いい加減にしてくださる?
お久しぶりです。よろしくお願いします。
「いい加減にしてくださる?」
その声は、昼時の王立学院食堂で上がった。
声の主は金髪に菫色の瞳の侯爵令嬢、レイシア。その美しい顔を嫌悪に歪め、目の前に立つ男を睨みつけていた。
彼女の前に立つ男は、伯爵家の嫡男。栗色の髪と目の平凡な顔は、ヘラヘラと笑っている。ヘラ男の後ろにはニヤニヤ笑う友人がふたり。同類か。
「僕は本当のことしか言ってないけど? 婚約破棄された君を哀れに思ってるだけさ」
へらりと笑うその目には蔑みの色が見える。確かに貴族社会に於いて、婚約は家のためのもの。それを破棄したとあれば、傷がついたと見なされるためだ。
「円満な婚約解消だと何度言えば理解なさるのかしら」
円満な婚約解消が事実だとするなら、お互い傷はつかない。理由にもよるが。
侯爵令嬢は最近婚約解消したばかりだった。それからというもの、このヘラヘラ笑う男につきまとわれていた。
「そう言えば、婚約破棄したのもここだったねぇ」
確かに、彼女はここで婚約解消の話をした。円満だと周りに知らしめるために。学院に通う子供たちから、親に話が伝わるからだ。
「元々、彼とはお互い愛する方ができたら解消するという約束の婚約だったので」
「へーぇ、そうなんだぁ」
幼なじみである元婚約者は、嫌いではなかったけれど、彼への好きを超えることは出来なかった。だから、婚約者に愛する女性ができるのを待った。
一種の賭けだった。そして勝った。
「わたくしたちのことに、貴方は関係ないけれど?」
人待ちのためここから動けない彼女に、伯爵子息はまたへらりと笑う。
「またまたぁ、関係はあるさ。君は僕に逆らわない方がいいと思うけど?」
女は男を立て従うべきだ、とこの男は言いたいのだろう。
レイシアはため息をひとつ、あからさまについて見せた。相手が苛立つのをわかっていて、それでもその行動をやめるつもりもなかった。
「それって、貴方のお家から申し入れがあった婚約の話のせいかしら」
「っ、知っているなら、な」
「そのお話、その場でお断りしているけれど?」
わざわざ自分の方が立場が上だと、知らしめるためだけに付きまとっていた男は、事実を突きつけられて言葉に詰まった。
「は?」
「なぜわたくしが受けると思われたのかしら。貴方とはなんの接点もありませんわよね?」
話したことも顔を合わせたことも紹介されたこともない、確か伯爵家だったなーの記憶しかない男の求婚を、なぜふたつ返事で受け入れると思ったのか。
てか、お断りしてからも絡まれていたが、まさか知らなかったとか言わんだろうな? え、無能なのこの男。
「それに、わたくしが円満な婚約解消をしたのは、愛する方がいたからですわ。もちろん、貴方とは違う別のとてもとてもとっても素敵な方ですわ」
「「「え?」」」
これには周囲もザワついた。
え、言っていいの? 言っちゃうの? てことは侯爵の許可おりたの? と周りはそわそわと落ち着かない。いや、みんな知っとんのかい。
「というか、貴方。わたくしの想い人に思い当たらないなんて、本当にわたくしを見てらしたの?」
そう、学院においてレイシアの想い人はあからさまだった。てか両思いだろあれ、とほのぼの見守られていた程だし。
「本当に、いい加減にしてくださる? 貴方に向ける気持ちも言葉ももったいないわ」
痛烈な一撃である。ハートにヒットして中から攻撃し続けてもなお足りないと言わんばかりの威力だ。ざまぁ。
「レシー」
そこに、食堂に入ってきた男性がレイシアに声をかけた。振り返り、迎える彼女の満面の笑顔に、数人がズッキュンとハートを撃ち抜かれた。
金髪に緑の目の整った顔立ちの男性は、穏やかに微笑み返す。この微笑みに数人がバッキュンとハートを鷲掴みにされた。
「アート! 教授方とお話は終わったの?」
「うん。「あれ!? お前休学してたっけ!? え、講義出てたよな試験受けてたろ!? あっれぇ!?」とみんな首を捻ってたよ」
言っていいなら、捻りすぎて椅子から転げ落ちてた教授もいたくらいだ。
「わたくしとずっと一緒だったものね」
そう、お家の事情で休学していた彼は、しかしレイシアの侍従をしていたので、いつでも一緒と言うレイシアに付き添い、なんなら授業を受け試験をパスしていた。優秀である。
「卒業試験も受けていたから、問題ないって」
「良かった! わたくしアートと卒業したかったの!」
「僕もだよ、レシー」
ふたりの世界である。通常運転である、いつもの事である。みんな知ってる内緒の話なんである。なんであいつ知らないのかな? みんなは思った。答え、阿呆だからである。
てか、お断りされたにも関わらず、上から目線の婚約者気取りのモラハラ発言は、既に問題ありとして学院主導で指導されていたが、本人が気付かず、更に罪を上乗せする始末。
伯爵家には侯爵家から正式に抗議文が届いており、ヘラ男に手紙で厳重注意がされていたが、当の本人が読んでないときた。詰みすぎである。
「? 彼は?」
「ああ、例の方よ」
「ああ、あの」
自分の婚約者だと思って優越感に浸っていたら、まさかのお断りされていた。もう奴のライフポイントはゼロである。
なんなら、今までのあれやこれで羞恥心のオマケつき。恥の上塗りもたった今やらかしてしまった。
もはや立ってさえいられないが、支えてくれる友人はまさに逃げ出そうとしている所で。しかしそんなにバカップルは甘くないぞ?
「あら、ご友人が倒れそうなのに、支えてさしあげないのかしら?」
奴の後ろでニヤニヤしていたご友人たちを、レイシアは許さない。
「そうだね、(やらかし度は違えど)この先も仲良く(周りから敬遠される仲間として)一緒なんだから、助けてあげたら?」
それ以上に叩き潰す気満々のアート。
もはや逃げ場なし。友人共はヘラ男を引きずって行った。逃げ場なしと言ったろうに。
学院にも家にも居場所があると思うなよ。それだけのことをしたんだからな、と誰かが呟いたが、誰だ?
ま、いいか。
そんなわけで、レイシアとアートはふたり仲良く卒業し、没落寸前から復興し伯爵位を継いだアートに、レイシアが幸せ一杯の笑顔で嫁いだ。
周りの祝福を受けて幸せなふたりは、その後も仲睦まじく過ごしたとか。
あのヘラ男達のその後は誰も知らない聞かない口にしない。
だって無駄は嫌いだもの!
奴らは表舞台に出ないだけで、実家で働いております。なんたって恥晒し。貴族との結婚も難しいだろうなぁ。