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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第一章 孤独を愛したはずの男について -オオノ-
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6.少年を保護する

 朝特有の清廉な空気が音もなく草花を揺らしている。その中を俺達は焼却場に向かって歩いていく。ぬらりと天空に伸びる一本の煙突が目印だ。ここから煙が出る時間帯は付近一帯にペンキの比ではない悪臭がたちこめるが、今の時間帯は炉が稼働していないため、辺りには疑似とはいえ穏やかな雰囲気が漂っている。だがすべては偽りだ。


 台車がぎこぎこと鳴る音は子供の笑い声に似ている。子供の笑顔こそ平和の象徴だろう。だが台車に横たわる子供は笑いも泣きもしない。生前もそういう平坦な子供だった。


 一本道の先、研究棟の真新しい外観が朝日によって白く輝いている。首を向ければ、俺達の住む棟も絵画的に見えなくもなかった。広大な敷地内に立ち並ぶ十の棟は廃工場を改築したものらしく整然としており、遠く向こうにそびえる壁さえ見えなければここは美しい住まいだった。


 途中、一人台車を曳いていたナルセが突然その足を止めた。そのせいで後ろを歩いていた俺はつんのめってしまい、角ばった部分でしたたかに脛を打った。


「うおっ、いってえ! 危ないだろう! 急に止まるな!」

「……聞こえる」

「はあ? 何が」

「泣き声」

「泣き声?」

「ああ。……あっちだ!」


 言うや、ぱっと駆けだしたナルセは、草原の中、まるで野兎のようだった。これまで俺の見てきたナルセはどちらかというと愚鈍で、そんなふうに俊敏に動ける男ではなかった。だから俺は束の間放心してしまい、数秒後、あわてて後を追いかけるはめになった。もちろんナルセに代わって台車を曳きながら。荷台の上でソウの体が激しく揺れる感触はあったが、かまっていられない。もう死んでいるのだ、少しくらい傷ついてもゆるしてくれるだろう。


 ナルセはすぐそばのF棟の裏にするりと入り込んでいった。


「おい待てって! おい!」


 追いつくと、そこにはソウと同い年くらいの子供がいた。膝を抱え地面に座りこみ泣いている。泣き声のあまりのか細さに、俺はこんな時だというのにナルセの耳の良さに内心驚嘆した。とはいえ、こんなふうに勝手な行動をとるのはひどく危険なことで、なおかつこの子供は見るからに危険だった。つまり、見るからにこいつは『脱走者』だったのだ。めったにいないがごくまれにいるのだ、怖気づいてあの一本道を歩めなくなる者が。


「どうしたんだい?」


 地面に膝をつき目線を合わせて問うたナルセに、子供はやや顔を上げ震える声で言った。


「今日、起きたら……」

「起きたら?」

「あ、あそこに行けって言われて」


 おぼつかない動きで指し示された方向は、やはり、まごうことなき研究棟だった。


 アルファ系は被験者を選定すると、必ず「あそこに行け」と、守衛伝手にそれだけを命じてくる。自分の足で行け、と。連行するようなことはしない。


 俺達はそれにただ従うだけだ。もちろん、泣いたり悲嘆にくれたり、そういうことはある。だが怒ったり抵抗したりはしない。それが俺達デルタ系人種の運命であり義務であるからだ。少なくともここに住む俺達は皆そう思っている。目的は違えど、同じ思想で外の社会も成り立っているし、たとえ反発したところで拒否することも回避することもできないことは全員が理解していた。


 たまの例外はこういう子供だ。子供は社会の理を知らないし聞いても理解できない。あそこに行け、それすなわち、いいように体をいじられて死ぬという通告でしかないのだ。


 嫌なことを嫌と言うそのあどけなさ。


 それに俺は少し感心し、それ以上にいらついた。


「あのさあ。お前が行かないとお前の組の奴らが連帯責任をとらされるんだぞ。分かってるのか?」


 言い切った刹那、俺は自分の発言が我が身をより危険にさらしたことを悟った。子供が声を上げて泣き始めたのだ。遠慮など一切ない。まだ朝も早いが、通りかかった守衛に聞き咎められ、子供の内情が露見すれば、俺やナルセにも被害が及ぶ可能性がある。


「すまんすまん。泣くのはやめてくれないか」


 焦りを押し殺しできるかぎり優しい口調で言ってみたものの、もはやまったく効果はなく、子供は泣くばかりだった。観念し、俺は同意を得るためにナルセを見た。いつまでもここにいるわけにはいかない。ここは見過ごして一刻も早く立ち去るべきだ、と。


 ナルセと俺の目がかち合った。


 意図は確実に通じていた。


 だがナルセは俺の考えとは真逆の行動を起こした。しゃがみ、この泣きじゃくる子供を抱きしめたのだ。そして俺に背を向けたままこう言った。


「ソウとこの子を入れ替えよう」

「……は?」


 突然の提案はまさに青天の霹靂というやつだ。開いた口がふさがらないというのも、驚きがすぎると本当に起こることなのだと身を持って知った。


「この子は今からソウだ。そしてソウは……君、名前は?」

「ジ、ジウ」

「ジウか。うん、ソウは今からジウだ。そしてジウはさっき運悪く死んでしまった、そういうことにしよう」


 簡単なことのように言ってのけるナルセに、俺は束の間唖然とした。


「おい待てよ! 何勝手なことをしようとしてるんだ!」

「ソウ……いやジウの死因は心臓発作のようだった。この年頃では珍しいが、そういうことはまれにあるんだ。さいわい、ジウはまだ死亡して一時間もたっていないようだし、すり替えてもばれる恐れは少ない」

「おいっ! ナルセ!」

「さあ行こう。君、立てるかい?」

「う、うん。あ……、ありがとうお兄ちゃん」


 ナルセの手に捕まり、生まれたての四足動物のようによたよたと立ち上がった子供は、この時を境にソウになった。


「僕はナルセだ」

「ナルセ?」

「ああ」

「……ナルセ!」


 一転して晴れやかに笑ってみせた子供、そして同じように笑みを浮かべたナルセ。二人は二人だけで完結し、俺にはもはや発言権どころか拒否権すらなかった。

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