第九章 「白銀の騎士」 3
第九章 「白銀の騎士」 3
装飾は少ないが品の良いドレスを身に着けた女性だ。蜂蜜のような美しい金の髪、白く透き通るような肌、整った目鼻立ち。
マリア・フィル・ネヴィア。
アルザードの許婚だ。その側には侍従長でもある初老の男性の姿もある。
「――!」
刹那、視線を感じた。いや、敵意、殺気と言った方が正しいか。
反射的に盾を装備している左腕で頭と体を庇う。
直後、盾の上で銃弾が跳ねた。反応が一瞬遅かったなら、胴体か頭に直撃していただろう。
すぐさま攻撃の意思を感じた方向に視線を向ければ、王都の外、北西部に面した山の中腹辺りに魔動機兵の姿があった。《イクスキャリヴル》の頭部センサーがアルザードの意思と魔力を汲み取って、拡大表示してくれている。
そこにいたのは、《ダンシングラビット》と渾名される魔動機兵だった。ベースは《ノルス》の改良機《ノルムキス》だろう。頭部に追加された兎の耳のようなセンサーアンテナと、更に軽量化を施しつつ、遠距離からの狙撃に特化させた機体だ。
王都の西、かなり外周に近いところまで来ているとはいえ、北西外周に面している山の中腹、《ダンシングラビット》のいる場所からこの屋敷の前まではかなり距離がある。狙撃よりも放物線を描いて着弾させ範囲面制圧を行う砲撃の方が有用だと思えるような距離だ。
恐らく、魔動機兵としては最大距離の狙撃だろう。特注品の狙撃銃と、《ダンシングラビット》に搭載されたセンサー類、操縦者の類稀なるセンスがあってこそ成立するものだ。
本来なら、あの場所から《ノルス》と交戦中の《アルフ・カイン》らを狙撃して一機ずつ着実に仕留めていこうとしていたのだろう。
それが《イクスキャリヴル》を見て、脅威だと判断したか。
アルザードは足元に組み伏せた《ノルス》から千切れて転がっていた腕を拾い上げると、それを振り被り、《ダンシングラビット》目掛けて思い切り投げた。
望遠で見ていた《ダンシングラビット》のいた場所へ、寸分違わず《ノルス》の腕が突き刺さる。《ダンシングラビット》は腕が投げられたのを見てとるとすぐさまその場から飛び退いていたが、突き刺さった腕を見るや否や山の木々の中へと姿を消した。
気配、のようなものが王都から離れていくのを感じ取って、撤退を始めたのだと判断する。些かその判断を下すのが早過ぎるような気もするが、こちらとしては厄介な敵が減るのであればそれに越したことはない。
視線を屋敷に戻せば、マリアはこちらを見つめたままだった。
驚愕に染まっていた表情が穏やかなものに変わったかと思えば、その高貴そうな顔立ちからは意外なほどに人懐っこい勝気な笑顔を浮かべ、拳を握った右腕を突き出して見せる。
まるで背中を押すかのように。
「ああ、分かってる」
それに《イクスキャリヴル》で頷いて見せて、アルザードは屋敷に背を向けて走り出した。
まだ敵はいる。安心していい状況ではない。
街路の真ん中で、盾を構えて銃撃を受け止めている近衛がいた。向かい合う《ノルス》は挑発的に銃弾をばら撒き、それが家屋に当たらないように庇っている。
その横合いから、別の《ノルス》が近付いていく。
《イクスキャリヴル》は近衛の《アルフ・カイン》の背後を駆け抜けて、接近してきていた《ノルス》にシールドを振り下ろす。突然現れた《イクスキャリヴル》に反応する間もなく、《ノルス》は叩き伏せられた。頭部が押し潰されるように胸部へと減り込み、その場にくず折れる。
機能停止したのを見て取るとすぐさま反転し、《アルフ・カイン》を跳び越えて銃撃している《ノルス》を蹴り飛ばす。
襟元から頭部が弾け飛び、仰向けに転倒した《ノルス》の胴体を踏み潰す。
「……その機体、まさか、アル?」
「ラウ……?」
背後にいた《アルフ・カイン》から憶えのある声がした。
「王都に戻ってきていたのか」
「ベルナリア陥落の少し前にな……運が良いのか悪いのか複雑だよ」
ラウスの声には苦味が滲んでいるようだった。
ベルナリア防衛線が突破される少し前に、補充人員が回されたことで王都に帰還したのだ。ラウスとしては、自分もその時戦えていたら、という気持ちと、自分一人いた程度で何かが変わるとは思えない、という現実的な考えの板挟みになっているのだろう。
