第七章 「実験と進展」 2
第七章 「実験と進展」 2
ベルナリア防衛線にいた頃にアルザードが乗っていた《アルフ・セル》のことを考えれば、ここまで魔力伝導率が高い調整というのはむしろ不安になってしまう。
ただでさえ、新型の動力部は既存のプリズマドライブを遥かに凌ぐ出力を発揮するのだ。いくらミスリルを大量に使っているとはいえ、本当に大丈夫なのだろうか。
「君には信じられないかもしれないが、ここにいる者の中にその腕をまともに動かせるものはいないんだ」
エクターの言葉に耳を疑った。
「こんなに軽いのに?」
思わず、そう聞き返してしまった。
「ミスリルを思い切り使ったことでね、言ってみれば、閾値がマイナスに振り切っているんだよ。ただ動かすだけならまだしも、武器を持ったり、敵の攻撃を受け止めたり、そういった力を込めたり踏ん張ったり、っていう部分で最低限必要な性能が発揮できないのさ。その上、機体に振り回されて魔力を吸われているかのように疲労や消耗も激しいとくる」
エクターの説明を聞いて、思わずアルザードは掲げられた新型の右腕に目を向けた。
動かすことはできても力が入らないらしい。十分以上に魔力を行き渡らせることができなければ、ミスリルという素材は性能を発揮できないのだそうだ。そして、その性能を発揮するだけの魔力が足りない者はただ動かすだけでも通常以上の疲労感に襲われるのだという。
従来の魔動機兵に比べて、一回りは大きな機体になることが予想される新型は、使われるミスリルの量と質とそのサイズの関係で全身を十分に動かすための魔力も膨大なものになっているのだろう。
実際に試験に関わるに連れて、新型機がどれほど常識破りの存在なのか実感していくようだった。
「よし、では次はもう少し力を込めて――」
エクターが言い終わらないうちに、アルザードは右手に違和感を抱いていた。
それはほんの僅かな綻びのような、手のひらの薄皮に小さな針が刺さったような感触が一瞬だけ走った。
僅かに眉根が寄り、込めていた力の加減が微かに崩れる。
上げていた新型の腕が下ろされるのと同時に、プリズマドライブが異音を発したのが分かった。
「エクター!」
アルザードは声を上げ、ヒルトから手を離した。直感的に、危険だと悟った。
それでも、プリズマドライブは止まらない。送り込まれ、ドライブ内で蓄積、増幅された分の出力が終わっていないのだ。
痙攣したように新型の指先はでたらめに動き、大きく振り回すように腕が動く。上に持ち上げられてから、外回りに前方を薙ぎ払うように。
その勢いに台座はバランスを崩し、計器の機材が置かれていた方へと機体が倒れる。
咄嗟に、アルザードは倒れようとしている《アルフ・ベル》の操縦席から飛び出していた。計器類の前にいるエクターと、その背後にいたヴィヴィアン目掛けて、両手を大きく伸ばして飛び付くようにして。
「ひっ……!」
ヴィヴィアンの引きつった悲鳴とも呼吸ともつかない声が聞こえた。
エクターはアルザードの声に一瞬だけ目を見開いたように見えたが、それでも計器類からは最後まで目を逸らさなかった。
アルザードが両腕でエクターとヴィヴィアンを抱えるようにして押し倒す形になったその後ろで、計器類が倒れた新型の腕に潰されていた。
金属が拉げる音と共に破片が飛び散る。
もしもアルザードが飛び出していなかったら、エクターも一緒に潰されていたかもしれない。
「……ありがとう、助かったよアルザード」
いつもと変わらないように見える平然とした口調だったが、ほんの僅かにエクターの目は細められていたのをアルザードは見逃さなかった。
身を起こして振り返ってみれば、実験用《アルフ・ベル》は機能停止して動かなくなっていた。その肩から繋がっている新型の右腕も、機材を薙ぎ払い押し潰した形のまま動かなくなっている。
エクターは立ち上がり、散らばった破片を避けながら破壊された機材の前に立つ。
「なるほど、強度は十分あるようだ」
腰を抜かし、言葉を失っている作業員たちをよそに、エクターは破壊された機材から新型の腕へと目を向け、手で触れ、状況を調べ始めた。その姿はいつものエクターだ。
「ヴィヴィアン、大丈夫か?」
ふと、倒れたままのヴィヴィアンを見れば、苦悶の表情を浮かべている。
「え、ええ……腕を少し痛めたぐらいで」
アルザードやエクターと共に倒れ込んだ際、近くの機材の角にぶつけたようで、右の二の腕を押さえている。
「折れてはいないと思います……」
それでも右腕を動かすのは辛そうだ。
アルザードがヴィヴィアンを助け起こす後ろで、エクターはぶつぶつと独り言を呟きながら、エクターは倒れた実験機を調べていく。
「不完全な魔力供給でこれなら……」
呆然としていた作業員たちもようやく我を取り戻し、瓦礫の撤去などを始める。
「見たまえ、これだけのことがありながら、新型の腕には傷一つ付いていない」
あらかた確認を終えたらしいエクターが戻ってきて、計器類を押し潰して動かなくなっている新型の右手を見るよう促した。
「まさか、無傷……?」
さすがに耳を疑った。
