シャケハットと一緒
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? このぬいぐるみ、新しく買ったのかって?
ああ、買ったんじゃなくてゲットしたのよ。クレーンゲームで。
久々の大物だから、つい張り切っちゃって。2000円近く使ったかなあ。何回かは穴へ誘導するのに費やしたわ。
こうしてわきに抱えていると、昔を思い出すなあ。私ね、昔は人形を手放せない子供だったの。
愚痴をこぼしたいけれど、誰にいっても角が立ちそうな内容を抱えること、あなたにはなかった? 生きている人間に話すことはできず、かといって一人抱えて、黙っているのは苦しい。
そんなとき、私はいつも人形やぬいぐるみを相手にしていた。私のいうことを否定も肯定もせず、ただ黙って聞いてくれる。反応もいらない、ただ私のこぼすことの受け皿になってほしいだけ。
無抵抗で、都合のいい相手が欲しい私にとって、人形はうってつけだったのね。ただ両親は、人形を抱える姿をみっともないって、しょっちゅうとがめてきたわ。
私が人形を相棒にしていたのは、小学校を卒業するまで。
その一時期、どうしても人形を離すまいとし、その後できっぱりと人形と別れざるを得ないできごとがあったの。
どう? 聞いてみない?
あれは、奇妙なすれ違いからはじまったわ。
私がいつものように、クマのぬいぐるみを脇に抱えながら下校していると、歩道の向こうから男の子が歩いてきた。
ランドセルはしょっているけれど、学校内で見かけたことはない子。それだけなら、さして気に留めなかったでしょうけど、問題はその格好ね。
冬場でも半袖短パン、スニーカー。まあ、ここまでなら元気な服装、で片づけられる。
けれどもその子、空いている左手を虚空に差しだしているの。手のひらを横に向け、手首も同じ方向に倒す手つきは、まるで社交ダンスを思わせる。
彼の隣には、誰もいない。なのに、彼はあたかも乗せられた誰かの手を握っているかのように、それぞれの指を軽く丸めていた。微妙な手つきを保ちながら、能面のように向かってくる男子に、私は戸惑いを隠せないまますれ違う。
「――ねえねえ、シャケハット。いまの見た? あの子、エアダンスしてるのかな? それにしてはまっすぐ歩きすぎ。変なの」
何年も過ごした私は、愚痴におさまらず、ちょっとした感想などもぬいぐるみに伝えるようになっていた。
頭の上へ帽子のごとく魚を乗せ、頭と尾っぽを掴んでバンザイしているクマの人形。魚といえば鮭と浮かんだ私が、彼につけた名前、シャケハット。
シャケハットは変わらず、喜びを露わにした格好のまま、黙って私の言葉を聞いていた。
翌日の学校。奇妙なプリントが私たちに配られたわ。
「手つなぎ下校」のお知らせ。
いわく、ここの近辺で子供が誘拐される件が、少しずつ増えているらしかったわ。だから帰り着くまでは誰かと手をつなぎ、それを離さないことが推奨される。
ひとりで帰らざるを得ない子はどうするか。そう突っ込む前に、先生が話してくれる。
ランドセルの肩ひも部分を、ぎゅっと握って離さないようにする。もしくは服のすそを掴んでも、ポケットに手を入れてもいいとのことだったわ。とにかく手を遊ばせないようにしろと。
誘拐を防ぐにしては、少し不可解な指示。でも私にとってはたいした問題じゃない。
体育の時以外は、シャケハットがそばにいてくれるんだから。いまも机の引き出しに突っ込んで、何度も所在を確かめては、なでている。
「ね、シャケハット。昨日のあの子、どうだったのかな。ほら、社交ダンスのような手つきの子。ちゃんと帰れたのかな」
シャケハットは何も返してくれない。いつものように魚を頭上へかかげて、大喜びのポーズ。はにかむ彼の表情を見ていると、私のいうことを何でも受け止めてくれているような気がしてならなかったわ。
その日の帰りも、きっちりシャケハットを抱えて昇降口をくぐる。さんざんからかって飽きたらしく、からんでくる生徒はいない。私はいつも通りに、ひとり西の校門から外へ出た。
