第十章 「繋いだ明日と」 1
第十章 「繋いだ明日と」 1
気が付くと、白い天井があった。
清潔な病室のベッドの上で、アルザードは目を覚ました。
「アル!」
声がした方へ目を向けると、ベッド脇に一人の女性がいる。
「マリア……?」
少し驚いて許婚の彼女の名を呼ぶ。
「アルが目を覚ましたわ! 先生を呼んできて!」
彼女は病室のドアから上半身を廊下に出して声を張り上げた。
相変わらず良く通る声だ。
体を起こそうとして、出来なかった。動かそうとすると、痺れているような感覚に襲われて上手く体を動かせない。全身の神経回路が捩れてしまったような錯覚に見舞われている。
やがて医師らしい男と、エクターが病室へやってきて診察をされた。
「命に別状はありません。恐らくは過剰な魔力の行使をし過ぎた反動でしょう」
医師の見立てでは、規格外の魔力適性を持つアルザードが、自身の許容限界を超える魔力消耗をした結果だろうとのことだった。
魔力の行使には精神疲労を伴う。通常ならば肉体疲労と似たような感覚で、気だるさや倦怠感、息切れといった症状が出て、それでも行使を続ければ限界を超えたところで意識を失う。意識を取り戻しても、体内の魔素や精神が十分に回復するまでは体を動かすのに気だるさを伴ったり抵抗や重さを感じたりする。
アルザードの場合、生来の規格外の魔力適性によってそういった感覚とは無縁に生きてきたこともあり、限界を超えて魔力を行使した際の反動も相応に大きいのではないかということのようだ。
「それもあるだろうが、痺れに関しては《イクスキャリヴル》も原因だろうね」
医師の診断結果も踏まえて、エクターが見解を述べる。
「《イクスキャリヴル》との感覚同調が想定以上に行われてしまった結果、機体から降りた後の肉体感覚がまだ搭乗中の状態から戻り切ってないってことだろう。機体に魔力を流していた感覚、機体を動かしていた時の感覚が抜け切っていないとも言えるかな」
《イクスキャリヴル》はただ動かすだけでも莫大な魔力を要求する。同時に、その拘り抜かれた材質と性能から、まるで自分の体以上に自由自在に動かせているような錯覚に陥るほど、感覚が機体に引っ張られることになった。
開発したエクターからすると予想以上に良く出来たと言えるわけだが、戦闘が終了して機体との魔力による接続が切れたアルザードの体は、《イクスキャリヴル》を動かしていた時の感覚からまだ元に戻っていないという、反動にも似た状態になってしまった。
「でも、分かる気がするよ」
《イクスキャリヴル》で戦っていた時のことを思い返せば、その説明にも納得がいく。
「今思い返してみれば、恐ろしさすら感じる」
何でも思い通りに壊せてしまえそうな、全能感、万能感、そんな気持ちが湧き上がってきていた。不思議な昂揚感があった。
思い描く通りに《イクスキャリヴル》は動き、思い描いた瞬間にその行動が既に実行されている。剣を振り、敵を斬ろうと思えばその時には既に斬り付けていて、跳ぼうと考えた時にはもう空中にいる。下手をすると自分の体を動かすよりも早く、《イクスキャリヴル》は動いていたのではないかとさえ思うほどだった。
同時に、機体から返ってくるあらゆるフィードバックが生身のそれに近かった。走れば装甲表面にぶつかる風の流れを感じ、足の裏には設置している地面の存在を感じ、各部に自重がかかっていることも分かる。何かを掴めば、手のひらには掴んでいる感触があるように感じられた。生身の、ヒルトを握っているという感覚も確かにあるのに、だ。
三ヵ国の軍勢と戦っている途中からは、バイザースクリーンに映る視界がまるで自分の目線にすら感じられていた。操縦席のスクリーンパネルの光景や、自分の両手がヒルトを掴んでいるのも見えているのに、アルザードが《イクスキャリヴル》になったかのような気さえしていた。
冷静に思い返してみれば、これは恐ろしいことなのではないだろうか。
「そうだ、あの後どうなったんだ?」
はっとして、エクターに問う。
あまりにも敵が多過ぎたことと、高揚していたことで最後の方は記憶が曖昧だった。全滅させたと思った瞬間に、眠りに落ちるように意識がなくなった。
「敵軍は全滅。歩兵部隊などの侵入も近衛やこちらの歩兵たちで防げた。完勝と言っていい」
エクターは満足そうに笑みを深めた。
それは名実共に、《イクスキャリヴル》によって状況が覆されたことを意味する。
「君は最後の一機を仕留めると同時に意識を失い、《イクスキャリヴル》も稼動限界を迎えて機能を停止。操縦席から運び出された君は丸一日眠っていた」
「丸一日……」
つまり、あの戦いから二日経っている。
「痺れが抜けるには、もう一日か二日はかかるんじゃないかな。この反動は正直、予想外だったけれど」
「反動をなくすことは?」
アルザードよりも先にマリアが問う。
「あまり現実的ではないかな。性能を抑えるか、稼働時間を抑えるか、ぐらいしか案が浮かばない」