「俺はラウが生きていてくれたことは、嬉しいよ」
「……ああ、そうだな」
慰めになるかは分からないが、本心ではある。
「それより、その機体は……?」
「俺が呼び戻された理由、だよ」
目の前で異常とも言える性能の片鱗は見えていただろう。
「それよりも今の状況は?」
「侵入してきた《ノルス》の数はそう多くない。部隊としては一つか二つ程度の規模だろう」
アルザードの言葉に、ラウスは頭を切り替えて答えてくれた。
敵の反応を追って街路を移動しながら、情報を共有する。既に襲撃してきた部隊は半壊しており、指揮官がいなくなったのか連携も取れていない様子だと言う。
近衛だけでも殲滅するのは時間の問題だろう。厄介なのは、都市部を盾にしたりいたずらに被害を広げたりしようとするその戦い方で、迂闊に銃を使えない近衛側は攻めるのに手間取っていることだった。
「一応、うちの基地からも増援は出してはいるが、あまり期待はしないでくれ」
エクターが通信に口を挟み、軽く説明をした。
ギルバートらが実戦経験のない新兵であることを差し引いても、近衛について行ける技量は無いだろう。
「街を守る盾が増えるだけでも今はありがたいよ」
ラウスはそう答えたが、果たしてギルバート達が到着するまで戦闘が続いているかどうか。
アルザードは会話の最中も《イクスキャリヴル》を走らせ、目に付いた《ノルス》を撃破して行った。
およそ武器と呼べるようなものを使わずに、《ノルス》を赤子の手を捻るように叩き潰して行く。思い通りに動くだけでなく、狙い通りに四肢が動く。速度も、角度も、自由自在に感じられるほどだった。
今のところ、ただ一発の被弾さえない。唯一、《ダンシングラビット》の狙撃を盾で防いだだけだ。
近衛と戦闘しているところを不意打ちに近い形で急襲していることと、ほぼ一撃で《ノルス》が戦闘不能になっていることが大きい。市街地での戦闘と、指揮官不在ということで敵が分散しているのもそれに拍車をかける。
気付けば、侵入してきた《ノルス》の数はもう二つ程度になっていた。
「アルザード、本隊が到着したようだ。東に集結して陣形を整え始めている」
通信から聞こえるエクターの声に、さほど変化はない。
「ここはもう我らでも十分だ。行ってくれ」
近くにいた《アルフ・カイン》からの通信だった。
表示された識別には、近衛の指揮官機であることを示す名が記されていた。
「この国を守ってくれ、白銀の騎士よ」
「……はい、必ず」
短く答え、踵を返した。
西から東へと一直線に抜ける大通りへと出て、《イクスキャリヴル》を走らせる。
「そういえば、君の許婚は西区に住んでいたんだったね」
「少し安心した」
エクターの言葉に、アルザードは本音で答えた。
妹から避難できなかったという手紙を受け取った時点で、予想はしていた。マリアも自分だけ先に避難するような性格はしていない。
妹の方は無事だろうか。
「何かあったら君の精神状態にも影響は出るだろうし、無事が確認できたのは良いことだ。狙撃を防いだのも見事だったよ」
「それについてなんだが、どうにも、気配のようなものを感じ取れるようになっている気がしてならない」
移動しながら、アルザードはエクターにこれまで感じていた不思議な感覚について言及した。
走ったり、跳んだりした時も薄々感じていたが、敵と接触した際の感触も今まで魔動機兵を操縦していて抱いたことのないものだ。
まるで、自分の肉体感覚が《イクスキャリヴル》と一体化しているかのように思えるのだ。操縦席にいる自分の肉体はしっかりとそこにあり、ちゃんと動かすこともできれば感覚もある。だが、《イクスキャリヴル》を操り、《イクスキャリヴル》が触れたりしたものを、操縦席にいるアルザードは我が事のように感じられているような気がするのだ。
《ノルス》を組み伏せた時にも、ヒルトを握る手のひらに頭部を掴んでいる錯覚のようなものがあった。ヒルトを掴んでいるという感触があるのに加えて、だ。
「ふむ……考えられるのは、周囲の魔力を感じ取っている、というところだろうか」
エクターは一瞬考えるように黙り込んだ後、そんな推論を口にした。




