2. 病院送りにしたらしい
新学期が始まって一週間がたつころには、教室ではいくつかのコミュニティができていた。みんなそれぞれに合った相手をみつくろい、居場所を作っていた。
わたしはおとなしくて目立たないグループに収まった。
教室の中の雰囲気に気を向けていると、がらりと扉が開くと波濤シブキが入ってきた。みんなが彼女のことを見るが声をかけたりはしない。かといって、いじめの対象にするわけもなく、まるでそこにいないかのように扱っていた。
「やっぱり気になる? あいつのこと」
去年、彼女と同じクラスだったという子が話しかけてきた。
「まあ有名人だしね」
わたしも彼女の名前だけは知っていた。その名前は学年でも変人として有名だった。とはいっても去年までは違うクラスだったから、ときどき廊下ですれ違うぐらいで実際のひととなりまでは知らない。教室にいる分にはただのおとなしい子だった。
「怖いよね~。男子を病院送りにしたらしいよ」
「ほんとに?」と返すと、そのクラスメイトは得意気に話し出した。
それは一年前のこと。学校に余計な物を持ち込んじゃいけないと、首から提げているポータブルラジオをからかおうとした男子がいたらしい。だけど、今と同じような態度で完全に無視して一人でラジオをいじっていた。
しつこくつきまとったが反応がないことに腹が立って、ラジオを奪い取った。悪ふざけに乗った数人がラジオを投げ合ってからかった。
そのとき、彼女がとった行動はというと
「椅子でさ、なぐりつけたんだ」
声を低くすると、目の前でふりかぶる動作をしてみせる。つづいて教室の床が真っ赤に濡れたところを大げさな口調で説明する。実際の男子の傷は大したことはなかったそうだ。だけど、周囲からは腫れ物のように扱われているらしい。
「そっか、それは怖いね」
わたしは目の前のクラスメイトにあわせて驚いた振りをする。こちらの反応に満足そうに笑うと話を続けてくる。
「あとさ、死人の声が聞こえるとかいってるらしいよ」
そういうと、ふふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らして横目で彼女を見た。話し声は彼女にも聞こえていただろう。でも、何もいってこなかった。
*
「どうしたの? なんだか元気なさそうだけど」
夕食の時間。いつも通りにすごしていたはずだったけれど、母が心配そうに話しかけてきた。自分なりに表に出さないようにしていたのだけれど、母の目は誤魔化せなかったらしい。
「なんでもないよ。ただ、ちょっとクラスで気になる子がいて」
「気になる子ね。そっか~、ミサキもとうとう恋を覚える年頃になったのね」
そういったチラリと父の方に目配せをする母にむかって、わたしは慌てた声を出してみせる。
「もう、そんなんじゃないよ~」
「だってさ。よかったね、お父さん」
「いや、オレはそんな頑固親父じゃないからな。でも、もしもそういう相手ができたりしたらちょっと寂しいかな」
いつも通りの家族の雰囲気。その中にいるほどに、自分が家族から孤立していくのを感じる。そうすると、どうしてかずっと一人でいる波濤シブキのことを思い出してしまう。あの子は家だとどんな風に過ごしているのだろうか。そんなことをふと思った。
一本の列が小学校まで続いている。横断歩道前で見守る青い制服。一人の警察官が信号が変わるごとにきびきびと小学生たちを誘導していく。この時期の毎年見慣れた風景だった。
すれ違う生徒達が挨拶すると警察官も笑顔であいさつを返す。わたしも他の子にならってあいさつをする。それが小学5年生のわたしの日常。
教室につくと騒がしさの中でぽつりと空白が空いている。あいつはあいかわらずクラスで孤立しているけれど、そんなことを気にせずにラジオをいじっている。
放課後になると、波濤シブキは一番に教室をでていく。実に身軽そうでランドセルの中身はおそらく空だろう。続いて男子たちが固まって帰る。女子はおしゃべりをしながらランドセルに教科書やノートをつめていく。
「入江さんは今日も図書室?」
「うん、宿題済ませようと思ってさ。家だと妹がうるさいから」
「姉妹がいると大変だね。それじゃまた明日ね」
クラスメイトたちと別れるといつも通り図書室の窓際の席に座る。宿題なんてあっという間に終わってしまい後は何もすることがない。
何も考えないようにぼんやりと外を眺めていると小さな影が見えた。
花壇の植え込みのあたりをうろうろしている。花の世話をしているという感じではなく、何かを探しているようだった。
不意にその影が顔を上げた。夕陽を受けて顔が真っ黒になっているけれど目が合った気がした。
ついと視線を横にそらすと、生徒たちに下校をうながす放送が流れた。
図書室を出て昇降口に向かっていると、にぎやかな声が向かい側から聞こえてきた。数人の男女が何かをしゃべりながら近づいてくる。楽しそうにふざけあいながら廊下の端を歩くわたしに気づくことはなくすれ違った。
耳には彼らの会話が残っている。家族の愚痴や夕飯のことを無邪気な顔で話していた。重いため息を吐こうとしたとき、廊下の向こう側から見えた女子にさらに気が重くなる。
波濤シブキだった。
無視すればいいけれど、それを誰かに見られたら感じの悪い子だと思われてしまう。
視線を合わせないように会釈をして、そのまま通り過ぎようとした。
「……ねえ」
呼び止める声に立ち止まって振り返る。
クラスメイトになんて興味なさそうだったのに、波濤シブキの大きな黒い瞳がこちらをじっとみている。
「見つけられた?」
わけがわからなかった。
「え、な、なにが?」
と聞き返すと、目の前のおかしなクラスメイトはびっくりしたように目を見開く。それから何の意図か、見せ付けるようにこっちにラジオを向けてきた。
いみわかんねー。
何も反応できずにいると、急に傷ついたようにうつむいた。それきり黙っているのでだんだんと怖くなる。
どうしていいかわからずいると、ぷいと顔をそむけて廊下の暗がりに消えていった。気味が悪かった。