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レジスタンス-それはありふれた絶望だった-  作者: アンリ
第三章 涙は何滴あれば悲しみを -ザック-
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6.何を得れば、何を達成すれば

 フレンドからは毎日のようにメッセージで誘われている。


 それらすべてに既読のアクションをつけていたが、やがて面倒になったので同じ文面で返事をしてしまうことにした。『ビーハイヴで働いているのでしばらく無理だ。戻ったらこっちから連絡する』と。


 これにほとんどのフレンドから同じ反応が返ってきた。『またビーハイヴ?』『こっちに帰ってきたら連絡して』と。ただ、ジェイクだけは違う反応を示した。


『同じ場所にいると思うだけで嬉しいよ。いつかそちらに会いに行きたい』


 その返事を読んだ瞬間、胸がうずいた。少年時代に戻ったかのように目の前の好奇心を満たすことに無我夢中になっていたが、やはり俺は立派な成人なのである。


 他人と――ジェイクと最後に触れ合ってから、はや三か月がたとうとしていた。


 性行為を覚えてからというもの、これほどまでに長い間誰とも触れ合わなかったことはない。


『俺も会いたいよ』


 突き上げてくる情欲そのままに返事を出し、やるせなさと間抜けさに苛まれ――思わず深いため息が出た。


 一人寝のベッドで二人過ごした時間をふと思い出す。


 細い体躯そのままに、ジェイクから与えられる行為はどれも繊細なものだった。セックスとは楽しむためのもの、快感を得るためのものなのに。だから最中にこらえきれない笑いで頬が緩んでしまうことが幾たびもあって、そのたびにジェイクは傷ついたような顔をしていたっけ。


 ジェイクのような触れ方をする人間を、俺は他に知らない。


 俺との行為の間、どこか泣きそうな表情をしていたジェイク。眉をひそめ、唇を結び、触れた肌から快感が伝わっているはずなのに苦行に耐えるかのようだった。……なのにその辛そうな表情は、『その瞬間』には一切の闇が取り払われたかのようにかき消えるのが常だった。その際に見せる光悦とした表情には胸に迫ってくる何かがあった。


 だからつい何度も関係を持ってしまった。


 気に入る外見をしているわけでも、馬が合うわけでもないジェイクと――。


『会いたい。今すぐ会いたい。話がしたい』


 即受信したジェイクの返事には既読のアクションをつけるにとどめ、布団の中に潜り込んだ。

 寝て起きれば、このもやもやとした気持ちも消えているはずと信じて。



 *



 しばらくはラップトップを起動してもメッセージツールに触れなくなった。業務上使わざるを得ないときでも、フレンドから届くメッセージが格納されるボックスだけには絶対に触れないようにした。不可能なことにいつまでも囚われていても何ら生産性がないからだ。


 それがなくては生きていけない。

 それがなくては死んだも同然だ。


 ――そのようなものはもとよりどこにもない。


 無理なことは無理、そう割り切ればいいだけの話なのだ。


 それに永遠にここにいるわけでもない。


 そんな俺がドローンの研究成果の収集にいよいよもって没頭していったのは必然でもある。脳は快楽を求め、喜びを求めるからだ。何かが得られなければ別の何かで代替する他ないし、常に最善を捜すのは人生を無駄なく謳歌したいがゆえのことである。


 情報学部ではドローン独自のプログラムを創造しようと試みている最中だった。だが何年たっても成果は得られそうにない代物だった。


 教育学部では教師から生徒へ与える罰として何が効果的か網羅的に調べている最中だった。しかし、無視や痛み、暴言に高い評価を与えている時点で先がしれていた。


 農学部では米や芋といった主食の品種改良に特に力を入れていた。しかし、その改良の程度にも手段にも、嘲笑を通り越したむなしさを感じる他なかった。


 知れば知るほど、ドローンのことをより理解できた。


 そして自分達の祖先へと想いを馳せた――己が立ち位置に誰にともなく感謝しつつ。


 自らの遺伝子に手を加える勇気があった者は、当時九十億いた人間の中でもごくわずかだったという。しかも成功した人間はそのうちの一割もいなかったという。それが俺の祖先だ。


