避暑地の人
重傷を負った草野球選手の、入院中の怪我と恋との奮闘劇ですが、院内でのいろいろな人たちとのふれあいをも描いた「ホテル形式」の群像劇でもあります。
痛い痛い痛い!俺は何もしていないのに、いや何もできない、身動きできないでいるのをいいことに太腿をしきりに、目に見えぬ刃物で痛めつけている。
ズキンズキンズキン!闇に転がされている俺の心拍数に合わせて襲ってくる。もう何時間こんな目に遭っているのか分からない。三時間か、四時間か。まるで拷問だ。消灯までは、なんとかこのまま夜を越せそうだと楽観していたが甘かった。しかし本当に甘かったのは今日のことだ。いやもう昨日になるか。百万円払ったら一日巻き戻してやると神様に言われたら絶対にそうするほど、俺は後悔している。危機管理能力の欠片もない能天気、ちょっと理性的になれば回避できたはずができなかった後悔が心の内をも痛めつけている。
後悔の発端は病院へ担ぎ込まれた昨日の三日前だ。いつまでも青年の域にいると思い込んでいる三十代後半の仲間で作る野球チームの練習中、ノックを受けていた時にちょっと違和感を覚えた右太腿に、ほんの少し労わる心があったならそのままノックを受け続けることはなかったのだ。そして昨日の、梅雨が明けたような炎天下の試合だ。何だか様子がおかしい太腿に、ベンチには入るけどプレーをしないと監督の五十里に申し出たのだが、人数が九人ギリギリ。お前が出なかったら棄権するしかないと言われ仕方なくプレーする羽目になった。ほとんど走らなくていいからと、まったくしたことがないポジションの一塁にしぶしぶ就いたのはいいが、フライやら悪送球やらに動かされて太腿が弾力性をなくしてジワジワ追い詰められていた。そんな時、三点差で負けている六回表に、運の悪いことに俺はヒットを打った。一、二塁間を打球が抜けて、ライトゴロになると思って懸命に走った。さらに後続のヒットなどで二塁から三塁へと。その後のバッターのヒットで本塁までと、ついに一周させられてしまったのだ。大逆転の口火を切った重大局面は重大な過失の場面だった。これまで味わったことのない痛みにユニフォームを脱いでみると、まるで熟れたアケビのように紫色をして太腿は内出血をして腫れ上がっていた。
もう守備には就けないのは誰もが認めるところだったが、このままでは勝っている試合を放棄することになるからと、五十里は拝み倒すように俺を一塁へ追いやった。痛くて立って居るのも辛いと言っても、座っててもいいから頼むからそこに居ってくれと言う。滅多に勝つことはないチーム事情があるから分からぬでもないがあいつは鬼だ。しかし、五十里と俺の間に友情という厄介なものがあって、喉から手が出るほど欲しがっている勝利をプレゼントしてあいつを男にしてやりたいと、ついあの時は、この太腿がどうなってもいいとさえ思ったのだ。
しかしよくよく考えてみると、五十里がどうのこうのともっともらしいことを俺は言っているけど、野球が好きだからだ。好きで好きで堪らないから前後の見境を失ってしまわせるのだと、事ここに至ってようやく知った次第だ。過去にも野球のせいで痛い目に遭ったのを、忘れてはいないはずなのに。「私と野球とどっちが大事なの!」なんてセリフを何度聞いただろうか。もちろん彼女との時間の方が大事だった。ましてや結婚前となれば尚更、餌に食いついた大魚が針に掛かっているところだっただけに。それでも野球が俺を放してくれなかったのだ。一日に二股かけたのも度々で約束の時間もあってないようなものだった。そのうちに愛想をつかされて彼女は、俺から去っていった。あの時も痛かった。だけど今のこの肉体的な痛さは半端じゃない。処方してくれたはずの鎮痛剤なんて全く役に立って居ない。それも身から出た錆か。
チームメイトに抱えられて病院へ駆け込み「右大腿二等筋部分断裂」の診断をくだす医師に「何でこんなになるまで放っておいたのか信じられん」などと暗にバカじゃないのと冷笑を浴びせられたような心持だった。本当に俺はバカだ。全治三週間の入院も痛い。ベッドに寝ている間に、会社が俺の椅子を奪ってしまう恐怖。会社が最も嫌うのは労働災害事故だが、仕事以外の、スポーツごときで怪我をして休むなんてのも許さない。長期入院したばっかりに出社に及ばずとなった奴が過去に居たのだ。この頃冷酷になっている社長の顔が浮かんで仕方がない。
ウウンウウンウウン。後悔やら懺悔やらと一緒くたに激痛が支配する夜を俺の唸り声が俺の中で渦巻いた。もう限界だ。ナースステーションを呼び出した。新たに患部を冷やしてもらったことで何とか激痛をなだめる事が出来た。
夜がとっくに明けていたらしい。昨日の地獄のような痛みは幾分か和らいでいた。うつらうつらしている耳にナースの声や足音がしている。そのうちに「井川さん」という声がしたが、ボーッとしたままでいるとシャーッとカーテンを開ける音がして「血圧と体温を測りますよ」と言っている。「どうです。よく眠れなかったですか?」と声をかけられて、うすぼんやりと目を開けた。
そこには見覚えのある女がいた。見覚えがあるなんてもんじゃない。いっ時の間俺と深く関わった女だ。こんなことってあるだろうか。ドクンドクン。痛みが心臓へ這い上がってきそうだ。これは夢に違いない。それとも幻覚か。昨夜をまだ引きずっているのか。「久しぶりね」体温計を渡されて、やっと俺は現実的になった。松島郁代だ。少しばかり齢をとったけど、可愛さがまだ残っている目元にうっすら笑みを浮かべて俺を見ている。もともと市民病院のナースをしていたが、経営が医大の付属病院に変わっても続けて働いていたのを忘れていた。しかも入院した三階東病棟とは。別れてからもう十年は経っているけど、何か因縁みたいなものを一瞬感じた。
「血圧は百二十六と七十。体温は三十七度丁度。昨日よりは大分下がりましたね」
職業的にそう言ったあと沈黙があって、「野球で?」と訊いた。自嘲気味に肯く俺に「懲りない人」と呟いた。
「ちゃんと看護師の言うことを聞いて下さいね。そうでないと治るものも治りませんから」まるで俺を見抜いてでもいるかのように釘を刺して、郁代はさっさと退室していった。十年ぶりの再会だというのに味もそっけもない態度だ。まあ勤務中だから仕方がないか。これから何度も会える。結婚は?子供は?なんて積もる話もしてみたいと、地獄のような入院生活に一輪の薔薇を見つけたような気になっていた。
