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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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11.愛――その言葉の意味は

 部屋に戻るとライトの点滅でポータブルフォンに着信があったことに気づいた。


 いまだ整理しきれずにいるパラドックスに翻弄されていた俺にとって、それは僥倖だった。……僥倖となるはずだった。


 表示された名前を確認し、なぜ今更と思いながらも電話をかけ直すと、スリーコールで相手に繋がった。


「ああ、ザック! あなた今、どこにいるの?」


 女特有の甲高い叫び声がきんと耳を刺す。


「やあ、リンダ。どうした?」


 リンダには申し訳ないが、その声を聞いたら少し気楽で愉快な気持ちになってきた。声の調子で伝わったのだろう、「ああもう!」とリンダがさらに高い声を出した。


「あなた、その様子だと知らないみたいね」

「何を?」

「いい? よく聞いて。こっちであなたと同室だったジェイクが一時間前に逮捕されたわ」


 瞬間、すべての感情がフラットになった。


「……逮捕? ジェイクが?」


 強い驚きの前では何もかもが無になるらしい。


「……どうしてだ?」


 耳元でリンダの深いため息が聞こえた。


「ジェイクはフィランだったのよ」

「はあ? フィラン?」


 あのジェイクが、と言いかけ、そんなことあるわけないと否定しかけ――『あいつならあり得る』と思った。……思ってしまった。


 どの人種にも固有の特徴、特性があるが、実際には個人差だってある。そしてごくわずか……そう、ごくわずかのサピアリィアルは自分達を人間の最上位種とみなすことになぜか反対していて、通称フィランと呼ばれるフィランソロピスト〈博愛主義者〉はその一組織だった。


 フィランは全人類みな平等、同じ人間だと本気で信じている。


「δタブレットを量産する製薬工場で爆破未遂事件が起こったの。その犯人の一味にジェイクがいたんですって」

「……なんだって? あいつが製薬工場を襲っただって?」

「そうなのよ。人間が人間を食べるなんておかしいって騒いだらしいわよ。ふふ、ドローンは人間なんかじゃないのにね」


 なぜドローンが自らをデルタ系と呼ぶようになったか、その理由は実は分かっている。彼らの血液を用いたサプリメントの名称、それがδタブレットだからだ。


 遺伝子操作によって得た能力や肉体を保つため、サピアリィアルはサプリメントの摂取を欠かすことができない。そのもっとも重要な一つがδタブレットなのである。


 カラフルなサプリメントの中、唯一漆黒に艶光るそれを俺も毎日口にしている。


 食事はとらずとも肉体は保てる。だがサプリメントがなくては肉体が崩れ、精神が崩壊し、一年とたたずに死ぬ他ないのだ。


「……どうして俺に電話してきた?」


 ひりつく喉で声がかすれた。


「あら。冷たいわね。ジェイクはザックのルームメイトだったじゃない。それにあなたのダッド〈父親〉はFSA〈食品基準庁〉の長官でしょ?」


 リンダの声がむやみに明るいのが気に障ってきた。


「サプリメント〈命〉の供給を管理するのはFSAの仕事なのに、その長官の息子のルームメイトがフィランで、しかも製薬工場を襲おうとしたってことが面白いって?」

「あらやだ。どうしたの。もしかして怒ってる?」


 予想外だと言わんばかりの高い声が耳にうるさくて仕方ない。


「ああ、分かった。ザックはジェイクとフレンドなのね。そうでしょ?」


 お前が分かったようなことを言うな――そう言ってやれたら。


「それ、ダッドに言ったら面白いんじゃない? 『俺、フィランとフレンドなんだぜ』って。ふふふ。あなたのダッドは面白がってくれるかしら。それとも怒る?」


 ……どちらでもないだろう。


 おそらく父の視界から俺が限りなく透明に見えるようになるだけだ。


 怒りでも諦めでもなく、苦言を呈するわけでもなく、ただ存在していることを限りなく無視するようになるだけだろう。


 その未来予想図は容易に思い描けたが口には出さず、予告なく電話を切っていた。


 この調子ではニュースが知れ渡るや興味本位で俺に連絡をとってくる人間が出てきそうだ。それに今一番話したくない人間から連絡がくることは間違いない。だがしばらくは誰の声も聞きたくない。――誰とも話をしたくない。


