8.世界を変える権利について
いいか、と向かい合う机に身を乗り出す。
真っ向からソウの漆黒の瞳を見つめる。
「デルタ系の歴史については教えたよな。なぜデルタ系がデルタ系となり、俺達に支配されるようになったのかを」
ソウがうなずきかけたところで先に答えを発する。
「愚かだったからだよ。そして劣っていたからだ。ありとあらゆる面で。しかもそれをいつまでも認めることができなかった。いや、自分達のことを相対的な視点でもって見ることができていなかったんだな。だからお前らの祖先は大勢の同胞をいたずらに死なせてしまった」
知らないということは時と場合によっては最大の罪となり得る。
そのことを当時の――そして今のドローンも知らない。
「世界が今よりも混沌としていた頃、人類の大半はベータ系だったことは話したよな」
ベータ系とは今でいうシンプルトン〈欠落者〉のことだ。
ほとんどのドローンは自らを保護するアルファ系――サピアリィアルのことしか知らない。だが職種や居住地によってはそれ以外の人種と接することがあって、彼らがシンプルトンのことをベータ系と呼んでいることは知識として知っていた。
「誰もかれもが自分だけが幸福であろうとし、より多くのものを欲した時代のことだ」
今、この地球にシンプルトンは二億人ほどいるが、彼らは究極的に何を欲すれば満たされてくれるのだろう――常々疑問に思っている。
当時はジャパン含め、アメリカやチャイナ、ロシアやインドといった強国同士が熾烈な覇権争いを繰り広げていた。各国の争いはいわゆる武力によるものではない。経済、政治、そして情報による争いだ。だが誰にだって分かるはずだ――資源に乏しく人口も少ない島国には、はなから勝ち目などなかったことを。そう、資源と人材、それに広大な大地こそがグローバル化した世界における勝者の必須条件だったのだ。
それと――運。
サピアリィアルの祖先が遺伝子操作により心身ともに飛躍的に変貌したちょうど五年後――神によるセレクション〈淘汰〉が全人類に対して実行された。
地球上に生存していた九十億を超える人類が、セレクション〈淘汰〉によって半年後には一億人近くにまで減じたのである。
「セレクションは多くの人間の命を奪った。お前らの祖先なんて十万人も残らなかったらしい」
しかしサピアリィアルは違う。
俺の祖先はこれを乗り越え、皆が後世に命を繋ぐことに成功している。
それゆえサピアリィアルはセレクションのことをラストジャッジメント〈最後の審判〉の判定結果だと解釈している。そして自分達こそは命の書に記されし選ばれた人種だと確信するに至った。
ちなみにこの人口減に関する解釈は各人種によって異なる。
たとえばシンプルトン。彼らはセレクションのことを『解明不可能な新型アデナウイルスの発生』、ラストジャッジメントのことを『地球規模のパンデミックによる社会の壊滅』と史書に記している。その感染力、症状の程度、そして致死率――何もかもが桁外れに違っていたからだ。
「当然政府は崩壊し、ほとんどの国は国としての機能を失い……世界は壊滅寸前となったそうだ。まあ、それ以前から地球温暖化からの急冷化もあり、ズタボロ状態になっていたところにとどめをさされたって感じだったんだがな」
ソウの瞳がかすかに揺れている。話を理解できていない証だ。しかし俺による調教、もとい学習を受けるようになってまだひと月もたっていないのだから仕方ない。
セレクションとは、ラストジャッジメントとは何か。これらは一通り説明してあるが、この短時間で引きこもりのドローンに本質を理解できるわけがないのだ。
他の事柄も同様だ。
地球とは何か。国とは何か。政府とは何か。
十万という数字にはどのような意味があるのか。
先ほど述べた九十億との違いとは?
――愚かであるとはどういうことなのか?
――ドローンとはこの世界でどういった存在なのか?
この世界の常識や普遍的真理は、ソウのこれまでの半生に干渉してくることがなく、それゆえソウの黒い瞳には何ら見えていなかった。見えていなくても困ることはなかったのだ。それこそがドローン――雄バチたる所以だ。人間ではなく。
無知なソウはか弱さゆえについ庇護したくなる。
だがそれ以上にその無知さ加減を散々にこき下ろしたくなることもある。
ここまでノンストップで話をしていて、急に嫌気がさして口をつぐんだ。俺は一体何様だ、と。
こんな醜い発想は崇高な存在である俺――サピアリィアルにはふさわしくない。職業に貴賤がないように、本来生物にも差別は必要ないはずなのだ。地球の資源を分かち合う者同士、同じ生きて死ぬ存在である生物同士――。それはサピアリィアルとドローンの間にも言えることだ。
なのになぜ俺は一方的にソウをなじり、蔑んでいるんだ?
「ザック?」
いぶかしそうに俺の名を呼ぶソウは、明らかに俺を案じる表情になっていて、それが腹の奥に渦巻くどす黒い何かを刺激した。
「俺はお前なんかに同情されたくないんだよ……!」
きつくソウを睨むや、怒鳴っていた。
同胞相手ではこんなことは起こらない。お互いがお互いにとって心地よくなるようにふるまえるし、面倒になったらあとくされなくその場を立ち去る技量を持っている。だから争うことはけっしてない。
なのになんだ――この言葉にならない嫌な感情は。
胸の奥から際限なく湧き上がってくるこの重くて苦い感情は――。
「どうしたの?」
こういう時は肩に手を置くくらいのことはするものだ。フレンドでなくとも絶対にそうする。なのにソウはこちらにまったく近づいてこない。ただ思案気に俺の様子を伺っているだけだ。
以前から気づいていたことがある。
ソウは俺に触れられることを極端に恐れているのだ。
こいつは俺が嫌いなんだろう――本当は。
どんなになついてみせようとも、素直に教えを受けようとも、笑みを向けようとも気遣おうとも――ソウは本心では俺のことを嫌っているのだ。
この完璧なサピアリィアルのことを、俺のことを――。
『お前もやはりお前でしかないな』
父の声で幻聴が聞こえた。
『お前はその程度だ』
瞬間、かっとなった。
「くそっ。たかがドローン風情が……!」
「ザック?」
名を呼ばれ、我に返る。
何度か意識して深く呼吸をした後、謝罪した。
「……すまない」
目をしばたたかせたソウだったが、しばらくしてためらいがちに訊ねてきた。
「ね。さっき言ってたドローンって何?」
「……」
いつまでも答えない俺に、ソウが笑って肩をすくめてみせた。
「まあいいや。勉強していたらいつか分かるもんね」
さっき言ってたでしょ、とソウが続ける。
「自分で学ぶことができる賢い人間になれば、ザックの言う『世界を変える権利』が手に入るってことなんだよね?」
あまりにあっけらかんと言うものだから、くすぶるいら立ちに翻弄されつつも訊ねていた。
「……さっき言っていたことだが」
「なに?」
「さっき言っていただろ。……ほら、世界を変える権利について」
世界を変えるのはアルファ系の特権じゃない、とソウは言った。それに優秀な人間がすべきことでもないとも言った。
「だったらお前はどう思うんだ」
これにソウがきっぱりと言った。
「強い願いさ」
「強い……願い?」
「そう。世界を変えたいと本気で思っているかどうかだよ」
要は精神論か。謎解きの結果は案外平凡だった。
「だったらお前はなぜそうも世界を変えたいんだ?」
「大切なものを取り戻すためさ」
「大切なもの? それは何だ?」
これにソウが破顔した。
「ナルセとの想い出だよ」
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