病院食を食ったあと今度は別の看護師がやって来た。郁代よりはうんと若そうな、なかなかなかの美人だ。車椅子の説明を始めた。入院初日のトイレなどの移動は、その都度ナースのサポートがあったが、二日目からは車椅子を使えと言う。俺としてはナースに肩を抱かれて、の方がよっぽど嬉しいが、確かに用便のたびにナースを呼び出すのも申し訳ないし煩わしい。しかしこの車椅子には戸惑う。まさかこの若さで世話になるなんて実に情けない話だ。ナースの手を借りてベッドから降りて(大体がベッドから降りる動作じたいからして難しい)車椅子に乗るのにさえ一苦労どころか二苦労だ。やっとこさ乗った車椅子の操縦がまた難しい。廊下での練習は初心者には訓練だ。前進はいいとしても右左を操るのに骨が折れる。「そのうち慣れてきますよ」なんてナースは言うがこんなものに三日も乗っていられない。
「車椅子はあくまでも移動のためですから、トイレとかは看護師の安全見守りは必要ですので、必ずナースステーションをコールしてください。それは必ず守って下さいね」
「ずっとですか」
「先生がいいと仰るまで」
美人ナースの監視付トイレだなんて、何だか変な気分にさせられた。
病院生活も三日目になると、地獄のような痛みにもなんとなく慣れてきたというか、ウンウン唸らされっぱなしの激痛はなくなってきた。四六時中患部を冷やしているせいで、しょっちゅうトイレに行くその度に車椅子を使って、ナースにサポートされてアレをするのも習慣になって何とも思わないほどになってきた。激痛から解き放されるといろんな不満が頭をもたげてきた。冷房完備の所で何もしないでいるけれど身体がねっとりしていて、風呂どころかシャワーも厳禁というのはこたえる。病院食なんて食えたもんじゃないと思っていたが、怪我で収容されている人間ばかりだから結構まともで不足はないが、何よりもビールを一杯キューッと飲めないのが辛い。
まだ明るさの残っている窓の外のすぐ近くに、コンビニの灯りが見えている。とっさに良からぬことを思いついた。あのコンビニまで、車椅子による外出遠出だ。ナース付添いの決まり事はおろか無断外出の禁を破るのは流石に気が引けたが思い立ったら吉日。何も犯罪を犯すわけじゃなし、何かあったら自己責任だ。暇つぶしのちょっとした冒険のつもりで、ナースの目を盗むようにエレベーターで三階東病棟三百二十二号室から抜け出し一階に降りた。狭いエレベーターでだって、あれほど手を焼かせて、馬鹿にしていた車椅子を上手く操ることができた。すれ違う人やナースも全く俺を気にかけていない様子だ。何だか身長の半分の高さになった目線の違和感も消えて、もういっぱしの障害者になったような気がしてきた。そして妙に悲しくなってきた。郁代の捨て台詞がよみがえった。早く此処から出たいのに、俺は何をやっているんだ。車椅子をクルリとターンさせた。
それにしても暇だ。あまりの痛さにがんじがらみにされて、何かしようと思っても何にもできないのだから仕方がないのだが、ただベッドで横になっていることさえ苦痛になってきた。テレビばっかりボーッと見ていても頭がますます馬鹿になりそうだし、こんな時こそスマホの世界に浸っていれば時間も忘れてなんて事になるのだが、逆に憂鬱になるし、友人なんかのメールには怪我で入院なんて隠しているので適当にはぐらかしているがやっぱり世間の風に当たれないことで気が滅入ってしまう。仕方がないのでまた横になってじっとしているとズキンズキンズキン、患部に神経が乗っ取られてしまうから始末が悪い。そこで一番の楽しみなのが、ひっきりなしに、入れ替わり立ち替わりやって来るナースとの時間だ。地獄に仏とはこのことだ。それとも天使か。食事の配膳、体温、血圧の測定、患部を冷やすシーネとかいう装置の取り換え、トイレなんかの付き添い見守りの他に、用もないのに「どうですか」とやって来て実に甲斐甲斐しい。独り者の身としてはどのナースも無条件で嫁さんにしたいくらいだ。美しい顔の天使が俺に会いに来てくれると思えば、何とも色っぽいバーチャルリアリティだ。しかし、あれ以来郁代が一度も来てくれないのがやっぱり淋しい。俺にわだかまりを持っていて避けているのは無理もないが、喉に刺さった小骨のようにそれが気になって仕方がない。
普通は暇にあかせて相部屋の暇人同士の交流も生まれるところだろうが、同部屋の三人とは歳が離れすぎているためでもないが今のところ挨拶する程度で没交渉だ。俺の隣りは七十歳くらいの老人で、ちょっと変わっているというかテレビはまったくつけている様子が無くて、聞こえてくるのは独り言だ。誰か見舞い客と喋っているのかと思ったがそうではなくて、どうも妄想に浸っているというか、まさか狂人でもないだろうとカーテン越しに耳を澄ましてみると、呪文のようなものを唱えていることもある薄気味悪い老人だ。
それから向いの住人は五十歳くらいの御仁。やたら人気があるのか会社のエライさんなのか、毎日のように見舞客がぞろぞろ。言葉遣いに訛りがなくてほとんどが東京人らしいのだが老若男女入り乱れてやってくる。身なりもこの辺でよく見かけるフォーマルなものじゃなくて個性的だ。聞くともなく聞いていると怪我の事よりも仕事の話の方が主のようで、さかんにスケジュールがどうのこうのと話している。
もう一人はとうに八十を超えていそうな肥満体の老人。今回が二度目の入院のようで、腰の再手術も思わしくなくて恨み言ばかり吐いてナースを困らせて、しまいには俺たちの方にもそれを振ってくる。とかく老人は愚痴っぽい生き物なんだろうが、しょっちゅう聞いていると耳にカビが生えそうで極力無視することにしている。
四日目に入って、そろそろリハビリにかかるということで朝一番に一階のリハビリセンターに連れていかれた。まだズキンズキン、ちょっと触れただけでも相当痛いのに歩行訓練とは。痛くても我慢して筋肉をほぐしていかねば、筋肉の機能そのものが委縮して駄目になってしまうからというのが理学療法士の説明だが、聞いているだけで身も心もガチガチになってきた。手すりにつかまって、ちょっと歩いてみてと言うが、だいたい車椅子から離れて立つことさえできない。右脚に体重をかけずに歩くったって、左脚を付けただけでもう右に激痛と恐怖心が走って来た。歩くなんてとんでもない話だ。冗談じゃないぞ。俺は全面的に拒否した。それで急きょリハビリは取り止めになりもう少し患部の症状を診てからということになった。