アルザードも瓦礫や破片に気をつけながら計器類のあった場所へと歩み寄り、新型の右手へと目を向ける。魔動機兵の装甲に比べたら計測用の機材など脆いものだが、それでも破片や角が相応の速度でぶつかれば装甲に傷ぐらい付けられる。装甲を貫通したり、極端に折れたりといった戦闘に支障が出るほどの傷は付けられないとしても表面を浅く削るぐらいの傷は付くものだ。
だが、見てみれば確かに新型機の右手には傷がない。
装甲材が用いられておらず、内部回路と基礎フレームだけの、言わば骨組みだけに近い状態であるにも関わらず。
「原理的には内部フレームも装甲素材と遜色ないミスリル製だからだろうが、今回の実験でここまでの硬度が発揮されたのであれば期待もできると言うものだろう?」
エクターは新型の指先に手で振れ、満足そうに笑う。
今回の実験では、既存のプリズマドライブを使って右腕に魔力を通した。それは、本来の新型機を満足に動かすため要求される魔力量を大幅に下回っていることを意味する。
騎手であるアルザードの魔力量が桁外れだとしても、プリズマドライブを壊さずに加減していたのだから、流した魔力は決して多いものではない。
「あの時、君が瞬間的に魔力を強めたとしても、それは《アルフ・ベル》のプリズマドライブで発揮できるレベルのものだ」
腕が制御できなくなり倒れる直前、確かにアルザードはそれまでの加減のバランスを崩された。手のひらに返って来た僅かな違和感に、一瞬だがそれまでよりも力を込めてしまったように思う。
だとしても、それで出力されるのは《アルフ・ベル》のプリズマドライブで出力できるだけのものだ。それ以上の魔力量になれば、右腕に出力される前にプリズマドライブが破壊される。
「プリズマドライブは?」
「一応は破損していない。結晶は急激に劣化して曇っていたがね」
アルザードの問いに、エクターは倒れこんでいる《アルフ・ベル》の胴体部分に目を向けた。
プリズマ結晶は破損しなかったようだが、急激な魔素消耗により劣化し、曇りが発生していたようだ。傷がないのであればまだ再利用できる。
「凄いですね、新型……」
右腕を押さえながら、ヴィヴィアンが新型機の腕を見つめる。
エクターの想定している本来の魔力量が流れたら、どれほどの力が発揮されるのだろう。
「ひとまず、今日の実験はここまでだね」
瓦礫を片付け始めていた作業員たちを集め、エクターはそれぞれに指示を出し始めた。
実験用《アルフ・ベル》の胴体部から新型の右腕を取り外し、劣化したプリズマドライブの魔素補給、壊れた機材や台座などの撤去と片付け、取り外した後の右腕の入念な点検と、翌日行う稼動試験のための準備をするよう指示を飛ばしていく。
「というわけで明日は脚部の稼動試験をする。僕は今回の実験で得られたデータを基に腕部の調整のための再計算をさせてもらうよ」
「データって、機材は壊れて……」
エクターの言葉に、ヴィヴィアンが驚いたように呟く。
「ああ、言ってなかったかな。僕は一度見たものは忘れない体質でね」
薄っすらと笑みを浮かべて、エクターは言った。
最後まで目を逸らさずに計器を見ていたのも、そこに表示されていたデータを目に焼き付けるためだったのだ。
「危ういところであったのは間違いないし、今夜はしっかりと休んでおいてくれよ」
すれ違い様に、エクターはアルザードの肩を二度叩いてそう告げた。
「……ああ、分かった」
答えるアルザードの目を見て一つ頷き、エクターは格納庫を後にする。
その背中を見送ってから、アルザードは指示された作業を進める者たちを振り返り、取り外されようとしている新型の腕を見る。
事故、と呼べるのかは分からない。幸い、新型の右腕が従来の魔動機兵よりも大きかったことで、作業員たちは十分に距離を取っていたため、人的被害はなかった。いくつかの機材が使い物にならなくなっただけだ。
エクターの態度から察するに、機材は予備がまだいくつかあるのだろう。何せ、前代未聞の新型機の開発なのだ。データ収集のための実験も毎回上手く行くとは限らない。もしかすると、アルザードがここに転属してくるまでにはもっと大きな事故だってあったかもしれない。
慎重に取り外し作業が行われている新型の右腕は、流された魔力がまだ残っているのか少しだけ周囲の景色から浮いて見えた。
その日の夜遅く。
作業員たちも寝静まり明かりの落とされた格納庫で音と気配を消して動く人影があった。人影は周囲を警戒しながら、格納庫の中央へと進む。
そこには、昼間に実験を行ったのとは別の《アルフ・ベル》の胴体ブロックに、無理矢理新型の右脚を繋げたものがあった。アンバランスな左脚は台座の上にあり、新型の右脚と高さを合わせている。
夜が明けた後、試験を行うためのものだ。
人影は実験機の前で一度足を止め、それから背後へと回り込む。
そして息を呑んだ。
「……こんな時間に、何しに来たんだ?」
新型の右足に背中を預けるようにして、アルザードは座り込んでいた。
目を閉じ、気配を消して、アルザードはここで何者かが来るのを待っていたのだ。
「どうして……」
人影が小さく呟く。驚いているようだ。
「なぁ、ヴィヴィアン?」
鋭く開かれた目が、人影を射抜く。




