視野の重なり 18
『追い立てられる』という言葉がこぼれたとき、俺の唇はようやくその動きを止めた。妙な間の悪さに自然と頬の筋肉がひきつる。それも彼女も同じだ。期待はずれの言葉の裏にまた全く違うマニュアルのページが聞かれ始めているのだろう。その視線は宙に浮かび、手にしたスプーンはその回転の速度を速め、それにつれて固体であったアイスクリームはすっかり液化してしゃぶしゃぶという音をたてる。
「いえ、あなたはそう言いますけど、確かに変わっているし、それに……」
「そもそも、悪いってなんですか?それにそもそもそんなことに対してあなたは何ができるって言うんですか?別に僕が納得できるような言い方じゃなくてもいいですから、なんかはっきりここに示してみてください!」
「ヨウコちゃん」の手が止まった。その唇は何かを訴えるように堅く結ばれている。肩が微かに震え、その眼の下に浮かんでいるのは涙だろうか。俺はコップのそこに僅かに残った黒い液体を一息に啜り込んだ。
「あっ、雨。止んだみたいですよ」
彼女はそう言って窓の外を指した。俺は気詰まりを感じて振り返った。外で、人々は濡れた傘を振り回しなから飽き果てたような調子で早足に歩いている。福音を待ち続ける女はそんな俺を哀れむような目つきで見つめている。
「あ、それじゃあ私、仕事があるから……、」
二枚の伝票を掴んで「ヨウコ」は立ち上がった。
「ああ」
俺はそんなことにも気付かずに目の前の何もない空間を見つめていた。「ヨウコ」はきっと俺に二度と会うこともないだろうとでもいうように、振り返らずにそのままレジの方に向かって早足で歩いて行った。
取り残された俺もまた窓の外の雨垂れを見つめながらもう二度と何も見ることのない眼の中に、なぜ月が見えていないのかそれを少しばかり不思議に思いながら席を立った。
了