エクターは腕を組んで唸りながら答えた。
《イクスキャリヴル》に求められていることを考えれば、性能を抑えるというのは論外だ。稼働時間を抑える、というのも状況次第なところがある。元々《イクスキャリヴル》は設計の段階から莫大な出力を得るために消耗も相応のものになっており、炉心への高濃度エーテルの充填を繰り返すことで稼働時間を無理矢理延ばしているほどだ。
先の戦闘を取っても、敵の数に対して経過した時間は恐ろしいほどに短いのである。
運用する側としては稼働時間の延長を考えることはあっても、短縮することは視野に入れられないだろう。反動をなくすことが性能とトレードオフになってしまうのであれば、《イクスキャリヴル》の設計思想とは相反してしまう。
「ともあれ現状については一通り説明しておかないといけないね」
エクターは脇にあった椅子をベッドの近くに寄せて腰を下ろすと、改めて語り始めた。
「まず最初に、アルフレイン王国は首の皮一枚で繋がった。君の活躍のお陰で敵の主力はほぼ壊滅。三ヵ国それぞれにまだ戦力はあるだろうが、先の戦闘により混乱している。暫くは《イクスキャリヴル》の存在が抑止力にもなるだろう」
王都を陥落させるために展開していた部隊は、三ヵ国連合の主力と言っていい規模のものだった。王都の制圧と、その後の利権のためにもそれぞれが残る戦力の半数以上を展開させていたはずだ。
アルザードが《イクスキャリヴル》で魔動機兵の相手を一手に引き受けたことで、近衛や王都にいる歩兵の騎士たちは、敵の歩兵や諜報員といった生身の部隊が王都に侵入するのを防ぐことに集中できた。
結果的に、王都は完全な形で守られ、奇襲を受けて戦闘となった西部の被害だけで済んだとのこと。
突如として現れた規格外の魔動機兵《イクスキャリヴル》の存在は、三ヵ国だけでなく世界中に衝撃を広げている最中だと言う。
単機で状況を覆して見せたその様はアルフレイン王国の民からすればまさに救世主的なもので、王都では昨日からその話題で持ちきりらしい。
「英雄の再来、白銀の救世主、虹の騎士、なんて言われているのよ」
どこか誇らしげに、マリアが笑う。
「さすがにそこまで言われるとむず痒いな……」
それを為したアルザードは反動のせいで身動きが取れずベッドで寝ている、というのはなんとも格好が付かないものだが。
とはいえ、これまで窮地に立たされ絶望感に包まれていたであろう国民たちに明るさが戻ったのは喜ばしいことだ。アルフレイン王国としても、この雰囲気は壊したくないものだろう。
「とはいえ戦争はまだ終わったわけじゃない。依然として厳しい状況にあるのは変わらないし、三ヵ国連合がこれからどう出るかでもまた色々と変わってくる」
王都の陥落という最悪の事態は免れたとは言え、アルフレイン王国が劣勢であることに変わりはない。ベルナリア防衛線が突破されたことで、防衛戦力は大きく低下したままであり、人員や資源が回復したわけでもない。
エクターが言うように、トドメを刺されるという事態を回避したに過ぎない。勿論、《イクスキャリヴル》の投入により三国の戦力は大きく削がれただろうが、それもあくまで侵攻に割いていた戦力、というのが実際のところだ。これまでと同等の規模で侵攻されることは無いにしても、三国に致命的な痛手を負わせたとまでは考えない方が良い。
「《イクスキャリヴル》は?」
「全面的にオーバーホールしているところだね。先の戦闘で得られたデータは調整に活用するとして、消耗や破損したものの中には作り直しが必要なものもある。ライフルに関しては構造そのものを見直さないといけないしね」
アルザードの疑問に、エクターは答えた。
戦闘後に回収された《イクスキャリヴル》は今、エクターの基地に戻され修理と整備が進められているようだ。特注部品でしか構成されていない機体だけあって、その作業も言うほど楽なものではないだろう。
「で、それにも関連して明日開かれる会議には君にも出頭してもらわなければならないわけだけど……」
エクターは言って、ベッドに横たわるアルザードを見る。
これから一日でどれほど反動が抜けるのか分からない。最悪、誰かの補助付きで出席することになりそうだ。
と、病室の外から誰かが走ってくる音が聞こえ、ドアが勢いよく開いた。
「お兄様が目を覚ましたと聞きました!」
室内に飛び込んできたのは、アルザードの妹エレイン・ルゥ・ラグナだった。
ほんのりと紫がかった銀髪に、菫色の瞳をした若い女性だ。体付きは細めだが、メリハリのあるスタイルをしている。身長は年齢を考えると平均よりもやや低いだろうか。童顔ではあるが、きりっとしているところもあり、顔立ちはどこかアルザードと似ている。
「そんなに走って騒がしくしては怒られてしまうよエレイン」
やや遅れて、窘めるような言葉と共に、若い青年が姿を見せた。




