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魔の眼  作者: 安西市民
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一章 開眼

 彼の名前は恒藤悠介。都内の高校に通う17歳である。中学生までの恒藤は何事にも積極的で、どんな些細なことにも熱意を表した。スポーツや学問、芸能から政治まで、好奇心の赴くままに全てを知ろうとした。公立の中学では学業の成績は優秀で、テニスの部活で関東大会にも出場したことすらあった。そして素行も悪くなく、近所の人にさえきちんと礼儀正しく挨拶も交わすような、いわば世間から見て、出来のいい子に他ならなかったのだ。


 が、しかし、その情熱はあるときを境に突如として燃え尽きてしまった。

 何が恒藤を堕落させたのか? これに関してはよくわからないと言い切ってしまうのがわかりやすいだろう。理由は常に複合的である。価値観の変化と言い切ってしまえば早いのだが、様々な事柄について学ぶにつれて自分の小ささに気付いたこともあっただろうし、友人関係のトラブルや失恋、もしくは季節の移り変わりによる気分の変化でさえ、彼の心境に影響を及ぼしたかもしれない。心境が変わってからは、彼自身、自分が所謂出来のいい子だったということなどすっかりと忘れてしまっただろう。今では彼はどこか心の奥底で鬱憤を抱え込み、それでいて普段はそれを表には出さず、日々何かが動くのをじっと待っていながら生活をしつづけているのである、そんな毎日を送っていた。


 午後のチャイムが鳴り響き、答案が回収されると、二学期の中間試験が終わった。それを引き金にして生徒たちは試験の緊迫感から解放され、教室は瞬く間に賑やかになった。徹夜でストレスを溜めていた恒藤も、その賑やかさに同期して瞬く間に安堵した。


「60点取れれば上出来かなぁ」

  隣の席の田邊達夫が恒藤に話しかけるように言った。

「俺、まさかベルヌーイ試行のところが出るなんて想定していなかったわ。恒藤は解けた?」

「まあね」

 と恒藤は短く返答した。

 田邊はちらりと恒藤の問題用紙の途中計算を一瞥した。びっしりと丁寧に計算結果が書かれている。

「すげえな、流石だわ」

 恒藤は多少照れた。

「それより田邊、今日部活あんの?」

「今日はない」

「じゃ、渋谷寄って帰ろうか」

「お! いいねえ!」


 20分もかからず二人は渋谷に着いた。目的はもちろん数分歩いたところにあるゲームセンターだった。二人ともゲームセンターが好きというわけではなく、むしろ軽蔑さえ感じていたわけだが、音ゲーだけは別だった。渋谷一号店に二人が共通して好むゲームの最新機種が設置される予定になっていたのだが、試験のこともあり暫く行けてなかったのだった。このゲームに関して、高校入学以来、二人はしばしば渋谷で降りてよく遊んだりした。恒藤も田邊も金を使い過ぎることもなく、節度を保ちながら数回プレイし、そのあとで街を散歩などしながら話をして帰るのが大体の過ごし方だった。それが何度も続いてからは、もはや習慣になったのだった。

 ゲームセンターは思いのほか混んでいた。ただでさえ混み合う渋谷だが、平日の午後にゲームセンターが通路を移動するのも難しいほど混んでいたのは意外だった。狭い通路の途中で前の人混みにつっかえた二人は、暫く文句を溢しあっていたが、田邊が急に思い出したように、

「そうか、今日はアレがあったか」

 と、にやけながら言った。

「なんだ、アレって」

「アレだよ」

「なんだよ」

「コギツネちゃんの握手会」

 あっ、と恒藤は声を出した。

「新しく設置された機種のゲームの声優が握手会に来るんだっけ」

「俺も忘れてたわ」

「おかげさまで一回もプレイ出来ないだろうな」

 恒藤は文句を垂れて残念そうに近くのUFOキャッチャーの中を覗いた。ぬいぐるみが山のように積み上がっている。

「せっかくだし握手会に参加しよう。コギちゃんメッチャ可愛いし」

 田邊は握手会に参加する気が満々らしい。恒藤は最近の事情はよく知らなかったが、コギちゃんとは最近デビューを果たしてから爆発的な人気が出ている声優、松下コギツネだった。今回のゲームのアーケード版のヒロインの声に抜擢されてからは、ますます有名になった。

「悪いけど、一人で行ってきてくれ。俺はパスだ。昨日寝てなくてね」

 恒藤は依然としてぬいぐるみを眺めながら言った。

「わかった」

田邊は恒藤の言葉通り、握手会の方へ行ってしまった。田邊も最近の恒藤の心境の変化に薄々気付いており、こういう時は放っておくのがいいのだと知っていた。恒藤の友人の何人かは鈍感だったが、ごく近くで高校生活を送ってきた田邊を含む数人は恒藤に気を遣っていたのだった。


 残された恒藤は一人立ち尽くしていた。特に何かをする訳でもなく、昨日の夜のようにただ虚空を眺めていた。大きい音を鳴らすゲーム機たちに囲まれながらも、自分の世界に入っていくと、だんだんと音が何も聞こえなる。視界に入ってくるものさえ対象が認識出来なくなり、ただの景色と成りかわる。人も、物も、このぬいぐるみも…… このぬいぐるみ? ふと、恒藤はUFOキャッチャーの中のぬいぐるみの一つと目があった。小さい頃に見ていたアニメのヒロインのキャラクターだった。特にこれといって思い入れもなければ、好きでもない。が、何故か視界に入ってきたのである。恒藤は不思議に思いもう一度それを凝視した。すると、そのぬいぐるみの腕が少し動いたかと思うと、ぐらりとバランスを崩して取り出し口の穴に落ちた。一瞬の出来事すぎて、呆気に取られてしまった。恒藤は徐に取り出し口を開けてその人形を取り出した。変哲の無いただのぬいぐるみだ。恒藤は手の中でその人形を回して見て、ぬいぐるみの隅々を確認したが、やはり何の仕掛けもない。元あった場所も再度見たが、何もおかしなところはない。


 今のは何だったんだ…… そう思っていると、田邊が戻ってきた。

「いやぁ、生でコギちゃん見てきてしまった。ヤバイね。めっちゃ可愛いね。でも握手会は朝配ってた整理券に並ばないといけんかったらしいから諦めたわ。惜しかったなぁ。お、UFOキャッチャーやってたの?」

 恒藤の手に握られたぬいぐるみを見て、田邊が訊ねた。

「いや、勝手に落ちてきた」

「運がいいな。でもそれいるか?」

 田邊は笑いながらぬいぐるみを指差した。

「いらない。やろうか?」

「俺もいらんって。捨てちまうか?」

「捨てるくらいなら一応持って帰って親戚の子にでもあげることにする」


 二人はゲームセンターを後にしていつものように話しながら帰った。田邊の話は松下コギツネの話ばかりだった。田邊もコギツネに詳しい訳ではないのだが、先ほど一目でファンになったらしい。写真で見るのと直接見るのとでは全然違うとのこと。恒藤は最近は芸能事情には全くの興味を失っていたから、どうでもいいかな、と話を聞きながら思った。

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