第十章 「繋いだ明日と」 2
第十章 「繋いだ明日と」 2
「お前たち、どうしてここに……?」
アルザードは驚いて二人に視線を向ける。
後から入って来たのはエレインの婚約者、セアノ・ブルクだ。短く刈った紺色の髪に、青い瞳と柔和そうな顔立ちだが、体付き自体はしっかりしている。魔力適性が乏しかったこと、貴族でなかったことなどのいくつかの理由から騎士養成学校には入れず、家業のパン屋を継いだ男だ。実際、彼の焼くパンは美味しい。
「私が教えたの」
マリアが笑って答えた。
アルザードの家族に事情や状況を伝えたのはどうやらマリアのようだ。
王都では《イクスキャリヴル》の騎手に関する話題で盛り上がっているようだが、極秘裏に開発されていたこともあって騎手が誰であるかはまだ公表されていない。
エクターに許可と確認を求めた上で、マリアがラグナ家に伝えたらしい。
「余計なことだったかしら?」
「いや、いずれ伝わるだろうし構わないよ」
アルザードがそう答えるだろうと分かった上で悪戯っぽく言うのだから、マリアも自慢したいのだろう。自分の夫になる者が国を救ったのだ、と。
「丸一日も眠っていて、空腹でしょう? 彼にパンを焼いてもらってきたの」
エレインは笑顔でそう言って、セアノを促した。
「食事は、取れそうなのですか?」
寝たままほとんど身動きをしないアルザードを心配しつつ、セアノは手に提げていた袋包みを広げてパンを差し出した。
「ああ、体は反動でまだまともに動かせないが、言われてみれば腹は減っている」
苦笑を浮かべ、身を起こそうとしてみるが、やはり思うように力が入らない。すかさずマリアが背中を支えるようにして、上半身を起こしてくれた。力は入らないながら、一度起こされた姿勢を維持するぐらいならなんとかできそうだ。眠っていた間にも多少、回復はしているということか。
「症状自体は肉体感覚の麻痺程度ですから、食事は大丈夫です。ただ、むせてしまうかもしれませんので良く噛んで、ゆっくり食べた方がいいでしょう」
目配せをすると、意図を察した医師は頷いてそう答えた。
焼きたてのパンの香ばしさが鼻腔をくすぐる。
パンを受け取ったマリアが手で一口大に千切って食べさせてくれた。
表面のさっくりとした食感に続いて、内側はふんわりしていて口の中でほどけていくようだ。パンそのものの甘みだけでなく、生クリームも混ぜてあるようで、上品でまろやかな甘さが程好いアクセントになっている。それでいて甘過ぎず、小麦本来の味わいもしっかりしている。他の料理と合わせて食べるのにも良さそうだ。
「ああ、これは美味い……」
思わず笑みが漏れる。
空きっ腹にじんわりと、優しく染み渡るようだ。
貴族や王族御用達の高級品にも劣らない上質なパンだった。むしろ、それらよりも口当たりが高級過ぎず、食べ易いくらいだ。
「あらほんと、凄く美味しいわこれ」
アルザードの反応で気になったのか、マリアも一口食べて目を丸くしている。
「良かった……実は新作なんです。まだ持ってきていますから、良かったら皆さんもどうぞ」
セアノは安心したように笑って、別の包みを差し出した。
「救国の英雄が絶賛したパンって売り出せばきっと売れるわね!」
新作の評価に不安だったセアノとは対照的に、エレインは得意げだ。彼が作るパンが美味しくない訳がないとでも思っているのだろう。パン屋であるセアノとしては、店に出せるレベルかどうかが不安なのだろうが。
「本当だ、これは美味しい。この程好い甘みがいい。いくらでも食べられそうだ」
エクターまで絶賛している。
単に甘いパンであればその辺にも売っているが、それらとは明らかな違いを感じる。こういったところにセアノのパン屋としての腕や心が表れている。
「……やっと、実感が湧いてきたよ」
穏やかな時間、笑い合う人たちの顔をその目で見て、アルザードは事態が好転したのだとようやく実感できた。
妹と、その婚約者の表情に不安は見られない。きっと、つい先日まではこんな日が訪れるとは思っていなかっただろう。
《イクスキャリヴル》が開発されていることを知らない人々にとって、王都が襲撃された時のことは世界の終わりにも等しかったに違いない。絶望的な状況、未来は閉ざされ、滅ぼされるのを待つしかない、生き延びられたとしてもどんな生活が待っているか分からない、そんな非情な現実を突き付けられた瞬間だったはずだ。
だが、《イクスキャリヴル》はそれを打ち砕いて見せたのだ。