 ポータブルフォンの電源を落とそう――そう決めた。


 だがその前にメッセージツールを起動した。あのジェイクのことだ、きっと俺に何らかのメッセージを送っているに違いない。


 フレンド専用のフォルダを久しぶりに開けると、案の定、ジェイクからのメッセージがいくつも届いていた。予期していたとはいえタップする指先が……震えた。


『会いたい』

『どこに行けば会える? 時間と場所を指定して』

『話をしたい。声を聞きたい。電話をしてもいいかな』


 直接的なメッセージがつづく中、『僕も仕事を辞めることにした』という一文が目に入った。


『やることがあるんだ。ノッティンガムに行ってくる』

『こっちに来ても毎日ザックのことを考えているよ』

『ビーハイヴから戻ってきたらすぐに連絡して』

『やっぱり僕がそっちに会いに行こうかな。今すぐ会いたいよ』


 ――それは突然現れた。


『ずっと言ってなかったことがある。最後に言わせて』


 そのメッセージは昨日の朝受信していたものだった。


『電話ありがとう。嬉しかった。だけど出れなかったよ。あれほど声を聞きたかったのに、もう無理なんだ。……大切なものがありすぎて辛いよ。だけど嬉しいんだ。この矛盾した気持ち、君に分かってもらえるだろうか』


 今だから言うけど、と前書きをした最後のメッセージはいつになく長文だった。


『このメールを読む頃には、僕がどういう人間かは君にも分かっているんだろうな。でもね、これだけは言わせて。僕は君のことを心から愛していたよ』


 愛という単語が目に入った瞬間。


「愛していた……だって?」


 思わずつぶやいていた。


 愛――それは過去に重要視されていた思い、感情、意志であり、サピアリィアルがサピアリィアルであるために放棄したものの一つだ。


 文芸や芸術においてよくモチーフに使われていたそれを、なぜ今ジェイクは……?


『初対面で君がエヴァンズ長官の息子だってことはすぐにわかった。君の顔は僕にとっての敵と瓜二つだから。だから最初の頃は距離を置いていたんだ。……でもね、気づいたら親近感がわいていて、気づいたら好きになっていたんだ。君はいつも無理をしていたし生きづらそうにしていたから』


 はっとした。


『君は本当はリンダのことなんてどうでもよかったんだろう? ただ『普通』のサピアリィアルになりたかっただけなんだろう? ああいう世間一般にチャーミングだと言われている女性にモーションをかけられる、そんな行動力のある性欲旺盛な男に』


 無意識に飲み込んだつばが小さな音をたてて喉を流れていった。


『察しのとおり、僕はサプリメントを極力使っていない。君の前で服用していたのは全部ダミーだよ。だから感情の制御も限りなく解いている。人間が人間らしさを証明できるのはこの心だけだと信じているからね。愛もその一つさ。……だけど嫉妬をするのは初めてだった。君とリンダの関係を知った時、僕はとても嫌な気持ちになったよ。そして君に触れることができた瞬間、途方もない多幸感に包まれた――その時知ったんだ。君へのこの想いは愛だって』


 愛――その言葉の意味は概ね理解している。


 だが愛を実感したことがない俺にはジェイクの伝えたいことのすべてを理解できているとは言い難かった。


 ただ、ジェイクの切実で必死な言動には何度も触れたことがある。


 そうか――。


 お前のあれは全部、愛とやらを示す行為だったのか――。


『最後に。僕がなぜ今夜の行動を起こすと決めたのかだけど』


 先を早く知りたくて視線を走らせると、そこには覚えのある台詞が書かれていた。


『意味はその時の君が決めてくれればいいから』


 無数の光線が放たれ、この胸の中心を貫いた――そう錯覚するほど、それは強い衝撃だった。


 瞼を閉じることも視線を逸らすこともできない。


「あ……ああ……」


 あの日の父の声がいつになくくっきりと聞こえる――。




『ではお前はいつになったら真から満たされるんだ?』



  ◇◇◇


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