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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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7.お前は世界ってものを知らなすぎる

 あの特区の研究者達があれほどドローンの研究に熱を入れていた理由、それがようやく分かった。いや、実際には彼らの誰よりも俺はこの状況を楽しんでいた。無知な少年への教育――いや、ドローンの飼育を。


 初日はじっくりと時間をかけて少年の心をひらいた。恐怖や痛みで服従させることは簡単だが、それではただのドローン〈雄バチ〉になってしまう。だが俺が欲しいのは雄バチでも働きバチでもなかった。そう、一目見た瞬間にこう思ったのだ。俺が丹精込めて育てたらこいつはどこまで伸びるだろうかと。


 ドローンを対象とした研究において、以前から気がついていたことがある。


 厳密な意味でドローンを『人間』として扱ったものが一つとしてないのだ。


 ドローンはサピアリィアルと動物の中間のように定義されており、肉体に施す実験はまさに生物学的見地からなされるものばかりだ。過去、モルモットやウサギを対象としていたように。


 愚かで怠惰で、優れた者に従うことでしか生きながらえないドローン。


 頭脳はもとより、肉体的にも精神的にも、俺達よりも動物に近い彼ら――。


 だが怯えるソウを視界にとらえた瞬間、こう思ったのだ。

 こんな風に恐怖を覚えて動けなくなる獣がいるか、と。

 定義を変えるべきではないか、と。


 ドローンを人間とみなしたらどうなるだろう――と。


 たとえば、だ。たとえばサピアリィアルによる教育を受ければ、ドローンでも何か成せるのではないか?


 肉体的な改造は無理だとしても、それ以外――つまりはより賢く強い精神を有することはできるようになるのではないか?


 運のいいことに、ソウは幼少期から親と離れあの特区で暮らしていたという。幼い頃に沁みついた慣習、思考は容易に消せるものではないから、卑屈にならずに素直に俺の言うことを聞くだろう。


 しかもソウは教育を欲していた。

 何かを学ぶことに異様に貪欲だったのだ。


 これまたドローンにしては珍しいことだが、理由は会話を重ねることで推測できた。ソウも俺と同じように、夜な夜な研究室を渡り歩いていたらしい。


 確かに、これほどまでに多くの学問に触れることのできる場所はビーハイヴでは希少だ。しかも研究者同士は他の建屋への出入りを禁じられている――『禁じる』ことで誰もそれを破ろうとはしないのは服従癖のあるドローンらしい――から、それをしたことのあるドローンはソウただ一人だろう。


 あの特区に住んでいたがゆえに、俺に見つかった当初のソウの怯えようはひどかった。だが適切な言葉を重ね、親しみのある動作と表情を絶やさなければ、二日目には嬉々として俺の生徒になることを承諾するまでになった。


 それからは毎晩、湯水のごとく知識を与え続けている。



 *



 目の前ではソウが真剣な面持ちで二次方程式を解いている。


 俺が八歳の時には解いていた方程式に十六歳のソウが一心不乱に向かい合っている姿は健気だ。そしてどこか可愛らしい。


 夜、俺はほとんどの時間をソウの隠れ住む研究室で過ごすようになっていた。なんでも素直に吸収していくソウは、もしかしたらドローン随一の頭脳を有しているのかもしれない。まあ、十中八九教師がいいからだろうが。つまりはこの俺のことだ。


 だが一つの問題があった。


 いくら腕のいい教師がいようとも、俺のここでの滞在期間はすでに一か月をきっていたのである。


 だから最近では勉強を教えつつ、持ち込んだラップトップのキーボードを叩いている。朝寝る前、それに夕方の起き抜けにも部屋でデスクワークを進めているのだが、それでもまだ時間が足りなくなっていた。


 今は全建屋への配線作業はあらかた終わっており、それらの健全性を確かめるための簡単なプログラムを作成している最中だった。任期中にどうにかしてこれを完成させたいと思っているのは半分意地だ。


 集中していたせいで、ソウがとうに数式を解き終えていることに気がつかなかった。


「ああ、悪いな」


 次はこれを、とプリントアウトしておいた問題を渡しかけたら「そうじゃなくて」とソウが首を振った。「それ、何をしてるの?」とラップトップに視線を向ける。


 お前らを監視するためのシステムを作っているなどとは……さすがに言えない。


「コードを作成していたんだよ」

「コード?」

「プログラミングは知っているよな?」


 ソウが幼馴染からプログラミング用のラップトップとテキストをプレゼントされていることを俺は知っていた。


 ちなみにソウの半生も現状も概ね把握している。ソウがこれまで生きてきた世界は極端に狭く、少し会話を重ねれば十分だったのである。……俺が殴ったあのドローンがソウのチームメイトだったと知ったときはさすがに驚いたが。


 しかし、熊の死骸を見つけて『この中に隠れれば脱出できるかもしれない』と自ら思いつくあたり、高等教育を受ける素質というか、土台のようなものがソウには元から備わっていたのだろう。こういうところもこいつを気に入っている理由だ。


「知ってるよ。でもテキストを読んでも面白くなかった。これで世界を変えることができるって思っていたんだけど違ったみたいだ」


 ドローンの中学生が用いる一般的な物――つまり俺にとっては玩具と同レベルのものにそんな高等な内容を期待する方が無理だ。


「お前のテキストにはバグの取り方しか書かれていないからな。だがお前の言ったことは正しいぞ」

「正しいって?」


 少年と大人のはざまにあるソウの顔つき、それに率直な感情の示し方は、俺には常に新鮮に映る。幼き頃から完璧な精神を宿すサピアリィアルは、ソウのように他人に無知な自分を見せることはしないし、こんな風に無邪気に問いかけたりすることもないからだ。


「プログラムで世界を変えることができるっていうのは本当だよ」

「そうなの?」

「ああ。今、世の中のすべては電子機器によって動いているからな」

「電子機器って、テレビやラップトップみたいなもののこと?」

「まあそうだな」


 するといったん口を閉ざしたソウがとんでもないことを言った。


 僕も世界を変えたい、と。


「世界を、ねえ」


 あまりに飛躍する話に、とうとうラップトップから指を離した。


「お前にはこの世界を変える権利なんてないよ」


 変な考えは早々に摘み取ってしまうに限る。


「どうして?」

「そこまで優秀じゃないからだ」


 ずばり答えたもののソウはめげない。


「つまりはアルファ系じゃないから駄目だってことなの?」

「そうだ。お前はド……いや、デルタ系の中ではきっと優秀なほうだよ。俺の言うことを理解できているしな。だがな、残念ながらお前はその程度なんだ」

「なにそれ」

「俺からこの程度のことを教えてもらっている時点でお前はその程度だってことだよ。これくらい習わなくても解けるものだから」


 これにソウがむっとした表情になった。


 子供じみた発想も態度も、やはりサピアリィアル〈優位者〉に比べるべくもない。


「変なことを考えていないで真面目に勉強しろ」


 額をこつんと叩くと、ソウが心底嫌そうに首を振った。


「変じゃない」


 こういうところは可愛げがない。


「まだ言うのか」


 しつこさに眉を寄せたところで、ソウが唸るように言葉を発した。


「世界を変えるのはアルファ系の特権じゃないよ。それに優秀な人間がすべきことでもないと思う」

「じゃあ誰だよ。言っとくがな、世界を変えるってことは口で言うほど簡単なことじゃないぞ」

「分かってるよ」

「はあ? ここに引きこもっているだけのお前に何が分かるっていうんだ。お前は世界ってものを知らなすぎる」


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