本来ならもっと早くに実戦に投入する計画だったのだろう。こういう事態に陥る前に、劣勢を覆すのが理想だったはずだ。
過ぎたことをとやかく言っても仕方がないことではある。
今回、アルザードが動かした《イクスキャリヴル》でさえ、エクターに言わせれば完成ではないのだ。作業が遅れたことで、《イクスキャリヴル》の性能から妥協点が減ったという見方も出来る。結果的に、ギリギリの状況にまでなってしまったが、求められた性能を発揮することはできた。
今重要なことは、国を救えたこと、繋ぐことが出来たという事実だ。
そして、これからアルフレイン王国が、三ヵ国連合がどう動くのか。
翌日、まだ僅かに痺れの残る体をおして、アルザードはエクターと共に王国議会の会議場に足を踏み入れた。
その場には既にアルフレイン王国を代表する首脳陣が席について待っていた。
騎士団に三人しかいない正騎士長たちの姿もある。
輪のように中央のあいた大きな円卓には、中心にある台座の元へ入れるよう一箇所だけ切れ目がある。その切れ目の反対側は一つだけ装飾のある席となっていて、そこだけまだ空席になっている。その席の奥の方には会議場への入り口ほど大きくはないが高貴さを感じさせる装飾が施された扉があった。
アルザードとエクターが会議場に入るのに一歩遅れて、奥にある扉が開いた。
円卓に座っていた者たちが一斉に立ち上がり、入って来た人物に対して敬礼を行う。
アルザードとエクターも例外ではなく、胸の前に握った右手を掲げ、腰の辺りで握った左手の親指と右拳の親指を合わせるような敬礼の動作をした。この動作は、騎士が眼前に掲げた剣を腰に携えた鞘に戻す動きを敬礼としたもので、簡易式の敬礼とは鞘に戻す動作を省略したものだ。
敬礼を受けながら扉から入ってきたのは、一人の男だった。
短く丁寧に切り揃えられた金髪に、金の装飾があしらわれた純白の衣装を纏った男は、ゆっくりと円卓へと進み出る。高貴さの滲み出る整った顔立ちは、穏やかでありながらも切れ味の鋭い刃物のようで、佇むだけで他を圧倒するようでさえある。
彼こそが、アルフレイン王国の現国王、アルトリウス・アル・アルフレインだ。第十三代国王ということで、アルフレイン十三世と呼ばれることもある。
「皆、揃っているようだな、楽にしてくれ、早速始めよう」
落ち着きがありながら、凛とした良く通る声で国王は会議場内を見渡して告げた。
それを聞いた首脳陣は一礼した後に席に腰を下ろす。アルザードとエクターもそれに倣って端の席に座った。
「まずは現状の確認を」
「は! 三ヵ国連合軍は前線基地を放棄、国境付近まで後退しこちらを警戒しているようです」
国王の言葉に、円卓に座るうちの一人が起立し、手にした書類を読み上げる。
三ヵ国それぞれが、アルフレイン王国の王都侵攻部隊を壊滅させられたことで、王国側からの反撃を警戒して後退したようだ。
アルフレイン王国としてはベルナリア防衛線を突破されたことで、反撃に転じるだけの戦力はない。どうにか捻出するとしても、まともに動かせるのは近衛部隊ぐらいしかないのが現状だ。
ベルナリアの生き残りや、可能な限りでの再編を急いではいるが、実用可能な部隊が編成されるまでにはまだしばらくかかる見込みだ。
三ヵ国側も、アルフレイン側の通常戦力が限界を超えていることは知っている。それでも尚、前線基地を放棄して後退したというのは《イクスキャリヴル》を警戒してのことだ。
敵からすれば、《イクスキャリヴル》は未知の存在だ。王都侵攻部隊を単機で、しかもほぼ無傷で全滅させた兵器ということで、それぞれの前線基地を攻撃されたらまず抵抗できないと考えたのだろう。
実際、《イクスキャリヴル》で攻め込めば前線基地の各個制圧など容易いことではある。整備が容易くはないであろうことは敵も予測しているだろうが、目立った損傷がないことからいつ襲撃されるか分からない脅威であることに変わりはない。
王都侵攻時のように、三ヵ国の戦力が終結しているわけでもない前線基地は、突如現れた《イクスキャリヴル》に対して不安要素しかない。そして同時に、三ヵ国それぞれが自国の前線基地を防衛しようと思えば、他の二国に増援要請をしなければならない。王都侵攻部隊を壊滅させられたそれぞれの国に、増援を出す余裕などなく、出したところで侵攻部隊ほどの規模に出来ないとなれば《イクスキャリヴル》に対抗などできるはずもない。
「尚、つい先ほどセギマの使者から内々の通達が届き、三ヵ国連合を離脱する旨と、停戦の申し入れがありました」
男はその言葉を最後に着席した。