 現状に妥協しないこと。

 より良い自分になろうとすること。

 最善を尽くすために何をすべきか、取捨選択をする勇気をもつこと。

 しかし人生とは耐えるものではない。楽しむべきものなのだ。


 崇高な祖先が定義したこれらの哲学、人生観を疑うサピアリィアルは皆無だ。


 そして俺もまた、ドローンへの理解を深めることで、自分のルーツ、そして己自身の才能と正しさを深く噛み締めていった。


 

『ではお前はいつになったら真から満たされるんだ?』



  ◇◇◇



 生物学部の建屋に足を踏み入れたのは配線作業も終盤に近い頃だった。


 エンドウ豆の実験で遺伝子について研究したメンデルは有名だが、今夜訪れた研究室ではアサガオを使って試行錯誤しているようだった。隣は温室になっていて、そこではアサガオの鉢が几帳面に等間隔に並べられていた。ゆるく閉じられている蕾は、闇の中、ちょっとした光を感知しただけでほどけそうだった。


 室内で特に興味を惹かれたのは壁に貼られた模造紙だった。書き込んでいる途中の棒グラフや折れ線グラフのそばに、花びらの色と厚み、つるの長さとうねりの程度、茎の太さと硬さ、そういったことが事細かに記載されていた。


 ハンドライトをいったん机に置き、いつものごとく写真を撮っていく。どれも子供のお遊びのような内容だが、『それらを難題だと信じて真摯に解明しようとする』ドローンの心理には強い興味を覚えてしまう。


 ここにいると、この部屋の主が目の前にいるかのように錯覚してくる。生身の姿が自然と匂い立ってくるのだ。きっと研究対象に真摯に向き合うタイプなのだろう、そしてできるだけ論理的に問題を解き明かそうとしているのだろう……と。


 なんだろう――幼い頃の自分に再会している気分になってきた。


 あの頃は今よりももっと無邪気でいられたっけ。


 そして、もっと簡単に満たされることができた。


 瞼を閉じ、しばらく郷愁めいた想いにひたる。彼らの言動を探ることは自分のルーツを知ることと同義――そんな思いに駆られながら続けてきたこの観察行為はやはり正しかったようだ。


 もう一度自分のことを見つめなおしたい。この世界でただ一人の自分のことを。五体満足健康で、なんら欠けたもののない恵まれた自分のことを。サピアリィアルの中でも優秀とほまれが高い父をもつ自分のことを。


 これだけ良い条件が揃っているというのに、なぜ俺はいまだ完全に満たされることができないんだ?


 この先、俺は一体何を望むんだ?


 何を得れば、何を達成すれば真から満たされるんだ?


 ――それこそが今もっとも知りたいことだった。



『ではお前はいつになったら真から満たされるんだ?』



 この地を訪れて以来、父の声が至近距離にまとわりついて離れない。エンドレスでリフレインする様はまるで亡霊のようだ……。


 目深にかぶっていたキャップをとり、あらためてかぶり直す。


 と、部屋を出ようとして気がついた――自分以外の生物の気配がすることに。


 上下左右に瞬時に視線を動かす。

 上、いや下の階だ。床下の部屋に誰かがいる。


 しかし警戒心はすぐに緩んだ。ここは生物学部なのだから当然ではないか、と。どのような生物がここで飼育されているのかは事前に関連資料を熟読しており知っている。昆虫、爬虫類、魚類、鳥類、それに哺乳類までもがこの建屋にはいる。


 こういうところはサピアリィアルとドローンで違う。サピアリィアルは人間――とりわけインフィアリアルに強い興味を抱いているが、その他の種族に対しては毛ほどの興味も持ち合わせていないからだ。どのような分野においても高い知性を要求する複雑な事象にこそリスペクトを持つ傾向があって、生物学においては当然、人間が当てはまるというわけだ。人間の命、心、生と死、変化――そういったことに。


 やがて瞼の奥に覚えのない熱を感じた。


 きっと『とても面白いもの』を発見できると心が訴えてくる。

 この身を抑えきれないほど強く惹かれるものがあるはずだ、と理屈抜きで感じる。


 微細な気配を読み取らんと、全身が総毛だった。


 その直感、もとい確信は正しかった。


 階下の一室にドローンの少年が隠れ住んでいたのだ。


 少年の名はソウと言った。



  ◇◇◇


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