4. 探し物
放課後、わたしは失敗した。この日も図書室に向かおうとしたときのことだった。
「今日って宿題あったっけ?」
しまったと思ったときにはクラスメイトの目がこちらを見ている。今日はゴミ拾いをみんながんばったからと、先生が宿題をなしにしていたことをすっかり忘れていた。
「あー、学年変わって勉強に追いつけなくてさ」
「そっか。やっぱり入江さんって真面目だよね」
やってしまった。
クラスメイトとさよならのあいさつをしながら後悔する。小学五年生となると、波濤シブキほどではなくても、少しぐらい厄介だと思われるぐらいが丁度いい。
違うといっても、真面目ちゃんと思われるかもしれない。
図書室で時間をつぶしたが、頭を占めていたのは明日からの自分の立場のことばかり。いつもよりも重い足取りで昇降口に向かった。
「入江ミサキだ!」
無遠慮な声で名前が呼ばれた。
廊下の向こう側からジャージ姿の波濤シブキがこちらを指差している。
またか、と思う。
「なに……? ていうか、ランドセルは?」
見ればランドセルも背負っていない。あまり遅くまで残っていると見回りにきた先生に怒られてしまう。今日のことなんてまるで気にしていないようだった。
「ランドセルなら家においてきた」
口を尖らせながら抗議してくる。じゃあ、こいつはわざわざ学校に戻ってきたということだ。
「ここにある気がしたんだ」
「忘れ物?」
「ちがうよ。お兄ちゃんを探してるんだってば。入江ミサキもそうなんでしょ?」
まるでこちらも波濤シブキの考えていることわかっているような口調だ。つきあいきれないと放っておくことにした。
「ねえ、待ってよ」
「あんたは探し物してるんでしょ。ついてこないでよ」
「えっと、こっち……! こっちに、ある気がする!」
勝手に後ろをついてきた。気にせず昇降口でさっさと靴を履き終えると、波濤シブキも慌てて靴を下駄箱から靴を取り出す。
外に出ると、茜色に染まった道を歩き出す。西日がまぶしい。
「入江ミサキはどうして学校にいたの?」
ほとんど関係なんてなかったはずなのに、親しげな口調で話しかけてくる。怪物みたいにクラスメイトに避けられているのに、勝手に近づいてくるこいつはなんなんだ。
「宿題してた」
「宿題? どうしてこんなに遅くまでいたの? 授業中もずばずば答えてたじゃん。だったら宿題だってそんなに時間かからないよね」
どうして、どうしてとまるで小さい子供のようだ。
「そういうあんたはちゃんとやったの?」
「うん、授業中に終わらせた」
この不良生徒がちゃんと宿題をやっていたことを意外に思った。家では意外といい子で通しているのかもしれない。
「あっそ、えらいえらい」
「うん。でねでね、それからすぐにお兄ちゃんを探しにいったんだ」
このわけのわからないクラスメイトはやたらと会話をしたがった。家族の中心でおしゃべりをする妹に似ている気がした。
「あんたのことなんてどうでもいいけど、早く帰らないとあんたのお父さんとお母さんに怒られるかもよ」
あんまりうるさいのでちょっとした意地悪のつもりだった。波濤シブキはびくりと顔を強張らせて、さっきまでのおしゃべりが嘘みたいに黙り込んだ。沈黙が気まずくて少しためらってから話しかける。
「もしかして、あんたの家ってけっこう厳しい感じ?」
「お父さんは怒ると怖いけど、好きだよ」
「あー、うん。そっか」
「入江ミサキのお父さんとお母さんは?」
こちらを見る表情から強張りは取れていた。なんでこいつの気をつかわなきゃいけないんだと思いながらも会話を続ける。
「まあ、ふつう……かな。あと妹もいるけど、やっぱり普通だよ。普通の家族だよ」
「ふつう。入江ミサキはふつう、ふつう」
波濤シブキはオウム返しに『ふつう』というくり返した。それがからかわれているようでカチンときた。だけど、それで黙りこくったら小さい子供みたいでいやだった。
「あんたのお父さんが厳しい人なのはわかったけど、お母さんは?」
「知らない」
「しらない、って……」
「知らないもん。ボクとお兄ちゃんを残していなくなった。お父さんも何も言わなかった」
それだけ言うと、首からぶら下げたラジオをいじりだす。
わたしは謝らなかったし、こいつも何も言わなかった。
やがて分かれ道が来た。わたしたちは左右に分かれる。
「じゃあね、入江ミサキ」
波濤シブキは低学年の子がやるみたいにぶんぶんと手を大きくふっていた。
やっかいな相手から解放されたけれど気を抜くことはできない。角を曲がった先に『入江』という表札が見えた。家の明かりの前でわたしは気持ちと表情を調整する。あの変なヤツのことは頭から追いやって、いつも通りにと自分にいいかせていると
「どうした、ミサキ。早く入らないのか?」
振り向くと、そこには会社帰りの父がいた。
「あ……、おとう、さん。おかえりなさい」
「なんだ、そんなにビックリして?」
心臓がばくばく脈打っている。その音を聞かれるんじゃないかと心配しながら父の顔を見あげる。なんて言い訳しようかと考えていると、先に口を開いたのは父からだった。
「そういえば、波濤さんの家の子と仲がいいんだな」
さっき帰り道で一緒にいるところを見たのだろう。
「今年から同じクラスになったんだよ」
「そうか、うん、それはよかった。あのうちも大変らしいから、あの子に友達ができれば親御さんも安心だろうな」
YesともNoともいえない返答だったけれど、父は良い方にとった。動揺を悟られないうちに早く家の中に入ろうと玄関のドアノブに手を伸ばす。
「お母さんいないんだってね、あの子から聞いた」
「そうか、そうこうことも話せる仲なんだな。あの子はお兄さんにも不幸があってからは本当につらそうだったからなぁ。前に見かけたときはよく笑う子だったけど急に変わってしまって、本当にあの歳で大変なことだよ」
「えっ……」
―――『ちがうよ。お兄ちゃんを探してるんだ』
学校で聞いたあいつのセリフが頭で響いた。
ドアノブを握っていた手から力がぬける。ゆっくりと振り向く。信じられないまま呆然と父の顔を見上げると、父はしまったと目を泳がせていた。
「知ってるかと思ったが……、いや、これはあんまり気軽に話すことじゃなかったな。すまない」
「……ううん、大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけ」
わたしがなんでもない顔をしながら首を横にふると、父はほっとした顔をする。そのまま玄関のドアを開いて、家に入った。