「先生はもう少し様子を見てからと仰ってたんですよ。でも療法士さんは出来るだけ早い方が良いって。あの程度の、重症にはどのくらいのリハビリが良いか見てみたい、とか言って。静の吉田先生と動の石倉療法士の、ちょっとした遣り取りがあったりして・・・。ここだけの話にしといてね」
まるで俺がモルモット状態にさせられたのに同情したのか、単に口が軽いだけなのか、付き添いのナースが帰り際に打ち明けてくれた。どっちの言い分も正しいのだろうが、俺を間にした意地の張り合いだけはやめてほしいもんだ。
「でも、明日から車椅子と松葉杖の併用になりそうですよ」
「松葉杖?やっと車椅子に慣れてきたところなのに」
「頑張って。ちゃんとサポートしてあげますから」
天使の囁きは明日への希望を与えてくれる。叶う事なら、担当が郁代であってほしい。
五日目の朝、主治医の回診があった。何と郁代が一緒だった。胸のネームプレートには旧姓の菊池となっている。ということは、独りでいるという事か。ドクンドクン。血流が激しくなった。ドーパミンがグルグル駆け回った。患部を見せてくれというので、上体を起こしてパジャヤマのパンツを下げようとしても、情けないことに身体が強張っていてうまくできない。郁代が手を貸してくれた。冷却装置を外され、まじまじと俺の太腿の裏側を見つめた。異様に腫れ上がったところに暗紫色のひろがりが三つ。その周囲を、郁代は手をそっと添えるように押した。「どうです。痛いですか?」「鈍い痛みが・・・」「ここは?」「一緒・・・」「ここは?」などと領域の手を広げてゆき、いらぬ妄想からついつい俺もドーパミンからノルアドレナリンの世界へ。俺は目を閉じた。そこへ割って入るように主治医が喋り出した。
「入院された日の痛みがレベル五としたなら、今は四程度でしょう。三箇所で筋肉が切れているところを、筋肉が伸びて繋がろうとしている状態です。ここで無理に動かしてしまうと、筋肉の結合の妨げることになります。下手をすると弱い状態でつながる恐れがありますから、松葉杖とリハビリについては、もう少し様子を見ましょう」
「先生、シャワーとかはまだ駄目なんですか」目下一番の関心事を訊いた。
「患部は温めてはいけませんが、まあ体温よりうんと低い温度だったら構わないでしょう。長いのはいけませんよ」と俺に言って、「まだシーネを続けましょう」と郁代に指示をした。パジャマを元に戻す郁代の手の動きを、俺は追った。職業的なその手に何かしら情のようなものを見つけようとした。
「では、お大事に」
簡単な一言を置いて去ってゆくナースの後ろ姿を俺は見送った。
早速シャワーがしたいとナースに申し込むとすんなりOKが出た。ついでに菊池郁代さんに見守りを、と指名したいところだがいくらなんでも無理だろう。午後三時にナースが迎えに来たのは残念ながら郁代ではなくて、昨日リハビリへ付き添ってくれたナースだった。車椅子から手すりへ体を移動させて、脱衣場へそろりそろり。肩をかりてシャワー室へ。足取りは勿論ぎこちないが、このうら若いナースが精神状態までぎこちなくさせて「大丈夫ですか。ちゃんと脱げます?手伝いましょうか」なんて言うから凄いジョークだと思って「一人じゃ無理です。お願いしようかな」と興味半分に応えると「分かりました。なんでしたら身体も洗ってあげますよ」と言うではないか。
「ほんとに!マジで!」
「ええ。遠慮要りませんよ」
「あの、嫌じゃないですか?」
「全然。仕事ですから慣れっこです」
何事にも徹する。これがプロってものか。俺の方が完全に気圧され、慌てて辞退した。だけどもし、これが郁代だったなら俺はどうしただろう。ガラスドア越しのナースを意識しながらのシャワー。シャワー室にはちゃんと腰掛椅子があってそこに座ってナースの調整してくれたかなり温めの湯が降って来た。ウーン。アアー。生命の歓喜が俺の中からほとばしり出た。顔に湯を浴びる。涙と一緒に頬を伝った。
入院して六日目となった。冷却装置のせいで、相変わらず頻繁なナース付きの夜中のトイレ行きに悩まされ睡眠不足にはなるが、まあ日中何もすることが無いからボーッとしていればいいし、患部の痛いのもそっとしている分には左程ではなくなった。自然と自分以外のことにも気が回るようになった。向いの人物の情報もナースから聞き出した。小林という映画のカメラマンで、目下地元の、旧市民病院の建屋の中での映画の爆破シーンの撮影中に落ちて足首の骨折で入院十日目なんだそうだ。道理で小洒落たいでたちの見舞客の多さに納得。田舎もんじゃない。昨日も見舞いに来た人と連れ立って鮨を食いに外出したついでに外泊して温泉に浸かって来たと言うから豪勢なものだ。まったくどこまでが怪我人だか怪しいもんだ。
そして隣の狂人。いや中山という、膝関節で入っている老人。俺はてっきり狂人と思って、こんなのの隣りには居られないと病室替えも真剣に考えていたけれど、「こんな句を作ってみましたけどどうですか?」なんてナースが声をかけて、「どれどれ。ウン、良く出来ているよ。あんたの心優しさが五七五に出ている」と応じているのを聞いて勝手に抱いていた不安が解消した。あれは呪文なんかじゃなくて「古池や蛙飛び込む・・・」とやっていたってわけだ。俺は小説とか長ったらしい活字は大の苦手だが五七五は嫌じゃない。何より一行で終わる短さが良い。たまにサラリーマン川柳ってやつを読んでこれは俺のことだとか、こんな奴いるいると腹から笑ったり、毒気にあてられたりしてこいつは面白いと唸らされることがある。俺も一句捻ってみよう。ベッドに縛られている身には五七五は持ってこいだ。なんでも隣の老人、この辺りじゃ大家で通っているらしくて俺は門下生になることにして老人に「俳句教えて下さい」と声をかけた。
「俳句じゃなくて川柳です」あははと笑いながら応える老人は実に気さくだ。
「ああ川柳。俳句と川柳はどう違うんです?」
「簡単に言えば、季語の要る俳句と要らない川柳。花鳥風月を詠む俳句と人間を詠む川柳ですかね。川柳は暮らしの中の喜怒哀楽。例えばあんたらの様な若者が持っている夢や、不満とか怒りなんかをドンと五七五で表現する。紙一枚と鉛筆一本であんただけの世界がどんどん広がります。気楽におやりなさい。どんなことでも頭に閃いたこととか、何を詠むか、テーマを自分で設けてみるのもいいですよ。たとえば、病院とかね」
夢なんてもうとっくに消えてしまったが、そうか不満や怒りをぶちまける、か。それなら俺に満ち溢れている。俺でもつくれそうだ。さっそく頭をめぐらせることにした。さあ何から始めようか。ベッドの傍らに紙と鉛筆を置いてみる。