昨日、社交ダンスな男の子を見かけた道へ来る。意識したわけじゃなく、私がいつも使っている通り道だったから。
血痕とか、落とし物があるとか、こてこてのミステリーじみた臭いはない。片や一軒家の並び、片や広がる田んぼに挟まれた、車もすれ違えないせまい道。
もう家まで数百メートルと、シャケハットを抱きしめる私の前へ、急に飛んできたものがあったわ。
バレーボール。
頭上高くから降ってきたボールは、本来なら同じように高く跳ね、空へかえっていくところだったでしょう。
それが、アスファルトに触れるや、その面がべコリとへこむ。私のひざにも満たない高さで、ぼてぼてとボールは私の足元まで転げてくる。
道路に庭が面する家だと、バスケゴールとかをそなえて、外遊びをする姿がよく見られていたわ。その遊びのはぐれものかと、ひょいと私は右手を伸ばして拾おうとする。
できなかった。
ボールの上、数十センチのところで私の手は固まってしまう。
自分の意志で押すことも引くことも、上げることも下げることもできない。そのことに気づくや、伸ばした指の先を誰かに掴まれた心地がして、ぐいっと前へ引っ張られた。
肩の付け根が音を立て、じんじんと熱を帯びてくるくらい、強い力だった。私の足の踏ん張りをものともしないほどで、ついぴょんぴょんと、飛び跳ねるように引きずられてしまう。
中途半端なキョンシーのような格好で、先へ向かってしまう私は、何度か下校途中の友達とすれ違った。
助けを呼ぼうとしたけれど、口が動かない。それどころか、頬がほころぶ気配すらない。
友達はおかしな格好の私を見やり、「どうしたの?」と声をかけてきたり、笑いものにしたりするけれど、いずれも追いかけて構ってくれるほどじゃない。
泣いてでも止まってほしかったけれど、この目はかすかな潤みさえもたたえてくれなかった。
――シャケハット……どうしよう、シャケハット!
そう呼びかけることしかできない。声じゃなく、心の中で。
私は自らの腕に抱かれながら、変わらず鮭をかかげるぬいぐるみを見下ろしながら、なおも引力に逆らおうとし続けたわ。
誰にも助けを求められないまま、ついに自宅の前も通過。
そこへきて、まっすぐ引っ張られるばかりだった腕に、変化が見えたの。
また肩が外れそうになる痛みとともに、私は直角90度に引っ張り上げられる。
目の前にはローズマリーの生け垣。中の家は誰も住まなくなって長いらしいけれど、実際のところは分からない。
私の背をゆうに越える、緑たちの出迎えの中に、とうとう私の差し出していた腕が突っ込んだとき。
ポロリと、私の脇からこぼれるものがあった。
両手と、そこにつながる鮭を乗っけた頭。シャケハットの首と腕が、生け垣の足元へ落ちていく。
ぽんと、下生えの上にも関わらず、大きく跳ねたシャケハットの首は、スピンがかかったように生け垣の奥深くへ突っ込んでいったの。
そのすぐあと、私を引っ張る力が急に消えた。腕は問題なく引けるし、あとずさることも問題なかった。表情だって、変えられる。
ただ脇に抱えるシャケハットは、脚と胴体のみを残した無残な姿になってしまっている。
泣き声が聞こえた。
生け垣の中から響くそれの主は、どんどん大きくなったかと思うと、シャケハットが潜ったところからわずかにずれて、こちら側へ姿を見せる。
昨日の男の子だったわ。服がところどころ破れ、はみ出す手足のあちらこちらに、泥や切り傷をくっつけている。顔をぐしゃぐしゃにゆがめて大粒の涙を流しながら、彼はひとしきり、その場で泣き続けていたわ。
あとで知ったのだけど、彼は昨日から家に帰っていなかったみたい。家族も捜索願を出した矢先のことで、無事が知れて胸をなでおろしたみたい。
あれから私は、もう一度あの生け垣のもとまで行ったけれど、外にも内にもシャケハットの身体はなかったわ。殺風景な中庭の奥の家は、雨戸がしっかり閉じられて、中を見やることができない。玄関なども同じくね。
裏から釘でも打っているのか、どこも私が力を込めても、微動だにしなかったの。