同じように衣服を全て脱ぎ捨てて全裸で海へと走っていく。
「あの……リョウ……」
「……あのね、あれはね、ガンさんは未知のものに対しては赤ちゃんなんです。赤ちゃんだから、ケンさんが全裸になったのを真似しちゃったんです。あれが作法なんだなって間違った学習しちゃったんです。赤ちゃんだからね……後で別に全裸じゃなくてもいいって教えてあげようね……魔王さんも変な事教えないようにね……」
「あっ……はい…………」
なんとも言えない顔で海に入っていくガンを見送り。
「…………」
「………………」
二人きりになってしまった事に気付く。
やばいどうしよう滅茶苦茶気まずいという顔をリョウがする。魔王も気まずそうにもじもじ指を絡ませて地面を見ている。
「……えーっと……魔王さん、さっき、海水を煮る事知ってたけど、塩作り詳しいんですか……?」
「あ、はい……詳しいという程では無いのですが、必要で作り方を調べたり、実際作った事もありますので……」
「魔王なのに塩作ってたんですか……!?」
「嗚呼っ、すみません、魔王なのに塩を作った事があってすみません……!」
「や、謝る事ではないんですけど……!」
どうしても謎のお見合い状態が抜けない。遠くではケンとガンが水を掛け合って遊んでいる姿が見える。明らかにケンが掛ける水の量が激しいのだが、ガンも負けじと頑張っている。
「……ああ、この調子じゃ駄目だな。魔王さん、一緒に作業しながらちゃんと話しましょう。僕も頑張ります」
リョウが首を振り、覚悟を決めたように促して作業を始める。
まずは石を積んで鍋が乗せられる竃を作り、周りに風除けの柵を作る。それから火を焚いていく。その間に魔王が海水を汲んできて、言わずとも海水を濾過して下準備をしてくれている。
「く……っ、何てやりやすい……!」
「はっ、出過ぎた真似でしたか……!?」
「いえ、ありがたいです……!」
魔王なのに。魔王じゃなかったら――どうしてもそう思ってしまう自分を凄く嫌な奴だと感じる。
「本当に、勇者と魔王じゃなかったら……すぐに良い友達になれたと思ってます」
「……そうですか。それは、嬉しいです」
海水を煮る間、特にやる事はないので傍らで並んで座って火を見ている。
「……そう思ってしまう自分は卑劣だな、とも思います」
「……卑劣ではありませんよ。だって私は魔王ですから」
「けど、あなたは別に悪い魔王じゃないのに。……魔王というだけで差別するのはおかしいとは、思うんです。思ってるんですよ……」
感情がついていかないだけだ。言い切れない事に罪悪感を感じて如何にも歯切れが悪い。
「――いいえ、私は悪い魔王です」
魔王が薪を火に足して、火力を調節する。リョウと同じよう覚悟を決めたようで、真摯に言葉を紡いでいる。
「私はとても罪深い事をしてきています。本当に悪いのです。……今此処で、あなたに滅ぼされても仕方ないと思っていますよ」
「そんな……理由を知らないのにいきなり滅ぼす事など出来ません。先触れだって、今だって……それに僕は、」
その先は言えなかった。
自分だって、自分が次の魔王になりそうだったからこの世界に来たのだ。未遂とはいえ、未遂だっただけだ。一歩間違えば己とて魔王になっていた。
「……いきなり滅ぼすなんて、出来ません。僕はもう前の世界に居ない。世界の為に、率先して魔王を滅ぼす責任と義務は無いんです。だから、」
“建前”で己の罪深さを誤魔化す。
「聞かせてください。あなたの事を、あなたがしてきた事を――……それから、決めさせて下さい」
何を決めるとは、言えない。
膝を抱えて頭を埋める姿勢。視線すら向けられない。
「はい、勿論です。ただ、」
その隣で微かに、魔王が微笑むような気配。
「先に貴殿の事を聞かせてくれませんか」
「……僕の事、ですか?」
「……はい。私は己の罪を自覚していますから、滅ぼされる事に否は無いのです。ただ、滅ぼされるならば――私を滅ぼす勇者の事を知ってから滅びたいのです」
「…………分かり、ました」
魔王の声は優しかった。気配だけで、どんな表情をしているかは分からない。顔を上げて確認する事は出来なかった。
「……僕は、15歳の頃に神の託宣を受けて勇者となりました。それからずっと、世界から魔王が居なくなるまで、何人もの魔王を滅ぼしています」
言葉は挟まず、聴いてくれている気配がある。
「……十年以上、魔王を倒す為に旅をしました。ずっと、魔王に滅ぼされる村を、街を、国を見てきました。ずっと、魔王に殺される人々を、虐げられる無惨と悲しみを見てきました。ずっと、魔王を倒す為に命懸けで戦ってきました。仲間も、時間も、他にも多くのものを失ってきました」
一度吐き出し始めると止まらなかった。
「終わらないんです。色んな物を失って、やっとの思いで倒したと思ったら、次の魔王が現れるんです。また世界を闇に沈めようとするんです。終わらないんです。何度もです。僕はどんどん人間離れしていきました。終わらないんです」
別の世界の事だ。隣の彼には関係ないのに。けれど、けれど。
「――僕は、魔王が憎いんです。世界の為も勿論あります。けど、憎くて仕方が無かった。僕を終わらせてくれない魔王が、誰よりも憎かったんです。悪くない魔王だって居たかもしれない、けどそんなの確かめる余裕なんか無かった。憎くて、憎くて、終わりたくて倒したんです、滅ぼしきったんです……! 倒しきってやっと終わると思ったのに、それだって……!」
喉がぎゅっと詰まる。目の奥が熱くなる。肩が震える。
「……っ、ごめんなさい。本当に悪いとは思ってるんです。あなたは別の世界の魔王で、僕の世界とは関係ないのに……ッ、けど魔王というだけで、僕は憎くて仕方がない。憎い気持ちが消えないんです。理性では分かっているのに。どうしようもなくて……ッ」
「――……嗚呼、リョウ」
魔王の手が伸びて、子供をあやすように背を優しく叩かれた。人間とは違う冷たい感触なのに、温度ではないあたたかみがある。
「貴殿は本当に、勇者なのですね。憎くて当たり前です。あなたが謝る事は何ひとつありませんよ」
叩いた手が離れて、また薪を入れて火を調整する音。それから、きちんと佇まいを整える気配があった。
「――貴殿は私を滅ぼして良い。きっと私は、その為にこの世界に来たのでしょう。私もそれを望みます。それで、貴殿が少しでも安らぐと良いのですが」
望むと聞こえて、目を赤くしたリョウが顔を上げる。安らぐと聞こえて、送り出される時の白い世界の言葉が一瞬脳裏を過ぎった。
理解できないような困惑した視線を受けても、魔王は柔く穏やかに微笑んでいる。
「では、次は私の事をお話します。聞けばきっと、貴殿も心置きなく私を滅ぼせるでしょうから」
そうして、魔王は語り始めた。
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