七日目の朝を迎えた。夜間のトイレも回数が減ってそこそこ眠られるようになった。ようやく怖ろしいほどの痛みとはおさらばできたようだが、何だか慢性的なズキズキがこの先も続きそうにだらだらしている。もうすっかり病院の住人になって、外の世界からますます隔絶されてゆくのも当たり前のように受け止めているし、あれほど飲みたくてたまらなかったビールも、今じゃ頭の隅にさえないというのは、すっかり病人になっている証拠だ。それから体重が六キロも減っているのには驚いた。ろくな運動もせずにいるので体の筋肉が落ちているのだそうだ。身体そのものもまるで老人のようにぎくしゃくしている。
そんなわけで今日から、いよいよ一階のリハビリセンターへ毎朝通うこととなった。車椅子を卒業させられ、今度は松葉杖が頼りだが恐る恐る、ギクシャクふらふら、そして脂汗。高々百メートルほど行くのにかかる労力は半端じゃない。脚にてんで力が入らず、松葉杖がわき腹に食い込んで来た。肩で息をするのも辛くなってきた。「これ以上無理。車椅子にしてよ」途中で訴えても「これもリハビリの一環ですよ。頑張って。慌てないで。ゆっくりゆっくり」いくらリハビリを兼ねていると言ってもこれでは拷問だ。いや天罰か。天罰?いったい何の?ナースは寄り添うどころか、微妙な距離を俺からとって一切手を貸そうとしない。この時ばかりは天使じゃなくて悪魔だ。おかげで肝心のリハビリセンターに着いたときはもうへとへとにさせられていた。
結構広いルームには大勢の患者とそれに負けないほどの療法士が立ち働いていた。リハビリに励んでいるのは殆んどが老人だ。受付で待っているとスキンヘッドの男がやって来た。いかにもマッチョといった風の、図体のデカい三十歳そこそこの、先日と同じ石倉という療法士だ。
「前回は、上の方から待ったがかかって、事実上今日が初日ってことになりますが、これから井川さんが一日でも早く社会復帰できるように、じっくりとリハビリのサポートをさせて頂きます。頑張りましょう」
「よろしくお願いします」と返事はしたが、おいおい、待ったをかけたのは上なんかじゃなくて俺だ。こいつは熱すぎる。こいつのペースにはまらんようにしなくちゃ。この体育会系には用心用心、同じ体育会系の俺の勘がそう言っている。
「さっそくやりましょう。井川さんは若いですから相当きつめにいきます。これからは厳しく、身体を甘やかさずに。いいですね」とギョロ目で睨まれる始末だ。
二十畳ほどの畳のスペースで横になって、三キロの鉄アレイでの上腕の筋トレ。足首に一キロの輪をかけて脚の筋トレを徐々に。それから松葉杖の訓練用の平行棒で、右脚に体重十五キロ程度の負荷をかけた着地で交互に脚を繰り出す運動をした。あくまでも痛くない程度にかけてという指示だが、ジワジワと痛みが出る。ここで生来の従順さを出してはいけない。痛いものは痛いのだ。オーバー気味にそう訴えるともう少し軽く地に着く十キロ程度にしてくれたのだが、それならと時間を倍にすると言い出した。そのあと膝の屈伸や股関節を広げる運動等で、俺が悲鳴をあげる寸前までまるで苛めのように俺を攻めまくった。そうこうして一時間超のリハビリを終えたのだが、いやはや大変な半日となってしまった。これが日課となると先が思いやられるが、なにくそという気が湧いて来た。あんなスキンヘッド野郎に負けてたまるか。
ナースが迎えにきたので松葉杖は嫌だと駄々をこねた。すっかり他人のような両脚になって、とてもじゃないが病棟へはたどり着けそうもない。
車椅子で病棟へ帰ってくると五十里とチームメイトが見舞いに来ていた。この格好を一番見せたくないのが五十里だ。松葉杖の方がよほどマシだった。試合が終わって駆けつけたのは分かるが、何もユニフォーム姿でくることはないだろ。それもぞろぞろ雁首揃えて。傷口に塩を擦り付けるような振る舞いだ。しかも俺から野球を取り上げた張本人が、まったく怪我の状態を気遣う素振りも見せない。まあ下手な言葉をかけても慰めにもならないと五十里は五十里でよく弁えているようで、その方が俺も気が重くならずに済むけれど。
「今日も勝ったぞ。しかも圧倒的勝利だ。嬉しくてさ、すぐにメールしたけどお前出なかったけど、そうかリハビリだったか」先週と今日の試合でやっと両目があいて、リーグ戦は二勝三敗。「お前の頑張りで波に乗って来た」とか言って、何とか五分五分に持ってゆけるところまできた高揚感に五十里は浸っている。
「今日から午前中はリハビリだ」
「いよいよリハビリか。退院はいつだ」
「あと二週間くらいかな。でも今年いっぱい野球は無理かもしれん」
「何を弱気な。俺も一度肉離れやっているけど退院して一ケ月で出来るようになった。秋にはバンバンやれるさ」
「お前の時とは程度が違う。俺は車椅子だぞ」簡単に言うなとムキになる俺に
「今日も朝から地獄のような暑さだったけど、その点ここは別天地じゃないか。猛暑酷暑を避暑地でやり過ごすと思えばこんな結構なことはないぞ。実に羨ましい。できれば替わってほしいくらいだ。ま、くさらず焦らずの心境でな」なんて言い置いてさっさと帰っていった。考えてみれば、憎たらしい奴だが一理も二理もあると、俺は変に納得させられた。
病棟を避暑地と思えばいいとはよく言ったものだと、アバウトな奴だが度量の大きい五十里に感心しきり、気分よく昼飯を食って横になっていたのも束の間、会社の部長が顔を出した。日頃から鬱陶しい人だが、この日は俺の首を締めにきたのかと思うほど息苦しくさせた。名目は見舞いだが、常に効率だけで動く御仁だから会社の利益になるような話を携えてきたと直感した。案の定俺に不利な話を持ってきた。今のポジションから外してそれこそ便所掃除くらいの役につかせる使者としてやってきた。俺は人がいいからあまねくスキルを伝授していて、俺の替わりはいくらでもいるという弱点をつかれてしまったわけだがそれは仕方がない。これも身から出た錆だ。「社長が首にしないよう努力」をこの部長がしているというから涙が出る。昔は組合というものがあって守ってくれたらしいけれどもう今昔物語だ。こっちの忠誠心なんてさらさらないのを見越しているから会社は冷たいのか、そんなんだから忠誠心なんかないのか。どっちにしても危うい関係だ。そのうちAIとかいうやつが俺たちを首にする日がくるのだろうけど、それまで何とか持ちこたえたいものだが。そんなわけで、五十里の言うような避暑地三昧とはゆかない雲行きだ。それにしても今日は疲れた。入院以来身体も頭もこんなに疲れたのは初めてだ。中山老人からどんなことでもいいから、頭に閃いたら紙に書いておく。最初は五七五にとらわれずにねと言われていたことの実践もどうでもいい様に思えて、夕の膳がくるまでぐっすり寝込んでしまった。
