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8. かわいそうな子

 カーテンから弱々しい光が差し込んでくる。まだ朝というのは早くて窓の外は薄暗い。

 布団にうつぶせになるけれど目がさえてしまって眠れそうもない。しばらく無意味に寝返りを打っていた。

 

 やがていつもの時間になると、さっき起きたような顔でリビングに顔を見せた。両親に朝のあいさつをしてから、まだ寝ている妹を起こすように母に頼まれる。

 

「ミサキはいい子ね。毎日ちゃんと起きてくれて助かるわ。背もすっかり伸びてきて中学校の制服を着たところを早く見てみたいわ」

 

 わたしはトーストをかじっているから返事をできない。うつむいたままうなずく。

 

 教室に入るといつもならあいさつを交わすクラスメイトはこちらに目を合わせてもこない。このままあと二年近く同じクラスで過ごすのかとおもうと憂鬱になる。

 波濤シブキのようにこの状況で平気な顔をできるだろうか。

 

 そんなことを思いながら視線を横に向ける。波濤シブキの姿はなかった。予鈴が鳴って授業が始まってもその席は空っぽのままだった。

 

 

 放課後になると、クラスメイトとの会話もないまま教室を後にする。図書室に向かう気にもならず、どこか誰もこなそうな場所を探した。

 しばらく歩いていると学校から大きくはずれた場所で公園を見つけた。こんな場所にあったのかと思っていると、小学生ぐらいの女の子が公園の片隅に座っていた。

 同じ学校の生徒だったら嫌だなと思っていると、その胸には古ぼけたラジオがぶら下げられていた。彼女は小さな瓶を空にかざすように眺めていた。

 なんでこいつがこんなところにと顔をしかめ、回れ右しようとした。その前に、こちらに気がついた彼女が顔を向けてきた。すっと通った鼻筋の下の真一文字に閉じられた唇がゆっくりと開く。

 

「あ―――」

 

 女の子の口からかすれた吐息がこぼれた。

 一方で、わたしの方も声を出せずにいた。

 驚いたように目を見開く波濤シブキの顔を見たからだ。彼女の頬が赤く腫れていた。殴られたとしか思えない痛々しい跡が白い肌にくっきりと紅く残っていた。

 

「その頬……」

 

 びくりと身を震わせた彼女は小瓶を両手で包んで握りこみ。その目には明らかな怯えが見えたが、ムリヤリに笑顔をつくろうとする。

 

「あは……入江ミサキだ」

 

「無理しなくていいよ。ほら、これで冷やしなよ」

 

 水のみ場で湿らせたハンカチを差し出すけれど、ぼんやりと見ているだけだった。しょうがなくハンカチをケガに当てようと顔に向かって手をのばそうとした。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

 

 途端にびくりと体を震わせて、目の前に出された手を怖がるように頭を手で抑えて体を丸める。こちらがぎょっとするほどの怯え方で身を縮こまらせている。

 どうしていいかわからず立ち尽くし、視線を彼女の手元に落とした。その手に握られたラジオの惨状に気がつく。角がつぶれて銀色の筐体にひびが入っていた。

 

「それ、誰にやられたの」

 

 同じ学校の生徒? 気味悪がられているこいつにちょっかいを出すやつがいるのだろうか。

 

「……ちがうよ」

 

 必至に首を横に振る様子を見て、だたの予感が確信へと変わる。縮こまりながら父親に怒られていた姿を思い出す。

 

「あんたのお父さんにやられたの……?」

 

 わたしの質問に表情をぎくりとさせると、ぶんぶんと大きく首を横にふった。

 

「ちがうってば!」

 

「うそ」

 

「ちがうってば、転んだだけだから! 母さんがいなくなってから、お父さんはずっと怖いままだった。でもその分、お兄ちゃんが優しくしてくれたから大丈夫……大丈夫なんだから……」

 

 こっちの言葉を打ち消すように早口にそういいきると、大事そうにラジオを胸にぎゅっとかき抱いた。その姿に無性にいら立ちがつのる。

 

「ば、ばっかじゃないの。なんでそんなこと平気な口でいってんのよ」

 

「ボクはだいじょうぶなんだって」

 

 波濤シブキは頑なだった。何をいってもさらに殻の中にこもるだけだろう。

 なんで、自分はこんなやつに関わろうとしているのかわからない。放っておけばいいはずだ。教室での疎外感だってこいつが原因なのだから。差し出したハンカチをしまってさっさと行ってしまおうとした。

 

「だって、この世界は嘘だから。本当の世界があるってお兄ちゃんがいってた。そこにはお母さんもいるって。その場所を見つけたら、お父さんにも教えてあげるんだ」

 

 またそんなこといってばっかり。もうこれ以上聞いていられなくて公園の出口に向かって歩き出す。

 

「本当だってば、ほらこれが証拠だよ」

 

 焦ったように波濤シブキは腕を突き出した。その手に握られていたのは小瓶だった。中には青い石がつまっている。さっきまで彼女がじっとながめていたものだろう。瓶にはぺたりと白いラベルが貼られていて、英語で読めない文字が書かれている。

 

「これはお兄ちゃんが向こうの世界から持って帰ったものなんだ」

 

 彼女の表情は笑顔で、本当にそう思っている口調だった。

 

「……そこで待ってて、手当ての道具もってくるから」

 

 このとき初めて波濤シブキのことをかわいそうだと思った。ちゃんとしたお父さんがいるのにと反発していた。こんなやつとは絶対わかりあえないと思っていた。何度も腹を立てていた。

 もっと考えなければいけないことがあるはずなのに、こいつのことばかり考えていた。

 

 戻ってくると波濤シブキはおとなしく待っていた。

 家から持ってきた救急箱をあけて手当てをする間、くすぐったそうにしていた。

 

「入江ミサキはぶきっちょだね」

 

 腹立たしいことに彼女の指摘は合っていた。顔に貼られた湿布はよれよれでお世辞にも上手いとは言えなかった。

 

 

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