八日目、九日目と順調に回復に向かっているというのが実感できるようになった。患部がズキンズキンからジンジンチクチクに痛む感覚が変わってきている。それにつれてリハビリの方がいよいよ厳しさを増してきた。初めのうちヨボヨボの老人扱いだった松葉杖での歩行訓練も少しは幼児並みになって、ハーハーフーフーヒーヒー音を上げそうになるのを堪えながら石倉療法士の繰り出すメニューについていった。だいぶんスムーズな動作になってきているし、特にひどかった股関節が柔らかくなっていると、俺の頑張りを褒めてくれるようになった。きっと、このやたら熱いスキンヘッドへのレジスタンス効果が出ているのだ。
それにしても、郁代に会えないのが淋しい。十年も会っていないで何を今更、なんて気持ちにはなれない。やけぼっくいに火がついたってやつだ。それは俺の勝手で、郁代の方はやっぱり俺を避けているのか。あの回診の時から何日経っただろう。今日は来てくれる、明日こそと首を長くしているのに、まるで焦らすかのように顔を見せない。幸せは待っているようではいけない。こっちから会いに行けばいいのだ。もし今、ナースステーションに行けば、あるいはその辺をうろついていたら会えるかもしれない。矢も楯もたまらず俺は実行に移すことにした。
秘密裏に松葉杖に身を預け病室を出た。順調な歩行は訓練の賜物だ。ナースに見咎められたらリハビリの一環だと言えばいいのだ。廊下の角を曲がって、ナースステーションが見えてきた。郁代いるかな。自然とピッチが上がった。とその時、右の松葉杖がツルンと廊下に滑り上体が傾いだ。「アアーッ」と声をあげたかどうかなす術も無くステンと尻もちをついて「何してんですか!」ナースの声が飛んできた。
「駄目でしょう。いけませんいけません!」「どこへ行きたかったの!」
ここの婦長さんだ。俺の中では唯一天使じゃないようなナース。お役目か性格なのか、いつも目に力を入れているような人で、どうも上から目線が突き刺してきて苦手だ。
「いや、リハビリのつもりで・・・」
「こんなことしてたら長引きますよ。完全に治って退院したいでしょ!」
敢え無く連れ戻されて、いよいよ要注意人物と監視の対象にされれば余計に自由がなくなると思っていたところ、意外にも明日から四階の「回復期リハビリテーション病棟」へ移ることになった。ⅯRIでの検査で、順調に筋肉が結合してきているのが分かり本格的なリハビリに入るのだそうだ。さっきの騒動が移住の原因で、これは厄介払いのつもりかも知れん、などと当て推量なんかも入り混じっての引っ越しとなった。
同部屋の三人ともお別れだ。特に川柳の師匠とは、まだ一句も詠んで見てもらっていないのにこのまま別れてしまうなんて。
「上と下の違いだけで、近いもんですよ。これからは井川さんも自由に歩けるんだからどんどん作って持ってらっしゃい。これ、餞別じゃないけど読んでみて」と手渡してくれた数冊の川柳の本で何とか絆を保って別れることができた。
四階の「回復期リハビリテーション病棟」はガランとしていて三階のような人の往来が見られず、ひっそりと取り残されているような気配さえする。今後はこの施設と一階のリハビリセンターと双方での回復療養となるのだろう。部屋は四〇二号室。誰も入っていない。四人部屋を独り占拠というのも、これはこれで気儘で良いのかもしれないが、やっぱり島流しにあったような気分がふっと、一人ベッドに横たわっていて湧いて来たりした。事実この日からあれほど一日に何度も「どうですか」とか「変わったことありませんか」とか、血圧や体温測定なんかで顔を出していた看護師の訪問が嘘のように減った。同じフロアでリハビリを行っている療法士の、励ましたりすかしたりしている声に混じってテレビの音声が聞こえるのみ。何だか見捨てられたような気分にさえなる。それはつまり、あまり手が掛からない患者になったからと解釈していいのかも知れず、退院の目鼻がついてきたと喜ぶべきだろう。たしかに、もう冷却装置はとれ、そっとやってみた膝の曲げ伸ばしにも左程苦痛が伴わないようになっている。しかもこれから堂々と、郁代とめぐり会うためのリハビリが自由に出来るわけだから明るい兆しだ。でも今日は自重しょう。あんな失態は二度と御免だからしばらく様子を見て試みることにした。
これを機にリハビリ担当の療法士が替わって佐藤という女の人になった。これは喜ばしいことだ。やたら張り切るサディストのようなあのスキンヘッドよりよほどマシだ。何といっても優しそうなのがいい。齢は俺と同じくらいか三十過ぎで、何だか楽しくリハビリが出来そうな気がしてきた。これからのリハビリについて簡単な説明のあと、「十一時からセンターでリハビリしますので迎えに来ます」と言い置いて佐藤さんは帰っていった。
十一時までの一人の時間、その辺を自由になった松葉杖の散歩でもと思ったが、まだどんなリハビリが待ち受けているか分かったもんじゃないから体力は温存すべきだと考えた。そうだ、こんな時こそ川柳だ。一句ひねって師匠のところへ、そして見てもらおう。その前に師匠から借りた本に目を通しておこう。
◯◯川柳社発行の二十ページ足らずの小冊子だ。句会報とあるから句会で発表された句だろう。課題というのがあって、それぞれ二十句ほど載っている。
「試す」
「私を試す小銭が落ちている」「試しても買ったことない食べ歩き」
「天変地異限界試すような日々」「試し撮り以上に写らないカメラ」
「雨」
「別れぎわ傘のしずくがまといつく」「青い傷流してくれた通り雨」
「雨に逢い雨に別れて雨おんな」「どしゃぶりが仲をとりもつ二人傘」
いいなあ。うまいなあ。「雨」の句なんか特にいい。まるで俺の渇いた心に沁みるようだ。気に入ったのを何度も何度もなぞって書いてみる。まるで俺が作った句みたいに。こんな句を作ってみたい。師匠も言っていたように思っていることをノートに書いて、それから始めよう。真っ先に浮かんだのは郁代だ。病院で再会した郁代。別れて十年。愛をもう一度なんて言わないから、ほんの少しでも逢って話がしたい。俺はベッドに身を横たえ瞑目した。何も浮かばない。でもイメージしょう。俺の中でよみがえった恋と病院・・・。「逃げた恋またよみがえらせた病院で」出来た出来た、これでどうだ。小躍りしたい気分だ。さらに五十里の吐いていったセリフ。あのセリフに心が晴れた。それがテーマだ。イメージ、イメージ。「避暑地だと思えば入院つらくない」我ながら佳い句が出来た。居ても立ってもいられず師匠のもとへ。
天下晴れて松葉杖での自由行動だ。三階へ下りて、昨日までの病室へつい無遠慮に入ってしまった。折よく師匠はリハビリから帰ったばかりで、一息つくようにベッドに腰を下ろしていた。
「何とか二句できました。ちょっと見て頂きませんか」
「ほお、できましたか」相好をくずし受け取ったノートに師匠は目を通した。
「これからコーヒーでも飲みませんか。そこでじっくりと。時間あります?」
「はい。リハビリは十一時ですから、一時間くらいは・・・」
「じゃあ今から行きましよう。あそこのコーヒー、安くて美味いですよ」と連れていかれたのは「ビスト・モール」という名のレストランとカフェを兼ねた二階にある店だった。てっきり自販機の缶コーヒーだと思っていた俺には、こんな処があったことじたい意外だった。店内に足を踏み入れたとたん、わずかながらも病院の外の空気を吸ったようで、コーヒーのなんとも言えぬ香ばしさに鼻がくすぐられて軽い目眩さえしそうだ。
外は三十度を優に超える猛暑でも、エアコンの行き届いた病院は下手をすると寒いくらいだから二人はホットを注文した。
「どれどれ」と再びノートを開く師匠をじっと見る。
「昔愛し合った人とこの病院でめぐり逢って、恋の火が再び、という句でしょう。ひょっとしたら、これは実感句かな?」
「実感句とは?」
「実際に経験した事を詠んだ句です」
「確かに、そうですね。実感句です」柄にもない純情に顔が熱くなった。コーヒーがやってきた。貴重なものを頂くようにすする。旨い。いっとき入院生活を忘れてしまいそうだ。
「井川さんの気持ちをストレートに詠んでいるような句です。素晴らしい。自分の思いを赤裸々に文芸にするというのは勇気が要りますが大事なことです。他人事じゃないのが読み手に伝わってくるから良いんです。で、その人は看護師なんですね」
「分かりますか!」
「いやまあ、深読みっていうか、句の背景へ分け入っていくと何となく・・・」
「野球ばかりやってて愛想つかされて、十年も会っていなかったんです。でもこの野球の怪我で再会できて、これも何かの因縁かなと思って。他の看護師さんにそれとなく訊いてみたんです彼女の事。どうやらバツイチで、今は独り暮らしらしくて。もう一度チャンスがあれば、やり直せたらなんて色気を出しているんですけど・・・」
「そうですか・・・。脈はありそうですか?」
脈なんてほとんどないのが現状だ。俺に対する郁代の素振りがそう言っている。でもやっぱり、バツイチの独り暮らしが俺に一縷の望みを持たせているのだ。だがそれは甘いか。郁代ほどの女だ。付き合っている男が居てもおかしくはない。居ない方がおかしい。
「それが、なかなか会えないというより、彼女の方で避けているんじゃないかと・・。仕方ないですよね、僕が悪かったんですから」
「タイミングってのもあるんですよ。焦らずにチャンスを待つ。野球で失った恋を野球の怪我で取り戻す・・・。ドラマですね。なんだか応援したくなってきました。こんな年寄りの出る幕なんてないでしょが、もし役にたてるようなことがあれば力になります。さて本題に入りましょう。一句目ですが、この句は読んで作者の言いたいことが手に取るように分かるという点では合格です。ただ、また、とよみがえる、と同じ意味の言葉を使うのは避けた方がいいですね。それと病院で、で終わるとまだ何か言いたいのかなと読み手に思わせる点、句が散漫になってしまいますから気をつけて。下句の病院を上にもっていって『病棟でよみがえる恋胸さわぐ』でどうですか。しかし初めて作ったとは思えないほど句がしっかりしている」
「そうですか。才能、ありますか?」
「スジが良いですよ。私の時よりうんと良い」
「ありがとうございます」豚もおだてりゃ木にのぼる。何だか死んだ親父と話してるようで、ずっとこうしていたいがそうもいかない。
「師匠すみません。そろそろリハビリの時間です。見て頂いてありがとうございました。またお願いしていいですか」
「もちろんいいですよ。ところでその、師匠はやめて下さい。川柳に師匠とか先生とかはおりませんから」
「えっ、そうなんですか。でもやっぱり、僕にとって、中山さんは師匠です」
財布を出して支払いを済まそうとしたら「私に払わせて下さい。師匠の顔をつぶしてはいけません」と大真面目な顔で睨まれてしまった。
十日目、十一日目とリハビリも順調に進み松葉杖と一心同体のようになって、郁代とばったり、を目指して随分スムーズに三階病棟を徘徊できるようになった。一日に何度もナースステーションの前を行ったり来たりしてみるが、郁代を見かけることもなく、ついには不審がられてまるで職務質問のごとき問いかけをされてしまった。まさか郁代に用事がある、なんて言えるわけがないのでお茶を濁しているけれど、何となくこっちの魂胆が見透かされている気がしている。で、俺はこのままではいけないと思って、明くる日思い切って郁代の親戚を、つまり従兄妹を装って動静を窺ってみたら、この一週間夜勤業務とか何とかで俺の行動との波長が合っていなかっただけと判って何となく希望らしきものが湧いてきたのだった。実のところ俺は焦っていた。このままの状態で、郁代には何のメッセージも伝えられないまま退院する成り行きをどうにかしたいという思いに焦っていたのだ。やっていることはれっきとしたストーカー行為だ。だけど恥ずべきことだとはこれっぽっちも思わない。俺のこの思い、郁代に伝わってくれさえすれば、あとはどうなろうと構わないのだ。たとえ冷たく拒絶されようと。そうなればなお、さっぱりと諦めがつくというものだ。
とうとう二週間目に入った。師匠とは例の「ビスト・モール」で俺の拙い句を見てもらい手ほどきを受けるという時間が日課のようになって、自分の身の回りのことを普通にやれるようになったし、シャワーも一人で浴びることができるようになった。全体重を右脚にかけても感じるのはふくらはぎの筋肉痛くらいだ。それではと松葉杖一本だけで歩くことになった。社会復帰へさらに加速するためと、リハビリの時間も長くなって、ストレッチ、筋トレ、自転車漕ぎなんかのあとに歩行訓練がはじまった。松葉杖を佐藤さんに預けて一人で立つ。何だかフラフラする。つい佐藤さんの肩に寄りかかるようになってしまう。「白線が引いてあるところを歩いてみて。大丈夫。ちゃんとサポートしますから」寄り添うように、佐藤さんの手が腰の辺りに伸びてきた。これまで何かに頼ってきた歩行が、いよいよ自らの二足歩行になる喜びよりも不安が襲いかかって、最初の一歩が出ない。「大丈夫、大丈夫。痛みがあるようでしたら言って下さい。離しますからね。ゆっくりゆっくり・・・」佐藤さんに促されて、まるで歩き方を忘れた人間のように、右ひだり意識して交互に脚を踏み出した。
消灯前の一時間ほどを松葉杖に頼らず、四階病棟と三階病棟を歩くことにした。リハビリセンター以外ではまだ松葉杖なしの歩行はしないで、と佐藤さんにきつく言われているけれど、この際無視することにした。郁代とばったり会ったとき松葉杖じゃ格好悪いと思ったからだ。しかしまてよ。松葉杖でヨッコラヨッコラ歩いている方が同情心を誘うっていうか、郁代の母性愛をくすぐる効果があるかもしれないなんて思ってもみたが、昼間よりさらにガランとして照明の落ちた界隈に松葉杖はなんだか気が滅入る。今日の訓練の成果を試す練習試合のつもりで松葉杖を手離した。
一歩二歩、痛みを意識しながらそーっとそーっと。なんとなく患部に体重を感じるが、この分なら大丈夫。歩き慣れない脚に気遣いながらなんとか東病棟を一周して、未踏の西病棟へ。ここは整形以外の入院病棟の色が濃くて何となく沈んだ嫌な空気が漂っている。ほとんど沈黙の世界だ。まるで逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。当初の計画通りいよいよ三階だ。今日はもう遅いから郁代に会えないかもしれないが、それでも俺のこの胸が、ざわつき息苦しさを訴えだしていた。向こうからナースがやって来る。郁代じゃない。「松葉杖とれましたか。良かったですね」と声をかけられナースステーションの前へ。あの婦長が居たらまずい。数人の中に郁代は居なかった。俺はリハビリ中の顔で素通りした。もう少しで三階を一回りするころにはたっぷり汗を掻いていた。そして足枷を嵌められた様な鉛の脚になっていた。そんな時、郁代の横顔が目に入った。間違いない、郁代だ。小脇に封筒のようなものを抱えて今、エレベーターに乗り込もうとするところだった。二十メートルあるかないか、声をかければ届く距離だがその声が出ない。「待ってくれ。俺も一緒に!」心の中で叫んだ。叶うなら猛ダッシュしたいところだが脚はてんで動かず、郁代は消えてしまった。少ないチャンスの中のチャンスを物に出来なかったのは野球と同じ、よくあることだ。それより何より、今の郁代のワンシーンは俺の思い描いたイメージにほんの少し当てはまったようで、何だか明日への希望が湧いて来た。
退院の日が八月七日に決まった。嬉しいはずの日なのにちょっと辛い。この避暑地から炎天下へ放り出される日。川柳の師匠とのいっときの別れを惜しむ日。そして郁代との接点が断ち切られてしまう日だ。午後からのリハビリに出掛けた。もう松葉杖は要らない。いつものようにストレッチや小さな階段の上り下りなどをしたあと、今日は外へ出て歩きましょうと佐藤さんが言った。芝生広場のようになっているセンターの外へ出た。いきなり熱気をあてられてくらくらしそうだ。それでも久しぶりに外気に当たる事が出来た喜びがジワジワ込み上げてきた。それにしても暑い。人間の体温は優に超えていそうな所を歩くなんて、いくらなんでも酷じゃないか。こんなのリハビリのメニューにあるのか。佐藤さんに抗議がてらに訊いてみたいところだが、佐藤さんの様子がいつもと違うような、どことなく心が沈んでいるようで黙っていることにした。佐藤さんと並んで歩く。徐々にペースを上げる佐藤さんについてゆく。かなりキツイ。ハーハーハーハー。口の中に熱気入って苦しい。いつもなら励ましの声をかけてくれるのに、こんな厳しい佐藤さんは初めてだ。「あの木のところまで行きましょう」口調にも優しさの欠片もないのがどうも変だ。汗だくになって木の下にたどり着いた。「ここで折り返しです。小休止しましょう」設けてあるベンチに二人腰かけた。そんなに涼しくはないけど人心地つく思いだ。
「ひどい汗。これ使って」佐藤さんがハンカチを差し出した。表情にかすかに笑みがもれている。
「いいです、いいです拭かなくて。きれいなハンカチ汚れるだけです」
「洗って返してくだされば喜びます、ハンカチが」
受け取ったハンカチを俺はまじまじと見た。白地に薄いブルーの水玉模様をあしらったお洒落なハンカチ。そして佐藤さんを見た。俺を意識しているような、いないような視線を病院背後の山地へ向けていた。
「― あと三日で退院ですね。よく頑張りました」
「佐藤さんのおかげです。それとあのギョロ目スキンヘッドの石倉さん。あの人はキツかった。僕を目の敵のようにしごいてくれましたからね」
「若い人には手加減しない人なんです。横から見ていて可哀相なほどでしたけど、それが良かったと思います。井川さんが厳しさに応えるように日に日に快復されてゆくの、目に見えて分かりましたから」
何とこの人は、担当になる前から俺のことを見てくれていたのか。しびれるような熱さを覚えた。
「退院されても、しばらくはリハビリ通院ですね。またお世話させて下さい」
佐藤さんはうつむいた。ハンカチが俺を見つめている。佐藤さんの思いが、このハンカチに。俺はむさぼるように顔の汗を拭った。
リハビリ後のシャワーを浴びて大の字になっていると、師匠がひょっこり顔を見せた。
いつものように「ビスト・モール」へ。早速昨日からの作句を師匠に見てもらう。
「逢いたくてリハビリの脚無理をする」と「リハビリへ心通わす療法士」の二句だ。
「うんうん。一番目は句の背景を知っている私だから心情的には分かるんですが、第三者には今ひとつピンと来ないかな。そうだねえ。『会いたくて今日も頼りに松葉杖』でどうでしょう。それから、二句目は一読明快、良い句です。『心通わす』が特に良いです。しかし短い間に、けっこう佳い句を作れるようになりましたね」満足そうに頷いて、さてそこでと師匠は身を乗り出した。
「明日から、三階の患者サロンルームで井川さんと私の句を展示することになりました。『川柳二人展』と銘打って」
「ええっ。本当ですか!無理です、僕のなんか」
「大丈夫。上手い下手じゃないんです。これまで川柳なんかに興味がなかったような人たちに川柳とはどんなものかちょっと知ってもらうだけで充分ですから」
「嫌ですよ。恥ずかしいから師匠の句だけにして下さいよ」
「井川さんのためにこれを企画したんだから、それはいけません」
「僕のために?」
「そう。井川さんが嘘偽りのない心情を吐露した句を、ある人に見てもらうために、これはやらなくちゃいけないんです。井川さんの句を読んでくれたならきっとその人は心を動かされるに違いありません。まあ、一種の賭けですが、やってみる価値はあります」
師匠が僕のためにこんなことまで!俺から郁代の存在を打ち明けられた日から師匠は、何ができるか思案した末にこれを思いつき、先ず病棟の婦長さんに持ちかけて、それから院長まで話が進んでトントン拍子に実現するに至ったというのだ。そしてナースの間でも陰ながら協力するという盛り上がりとなって、もう下手くそとか恥ずかしいとか言って尻込みする気持ちは俺から消えた。師匠が言ったようにこれは賭けだ。スクイズでもないヒットエンドランでもない、どんなセオリーをも超えた突拍子もない作戦だ。成功するかしないかはどうでもいい。郁代はきっと読んでくれる。それだけでいい。それで俺の思いが遂げられるのだ。
でかでかと「入院川柳二人展」と大書された看板の横に、師匠が用意した金縁の短冊に師匠のと俺のとが七句ずつ、師匠による達筆の五七五が患者サロンルームに貼り出されることになった。ナースの人達も手伝ったという飾りつけもちょっと華やいだ雰囲気にして人目を惹き付けるようになっている。師匠の句は流石に堂々としたものだが、下手くそな句、と言っても師匠に大幅に手直しされた句は勿論、俺の名が出ているのはやっぱり恥ずかしい。匿名とかペンネームとかで出す手もあるんでしょと言っても、実名でなければ駄目と師匠は一蹴した。仰る通り。狙いが狙いだから初志貫徹だ。
中山一史作
病棟の窓に幸せそうな雲
言い訳のように見舞いの客の笑み
体罰のようにほじくる膝の過去
看護師とデートしている車椅子
年寄りの愚痴もリハビリしてくれる
孫ほどのナースに今日も不整脈
年老いた矢でも使えるキューピッド
井川豊作
逃げられた恋を痛がる野球バカ
病棟でよみがえる恋胸さわぐ
会いたくて今日も頼りに松葉杖
リハビリへ心通わす療法士
回復へ役目を終えた松葉杖
やり直すチャンスへ君のサイン待つ
退院日せめてサヨナラ伝えたい
サロンルームはどんな様子か気になって、俺は何度も足を運んだ。肝心の郁代は来てくれるのか、読んでくれるのか。まだ夜勤で、ここには来ていないのかも知れない。患者や見舞客が利用して、時にはナースも出入りするサロンにはテレビを観ている人がほとんどの中で、短冊に見入る人もちらほら見かける。この人たちに俺の句がどんなふうに見られているかなんて、それはどうでもいいこと。ただこの句を郁代に贈りたい。俺の思いを伝えたい、その一念だった。
夕食を終えてから、もしかしたら今かもしれない、そんな気がしてサロンルームへ行ってみた。するとテレビの音も聞こえず、そこだけが静寂に包まれているような中で一人、郁代が立っているのがガラス戸越しに見えた。俺の句を見つめていた。その後ろ姿がじっとして動かない。熱いものが込み上げてきた。何と言ったらいいか、いや言葉にできないくらいに胸が苦しい。飛んで行きたい衝動だけが俺を突き動かした。だけどそこまでだった。金縛りにあったように立っているだけで、ここから一歩踏み出すには俺は臆病すぎた。去って行く郁代へ、一言を待っていたはずの郁代へ踏み出せなかった十年前のように。俺はそっと踵を返した。
今夜は眠れなかった。ひどい目に遭わせた太腿の肉体的反撃とはまた違う、肝心な時に勇気が出ない俺自身の弱さへの精神的反撃。折角師匠が考えて作り出してくれた絶好のチャンスをみすみす放棄してしまった不甲斐なさを、俺は夜通し責められた。そしてまた、読んでもらえただけで充分じゃなかったのかなどと慰めたりして夜を明かした。
それから何もできずに、退院の日となった。もう少し入院が続く師匠とは、師匠がやっている句会に入るまでの間しばしの別れだ。郁代への進展ぶりを、師匠は訊ねることもなく、俺は俺で悶々とした思いを抱えて別れの握手をしたけれど、まるで大団円を迎えたように師匠が晴れやかなのは、俺が無事退院できて社会復帰することへのはなむけなのだろう。
「見送らないからね。そういうの、どうも苦手なんで・・・。これからリハビリに行きます」と言って師匠は病室を出て行った。
身の回りの物をまとめて、紙の手提げバッグに放り込んで部屋を出た。三二二号室の住人にも挨拶しておこうと顔を出したが、映画カメラマンは退院していてもう一人の爺さんだけが居た。
「若い人が羨ましい。こんなに早くピンピンして退院できるなんて」
じめじめしたことをまた言い始める様子に、別れの挨拶がわりに軽く手を振って部屋を出た。もうここへ戻ってくることはないが、あの地獄の様な何日かは決して忘れることはない。柄にもなく胸に迫るものを感じて、しばし立ち尽くした。
それからナースステーションへ。単なる退院の挨拶じゃない。郁代への思いに、波立つ平常心。
郁代の姿はなかった。落胆よりも、何故かホッとする俺がいた。これでいいんだ。入院した時と同じ郁代のいない心で退院する。非日常の避暑地の二十三日間からいつもの俺の生活に戻るだけのことなのだ。
「色々お世話になりました」
「良かったですね。野球バカもいいですけど、無茶なさらないでね」
川柳の展示に関わってくれたナースのユーモアに見送られてエレベーターに乗った。
一階に降りてエントランスへ。通院患者や見舞客や職員が行き交う中を歩いた。これから始まる日常へ、入院前とはちょっと違った日常へ大手を振って歩こう。
玄関ドアが開いた。外へ出るのを一瞬ためらった。そして振り向いた。その時、郁代が俺の方へやって来るのが見えた。見送りに来てくれたのか。いやそうじゃない。俺は直感した。まるで木偶の棒のように、出すべき言葉を呑み込んだ。そんな俺を思いつめたような眼で郁代が見つめている。そして制服のポケットから一枚の紙片を取り出した。
「これ、わたしのメールアドレス。もしよかったらやり直しましょ、もう一度。待ってるから」
俺に何も言わせず、郁代は身をひるがえした。きっぱりとした後ろ姿から優しさだけ
人間の再生力を謳った作品、のつもりです。